第二話:彼氏と電話
「ゴッホ、ゴッホ」
――え? ゴッホがなに?
「咳だよ、咳。ゴッホ」
――風邪ひどいの? ごめんね、なんか。
謝りながらも電話の向こうの声は笑っている。こんな男と二ヶ月も付き合っているアタシは相当、心が広いと思う。
――ゴッホって言えばさ。アリんちの向かいの、金欠気味な山田くん。彼の小説で『ゴッホは見た』ってのがあるだろ。
「アタシ、本もらってるけど読んでないから」
――もったいないな。なかなか面白いんだぜ、文章はいまいちだけどストーリーがさ。『走れメロン』なんてもう傑作。
残念だけれど、絶対に読みたくない。それに文章がいまいちって、文筆業として成立するのか。
「ゴッホがどうしたの?」
――ゴッホの自画像、あるだろ。あれの複製画が飾ってある別荘で殺人事件が起こって、犯人を絵の中のゴッホが推理するっていう短編小説なんだけど。
「絵が? 推理? なんで? フツーに警察でいいよ。なんでそんな、にわか探偵に話を持っていかれなきゃならないの」
――にわかって言うな。ゴッホが引っ張るから面白いんだよ。
「ゴホ、ゴッホ。それで?」
――その『ゴッホは見た』みたいな話が実際に起こっちゃってんの。てゆーかニュース見てないよね。
「うん。見てない」
答えながらアタシはテレビをつけた。天気か朝のニュースか、よほど見たい番組がなければつけないし、新聞も取っていない。よって流行の情報にうとい。
ゴールデンタイムが過ぎたこともあり、ちょうどニュースの時間だった。
「あ、ほんとだ」
よりにもよって駅一つ先の町で起こった事件らしい。昨日の夜、花屋の店主が自宅の居間で撲殺されていたというのだ。その居間には、ゴッホの自画像がプリントされたポスターがあった……。
「本当なの、これ?」
――小説と違うところはあるけど、テイストは似てるんだ。実は田山雄三の小説って、他にもいろいろ実際の事件とリンクしてるんだよね。それも小説が公表された後に事件が起こるわけ。
「えー、そんなことありうる?」
――もしかしたらヤバイかもよ、山田くん。
彼が囁くように言ったとき、いきなり呼び鈴が鳴った。アタシは恥ずかしいくらい驚いて息をのみ、ちょっとの間ドアをじっと見つめてしまった。
――どうかした?
「誰か来た。いったん切るね。かけ直す」
――明日、お見舞いに行くからいいよ。おやすみ。
切れた携帯電話を片手に、ドアの覗き穴から外を見る。スーツにコートを羽織った二人の男が立っている。見慣れない醤油顔だ。危ない輩には見えなかったが、念のためチェーンをかけたままドアを開けた。