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秘密の中の嘘

 その日の晩。薄明かりの廊下を一人、足音を忍ばせて行く者がいる。ヨウヒだ。

 夜風がやや冷たく感じる。また嵐が来る気配を肌で感じていた。

 薄い肩掛けを一枚身に纏い、寝巻き姿で一階へと足を進める。と、芳しい香りを辿ると受付台の隅で白いバラが活けられていた。思わず足を留め純白の儚げな花弁を見つめるヨウヒ。すると。

「何してんだ、こんな時間に」

 突然掛けられた声にヨウヒは振り返ったが、さほど驚いた様子はない。

「お前に頼みがあって来たんだ、ザンカ」

 実は彼の部屋へと向かう途中だったのだ。従業員であり経営者の実弟であるザンカは、店の一階の一室を寝床としていた。

 深夜に差し掛かる時刻というのに、腰巻きをして、ザンカの手は水で濡れている。どうやら朝食の下準備をしていたようだ。競戦場の受付の仕事は休んでいるとはいえ、家業である宿舎の仕事はいくらでもあるのだ。通路の先には厨房があり、仄かに灯りがさしていた。

「………ったく、しゃあねーな」 

 大きな欠伸を一つすると、理由を一切聞かず、気だるそうに手を出した。

「ほれ、石を出せ」

 彼には分っていた。ヨウヒがどこへ何をしに行こうとしているのか。

 ヨウヒが手渡したのは占いの館でもらった小石だ。ずっとヨウヒが身に付けていたのだが、もちろん、クリパスの体がよくなるようにと祈りを捧げているわけではない。ただ、万が一に備えているのだ。

 ヨウヒの後ろ姿を見送ると、ザンカは無言で腰巻きを外し、素知らぬ顔で階段を上り始めた。その足取りは、口笛でも聞こえてきそうなほど、軽やかなものだ。部屋の前で待ち構えている者を見ても、驚く事なく、落ち着いた面立ちで声を掛ける。 

「どうした? こんな時間に」

 ザンカは、無言で返す相手へと、忠告した。

「――あんまり感心しねーな…。何を得ようとしているのかは知らんが、欲張りすぎると支払う対価もでかいぜ。ロマリエ」

 大胆不敵、ともとれる笑みをうすく口許に浮かべるロマリエを、ザンカは冷めた双眸で見つめた。

(ったく、俺から何を聞こうとしているのやら…)

 ロマリエに対する疑惑は増すばかりだった。というのも、ザンカは独断で彼のことを調べ歩いていたのだ。王宮での問題は、下々の耳にまで届かない。だけど、彼には彼が築いた独自の情報網がある。近所の新婚夫婦の喧嘩の原因から始まり、街の治安に関わる裏世界。それとは別に、公表されない国政も、戦士だった経験を用いて彼の耳には入ってくるのだった。

 ロマリエは扉に背を寄り掛からせて動く気がないようだ。彼の知りたい情報を、ザンカが持っているということなのだろうか。うんざりした様子でザンカはロマリエを見下ろした。

「おい…。俺に話があるならさっさと言えよ」

「貴方は……。どうしてヨウヒさんの手助けをされるんですか」

「――そんなことを聞くために、わざわざ俺を待ってたのか? わかりきったことだろ。金づるだからだよ。俺なんかより、あんたの方がよっぽど怪しいぜ。ロマリエ総隊長殿?」

 ロマリエの表情が硬くなる。

「よほど自分の演技に自信があったんだな。笑えるなぁ。わざとらしいったらありゃしない。あんたから見れば俺はその他大勢の一人だが、俺から見たあんたはたった一人だ」

 ザンカが戦士だったことを明かしたのは馬車の中でだけだ。当然、宿に残ったロマリエには知る由もない。だからあえて口にしたのだ。

「――戦士の経験があったとは知りませんでしたよ」

 ロマリエの薄ら笑いがゆるゆると消えていくと、ザンカは失笑した。

「ああ。俺もびっくりだよ。第三王子直属の近衛隊長が引退したなんて話聞いたことない。でもあんたがここに居るって事は、代わりの誰かが王子を守っているんだよな? でなきゃ可笑しいだろ。第三王子であるクリパス殿下が死んだと言う話もなけりゃ、奴隷に格下げになったなんてまさかの事実もない。影武者を立てている、という考えもありだが…。ああ。そう考えると、ここにいるクリパスも偽者ってこともありになるよな?」

 精霊宮の長である法王バルカンが逝去したのは事実であった。死因は病による急死とされていて、盛大な葬儀も行われた。ザンカが腑に落ちないのは、ロマリエがばれるような嘘をついていることだった。

