5コマ目
一月二〇日の月曜日。とある中学校にて。講堂には全校生徒が集められ、教職員たちも皆神妙な面持ちでずらりと並んでいた。そこここから聞こえる話し声は終業式や始業式に聞かれるようなものとはまるで違っている。どちらかと言えば御葬式。だがそれもそのはずで。というよりも半ばその通りで。
「もう皆さんもご存知とは思いますが、今日はとても悲しいお知らせをしなくてはなりません」壇上で話すのは、見目六十歳ほどで白髪頭の校長。「一年二組の森野未希さんが昨日……亡くなられました――」
その日の夜、森野未希の通夜が、彼女の家の和室で行われていた。同級生の全員が制服姿で参列し、友人の死を悼み、すすり泣きしている者も少なくなかった。そんな彼氏彼女たちですらなお、容易に声をかけられない者がいた。未希と最も仲の良かった芳村雪。虚ろな目で呆然としている彼女ですらなお、近づき難い者たちがいた。ひたすら自分を責め、悔い、半ば廃人と化している未希の父。さっきまでそんな彼に向って容赦なく追い打ちをかけていた未希の母親は一周して頭が冷えたのか、今は夫の隣に座ってその手を握っている。通夜を取り仕切っている未希の兄のシンジは、上っ面だけの平生を装っている。
雪はふと、四年前に祖父が亡くなった時の通夜を思い出した。あの時も暗く静かな雰囲気ではあったが、今とは明らかに空気が違っていた。子供だろうと老人だろうと死の重みは同じだと考えることが、綺麗事を通り越して浅はかなのかもしれないと、雪は感じていた。年老いた者が死に往くことは悲しいが自然であり、だからその葬儀もある種日常の延長にあるものと思える。だがこの時勢において義務教育も終えていない歳の子供の葬儀というのは、日常から完全に逸脱したものに思えてならなかった。ともあれそんな理で物事を考えるまでもなく、今はただ、絶望に打ちひしがれる他ない雪は、しばし垂れたままであった頭を上げたところで、異変に気付いた。
「……は?」
雪の目に飛び込んできたのは、日常を逸脱した光景、どころの騒ぎではなかった。悪ふざけなど出来るはずのない厳粛な場で、しかし悪ふざけとしか思えない光景。雪以外のすべての人間が、ビデオの一時停止ボタンを押されたかのように、ぴたりと静止していたのである。指一本動かさず、微動だにしていない。
「わざわざこんな場所に顔を出すのも、どうかとは思ったんだけど」
何処からか少女の声。
「だ、誰!?」
雪はほとんど反射的に叫びながら、声のした方に目を向けた。声は、隣の部屋から聞こえてきている。勝手知ったる友人の家。恐る恐る襖を開けて居間を見遣ると、電源の付いていないテレビに、見覚えのない少女がでかでかと映り込んでいた。
「うわっ!」
状況が状況なだけに。未希が腰を抜かして尻餅を着くと。
「かっこわる」
と。少女は辛辣に言い放った。少女の容貌は、まともな人間であれば十歳そこらと思われる幼さで、髪はおかっぱ。継ぎ接ぎだらけの着物で和装しているが、顔立ちは恐ろしいほどに端正で。とにかく人間離れしていた。
「ねえ、あなた、やり直したい過去ってない? って、流石に白々し過ぎるか」
「え、ええっと」
情況を把握出来ない雪は、腰を抜かしたまま後退って行こうとしていたが、
「友達の死を、なかったことにしたくない?」
おかっぱ少女のその一言で、動きを止めた。
「私がただの人間じゃないってことは、まあ今の状況を見れば瞭然のことだと思うんだけど。実は私、ただあなたをびっくりさせるために出て来たお化けとかそういうのでもなくってね。あなたに、機会、チャンスを与えに来たの」
「チャンス?」
「そう。本来は、時間を巻き戻して人生をやり直す機会を人々に与えるっていうのが私の仕事みたいなものなんだけど。あなたの場合、やり直したいことってもう決まってるでしょ?」
「う、うん。あの、ちょっと待って。じゃあ何? あなたの言うことを聞けば、未希を生き返らせてくれるってこと?」
「生き返らせるっていうのはちょっと違うな。というか、別に私の言うことを聞いてくれるって必要はないんだけど。悪魔の契約じゃないんだから」
「は、はあ」
―おかしくなって、変な夢でも見てんのかな、あたし。
だが夢ならば。何も逃げ出す必要がない。非常識極まるこの状況が、却って雪の頭を冷やしていた。
「で、今さらなんだけど。実は正確に言えば、あなたの友達、森野未希の死をなかったことには出来ないの」
「え、どうして?」
「この世界における森野未希の死が、既に確定した事象となってるから。詳しい説明はまあ、後でいいか。とにかく。この世界で何度過去をやり直そうとしても、森野未希の死はもはや避けられないの」
「じゃあ、意味ないじゃん」
「仕舞いまで聞きなさいな。私はなにも、あなたをぬか喜びさせたくて来たわけじゃないんだから。いい? この世界で森野未希の死は確定してしまった。でも、別の世界ではそうじゃない」
「別の世界?」
「そう。平行世界、いわゆるパラレルワールドってやつよ。一度この世界を、森野未希が死ぬ前の時間に戻す。そこで、世界を〈複製〉するの。複製元の世界は相変わらず森野未希の死が確定しているけれど、新たに複製した世界にはそれがないから、導き方次第で森野未希の死は容易に避けられる。紙切れの複写で考えてみて。穴の開いた紙をコピーしたって、その穴までは再現されないでしょう? 気を付けて複写すれば、影だって残らない」
「分かったような、分からないような」
「分からないんなら分からないでもいいんじゃない? ともかく私があなたにしてあげられる最大は、『森野未希も芳村雪も死なない世界を創る権利』をあなたにあげるってこと。どう?」
若干『芳村雪も』という部分に引っ掛かりを覚えながらも、雪はその申し出を承諾せざるを得なかった。




