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声にならぬ声

 翌日の夜。

 夕食を終えたヨウヒは、窓辺に座って夜空を眺めているが、赤ワインのボトルや煙管、果実や焼き菓子がまさに手に届く距離とばかりに空中に浮いている。

 ヨウヒは、純白の肌触りの良い絹の寝衣をその身に纏い、ワイングラスを片手にほろ酔い気分だ。

 テーブルでは林檎を切るシュコウの姿があり、彼の隣にはクリパスが椅子に座って出来上がりを待っていた。

 切り分けられた林檎はウサギの形をしていた。クリパスはそれらをしげしげと見つめると一口ぱく付いた。

「気をつけて食べろよ」

「うんうん」

 と、クリパスが頷きながら二口目をかじった時だった。

「よっ! 久しぶりっ。元気か?」 

 前触れなく開いたドアの向こう側から、慌ただしい気が乱入してきた。

 ザンカは袖を肩まで捲り上げているが、シャツが小さいのか体が逞しすぎるのか、彼の着衣はいつも体に張り付いているように見えた。

 ずかずかと大股で部屋に入るザンカを煙たそうに見つめるシュコウの隣では、苦しみもがくクリパスがいた。 

「んぐぐぐう!!?」

「大丈夫かッ!?」

 シュコウは驚いていたが、喉に林檎を詰まらせたのだとすぐさま察した。

 小さな背中を容赦なくバンバンと叩く。

 しばらくして、

「オェエ……」

 目に涙を浮かべるクリパスの口から、ぽろりと林檎の欠片飛び出した。

「よかっ……た…」

 シュコウはほっと胸を撫で下ろしたが、当然、怒りはザンカへと向けられる。

「貴様ッ!! ノックぐらいしろっ!」

 激昂するシュコウにザンカが飄々と言った。

「いきなりなんだよ。感じ悪いぞ、シュコウ」

「なん……っ」

 シュコウは、気安く名を呼び捨てにされたことに憤りを感じたが言い返さず、子供のようにぷいっとそっぽを向く。そして、わざと音を立てて林檎を小さく切り刻み始めた。

 ザンカは気付かないのか知らぬ顔なのか、クリパスへ話し掛ける。

「しっかり食ってるか? 食って栄養とらなきゃ歩けねぇぞ!」 

 無残に崩れていく赤い耳のウサギの林檎を物寂し気に、クリパスが見つめていた。

「んん? なんだそれは……林檎か? そんなに細かく切ったら美味くねーだろうがよ。なぁ、クリパス」

「……」

 一体誰のせいだと思ってるんだとばかりに、クリパスはザンカにじと目を向けたが、ザンカは気づかないようだ。

 賑やかな雰囲気を好んで楽しんでいるのか、それとも興味がないのか。三人の様子を視界の端で窺っているであろうヨウヒは黙したままだ。

 ヨウヒは、飲みかけのワイングラスを宙に浮かせると煙管を手に招き入れた。

「そういや、ロマリエはどうしたんだ?」

 ザンカが、きょろきょろと周囲を見回している。

「風呂だ」

 窓の外へと紫煙が流れると、ザンカがヨウヒの隣に立った。

 空中に浮いていたワインボトルが彼の方へと近づいていく。ヨウヒが上目使いにザンカを見ると、彼はワインをラッパ飲みしているところだった。

 まるで水でも飲んでいるかのようだ。豪快なザンカの飲みっぷりに、ヨウヒは目を細める。

「……何か手掛かりでも見付かったのか?」

「まぁな。ちょっと胡散臭いんだが」

 言葉とは裏腹に、ザンカは自信ありげに笑った。

「最近町外れの荒地に占いの館ができたらしくてな。願いを叶えてくれるとシヴァエでも評判の店だったらしいんだ。ま。そこがちょっと怪しいと思うわけよ」

 首都で流行っていたならなぜ移転してきたのだろう。

 貴族街とも呼ばれる街並みを誇る首都シヴァエ。需給を考えたら、断然あっちの方が儲かるはずだ。

「裏を牛耳っている奴が言うにはな。『奇跡を起こす石』とかいうものをばら撒いてるって話だ。裏の奴らも最初は麻薬関係かと思って偵察にむかったらしいんだが、それがまた何の変哲もない石っころだったんだと。さらに怪しいのが、高値で売り付けるとかじゃなく無料でくれるって言うからおかしな話さ」

