表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/31

奇跡に呑まれし者の行方

「…――の違いってなんだろうなぁ」

 ベッドで仰向けになっていたザンカが、寝言のように呟いた。

「なんだ?」

 窓辺に腰を掛け、後ろ向きに夜空を眺めていたヨウヒがザンカを一瞥する。寝言かと思い、窓の外へと視線を戻しかけた時、ザンカが勢いよく上体を起こしベッドの上であぐらをかいた。

「はは。結局眠れないのか。あれほど眠たがっていたのに」

 苦笑いのヨウヒと視線が交わったザンカは、バツが悪そうに頭をポリポリと軽く掻く。

「なぁ、ロマリエの話を聞いてどう思った?」

「どう、とは?」

「嘘か本当かだよ」

 ザンカの真剣さがヨウヒの笑いを誘う。

「フフ。お前は奴が嘘を言っていると?」

「何で笑ってんだよ。意味わかんねー。つうか、そういうんじゃねーんだけど。なんつーか、どうも腑に落ちないんだよ。だから、お前はどう思ってるのかなって思ってさ」

 ザンカの瞳がヨウヒを見据える。ヨウヒは数拍置いた後、ゆっくりと口を開いた。

「ー…さて、どうだろうか。私は審判する者ではないからな」

 誤魔化しではなく、本当にそう思っているのだと、ザンカには分かる。ヨウヒは確かに女神ではあるが、人々が願うような神ではないからだ。

「事柄を知る者の数だけ、真実とは存在するのかも知れないぞ」

「そんな事言いだしたら、本当にキリがない話ってやつじゃんか」

「だが、人は自分に都合の悪い内容を『嘘』と呼ぶのではないか?」

 にやりとヨウヒが笑う。

「上手いこと言うなぁ。じゃあ、ロマリエにとって都合の悪い真実って一体なんだ?」

「さぁな」

 他人事のように、ヨウヒが再び夜空へと視線を泳がせると、ザンカが肩の力を抜いた。

「なあ。ヨウヒ」

 名を呼んでも振り向かない少女の横顔は、決意の強さを語るように凛々しいものだった。

 もっと悲痛な顔をしているものだと思っていた。その感情が人間特有の情念というものなのかと、ザンカはヨウヒを見つめる。視線を感じているはずなのに、ヨウヒはザンカを見なかった。暗雲で陰った夜空に、誰の安否を占っているのだろうか。 

 ヨウヒは言った。シュコウが自分の罪だと。ならば、罰は誰が受けているのだろうか。

 女神の物思いに耽ける横顔は美しかった。黒髪が肌の白さを際立たせ、幼さの残る頬の赤みが色香を滲ませる。

 ザンカがぼんやりとヨウヒを見つめていると、視界が揺らいでヨウヒの姿に被さって別の女性が映し出された。彼女の顔は今のヨウヒと同じように、愛しい人を手放した時の横顔だった。

「ザンカ!」

 強く名を呼ばれ、ザンカは我に返ってぎょっとした。いつの間にベッドへ上がったのか。傍らには膝を付いたヨウヒがザンカの肩を掴んでいた。そして、小さな手のひらが熱を帯びている。なぜかと問わなくても理由はすぐわかった。

