その威光は栄華を語り、吐息は零落の道を記す。
世界は内乱の世を迎え、戦争が無力な人間たちを苦しめ戒めていた。
儚い命は、いとも容易く事切れてしまう。流血は大地を蝕み、死臭を運ぶ風が舞う世界。
足元にすがりつく無数の魂の残骸。命は屑石よりもずっとずっと軽く、彼女の存在意義を強く問うものに感じさせた。
荒地に折り重なる人の屍骸が、風が吹くたび嘆き声を上げる。
創世神より授かった一つの世界。
広いとも狭いとも言える世界の中で、彼女が作り上げた国々は、美しく輝いていたはずだった。
彼女が望んだ、青い空に艶やかな緑。人々の活気に歌い踊る、香りに風。
なびく草花の思い。運ばれて、水に溶ける。
そして、彼女に届く。
ひんやりとした、それでもほっこりと胸が温もる思いの欠片。
なのに、いつしか人間たちは欲に捕らわれ、世界を壊し始めていた。
同じ命。同じ人間。流す涙も、血の色も同じ。
なのに、強者が弱者を甚振る。
生きていくために、与えたはずの知識と力で、人間は命を刈り取るための武器を作り、大地を穢した。
空気を浄化する草木の悲鳴が、大地の底から突き上げるように聞こえる。
怒りと悲しみ、そして失望。
戦火の黒煙が大気を濁らせ、血の雨を降らす。
彼女は焼け野原で天を仰ぎ見た。そして、もう一人の自分が囁くのだ。
――罪人に罰を与えなければ。
占いの館バラクィヤルの扉を開くと、先は真っ暗闇であった。
扉は音もなく閉じられ、目を瞑っているのかも分からないほどの闇。しかし、ヨウヒにとっては居心地のよい空間でもあった。
彼女は自ら『魔道師』だと名乗るが、あながち間違いではない。
なぜなら、魔道師は闇の力を主に使う。何かを犠牲に、何かを対価に術は行われるのだ。
ヨウヒは闇に属するものの一つといえる。だからこそ、暗闇は畏怖するものではなく、彼女の力と成り得るのだ。しかし、それは一昔前のことでもあった。
人々に恐れられた夜の女神ヨウヒ。それは、いつしか闇の女神と呼ばれるようになる。
戦場に赴き、赤き血を黒く大地に沁み込ませ、手にした剣は真っ赤に染まる。
剣は彼女の心のように血を求め、死を誘うのだ。
彼女は人々に畏れられる『神』であった。
それでも、女神は世界を愛しく思っていた。
できることなら真綿で包み、我が子のように、両の手に抱きたいと思うほどに。
しかし、時として運命は歯車を狂わせる。それは神の息も届かない自然の原理であった。
闇を背負いし月の君。思い焦がれるのは眩いばかりの光ではないのかもしれない。
「わかっているよ、アナト。罪を犯せば罰せられる。それが自然の理だ。わかっているんだよ、私もね。それでも、間違いを犯してしまう。人であろうと、我ら神であろうとも。でも、お前は違ったんだな。私と同じではなかったんだな」
世界を愛していたのはアナトのはずだった。
光は闇を求め、闇は光に潜む。
闇は、光なくしては生まれること叶わず、光もまた、闇なくしては存在しない。
二人で一人のはずだった。
光を背負い、昼を支配する女神アナト。
そして、闇を背負い、夜を支配する女神ヨウヒ。
彼女たちは双生神だったのだ。
眩い光に包まれて、慈愛に満ちた笑みを浮かべ、人々に愛され尽され、輝く世界の中にいるはずの女神。それがアナト。
「お前が道を外したのか? それとも私が……」
その先の言葉は飲み込んだ。
認めたくないんじゃない。ここで自分が弱気になれば、アナトの思う壺だろう。
「私はお前に近づくために、シュコウを手放した。受け取ったはずだ。私の大切なものを」
ヨウヒの頬を湿った風が撫で付けた。彼女は扉をくぐって一歩も動いていない。
一体どこから風が入ってきているのか?
それすら眼中にないといった風に、ヨウヒは一歩踏み出した。
先へ進むために、大事な物を手放したのだ。
「このまま、手ぶらでは帰れないからな」
そう告げる声は、かすかに震えていた。