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冬の最涯  作者: 直弥
第三話「分キ点」
14/19

3コマ目

 背の高めの少女は、自室のベッドの上で目を覚ました。寝間着のまま、比喩ではなく飛び起きて、むしろ跳ね起きて、居間へと掛ける。勢いに任せて扉を開ける。

「うおっ、未季か。なんの騒ぎだ?」

 そう言って振り返る、見目二十四、五歳でやや強面な男。炬燵に入ってテレビを見ていた彼は、怪訝な顔で少女こと、未季を見遣る。だが未季はそんなことお構いなしに、

「今日って何日!?」

 捲し立てるように訊ねた。

「じゅ、一八日」

 未季の剣幕に気圧されながら答える男に。

「一月の?」

 畳み掛ける。

「は? そりゃそうだろ」

 男の表情、そして口調。怪訝の意味合いが変わってくるが、構わず未季は続ける。

「土曜日だよね?」

「何がどうしたんだよ。今日のことなら、そりゃ土曜日だけど」

「わかった、ありがとうお兄ちゃん!」

 言うだけ言って。聞く耳持たず。未季は走り去っていった。しばらく呆気に取られていた男は、ただ、

「なんだ、あいつ」

 とだけ呟いて、再びテレビへと視線を戻した。コートを着込んだ若いキャスターが、どこぞのテレビ局前に立って笑顔を振りまいている。

『時刻は午前六時半を回りました。一月一八日、土曜日の朝。みなさん、いかがお過ごしでしょうか』


 即行で服を着替えた未季は、寝癖も直さぬまま外へ飛び出した。肌寒い朝。会社や学校へ向かう人々は皆急ぎ足――もっとも土曜日なだけあって、数は平日より少なめだが。行き先は人それぞれで、決まった流れはなかったが、七割強の人々は同じ方向に向かっていた。すなわち駅の方面。そんな彼氏彼女らと正反対の向きで歩いてくる人の中に、ウィンドブレーカーを羽織ったポニーテールの少女がいた。少女は未季を見つけると、手を振りながら駆け寄ってきて。

「未季、どうしたの?」

 と言った。途端。

「雪っ」

 未季は少女―雪に抱き着いた。と言っても、抱き着かれた雪は未季より十五センチほど背が低く、どちらかというと未季が覆い被さるという形。雪の顔が完全に未季の胸に埋められる。

「んー、んー!」

「あ、ああ、ごめんごめん」

「ぷほうっ」

 解放された雪が息を大きく吸い込んだ。

「ああ、びっくりしたなあ、もう。いきなり何すんの」

「ちょっと、感極まって」

「ランニング行ってきただけでオーバーだなあ。毎日のことじゃない」

「うん、そうね。そうだったんだけど」

 未季は今にも泣き出しそうになっていたが、それをグッと抑え付ける。だがその為になかなか次の言葉を紡げない。沈黙が流れる。

「なにさ? なんかあったの?」

 ――何かはこれから起きるんだよ。 

 しかしそれを直接言って信じてもらえるわけもないので。

「あのね、雪。明日、ううん、出来れば明後日からも、しばらく朝のランニングは中止にしない?」

「え? なして?」

 雪はきょとんとした顔で未季を見上げる。そんな彼女の反応は、未季にとっても織り込み済みであった。彼女には一応の策があって。

「お兄ちゃんが言ってたんだけど、最近、この辺で変質者が出るらしいの。それも、朝早くに」

「ええ? そんな話、今まで聞いたことなかったけどな。でも、シンジさんが言ってるってことは、本当なのかな」

「いやまあ、うん」

 ――お兄ちゃん、ごめん。

「だから、朝のランニングは控えてよ、しばらく」

「んー、そういうことならしゃあないかあ。わかったよ」

「本当に? ど忘れしてたとかナシだからね? 特に明日は絶対にダメだから」

「わかったってば、もう。それよか、折角だしこのままウチに遊びに来ない?」

「うん。って言いたいところだけど、幾らなんでも早すぎるよ。朝ご飯だってまだでしょ? 着替えもあるし、一旦家に戻ってるよ。その後でまたお邪魔するから」

「そう? じゃ、シャワー浴びて待ってるよ」

「なんか変な意味に聞こえるなあ」

 自分で言ってておかしくなり、未季がくすりと笑うと、雪もアハハと笑い出した。

 

 ……。…………。……。

 部屋にはポスターひとつない。カレンダーは観光地の風景写真。少女らしくもなければ、かと言って少年らしさもない、そんな部屋が雪の自室であった。そこで二人の少女は他愛もない時間を過ごす。一緒にDVDを見ながら話したりして笑い合っている。表面上は雪と一緒に笑っていながらも、未季は心ここにあらずであった。この時間をこれからも確実に過ごすため、森野未季にはまだ実行すべき事柄が残っていたから。

 

 自宅に戻った未季が真っ直ぐに向かったのは。

「お兄ちゃん」

「……ん? おう、帰ってきたか」

 炬燵の中で横たわり微睡んでいた未季の兄、シンジが、身を起こしつつ応答する。ちょうど一回り年上のその兄は、妹である未季にとっては、兄であると同時に三人目の親のような存在でもあった。危機には誰よりも早く駈けつけてくれて。過去に何度助けられたことか分からない。幼い時分から警察官を志し、三年前にその夢を叶えた兄。当然正義感は人一倍。それを利用するようで胸は痛んだが、しかし今の彼女は形振りを構っていられなかった。

 ―別に、ウソ吐くわけじゃないんだし。

 自分に言い訳しながら、遂に少女は意を決す。

「あのね、ちょっと、相談があるの。警察官としての、お兄ちゃんに」

 兄の目の色が変わった。


「変質者?」

「うん。あそこのマンションにね、出るんだって」

「そんな通報は一件も受けてないけどなあ」

「でも、本当なんだよ。明日の朝とか、絶対怪しいって」

「なんでまたそこまで具体的なことが分かるんだ」

「か、勘だよ、勘」

「あのなあ、幾らなんでもそんな曖昧なこ……うっ」

 呆れ返って嘆息しかかったシンジが見たのは、稀に見る妹の必死な形相。

「本当なんだもん。お兄ちゃんだって、自分の勘はよく当たるなんて言ってるくせに」

「んー」

 どうしたものかと頭を掻いて。しばしシンジは黙考する。

 ――普段はこんな冗談言う奴じゃないしな。やっぱり何かあったのか。

「わかった。じゃあ、こうしよう」

 果たして彼が下した決断は。

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