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行き違い

 クリパスに向けて告げられたロマリエの言葉の中にある秘められた思いは、説明しなくてもクリパスに十分伝わっていた。だが、彼はその思いに答えることができない。頬につたう涙が熱く、クリパスの胸を焦がす。それは彼なりに思いを伝えようとしている証拠だった。

「う、うぁあ……」

 ロマリエは苦笑し首をかしげる。そして安堵した。

「本当に…貴方は、クリパス様なのですね」

 クリパスは何度も繰り返し頷き返した。言葉を繋げるための舌がなくとも、声は出る。そうだ。泣き叫ぶ事もできたのにと、ロマリエは痛感した。

 奴隷生活で一度もクリパスの泣くところを見た事がなかったのだ。

「あなたはいつも私たちを敬い、気遣っていた。ずっとそうでした。あなたの時は。でも……」

 ロマリエは片膝を床につき、両の腕にクリパスを抱きしめた。

「罪は……罪、なんです。王子――でも、私が何とかします。必ずあなたを助けます」

 クリパスの思いはロマリエには届かなかった。

 誰も傷つけたくない。誰も失いたくない。クリパスが願うのはただそれだけ。自分はどうなっても構わなかった。今まで守られてきたから。例えそれが鳥籠の中だとしても。クリパス自身はこのままでも良かったのだ。

 喋れなくてもいい。このまま自分が犠牲となることで、大切な者を守ることができるなら、悪魔との取引にも同意するつもりだ。――いや、彼は同意したのだった。

「大丈夫です。ミレイ様もきっと分かっておられる。だからお願いです。私の言う通りに――え……何、何です、王子?」

「うう、あぁあ…」

 ロマリエの言葉を止めるように、クリパスが服を引っ張っていた。何か伝えたい事があるのだ。涙に濡れた瞳は真剣だった。

(もう、いいんだよ! もう、僕の事は構わなくていいんだよ!)

 クリパスの思いはロマリエに届かない。ロマリエは理解し難いといった風な表情でクリパスを見ていた。

(お願いだから、もう、関わらないで。このまま逃げて!)

 クリパスがロマリエの体を押し始めた。

(逃げて! 逃げて!)

 ロマリエだけなら逃げ切れるはずだ。ヨウヒもシュコウもザンカもいない。誰もいない。このまま消えてもお咎めを受けるのは慣れっこだ。痛みに耐えることも、たとえ命を失っても構わない。クリパスはロマリエを逃がそうと必死だった。

(この機を逃したら、次はもう訪れないかもしれない。今なら――)

「王子? 一体どうなされたのです?!」

 ぐいぐい背中を扉へと押し付けるクリパスに、ロマリエは困惑した。

 一体どうしたというのか。クリパスの気持ちが読み取れなかった。

「王子。大丈夫ですよ。シュコウさんがいなくとも、私がいます。私があなたを守りますから……」

 まるで、空虚のようだった。 

 どれほど思いを馳せても言葉無くては伝わらない。こんなにも、思っているのに。

「あぁあああぁー」

 等々、クリパスは声を上げて泣き出した。

「お、王子…」

 悲しいんじゃない。悔しかった。号泣するクリパスにロマリエはあたふたとするばかりだった。そんな時だ、背後の扉が騒がしい声と共に開いたのだ。

「開けるぞ!!」

 勢い良く開かれた後方の扉。振り返ると、ヨウヒとザンカが立っていた。目をぱちくりさせる二人を見て、ヨウヒが不敵な笑みを浮かべる。

「親睦を深めるのは構わんがな。その中に私も雑ぜてもらおうじゃないか。なぁ、ロマリエ。腹を割って話そう」

 驚愕したクリパスは泣き止んでいたが、驚きのあまり震えていた。そんなクリパスを背に庇うように構えるロマリエの眼前にいるヨウヒは、無邪気な子供の顔をしている。まるで新しい玩具を与えられた子供のようだ。そんなヨウヒに臆することなく、ロマリエが単刀直入問う。

