第七話:犯人は…
その二週間後、アタシは近所のスーパーの敷地を使って行われるフリマに参加した。
彼も来る予定だったが、なんと今度はインフルエンザで寝込んでいるのだ。おかげでアタシも仰々しいマスクをしている。一人じゃ寂しいと思って山田くんも誘ってみたのだが、売るものがないという悲しい返事をいただいた。
「こんにちは」
「あ、ノリちゃん」
一人でぽつねんとしているところへ声をかけられ、アタシは顔をあげた。同時に感じる違和感。
「マスクしてるけど、風邪引いたの?」
「はい」
「髪の毛おろしたんだ。結構長いんだね」
「はい」
ノリちゃんはアタシに構わず、広げられた洋服を物色している。その目が、まるではかったようなタイミングでアタシに向けられた。
「いいコートですね、それ」
アタシの赤いコートを指差して言い、マスクを下げた。唇の左端が、頬のあたりまでざっくりと裂けている。アタシはマスクの中であんぐりと口を開けた。
「この前、山田さんにあげた鉢植えを壊したでしょう? せっかく私が持ってきたのに」
ノリちゃんはそう囁いて、にやりと笑った。アタシは言葉もなく視線を泳がせる。
「そうなんです。気づきませんでしたかぁ? すっごく痛くて、つい叫んじゃったから、バレちゃったかなって思ったんですけど。あの日、刑事さんたちが来る前に有村さんの部屋に忍び込んだんですよぉ。手先が器用だから、たいていの鍵なんて簡単に開けられます。山田さんの部屋にも、そうやって何度も忍び込んでましたし」
「それじゃ、ノリちゃんが彼の小説に見立てて……?」
「大ファンなんです。ずっと前から読んでるんです。でも誰もあの素晴らしさに気づかないんですよ。一生読まずにいるなんて、そんなの寂し過ぎると思いませんかぁ?」
アタシは動くことも悲鳴を上げることもできなかった。ノリちゃんの右手に大ぶりの裁縫バサミが握られていたからだ。堂々と顔の前に掲げて、開いたり閉じたりしている。しかし表面は、あくまでもフリマで商品を選んでいる女の子の姿なのだ。そのにこやかな笑みが恐ろしかった。
アタシが逃げようとすれば、周りの人たちの視線もおかまいなしに刺すかもしれない。自分の思いさえ満たされれば殺人さえ――瞳を不気味に輝かせるのは、その異常な欲求だ。
「山田さんの本を、もっと色んな人に読んで欲しかったんです」
ノリちゃんはうっとりと甘い声を出した。
「本の通りに事件を起こせば、どれだけ面白いか一目瞭然ですよね。だから……」
「でも、現実にはゴッホは推理しないわ!」
ハサミの切っ先がアタシの顔に向けられた。それよりもノリちゃんの視線のほうがよっぽどか鋭く、おまけに陰気な狂気にたぎって、恐ろしい。
「そんなこと知ってます。でも大事なのはそこにゴッホの自画像があったということなんです。それさえあれば想像できるでしょう? あぁ、あの絵のゴッホは何を見て、どう推理してるんだろう、って。そういう余地が大切なんです」
「あのポスターも、あなたが貼ったのね。そして花屋の店主を殺したの?」
「はい」
にっこりと頷いた瞬間、背後から延びた手がノリちゃんの腕を押さえた。
「警察のものです。署までご同行いただけますか」
ノリちゃんは唖然と目を見開いてアタシを見た。
「ハメたんですかぁ!」
アタシはノリちゃん以上に唖然として、ぶんぶん頭を振った。ノリちゃんを捕まえたのは、ちょうど後ろを通りかかった男の人だった。けれども確かに警察手帳を掲げているし、よく見ればその男の人はアタシの事情聴取をした醤油顔の一人だった。
「そんな……待って! 有村さんは私と戦わなきゃダメなんです! 全部ダメになっちゃうぅ!」
もう一人の醤油顔がどこからかやって来て、暴れるノリちゃんの体を二人がかりで抑えた。細い体のどこからそんな力が出るのか、それでも刑事さんたちのほうが振り回されそうになっている。
「お怪我ありませんか?」
いきなり背後から声をかけられ、アタシは慌てて振り向いた。そちらには年配の男と若い男が二人立っていて、やはり警察手帳を持っていた。
「ノ、ノリちゃんを見張ってたんですか?」
「いえ、我々はあなたをね。おかげさまで、事件が解決しました」
ノリちゃんは覆面パトカーのほうへ引きずられて行った。アタシのほうを見ることができなくなると、ようやくガクリと首を折って、大人しくなった。