 話の流れによると、ザンカ自身はその石を目にしていないようだ。

「――――麻薬、と言ったが、そんな代物の石が実際あるのか?」

 ザンカは苦い顔で返した。

「ないことも、ない。……石って言うのは、もともと裏の隠語だったんだが、数年前、突然一人の男が裏市場で売り出した薬さ。『魔石』とかいう商品名でな。見た目は色の付いた平たい硝子玉なんだが、値段も手ごろだったし、あっという間に流行り出したよ」

 一般的に出回っているのは、粉末にした物を水に溶かして飲用する物や、簡易注射器で体内に入れる物がほとんどだと言う。他には巻き煙草のようなものもあったりと、種類を言い出したらキリがないとザンカは話した。

 ヨウヒは首を傾げる。

「硝子玉の石を一体どうやって使うんだ? まさか石を飲むわけじゃないんだろ?」

「それが飲むんだよ」

「は?」

 意味が解らない。石ッころを好んで飲む奴がいると言うのか。

 ヨウヒが眉間にしわを寄せた。

「石だぞ? 何の足しになると言うんだ?」

「その反応は間違っちゃいないが、魔導師様ともあろう奴が無知すぎるぞ?」

「知らんもんは知らん」

 納得できないとばかりにヨウヒは首を横に振った。

「使い方は簡単さ。水を入れたコップに石を落として色が出るまで待てばいい。それだけだ。どういう仕組みなのかはわからんがな。効果がなくなれば石は透明になる。使用済みの石はただの硝子玉だ。金魚鉢の底に沈めて部屋に飾ってもいいし、砕いてゴミと一緒に処分してもわかんねーだろ。瓶を落として割ったって言えばいいんだしな。だがもう出回ってねーんだよ。売っていた男が死んじまってな」

 その男が作っていたわけではないらしい。どこからか仕入れてきたようなのだが、誰が作っているのか聞いても一切口を割らなかったと言う。

 顔見知りだったのだろうか。ザンカの表情は暗い。

「……死んだ…?」

「ああ。儲けを独り占めしてるってやつで裏の連中のやっかみを買って殺されたのか、病気で死んだのか、死因はわかんねーんだ……」

 なぜか、ヨウヒの中でしこりが残った。

 浴室からロマリエの気配を感じ、ヨウヒは話を元に戻す。

「――で、その占いの館の主はどんな奴なんだ?」

 ザンカは、自然に任せてヨウヒと話を合わせた。

「女らしいが名前は知らねーな。店は『バラクィヤル』と言うんだが…」

 ヨウヒの表情が一瞬強張った気がしたが、ザンカは気付かないふりをした。

「…………なるほど。では早速、明日行ってみるかな。道案内を頼めるか?」

「もちろん。でも随分大所帯での移動になっちまうけど、いいのか?」

 ヨウヒがザンカの鳶色の目を見つめる。

「目立つか?」

「そういうわけじゃなくて、移動手段だよ。歩いて行けない距離じゃないけど、クリパスは誰か背負うことになるだろ?」

 クリパスは、思わずシュコウに寄り添った。

「そうだな――」

 木片に皮が張り付いたような手足。少しの距離なら歩けるが耐久力は期待できない。

 ヨウヒは夜空をちらりと仰ぎ見た。

「では、馬車の手配を頼む」

「それこそ目立つぞ?」

 ザンカは、宙に浮いている空のワインボトルをかき集め腕に抱えている。その数片腕に五本。魔導師様は酒豪のようだ。

 嘆息するザンカにヨウヒは溌剌とした笑みを浮かべて言った。

「大丈夫だろう」  

 