「あなたはなぜ、王子をお買いになったのですか?」

 ヨウヒが口端をついと、上げた。

「ほぅ……早速本題か。うれしいね。いつ聞かれるのかと密かに楽しみにしてたんだ。だが、聞きたいことがあるのは何もお前だけじゃない。そうだろ? ロマリエ隊長殿」

「その呼び方は随分久しいです」

 僅かに頬を引き攣らせるロマリエだったが、戦士の心構えといったところだろうか。平常心を保っていた。背に縋るクリパスもいるのだ。

「あなたには分からないでしょうね。私の気持ちなど」

 ロマリエは睥睨した。しかし、皮肉めいた言い方ではあったが、ヨウヒには負け犬の遠吠えとしか聞こえなかったようだ。

「なんだ、戦士の誇りとでもいいたいのか? はんっ! 笑わせるな。プライドを捨て自己犠牲をしたものの、誰も褒めてくれないからと、ひねた男の気持ちなど知りたくもない。己の不始末を棚に上げ、奴隷に成り下がった者の末路は高が知れている。だが、私も偉そうに他人事を言えたものではない。不本意ながらお前と歩み寄ろうと思ったのだ。その方が互いのためだろ。情報はこの行く末を記してるはずだ。お前はあの占い師の女と」

「質問を質問で返すのは反則ですよ。先に私の問いに答えてください。なぜ、王子を買い取ったのですか?」

 むぅ…と、口一文字に堅く結んだヨウヒだったが、ザンカの豪快な笑声がそれを緩ませた。

「お前の負けだ、ヨウヒ。ロマリエの問いに答えてやれよ」

 と、ふいにザンカが歩みを寄せる。弾かれたように顔を上げたクリパスの額に大きな手の平が当てられた。

「―――すまんな、クリパス。子供が聞く話じゃないんだよ」

 ザンカの腕を掴もうと手を伸ばしたクリパスだったが、強烈な眩暈に襲われあっという間に床に伏した。そして、おもむろにクリパスを抱えベッドへと運ぶザンカの背に、ロマリエは顔面蒼白で問い掛ける。

「――ザンカさん、あなたは一体……」

 ザンカは振り返り、ベッドに腰を下ろす。ザンカの重さでベッドが軋み、クリパスの体が揺れた。

「俺か? 俺はアザの称号を持つ者さ」

 きょとんとしたロマリエは、一瞬息を吸うのを忘れるほど、沈黙に飲み込まれていた。

「は……アザの者!? なに、なんで、その、ちょっと、待ってください。あなた、私がそんな御伽噺を信じると、思っているんですか!?」

「なぁに、信じるも信じないも、この国に属する者なら皆知ってる話だろ。この地は二人の女神によって創世されたって話をさ」

「……ええ、だから御伽噺でしょう。子供の頃聞かされましたよ」

 呆れ半分でザンカに話すロマリエだったが、少しずつ歯切れが悪くなる。

「その女神と縁のある者が王家を継ぎ、今現在この国家が…ある……と…………え……? ま、まさか……」

 絶句するロマリエに、ザンカは誇らしげに胸を張って告げる。

「そのまさかだよ、ロマリエ! あんたの眼前にいるヨウヒこそが、その女神だ。しかも、俺はヨウヒのアザの者なんだぜ。どうだよ。だからな、お前ずっと待ってたって言ってたが、俺の方が」

 驚愕あまりザンカの話は途中からロマリエの耳には届いていない様子だった。

 衝撃の事実に言葉を失い、挙句に頭を抱える始末だ。だが、何を思ったのかはっと顔をバネのように跳ね上げると、ヨウヒの足元に縋りついた。その取り乱し様にさすがのヨウヒもある意味興ざめした。

「おおおう、じを…………その、王子をどうなさるおつもりですか!?」

「落ち着け、ロマリエ。何もとって食おうって話じゃない」

 そう言ってロマリエの肩に手を当てなだめるが効果は見られなかった。ロマリエの思考回路では、今までの悪態の数々が走り去っていたのだ。

 彼女は今まで、自分の態度をどのように見ていたのだろうか。しかも、自分は女神の側近である男を彼女から奪い、神を陥れる為の手伝いをしてしまったのだ。ロマリエの胸中は図り切れない罪悪感に苛まれていた。

「お……お許しを…」

ロマリエは脱力感から床に座り込んでしまった。ヨウヒは嘆息し腰を折ってロマリエと視線を合わせる。

「こんな事言うと追い討ちを掛けるようで悪いが、別にクリパスじゃなくても良かったんだ。王家の血筋を引いてさえいればな」

「え?」

 ヨウヒから告げられた更なる衝撃の事実に愕然とするロマリエ。室内の空気が急激に萎縮する。しかし、一人空気の読めない奴がいた。

「だからさ、俺は――」

 緊迫した空間の中、ザンカはアザの者としての思いと女神への忠誠心を、誰にともなく一人熱く語リ続けていた。もちろん、ヨウヒの叱咤がとんだことは言うまでもない。


 


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