謎は謎を生む
『声を聞かせて』
初めて『彼女』にかけた言葉だった。
『あなたは、わたし? わたしはあなた?』
それは、生まれて初めての問いだったかもしれない。
「教えてくれ、ヨウヒ。本気で俺を殺す気だったのか?」
神妙な面持ちというより、蔑むような視線でザンカはヨウヒに問うた。どういうことか、ヨウヒはザンカの居室にいた。しかも、狭い一人用のベッドの上、ザンカと膝を付き合わせている。
ヨウヒは罰が悪そうにたじろいだ。それほど、ザンカはご機嫌斜めだったのだ。ザンカの目が据わっている。
「心配するな、ザンカ。私はお前を傷つけたりしないぞ」
激しく頭を左右に振って誤解を解こうとするヨウヒに、ザンカは遠い目を向けていた。よく見れば額が赤く腫れている。冷やした方がいいぞと、声を掛けたいがその一声がでないヨウヒに、ザンカは寒々とした声音でたずねる。
「ほんとか?」
ヨウヒはこくこくと頷き返すが、ザンカは怪訝そうに眉をひそめ、疑り深い視線をヨウヒに投げかけた。彼の気持ちは分からないでもない。相当気分を害しているのだろう。ザンカはシュコウのように嫌味をグチグチと言い始めた。
「当てになんねーな。人の睡眠中に天井から堕ちて来る奴の言うことなんざな。シュコウが姿を消して俺はお前さんのことを本当に心配してたんだぜ。わかるか? 一人で行かせたのが間違いだったと物凄く後悔した。だから眠れずにいたんだ。それが悪かったのか? うとうと、と眠りについた俺が悪いのか? でもな、前触れなしにまさか人が、いや、女神が頭に落ちて来るなんて思ってもないだろうがよ」
「待て!! それは私のせいではないっ」
大袈裟に手をかざし、違うと言い募るヨウヒだが、ザンカは落ち着いていた。
「ヨウヒ。お前さん一人が落ちて来たってのに、他に誰のせいだっつんだよ。あ?」
大柄な体躯以上に凄みが感じられた。こめかみから汗が垂れるのを感じながら、ヨウヒはもごもごと口の中で言い訳をするのだが…。
「だからそれは…その………そ、それはあれだ、あの男が悪いんだ」
両の拳を力強く握り締め力説するが、ザンカには通用しなかった。
「だから、夢でも見てたんじゃねーの? …ったく、女神ともあろう者が責任転換とは甚だしいな。それに闇の空間に住めるほどアザの者は力ねーぞ」
「わかっとるわっ」
やっぱり無理やりにでも名を聞いておくべきだったと、ヨウヒは心底後悔していた。だが後悔は後の祭り。今更言っても遅いのだ。
「闇を切る男ねぇ……。俺よりいい男だったのか?」
ザンカは物思いに腕組し顎に指を当てる。思い返すが候補になるような者の存在は浮かばなかった。
「ああ……!? いや、違う。お前の方がいい男だぞっ」
「……闇の女神も地に落ちたな。俺様の良さがわからねーとはお子ちゃまだな」
「はっはっはははは……」
乾いた笑いをあげるヨウヒだったが、堪忍袋の緒が短すぎたのだろう。
「――いい加減、機嫌を直せ。私の懐は想像以上に狭いんだ」
「それを言うなら心だろ。人間を学べよ、ヨウヒ。このままじゃ老い先短けーぞ」
「……うぬぬ」
思わぬところで尻を拾われ愚の音もでないヨウヒを横目にザンカが胸を張った。
「わかりゃあ、いいんだよ」
シュコウといいザンカといい、主従関係が微妙だ、とヨウヒは胸のうちで呟いた。
「で、どういうことなんだ。シュコウはどこへ行った? 占いの館とシュコウがなぜ繋がっているんだ? 俺が納得できるだけの言い訳を考えて口を開けよ、ヨウヒ」
捲くし立てるように一気に言い放つザンカだが、深い所へと足を踏み入れる覚悟をした上での事だった。
「奇跡の石の目的は分かったのかよ?」
「んー……それはお前に聞きたいところだな」
ぐっと押し黙るザンカに、ヨウヒはにやりと口角を吊り上げた。
「さて、どんな状態に陥った? お前の機嫌が悪いのもその辺りも含んでの事だろう。私が持っていても何も変わらなかった。だからお前に託したんだ。で、今『石』はどこにあるんだ?」
一瞬で立場が逆転し、本来の主従関係に戻った。凄みを利かせているわけでもなく、ヨウヒには他者を圧倒させるだけの力があった。幼い容姿に似つかわしくない気を放つ。
「俺が持ってるよ。ほれ」
懐から取り出しヨウヒの眼前に突き出したが、ザンカの目は泳いでいた。
「……お前でも『闇』があるってことだな」
「なんだよっ! お前分かってて俺に渡したのかよっ! 俺はこの石のせいで姉さんに見っともない所見せたってのに、お前は手ぶらで返ってきやがるし、シュコウは居なくなるし、一体これは何なんだ!! 返答次第でさすがの俺もブチ切れるぞっっ!!」