 

 翌日、朝食を部屋に運び入れたザンカは、何か言いたげな面持ちで窓の外へと視線を流す。外は、窓を曇らせるほどの豪雨が降り注いでいた。

 昨夜ヨウヒが大丈夫だと言った理由が何となくわかった気がした。

「あんた、天気を見れるのか?」

 魔術を使う者は皆そうなのだろうか。便利な力だな、とザンカは単純に思った。

「私の勘はよく当たるんだ」

 さらりと言い返すと、ヨウヒはなぜか寝衣のままで朝食のパンを口に運ぶ。

 食卓を取り囲む四人だが、その内三人が寝衣姿であった。

 ヨーグルトソースのフルーツサラダにベーコンのスクランブルエッグが添えられた大皿と、野菜たっぷりのスープ鍋がテーブルに置かれている。ワゴンテーブルには植物の蔓で編まれた籠が置かれ、中にはサラお手製の焼き立てのパンが盛られていた。パンは干しブドウ入りで甘さと酸味が絶妙だ。サラが栄養面を考えて用意してくれているおかげか、クリパスの顔色は徐々に良くなってきていた。

 だが、少年とは正反対にロマリエの顔色は冴えない。食もあまりすすんでいないようだった。

「馬車の手配は?」

 木綿の寝衣姿でシュコウがザンカに確認した。

「姉貴が知り合いに声を掛けてくれてる。でもよぅ……本当にこの雨の中出掛けるのか? 濡れるし汚れるし、足元や視界も悪くなるぞ?」

 ザンカがシュコウ、クリパス、ヨウヒの順に、目を合わせていく。

「なんだ、お前。濡れるのが嫌なのか?」

 鬱陶しく肌を湿らす湿気と雨水だが、植物にとっては癒しの水なのに、人は雨の日となると外出を控えたくなるから不思議なものだ。

「そう言うわけじゃねーよ。つうかさ、何で寝巻のままなんだ?」

 訝るザンカにヨウヒがあっけらかんと言った。

「準備が必要だろ?」

「何の準備だよ……」

 さっさと着替えろと言いたいようだが、ザンカは黙って五人目の席に着いた。

 食後のティータイムを終えると、ヨウヒは窓際に置かれた椅子に座って煙管を口にしていたがまだ寝衣のままだ。シュコウもまた、寝衣のままでへそくり袋もどきの穴に手を突っ込んでいる。クリパスは相変わらずシュコウの傍らに座って穴を覗いていた。

 ロマリエだけが、寝衣姿の三人とは違いちゃんと着衣を整えていた。彼は、背中の傷痕が映らないように群青色のシャツを着ている。

 腰の皮ベルトには、ヨウヒから与えられた鉄製の短剣が差し込まれていたが、装飾類の短剣だろう。柄の部分に細やかな彫刻が施されていることから、殺傷能力は低いように思われた。見せかけの護身用といったところだろうか。それでも丸腰でいるよりは幾分かマシに感じるのだろう。

 くつろぎ中のヨウヒの傍らにロマリエが立った。

「……何だ?」

 ロマリエはヨウヒと目を合わさない。ヨウヒはロマリエが口を開くのを待った。

「その……私は王子と留守番をしています。こう雨が激しいと王子の身体にも障りますでしょうし――」

 ロマリエはヨウヒの返事を待った。

 僅かな沈黙が、長く感じられるほど、ロマリエは重苦しさを感じていた。

「――――お前だけなら残ってもいい」

 クリパスはダメだと言う意味だ。

 ロマリエは戸惑いながらもヨウヒに問うた。

「なぜでしょうか?」

「占いの館で”ダシ”にするからな」

「ダシ?」

「そうだ」

 ヨウヒが作戦を皆に説明し始める。

「いいか、設定はこうだ――――」

 シュコウとクリパスが振り返り、ザンカはベッドメイキングをしている手を休めて聴いた。

「『私たちは両親を早くに亡くした中級貴族。兄妹支えあいながら細々と暮らしてきたが、末の弟が突然原因不明の病に侵され、歩くこともままならなくなってしまった。医者にもさじを投げられ悩んでいたら、奇跡の石の噂を耳にし、藁にもすがる思いで来た』」

