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冬の最涯  作者: 直弥
第二話「ループ」
10/19

4コマ目

 一月一九日、日曜日の朝。某年度センター本試験、二日目。国公立大学を目指す者は勿論のこと、私立大学を志望する者も数多く受験する巨大な試験。それが終わり、会場の一つとなっている某大学から出て来る者たちの顔は十人十色。

「高山、どうだった?」

「まあ、それなりに。お前は?」

「いやあ、きっついな。センター利用はもう諦めた方がいいかもしれん」

「おお……でもまだ本番まで一週間あるだろ? B日程の方も入れたら三週間か。そっちで受かればいいんだから、気を抜かずに頑張れよ」

「お前は俺の親父か」

「いやマジで言ってんだよ」

「それはそれでどうなんだ」

 忠告を冗談としか受け取らず、高山の友人は笑っていた。


「じゃあな」

「おう」

 駅で友人と別れた高山は、申し訳なさそうな顔でその友人の背を見送った後、大きく溜息を一つ吐いてから歩き出した。否、歩き出そうとしたところで携帯電話が鳴る。ポケットから取り出すと、0が十一桁並んでいるというあり得ない番号の上に、登録した覚えのない名前が表示されている。しかし広明は受話器のボタンを押した。表示されている名前が『チエ』であったから。

「もしもし?」

 広明が半信半疑で訊ねると、

「もしもし? 私なんだけど」機械越しでも聞き覚えのある声と口調が返って来た。彼女はそのまま言葉を続ける。「どう? 上手くいった?」

「ああ。道を変えりゃいいだけだったからな。会場にはあっさり辿り着けたよ」

「肝心な試験の結果はどうだったの?」

「余裕だ。時間余り過ぎて暇だった」話ながら歩き始める広明。「なんせ今年のセンターはプロが解いた解答付きで一回解いてるんだからな。予備校がネットで公開してたヤツをさ」

「うわっ、それはズルじゃないの?」

「んなこと言っても、解いたのはお前に会う前のことなんだからしょうがねえだろうが。間違ってるって分かってて、わざわざその時の〝自分の答え〟をそのまんまもう一回書けっていうのか? そこまで誠実な奴が〝人生やり直し〟なんて話に乗るか? 自分のために」

「んー、一理あるような気もするけど」

「見逃してくれよ。少なくとも二次試験は完全な真剣勝負になるんだし。一日目からやり直さなかっただけマシだろ? だいたい、お前はお前で競馬なんてもの提案してたじゃないか」

「まあ、確かに未来の記憶を持ったまま過去をやり直せることが人生やり直しの味噌なわけで。試験の答えとかに関してだけズルだなんだっていうのもおかしいんだけどね」

「じゃあ、オッケーってことでいいんだな?」

「いや、というより、最初からこんなことで取り消しにする気はないんだけど。単に感想を述べたまでのことよ」

「なんだよ。性質悪いな――ん?」

 ざわざわと。穏やかな様子ではない人々の声が、広明の耳に飛び込んでくる。

「どうかした?」

「いや、なんか騒がしくて。あの辺って確か」

 ――俺が刺されるはずだった場所じゃ。

 不穏な気配を感じ取り、広明は自然と早足になる。果たして角を曲がった彼の目に飛び込んで来たのは、ニュース映像やドラマでしか見たことのない光景であった。普段であれば白昼でも人通りなど滅多にない裏路地が騒がしい。それだけでも異状だというのに、今や凄惨極まる現場と化していた。烈しい黄色地に『KEEP OUT』と『立ち入り禁止』の黒い文字が交互に並んだテープ。『1』と『2』の算用数字が記された札が地面にそれぞれ置かれている。傍にはチョークでなぞられた人型。二台のパトカーと六人からなる警察官が忙しく話し、動いている。数人の野次馬たちが遠巻きにそれを見物していた。その中に、見覚えのある中年女性を見つけた広明は意を決して訊ねた。携帯電話を持った手をだらりと下げて。

「一体、何があったんですか?」

「通り魔よ、通り魔! ここで女の子が刺されたみたいなのよ。見つけた人が救急車を呼んだらしいんだけど、病院に着く前に亡くなったって、さっきちょうどニュースでもやってたわ」

「――な」

 広明は絶句する。世界が遠くなる。世界から遠くなる。人々の声にノイズがかかったような錯覚。本来、自分が刺されるはずだったこの場所で人が死んだ。殺された。まず間違いなく同じ犯人によって。

「――くっ」

「あ、ちょっと!」

 女性の制止を振り切って、広明は駆け出していた。逃げ出していた。現場から。恥も外聞もなく無茶苦茶に走って走って駆けて駆けて。いつの間にか人気のない神社の中までやって来ていた。震える手で彼は、もう一度電話を耳に当てた。そして言葉が堰を切る。「おい、もう知ってるんだろ? どういうことだよ、これっ! お前は世界の修正なんかに負けないんじゃなかったのかよ!」

「ええ、負けないわ。負けるはずがないもの」興奮し切って捲し立てる広明に対して、少女は極めて冷静に切り返す。「女の子の件は世界の修正とか、そういうのと無関係なの。考えてもみなさい。あなたが刺されるはずの過去を回避した修正の結果、その子が刺されることになったっていうなら、その子だって怪我で済んでいるはずでしょう? 死んじゃったら帳尻が合わないもの」

「んな、バカなっ。だったらなんでこんなことになった! 一体、なんで――あ」思い当る。絶望する。うな垂れて、広明は膝をついた。「俺のせいじゃねえか……」

「あん?」

「だってそうだろ!? 平気で人を刺すような男がうろついてることを知ってて、そいつを野放しにしてたんだ。いや、野放しにしていたことさえ気付かなかった! 普通は気付くだろ!? 自分が不幸を避けることばっかり考えていたからだ! 通報すらしなかった! 馬鹿だ……最低だ、俺は本当に……どうしようもないっ」女の子の死は、半ば自分のせい。そう悟った広明の目から、大粒の涙が零れ出す。情けなさ。不甲斐なさ。今すぐ自分を殺したくなるような負の重圧。「なあっ、どうにかならないのかよ。これが修正の結果じゃないっていうんなら、もう一度やり直せば回避出来るってことなんだろ?」

「それはその通りなんだけど。私言ったよね? 機会は一回だけだって」

「そんなこと言わずにさあ! なあ、頼むよ! 俺のセンター試験なんて、もうどうだっていいから、もう一回だけチャンスを」

「調子に乗らないで」

「なっ」

 豹変した少女に広明は息を呑む。ついさきほどまで飄々としていたはずの少女はどこへ。

「他人のためならどんな無理も通るだなんて思わないで。泣きの一回なんて認められない。一人の人間が二度も歴史を変えるなんて傲慢は許されない」

「だっ、ぐっ……お、お前のせいでもあるじゃないか! お前が俺に話を持ちかけてこなかったら、そもそもこんなことにはならなかったんだ!」

「ここまでパターン通りだと逆にびっくりするわ。その反応」心底から呆れ返った様子で、少女は嘆息する。「と言っても、確かにあなたの言ってることはもっともよ。私だってただの冷徹機械じゃないし、女の子のことも気の毒だと思う。だから最後に、あなたにもう一度だけ選択肢を与えてもいいわ」

「選択肢?」

「ええ。このやり直し自体をなかったことにするか、否か。さあ、どうする?」

 広明が答えに迷う筈もなかった。

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