「……う、わぁ………また、かよ――」

 がっくりと両肩を落とすザンカの額へとヨウヒが手を差し伸ばす。

「邪気を祓ってやる」

 虚ろにザンカは頭を振った。軽くヨウヒの手を払う。

「いい。自分の尻くらい自分で拭くからさ」

 と、強がってみせるものの、頭の中がぼんやりとしてモヤがかかったように、不透明だった。

「―――ザンカ」

「わかってる! でもごめん。こんなんじゃシュコウの代わりになんねーよな」

「……」

 気落ちして項垂れるザンカの後頭部に、ヨウヒは無言でゲンコツをぐりぐりと押し付けた。

「いってーな! くっそ……なんだよ」

 鋭くヨウヒを睥睨するザンカだったが、ヨウヒに額にデコピンをくらい、手を当て痛みに耐えることになった。そんなザンカの手を強引に掴むと、承諾なしに気を送り込む。

「う……っ」

 強い気が血流に沿い体内をめぐる感覚に、さすがのザンカも顔をしかめた。

「お前は石に呑まれたんだよ。決して弱いんじゃない。気にするな」

 ザンカの大きな背中からじわりじわりと、音なく滲み出る煙があった。白煙だ。緩やかに立ち昇る煙の中へと入るように、ヨウヒは目を凝らす。

「……」  

 なぜだ。シュコウを手放したことで何かを得るはずだったのに、逆に厄災を与えられたというのか。

 ヨウヒの胸中は怒りに似た感情が渦巻いて行き場を失っていた。

「ヨウヒ?」  

「まったく…人とは浅ましくおぞましいモノだな、ザンカ。己の罪を他人に押し付け飄々としている奴がいる」

「は?」

 白煙は天井に吸収され消えていく。ヨウヒは忌々しいとばかりに舌を鳴らした。

「…横槍を入れただけでは飽き足らず、私の領域に土足で踏み込む不届き者がな」

 更にヨウヒは口苦く毒づく。

「どうやら、お前は探られたようだ」

「何のことだよ」

 ザンカはヨウヒが何を言っているのか全くわからなかった。ヨウヒはザンカから視線を逸らせ床に降り立つが、ザンカは呆然としていた。そんなザンカを斜交いに見やると、酷く冷めた双眸で告げる。

「私のミスだ。お前のせいではない」

 石を預けたのが間違いだった。ヨウヒは拳を強く握り小石を潰す。粉々に砕かれぱさついた奇跡の石が、床板の隙間に落ちた。

「…ちょちょっとま、待ってくれ」

 徐々に気づき始めたザンカは、体中から汗が噴き出すのを感じた。

「その、姉さんも、その石に触ってるんだけど」  

「だろうな」

 ヨウヒの歯噛みした。ザンカの顔から血の気が失せていく様子が見て取れる。

 体内の血が冷えていく感覚に、ザンカはぎこちなく動き出した。そして、けたたましく扉を開けると一目散に疾走する。狭い通路の壁に体のあちこちをぶつけながらたどり着いたのは、もちろん姉の部屋だ。

 乱れた呼吸を整える間もとらず、ザンカは固唾を飲むと扉の取っ手を握る。

「姉さん、俺だ。開けるぞ?」

 上擦った弱々しい声で呼び掛けるが、サラからの返答はない。

 凍りついた手で扉を押し開き、隙間へと顔を傾け人の気配を探る。しかし、何も聞こえなかった。息つく音も、衣類が擦れる音も。 

「姉、さん…?」

 床から上へと恐る恐る視線を移す。土と木の香りに鉄錆の臭いが混ざり、サラの匂いを消してしまっていた。 

 心のどこかで、いつかこんな日がくると、覚悟していたはずだ。だけど、ベッドから垂れ下がった掛布替わりの布が、鮮血で真っ赤に染まっている光景が、ザンカの心を打ち砕く。

「――ねぇ、さ…」

 扉が全開となる前にベッドで横たわるサラの姿を確認すると、ザンカはその場に座り込んだ。

 彼女は、ザンカより血の気のない青い顔で目を閉じていた。まるで、眠っているように穏やかな面持ちをしている。なのに、怖くて近づけなかった。

「……サラ?」

 なぜ、自分じゃないんだろう。シュコウの代わりにヨウヒの傍にいるのは自分のはずなのに。

「なんで? なんで俺じゃないんだ? なんで……」

 ザンカの思考は同じ問いを繰り返していた。そして、彼の中の時間が、過去の記憶を呼び起こす。

 『俺を殺したいと思ったことはないのか?』

 身動きとれずにサラへと語りかけるザンカ。その背後にヨウヒが佇んでいた。

「――違うよ、姉さん。本当はあんなことを言いたかったんじゃないんだ。本当は……」

 ザンカの瞳から大粒の涙が一つ、また一つとこぼれ落ちた。彼は、石から伝わる邪気に当てられたのは自分だけと安心していたのだ。だけど、サラは言っていた。

 『あなた、本当に何も感じないの?』

 大きな体を小さく貝のように丸めて、ザンカは声を殺し泣いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