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継承2

『人を疑いだしたらキリがないだろう?』

 そう言って、いつも笑っていたクルクが、サラを守ってくれるんだと、ザンカが思い始めた頃だった。思いつめた顔で、サラが就寝前のザンカの部屋の扉を叩いたのだ。

 四六時中と言っていいほど一緒に生活しているのにも関わらず、サラがわざわざ部屋を訪れるのは初めての事だった。

「こんな時間にどうしたんだ?」

 ザンカはサラが何を言いたいのか予測できた。なぜなら、サラの左の薬指に、ザンカがクルクと選んだ指輪がはめられていたからだ。俯いたまま何も言わないサラに、ザンカは精一杯優しい言葉を思いつく限り考えてた。だが、結局口から出た言葉は、呆れるほど短く簡単なものだった。

「……いいよ、姉さん」

 はっと顔を上げるサラの目に映る自分の顔を見て、ザンカは胸を撫で下ろした。

(よかった。笑えてるじゃないか……)

 自分でも驚くほど穏やかな気持ちだった。想像していたよりも自分はクルクを信頼していたんだと、素直に思った。でなければ、大事なサラを渡せるわけがない。

「で、でも…ザンカ。父さんたちとの約束は…」

「ああ…。そんな大昔のこと気にするなよ。別に誓いを立てたわけじゃないんだからさ。親父たちも許してくれるよ、な?」

「ごめんなさい……」

 なぜ、姉が謝っているのか、ザンカはすぐ察した。サラは弟である自分の気持ちに気付いていたのだ。だから、クルクから指輪を受け取るのも渋っていたのだとわかった。

 愛しさが増すばかりで、自分の事以外何も考えていなかったんだと、ザンカは恥じた。姉は、そんな弟の行く末を案じていたのだから。

「俺、もう子供じゃないし、大丈夫だからさ。姉さん、クルクのこと好きなんだろ? 俺もアイツのこと好きなんだよ。だから、いいよ。クルクなら姉さんをまかせられる」

 これが最後だと思った。きっとサラを抱きしめるのはこれが最後だと。そして、ザンカはごく自然な動きで両腕を広げた。そして、サラは迷いなく弟を抱きしめたのだった。

「ありがとう、ザンカ。貴方を愛してるわ」

「…知ってるよ」

 翌日、サラはクルクに指輪をはめた手を見せて微笑んでいた。

 これで、すべてうまくいくんだと、ザンカは疑わなかった。クルクが姉を幸せにしてくれる。使徒として共に長い時間を生きてくれる。そう、ザンカは願ったのだ。しかし――。

「え……?」

「ごめん、ザンカ。サラとは一緒になれないんだ。ごめんな」

 怒りが頭の中で沸騰して、視界が真っ赤に染まる幻覚すら見た。

「待てよ、クルクッ!! どういうことなんだよ! 姉さんは…姉さんは何て!?」

 咄嗟にクルクの襟首を掴んだザンカに、クルクは逃げるように目を背けた。

「信じてくれ、ザンカ。俺は……」

 涙に濡れるクルクの瞳に、ザンカは怒りを拳に封じ、手を離す。思い出したのは、クルクが言った言葉だった。

『俺は本気でサラとお前を守るから。それは命に代えてもだ。だから俺を信じてくれ、ザンカ。この先どんな困難が訪れても、お前とサラが俺を信じてくれるなら、俺どんな事にも耐えられる気がするんだよ。だから頼むよ、弟よ』

 信じたい。あの時の言葉を信じたい。

「――今は…だよな?」

 ザンカの声は震えていた。

「……」

「事が落ち着いたら、姉さんと一緒になるんだよな? あの時お前が言った言葉、信じていいんだよな!?」

 ザンカの目から涙がこぼれた。

 もしかしたら、クルクは何か厄介なことに巻き込まれたのかもしれないと、ザンカは思った。

 ちまたでは『魔石』なんて異質な物が流行していたし、使徒たちも闇の力を感じて陰ながら探っていたのは事実だった。だから、きっとクルクも関わっているんだと、ザンカは思ったのだ。しかし、クルクは答えなかった。

「ごめん……今は何も言えない」

 意味深な台詞を最後に、クルクは宿屋を訪れる事はなくなった。




「……姉さん?」

 サラは毎日、どんな悪天候であっても、決まった時間に窓辺から空を見上げるようになった。

「姉さん」

 何か合図でもあるのだろうか。クルクがサラへの愛の証を、夜空に向けているのかもしれない。そう思ってザンカも同じ時刻に屋根の上に上って空を見上げるようになった。

 雨が降っても、雪が降っても、ひょうが降り注いでも。日にちが変わる時刻には、天を見上げるのだ。

 あの日から、サラはクルクの事は話さなくなった。だけど、恋しい気持ちは痛いほどザンカに伝わっていた。左薬指に、あの時の指輪がずっとはめられていたからだ。

 一年、二年が気づけば五年になり、十年になった。それでも変わらずサラは空を見続けた。

「姉さん。もう、やめようよ」

 十一年目のある日、ザンカは意を決して、サラに話した。ずっと口にしなかったあの男の名を、サラを傷付けた憎いあの男の名を。

「クルクが結婚したよ。相手は誰だと思う?」

「……」

「ただの、人間だってさ」

「……」

「アイツよく言ってたんだ。使徒の血を絶やす方法」

「……」

「俺ずっと信じてたんだ。アイツは厄介事に巻き込まれただけだって。だからきっと、落ち着けば、姉さんを迎えにくるって。その時が来たら、俺、アイツを力一杯ぶん殴って、笑って、姉さんを嫁がせるんだって…………でも、もう無理、なんだな」

 自分の意思に逆らって、涙は出るものなんだと、ザンカはこの時初めて知った。

「――――子供が」

「え?」

「子供、ができたらしいの。だから、責任、取らなきゃ……ね?」

「……」

 強い意思があれば、涙は止められる事も初めて知った。

「でもね。いいのよ、ザンカ」

「何が?」

「これで、いいの……」

 そんなことない。そんなこと許せるはずがない。

 なんで、裏切ったんだ。

 なんで、サラを傷つけたんだ。

 なんで――……!

「何、言ってんだよっ! 俺は許さないっ姉さんを、俺を、裏切ったアイツを――!」

 眼前に覗き込むサラの顔があった。

「怒らないで、ザンカ。だからお願い、泣かないで」

 サラの言葉でザンカは気づく。頬に伝う熱い雫が涙だと。

「私、大丈夫だから」

 ザンカの涙を指で拭うサラこそが、泣きたい顔をしていた。

「貴方がいるもの。一人じゃないから大丈夫。そうでしょ?」

「……なんで」

「大丈夫よ。大したことじゃないわ」

「……なんで笑うんだよっ」

 泣き笑い。苦しいから笑う。苦しいから泣くのだ。

「サラ…ッ!」

 ザンカは力強く姉を抱きしめた。サラの体が反り返るほど、体重をかけて、想いの強さを伝えるために、ザンカは姉を押し倒した。


 愛しくて、愛しくて。どれほど願ったか忘れたわけじゃない。 

 彼女の幸せを、ただひたすら、一途に願ったのだ。

「――…きだ」

「……」

「好きだ…っ」

「…――知ってるわ」 

 

 ただ純粋に、姉の幸せを願っていたあの頃には、もう戻れない。

 最初から愛していると言えていたら、サラは自分を受け入れてくれただろうか。


 始まりが終わりに繋がるまでの時間。それは懺悔するには尊い沈黙だった。



 



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