エピローグ
きっかけは山田くんの持っていたファンレターだった。内容が熱烈なくせに、警察の調べで名前も住所も偽りのものだと分かった。しかも指紋さえ出なかったという代物だ。しかし、切手に唾液が付着していたのである。
警察は店主の殺害現場や山田くんの部屋から、女性のものと思われる長い毛髪を採取していた。そのDNAと、アタシの部屋に飛び散った侵入者の血液のDNAが一致した。さらに、それは切手の唾液とも同一のものだった。
山田くんの部屋とアタシの部屋に忍び込める者といったら限られる。しかも、アタシが出かけている間に侵入できた者といったら……。
警察はその時点でノリちゃんを疑い始めていたそうだ。
その上、アタシが襲われた日以来、ノリちゃんは姿を見せなくなっていた。ドアの鍵もかかりっぱなしで、部屋にいるのかどうかすら分からないほど静かだった。
怪しんだ警察がアパートの契約書にあるノリちゃんのサインと、ファンレターの字を鑑定しところ、同一人物によって書かれたものだという結果が出た。
しかし重要参考人として手配するには決定的な証拠に欠ける。事情を問いただそうにも、ノリちゃんの部屋は静まり返って誰も出てこない。
警察はひたすらにノリちゃんを見張り、さらにアタシを見張った。
どうしてアタシを見張ったか? 鉢植えを投げたのがアタシだったからだ。犯行当日にアリバイのなかったアタシは、微弱ながら容疑者の一人に数えられていたそうである。
その疑惑は、逆にアタシを襲った事件で濃厚となってしまった。いわく、アタシと共犯関係にある人間がいて、一緒に田山雄三の小説に見立てた事件を起こしていると――。
そして、同時に二人が動いた。あのとき、ノリちゃんがうまい具合に告白してくれなければ、アタシも危なかったというわけだ。
それにしても、ノリちゃんはずっと部屋にいたらしい。山田くんが新作に『口裂け女VS口裂け女』を書こうなどと口走ったのは、あの鍋パーティーから帰るさいの一回だけだった。これは山田くんにも確認したから確かなことだ。
口が裂けるほどの傷を負いながらも、病院に行かなかったノリちゃんの凄さといったら。部屋で独り、じっと痛みに耐えて息を殺し私たちの会話を盗み聞きしている姿を思い浮かべると、ぞっとしない。その間にアタシへの憎悪も増しただろう。であれば、例え大勢の人が参加するフリマでさえ絶好の機会に思えたかもしれない。しかも、アタシが赤いコートを売ってしまえば小説通りの事件を起こすことも難しくなる。
警察は他の事件についても追求するために、ノリちゃんの部屋を洗いざらい調べて行った。
最後は派手に演出したかったのにと、ノリちゃんは取調べの最初に悔しそうに口にしたそうだ。
くしくも、ノリちゃんの猟奇的な犯罪のおかげで田山雄三の本は一大センセーショナルを巻き起こした。
しかし、それは同時に反発も生んだ。一時は出版停止も囁かれたが、他の作家や評論家の擁護もあってそこまでには至らなかった。
やがて話題は薄れ、田山雄三の名前も薄れた。本は再びもとの発行部数に戻ったが、山田くんはめげずに小説を書き続けている。
周りからのバッシングに耐え抜いた山田くんを評して、アタシも彼の小説を読むようになった。ちょっとした罰ゲームじゃないかという思いがしなくもなかったけれど。
アイデアに煮詰まったらしい山田くんが虚ろな目をして呟いたことがある。
「脱獄した女の子が自分を批判した者たちを次々と殺していくなんて話はどうすかね」
「やめて、まじで。それだけは」
結局、一番危険なのはこの作家の頭ン中なのかもしれない。ノリちゃんが刑務所でもう少し平穏な小説にハマっていてくれますように。
とはいえ一つだけ、アタシが気に入っている部分がある。
『ゴッホは見た』で、絵の中のゴッホは事件が起こる前から執拗に人々を観察する。もし彼が生身の人間であったら、その鋭い視線と観察力に辟易して誰も殺人など起こさなかっただろう。
ゴッホはそうして、正体をあらわさない犯人に向かって言うのだ。
『耳で聞くのではない。犯人の目の中にその瞬間が映っている。わたしの手さえ動けば、絵の中に永遠にその罪を残してやるのに』
これにて完結です。
更新遅めでしたが、読んでいただいた皆様ありがとうございました。
挿絵は知り合いの絵描きさんに描いていただきました。
私の中ではプチ喪女だった亜里が想像以上に可愛かったので感激!