継承4
今日が明日へと移る頃、ザンカはサラの部屋の前に立っていた。今夜は珍しく宿泊客が一人もいなかったため、店を閉めたのだが、気がかりなのはサラが眠っているか否かだった。
ザンカは扉をそっと押し開く。心地良い寝息が聞こえてきてほっとした。サラはあの日から、夜空を眺めることはしなくなっていた。それは、ザンカにとって喜ばしくもあり、どこか寂しくもあった。
眠っているかを確かめるため、ザンカは慎重にベッド際まで足を進め、穏やかな顔で眠るサラを見て、部屋を後にした。
ザンカは裏口ではなく、正面玄関から外へ出る。物陰に隠れた人影が、小さな声でザンカを呼んだ。
「おーい…」
「ショーンか?」
「うん……」
点滅する街灯の下、おずおずと姿を現わしたショーンは青い顔をしていた。それでも、ザンカに着いて歩く。
「…お前、どこに行くか聞かないのか?」
「ああ…隣町の酒屋だろ? クルクがいるかもしんないもんな」
「悪いな、ショーン。クルクのことで気使わせて」
「何言ってんだよ。クルクもザンカも、俺の大事な友達なんだよ」
ショーンは無理に笑顔を作っていた。本当に怖いのだろう。俗世隣町では今、魔石という麻薬が流行しており、薬の被害者が続出しているのだ。しかも、販売元が不明だった。魔石は裏町から流れてきたものではないということになり、警備隊は当然だが、裏町を牛耳っている者たちも、躍起になって売り手を探しているようなのだ。
馬車へ乗り込み、二人は向かい合わせで座った。
「…俺、クルクはてっきりサラと一緒になるんだって思ってた」
話し始めたのはショーンからだった。
「あ…嫌なこと、思い出させたらごめんな、ザンカ」
無意識に顰めっ面を見せたのかもしれないと、ザンカはショーンに言われて気づいた。軽く頭を横に振ると、ショーンが安堵した様子で過去を語り始める。ショーンの口調はどこか不安定で緊張しているようだった。
「俺さ、クルクの事で誰にも言ってないことあるんだよ。クルクに口止めされてて、それで、俺……こんなこと言いたくないんだけど、クルクの嫁さんさ。なんだっけ、名前忘れちゃったんだけど」
予想外の名が出たことに、ザンカは首を傾げた。ザンカはあの日からクルクに合っていないし、もちろん彼の妻になった女の顔も知らなかった。ショーンの話を聞いていると、クルクが言った言葉を思い出して、懐かしさを通り越し、嫌な気分になった。
サラも自分も落ち着いてきたと思ってた。
これからは姉弟二人で、支えあって生きて、いつか目覚める女神に仕える未来を、ほんの少しだったが夢見るようにもなっていた。それなのに、何だかクルクに邪魔をされているような気持ちになったのだ。 それだけ、ザンカにとって、サラの存在は何物にも代え難い特別なものだ。
「嫁さんがどうしたんだよ?」
「うん。その嫁さんと一緒になるきっかけがさ、実は魔石なんだよ」
「――はっ!? 意味わかんねーよ」
「ほら。あの時ってさ、ちょうど魔石が出回りだした頃じゃん? まぁ、こんな田舎町までは、まだ届いていなかったけど、シヴァエの方ではドロドロ状態だったみたいでさ。もしかしたら、内城に関わっているかもって、クルクが言い出したんだ。…それでアイツ一人で探り出したんだよ」
やっぱり、厄介事に首を突っ込んで抜けれなくなったんだと、ザンカは痛感した。
「それで、しばらくしたら今度は、人間の女と一緒になるって言い出してさ。おかしいって誰だって思うじゃん。あんなにサラにゾッコンだったのに、別れて人間の女と一緒になるなんて。だから、あの嫁さんが何か知ってるのかもって、ちょっと思ったりしたわけなんだけど」
「で、クルクに嫁さんの話を聞いたのか?」
「そんなの聞けないだろ。だって、あの頃からお前とクルクは仲違いしたし、クルクがアザの血を封印したって言ってたからさ。俺も忘れようって思ったんだよ。なのに、また最近、魔石の問題が出てきたから、なんか不安になってきてさ……」
話し込むうちに、二人を包む空気は重くなって両肩に伸し掛るようだった。
ショーンはあえて、クルクが売り手かもしれないとは、口に出さなかったが、疑いの色は濃いものだろうとザンカも感づいていた。
嫌な予感がした。馬車が到着地点にたどり着いたら、自分はどんな顔をしているだろうか。
もし、クルクと相対したら、彼の話を聞けるのだろうか。
ザンカはショーン以上に緊張していた。