 内情を知らない異国の者であるヨウヒとシュコウ。だけど、長く誤魔化せるものではない。情報を持っているのは何もロマリエだけではないからだ。まして王位に関わることだ。次代国王候補である第三王子のクリパスの犯した罪を揉み消した、というなら理解できる。しかし、ロマリエがヨウヒに言ったことは奴隷への格下げだ。王位継承権を剥奪されずに王宮追放とは、どう考えても解せない。

「あんたがばれる嘘を付き続けている理由を教えてくれるなら、あんたの知りたいことにも答えてやるぜ。まぁ、俺が知っていたらの話だがな」

 扉の向こう側では、シュコウとクリパスが眠っている。クリパスはともかく、シュコウは気付いているだろう。ヨウヒが部屋を出たことも承知しているはずだ。

 過保護すぎるシュコウが、何も言わずにヨウヒを出したということは、彼自身も何かきっかけが欲しいからだろう。そのためにはヨウヒが一人動くことが重要なのだ。

(――危険性の高い賭けだな。そこまで追い詰められてるのか…もしくは深い溝が刻まれたか……?)

 ヨウヒとシュコウの主従関係に歪みが入ったのかもしれない、とザンカ想察した。

 揺るぎない忠誠心は独占力を強くしてしまう。ヨウヒが何を考え、従者を遠ざけるのか。ザンカの目には、彼らは互い、壊れ物を触るように接していながら、行き場を失くそうとしているようにも見えた。自分の領域内に閉じ込めて、どこにも行かないように、誰の目も触れないように。自由を奪う足枷に、自分の存在意義を重ね合わせているようだった。

 だからかもしれない。ヨウヒが一人で動いたのは。

 ザンカはヨウヒの従者ではないし、金づるというのも嘘ではない。情報と労力を提供する代わりに金貨をもらう。逆を返せばもらった金貨に見合うだけの働きしかしないということだ。

「さぁ、どうする? 俺はどっちでもいいぜ」

 思案しているロマリエへ、ザンカは急かすように挑発めいた言葉を掛けた。

「――…私からの質問に答えてくれたら、貴方の知りたいことをお教えしましょう」

 答えられない、もしくは知らないことだったら、取引は不成立だということだ。ザンカは即答した。ヨウヒが自分に望んでいることは、ロマリエの真意を抜き出すこと。

「いいぜ。ちょっと場所を変えるか?」 

 そして、ザンカが案内した所は、二階の空き部屋だった。

「ここなら安心だろ」

 両側の部屋も空きだ。深夜とはいえ、そうそう大声を張り上げない限り声は漏れない。ロマリエは軽く頷いた。

「……占いの館に貴方も入ったと聞きました。占い師が貴方を見ていたと、シュコウさんが…」

「ああ。どうやら俺を見知っているようだったな」

「何か言っていませんでしたか?」

「俺にか? 俺には何も言ってこなかったぞ。主に話を進めたのはシュコウだったからな」

「名前は…クリパスの名前を聞かれましたか?」

「いんや。誰の名前も聞かなかった」

「――占いの結果、ひと月の命と」

「そう言ってたが……なんだお前、もしかして奇跡の石を信じてんのか?」

 ふふ…とロマリエが笑みをこぼした。

「まさか。願いを叶える石が本当にあるのなら、私も欲しいですよ」

「そうだよなぁ。だけどあの石っころは代償を必要としていたぜ。ほんの少しずつ周りに小さな不幸が訪れるってな。そのかき集めた小さな幸福で、願いを聞き入れてくれるらしいぜ。――って、なんだよ」

 明らかに動揺の色を見せたロマリエに、ザンカは目を瞬いた。

「…いえ、何も」

 何もないって感じではない。硬く唇を閉ざし、表情に影がさしている。

「…ま、いいけどな。で。俺の知りたいことには答えてくれるのか?」

 あっけらかんとザンカが返した。

「そうですね。貴方は私の質問に答えてくれましたから」

「で?」

「貴方の推測どおり王宮にいるのは偽者ですよ。ここにいるクリパスが正真正銘本物の第三王子です。私は嘘をついてはいない」  

「ちょっと待てよ。それはずるいだろ。じゃあなんで、そのことを言わなかったんだ。余計な疑惑を向けられるだけだろうが」

「……詳しくは私も分からないんです。私はただ、ある方の言うとおりにしただけ。黒髪に黒い瞳の女が現れたら彼女の足止めをと。そうすればクリパスを王子に戻してやると約束してくれた。今の私にはその約束を信じるしか道はない。でも、貴方の存在は予定外だった。まさか占いの館に同行するとはね」