すでにブチ切れているじゃないか、と突っ込みそうになってヨウヒは言葉を飲み込んだ。それほどザンカは真剣だった。隆起した胸が激しく上下している。ザンカの興奮が収まるまで、ヨウヒは沈黙を勤めた。しばらくすると、ザンカの呼吸が穏やかになる。
「……すまない、八つ当たりだ」
ザンカが弱弱しく告げた。
「なぁ、お前さんにとってシュコウは何だったんだ。こんな風に離れるような存在だったとは、どうしても思えないんだよ」
ヨウヒは優しく目を細めた。感心しているのだ。ザンカは鋭い。
「お前は本当に聡い男だな……。あいつは私の罪そのものさ。この世界を変えたきっかけであり、私を変えた男でもある」
「罪と呼ぶのか………愛したことを後悔して?」
ザンカの口から出た言葉に、ヨウヒは目を丸くして驚いた。柄じゃないと言いたいところだが、ザンカの眼差しは真剣だ。観念したようにヨウヒはふっと軽く息をついた。双眸に影が差すと、悄然と口を切った。
「私に愛を説くな。私はそれとは無縁の神でなくてはならない。本来なら影に沈黙し光を凌駕する神なのだからな」
淡々と告げられてる言葉に、ザンカは首をかしげる。
「それは本心か?」
「否」
即答だった。
「事態はお前が考えるほど単純じゃないんだよ、ザンカ」
ヨウヒはあえて視線を宙に逸らせる。その様を見てザンカは憐れに感じた。
「俺に、お偉いさんらが考える事なんか分かるわけねーだろ。だけどお前はこの地に降りたんだ。その訳くらい聞かせろよ。でなきゃ協力したくてもできねーんだわ。知りたい情報は『石』じゃないだろ。本当はこの国の何が知りたいんだ? 小難しい話も聞いてやる。俺が駒になって動いてやるよ。だから教えてくれよ。でなきゃ本当に大事なもん失っちまうぞ。お前だって分かってんだろ。本当に欲しいもんは失くしたもんなんだよ」
「……本当にお前は嫌味なくらい察しが良すぎるな。お前が思っているとおり、シュコウは消えたんじゃない。私が対価として手放したんだ。私の手持ちは少なくてな。シュコウしかなかったんだ。それと、知りたい情報は確かに石ではない。だが、繋がっているかもしれないんだ。それにきな臭くってな…あの男、なぜあの場所で私を止めたのか」
あの男とは、闇を切る男のことだが、ヨウヒにとって、彼の素性は今のところ問題ではなかった。
「あの場所って異空間だろ。何かヤバイもんでも隠してたんじゃねーの?」
「ヤバイもんって何だ?」
「そんなの知るかよ。お前その場所で感じた事覚えてないのか」
「そう言われてもなぁ…」
んーと唸って口を濁す。思い返せたのは、魂が焼ける臭いに、浮遊する残骸、それに――。
「薬、の臭いがしたな」
「それ、麻薬かもしんねーな。だが闇を切れるほどの男だろ。そんな奴が麻薬なんかしょぼいもんに手出か?」
「わからん。ただ奴は私に『まだ早い』と言ったんだ。『情報が少なすぎる』ともな。確かに手持ちの情報は少ないが」
「早い…って時期が早いって事か。情報不足は否めないが、奇跡の石は麻薬と、占い師の女とも関係してるんだろな。それに、ロマリエもだ」
予想外の人物の名に、ヨウヒは少し驚いた。彼女の中ではロマリエの存在は大した者ではないのだ。
「奴が何かしたのか?」
「ああ、俺がロマリエと別室で話をしてた間にシュコウが消えたんだよ。ロマリエは言ってた。占い師の女は自分の主だったと。それに、お前たち二人を遠ざけるのが目的だったようだ。そうすれば、奴の願いが叶うらしい。それもあの占い師の女が言ってた事らしいが。――――なぁ、奴を締め上げてみないか? あいつは要となる重要な情報を隠してるように思えてならない」
ヨウヒは思慮深くザンカの顔を見つめた。壁の一点を見つめるようにザンカの顔を凝視する。微動だにしないヨウヒに痺れを切らしたのか、さすがのザンカも戸惑い始めた。
「な、なんだよ? 恥ずかしすぎて穴を掘って隠れちゃうぞ」
軽いノリでザンカが言う。緊迫しつつあった空間が緩やかに崩れていくのを感じながら、ヨウヒはザンカの照れ隠しとも取れる言葉に思わず笑みをこぼす。
「……それは余程大きな穴を掘らねばならんな」
一息つくと、おもむろにヨウヒが立ち上がり、床に降り立つ。
「さて……じゃあ早速行こうか、ザンカ」
「どこへ?」
ザンカは小さな背中に問うた。振り返ったヨウヒの表情には、何か吹っ切れたような爽快感が表れていた。悪戯っ子が見せる輝きを宿した瞳でヨウヒは返す。
「情報収集さ」