 あまりにも子供じみた作戦に、シュコウは宙を仰ぎ見る。ザンカは黙っていた。

「もちろん、シュコウが長兄だ」

「俺はともかく、そいつはどうするつもりだ?」

 シュコウがザンカへと顎をツイッと向ける。

「どんなに着飾っても努力しても、到底貴族には見えん!」

 断言するシュコウに、ザンカは腰に手を当て芝居じみた態度を取った。

「『失敬だな、君は~』って、どうよ?」

「そいつは使用人だ。奇跡の石の噂を誰から聞いたと訊かれた場合、使用人から聞いたと答えられるし、なにも難しい話じゃないだろ。あながち嘘とは言い切れない題材だと思うが――――分かったか? ロマリエ」

「はい……」

 だが、ロマリエは結局、宿に残ることになった。



 ソーテールの玄関先には、六人乗りの馬車が一台待機していた。

 黒塗りの立派な馬車だ。中年に差し掛かった年ごろの男性が、雨合羽を着て入り口で傘を差して待っている。サラが頼んだ御者の男だ。

 男は細身に長い顔をしていた。愛嬌のある垂れ目が驚きのあまり大きく見開かれる。

「……」

 馴染みのある大男がガラにもなく詰め襟の白いシャツに繋ぎのズボンを着て、少年を背負って現れたからだ。

「ぶっぐっぐぐ……なんだい、お前さんそのなりは……ぐふふっ」

 少年はザンカの背中に顔を埋めていたが、体は大きなマントで包まれていた。

 ザンカの風体に、御者の男は大声で笑いそうになって慌てて口許を手で押さえたが、笑いは堪えきれなかった。

 頬を赤らめザンカがぶっきら棒に言い放つ。

「う……うっせぇな。いろいろ事情があんだよっ。さっさとドアを開けろよ」

 馬車内に少年を座らせると、ザンカがいそいそと入口へと戻る。

 現れた青年は、白いシャツの上に品の良いベストを着ていた。シュコウだ。

 青年は少女を手引きしている。少女は、貴族の娘らしく豪華なフリル付きの真っ赤なドレスを着用し、足元は黒いブーツを履いていた。

「ほぅ………これはまた、なんと……まぁ―――」 

 先の言葉が続かない。絵画から飛び出したような二人の立ち姿に、御者の男は言葉を失った。

 シュコウがヨウヒに深緑色の雨具用ベールを被せると、ザンカが少女を馬車へと導いた。

 ロマリエを頭数に入れて手配していた馬車だったが、大柄なザンカが乗り込むと、程よい窮屈さを感じさせた。そして、なぜかザンカはふてぶてしい態度でヨウヒの隣に座していた。

 その様子に厳しく目を眇めるシュコウの傍らでは、クリパスが居心地悪そうに身を縮こまらせている。

 馬車が動き出したのを頃合いに、ザンカが不機嫌そうに口を開いた。

「あんたがどう考えているかは知らんがな…………情けをかけるのもほどほどにしとけよ。足元をすくわれるぜ?」

 あえて名を出さずにザンカはヨウヒに苦言していた。

 彼はロマリエのことを言っているのだ。

 本来なら、奴隷が主人の命令に異議を唱えることなどない。というのも、罰を与えられるからだ。主が奴隷の願いを受け入れるなんてことは、無いに等しいのが現実だった。

 憮然たる面持ちでザンカは続ける。

「従順な奴隷戦士もたまにいるがな。奴らは力がある分、甘やかすと付け上がってくるぞ」

 強い戦士であるほど傲慢で反抗的だ。だから貴族たちは奴隷戦士を邪の烙印で縛るのだと言う。そうしなければ、いつ寝首を掻かれるかわかったものじゃない。ゆえに縛りは必要だとザンカは考えていた。

