4コマ目
学校が引けるとすぐ、大介は病院に向かっていた。病室に入った瞬間、思い切って、
――『ただいま』とか言ってみようかな。
などと考えながら。無論、クミは冗談としてそれを受け取るだろうが、それでも構わないと感じていた。自己満足で十分だと。
そんな浮ついた気持ちのまま病院という場に足を運んだ彼が、昨日と同じように受付でクミの病室の番号を告げると。
「申し訳ありませんが、その部屋の方は現在、御家族の方以外は面会謝絶となっております」
「え」寸刻前までの浮ついた気持ちは吹き飛んで。途端に大介の身体は震え出した。同調するように震えた声で、彼は言葉を捻り出す。「あ、あの、何か、あったんですか」
「それはちょっと、確認が取れないと私の口からは……」
「そう、ですか」
身体の震えを何とか抑え付けながら、大介は力なくうな垂れる。ともかく真相を知りたかったが、彼は彼女についてあまりにも何も知らなかった。面会以外に、例えば彼女の家族と連絡を取ることさえ出来ない。考えてみればこれでどうやって昨晩、一瞬でも事故を防げたかもなどと考えたのか。
為す術なく、しかし諦めきれず、とりあえず待合室に居座っていると、一人の女性が顔面を蒼白にして駆け込んできた。
「あ」
大介は彼女に声を掛けようとするも、彼女の方はそもそも大介の存在に気付きもせず受付の看護師に何かを捲し立てている。すると奥から男の医師が現れ、彼女を診察室へと連れて行った。クミの母親を。大介は大胆にも、その後ろを追った。
幸いなのかなんなのか、診察室の近くには公衆電話が設置されていて。大介は受話器を手にして、あたかも誰かと話している風に適当な相槌を打ちながら、クミの母親と医師の会話を盗み聞きしていた。防音でもない扉。静かな病院ともなれば、耳を澄ませれば何とか声を聴きとれた。いやそこまでしなくとも、ヒステリックじみたクミの母親の声なら余裕で廊下に響いていた。
「冗談でしょう、先生!?」
「こんなことは冗談で申し上げられません。この種の記憶障害は、外傷よりも強いストレスや精神的なショックが原因で起こる場合がほとんどなのです。その場合はつまり精神的なものですから、症状は一時的で、記憶が戻る時には完全な形で元通りになることも多いのです。しかし娘さんの場合、純粋に脳の損傷のみが原因となっているようです。精神的な要因が一切絡んでいない逆行性の記憶障害と言うのは、確かに作り話の世界ではよくありますが、現実には非常に稀でして……。現段階で記憶が戻る可能性は極めて低いと、言わざるを得ません」
「そんな」
クミの母親が今にも崩れ落ちそうになった瞬間、彼女はぴたりと停止した。いや、彼女だけでない。残酷な宣告を告げていた医師も、よく見ると彼の後ろで唇を噛んで俯いていた看護師も、動きを止めていた。事はその部屋の中だけのことではない。廊下を行き交っていたすべての人々も完全に固着していた。待合室に置かれたテレビの中の映像もまったく止まってしまっている。生放送であるはずのワイドショーだというのに。
「っ」
大介は急いで自身の携帯電話を取り出してみた。二つ折りの携帯電話を開く。自然に液晶画面が点り、そこにはでかでかと現在時刻が表示されるはず。しかし画面は真っ暗なままうんともすんとも言いはしない。充電には余裕があったはず。ごくりとつばを飲み込んだ大介は、壁掛けの針時計を見遣った。秒針は動いていなかった。
「じゃ、答えをもらいましょうか」
聞き覚えのある少女の声が、どういうわけか、宙ぶらりんになっていた公衆電話の受話器から漏れ聞こえてきた。