「…あの占い師の女は」

「ええ。私の所有者だった者の一人ですよ。貴方にはわからないでしょうね。いつ訪れるかも分らない得体の知れない女を、ひたすら待ち続けた私の気持ちなど。二年は長かったのか短かったのか。だけど彼女は現れた。そして約束したようにクリパスを買い取った。彼女の力は膨大だ。数多の魔道師の中でも、その力は神にも匹敵するものかもしれない」

「その力があれば世界を手に入れられる、とでも言いたいのか?」

「さぁ…。私はただ駒となり動くだけですよ。あの方の導くままに事は運ばれているんです」

「あの方とは一体誰なんだ?」

「――そうですね。あえて言うなら、姿なき、姿ありき者ですよ。それ以外表現する言葉が見当たらない」

 まずいことをしたのかもしれない。咄嗟にザンカは思った。

 裏の裏をかいたつもりだったが、それすら『奴』の筋書きの内の一つだったとしたら?

 頭の中を掠めたのは、ヨウヒの後ろ姿だった。

「どうかしましたか…?」

 ザンカの事情を知らないロマリエは不思議そうに問うた。

「いや。なんでもねーよ。最近働きづめでな。ちょっと疲れてるだけだ。さて、部屋に戻るとしようぜ」

 平常心を装いながら、ザンカの腹の中は怒りで充満していた。怒りの根源は自分に対してだ。ヨウヒを一人で行かせてしまった。『奴』の狙いがヨウヒなら、今頃…。

 不吉な予感に苛まれ、階段を上がる。軋む床板が癇に障った。

 ザンカの広い背中を見上げながら、ロマリエはひっそりとほくそ笑む。

 そして、開かれた扉の向こう側。シュコウの姿はどこにもなかった。

「――」

 クリパスの一定した寝息が事の重大さを薄れさせている。

 共に一つの寝台を使っていたはずだ。彼に気付かせずシュコウが出て行ったというのだろうか。それに、ザンカとロマリエが話をしていた部屋は真下だった。足音に気付かないはずがない。

 部屋から忽然と消えたシュコウ。ベッドの傍らには、彼がいつも身につけていた剣が立て掛けられていた。一瞥すると、ザンカは嘆息する。

「…シュコウさんは?」

「さぁな。お譲ちゃんを追い掛けたんじゃねーか。アイツ、超過保護だし」

 軽薄な口調で心中を悟られないよう、ザンカは嘯いた。

 クリパスを残してシュコウが出て行くはずがない。シュコウはヨウヒからクリパスを守れ、と命令を受けていたはずだ。

「そのうち帰ってくるだろ。あんたも寝ろよ。俺は仕事に戻るから、何かあったら厨房に来てくれ」

 そう告げると、足早に部屋を後にした。

(狙いはシュコウか? なんのためだ?)

 ロマリエの言葉を信じる気など、最初からなかった。

 嘘は嘘を呼び寄せて、思考回路を混乱させる。こんがらがった糸を解かなくては。筋道を正さなくては真偽は問えないのだ。

 ヨウヒの行き先は分っている。だけど、ここで自分が動いてどうなる。それこそロマリエの、『あの方』の思惑通りになるのではないか。

(二年か……俺だってもっと長く待ってたんだぜ)

 選択肢とは与えられるものではなく、自分で見付けることが可能なものだと、ザンカは常に頭の中に置いていた。ロマリエの二年間は長く酷なものだっただろう。地位と権利を失い誇りも穢されて奴隷に成り下がった。だけど、その心中を怒りとするなら誰に対してだ。彼は願いを叶えるためにと言ったがそうだろうか。すでに願いは聞き入れられたのではないか? 何かを得た代償に奴隷になったのではないか。

 対価とは目に見えるものだとは限らない。タダほど高いものはない。欲しい物を手に入れるため硬貨を払う。労力を差し出す代わりに金を得る。得るためには何かを犠牲にしなくてはならない。

 選択肢は限られていない。瞳に映るもの、感じるものだけではないはずだ。

 厨房へと戻ると、姉のサラが微笑んで弟を迎え入れた。

「…大丈夫。彼女は帰って来る。必ず…」

 ザンカの心にある焦りを拭い去るような、優しい声だった。

(そうだ。必要なものがここにある限り、ヨウヒは戻ってくる)

 鳶色の瞳が静かに入り口のドアを見つめた。大きな手に握られた小石が何の意味を持つのか。ヨウヒが今、何を考えているのか。ザンカにはほんの少し分る気がした。

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