 車内の空気が重苦しいものになり、クリパスはしょんぼり肩を落とした。

 何も言い返さず考えに耽っているヨウヒに代わり、シュコウが発言した。

「気分が乗らない者を無理やり連れて来て足を引っ張られても困る。それに奴がいなくても作戦に変更はないし、特に問題はないだろ?」

 ロマリエの肩を持つような言い方をするシュコウに、クリパスは少し驚いた。

「俺は何も、今日のことを言ってんじゃねーよ。あいつに使われるなって話をしてんだ。そもそも、あんたのヨウヒに対する態度もどうかと俺は思うぜ。従者がそんなんだからロマリエだって気ままが通るって思うんじゃねーか」

 ザンカが険しい面立ちで反論する。何気なく険悪な雰囲気になってきた。

「――なにを偉そうに………貴様こそ気安くヨウヒと呼び捨てにするな……」

 徐々に厳しい顔つきになっていく二人。

 クリパスはあたふたしてヨウヒへと目配せを送るが、当の本人はしれっとした態度でそっぽを向いている。

「ヨウヒがそう呼んでいいって言ったんだよ」

「出会って日が浅いというのに、馴れ馴れしすぎるだろうが」

「そんなの関係ねーだろ。ヨウヒが良いって言ったんだから。お前こそ、従者のくせに呼び捨てじゃんか!」

 シュコウが思い余って壁面を拳で叩いた。

「俺とヨウヒの事を知りもしないで勝手なことを言うんじゃない!」

 シュコウは、ビクつくクリパスにも気づかない。 

「何が勝手なんだよッ 言わなきゃわかんねーだろうがッ」

 口論がどんどん過熱していく。クリパスがどっちにも付けずにおろおろとしていた。

「貴様に話すことなどない。身の程をわきまえろ」

 シュコウの目が据わっている。ザンカが威嚇するように顔を強張らせた。

「てめぇ……何様のつもりだよ」

 声が喉の奥でこもっている。これは怒りの前兆だが、シュコウもまた感情的になっていた。

「――――貴様よりは上であることに間違いはない!」

「……」

 今にも掴みかかりそうな勢いの二人に、ヨウヒがやっと仲裁の言葉を二人に投げかけた。

「二人ともやめろ。ただでさえ狭い車内だ。酸欠になるだろうが」

 そう一喝するとヨウヒは、火種が自分だと分っている上で続けた。

「シュコウと私の付き合いはお前が思っている以上に長いんだ。――――だが、お前の言い分も一理ある。今後は気をつけよう」

 ザンカの意見をあっさり受け入れたヨウヒに、シュコウは苛立ちを感じ黙り込んだ。

 その隣で狼狽するクリパスへとヨウヒは不敵な笑みを浮かべる。

 クリパスは、無意識に視線を逸らせ胸の内で呟く。

 ――僕は彼女が怖いのだろうか?

 囁く声はクリパスのものだ。

 ロマリエと自分を助けてくれたことには感謝しても足りないくらいなのに、彼女の瞳は身の内に巣食う陰湿な感情を見抜いているように思えてならなかった。

 ――本当はあのまま奴隷として生を終わらせた方が良かったんじゃないだろうか?

 なぜなら、あの時ロマリエへと伸ばしたはずの手は、今シュコウの服の裾を握り締めているからだ。

 クリパスは畏怖していた。

 ――自分は犯した罪の深さに堪えかねて、誰かを道ずれにしたかっただけじゃないだろうか?

 失ったはずの王子という肩書きと歪んだ国の未来から、もがけばもがくほど息苦しくて自分は楽な道へと逃げてしまっただけではないだろうか。

 ならば――

 再びそれらを手にしようとしているのは、一体誰のためなのだろう。


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