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プロローグ 幼い約束




 無口で優しい曾祖父さん。それが幼い私の印象だった。

 豪放磊落な祖父とはまるで印象が違う。


 太平洋が見渡せる高台に建てられた一軒家の三畳しかない狭い部屋で、彼はいつも作務衣を着て胡座をかき、海を眺めていた。


 立原鉄心。それが曾祖父さんの名だ。


 大日本帝国の生ける軍神。

 救国の英雄。

 神騎の乗り手。


 軍人としては無数の栄誉を命を賭けて勝ち取った男は、私にとっては穏やかな印象のただの爺さんである。



 彼は滅多に部屋から出ないが、毎年三日だけは必ず神社へと足を運んでいた。

 終戦記念日には戦友達が眠る靖国神社へ。

 新年と十月十日には近所の神社へ。


 近所の神社を護るライフルを担いだ物々しい警備員達も、曾祖父さんを見ると緊張した面持ちで最敬礼をする。曾祖父さんは相変わらずの作務衣姿だが、彼らに敬礼を返す姿は実に洗練されていて、幼心に強烈な印象を残していた。


”風疾神社”


 鬱蒼と茂る森の中にある小さな神社だが、ここは一般人の立ち入りは禁止されている。

 それには理由があるのだが当時の私にはわからなかった。


 曾祖父さんはある切欠から8歳になった私を神社に連れて行く気になったらしい。


 鳥居を潜ると美しい巫女さんが境内を佩く手を止めて、曾祖父さんに頭を下げた。

 曾祖父さんも珍しく微笑んで頭を下げる。


 私は驚いて声も出なかった。

 巫女さんが綺麗だったからではない。彼女が私がここに来る切欠になった……曾祖父さんの部屋にあった思い出の写真に映っていた人そのものだったからだ。


 古ぼけた白黒写真の中には楽しそうに笑う十一人の軍人と、若い頃の曾祖父さんの腕に自分の腕を絡めた美しい女性が写っていた。

 姿が変わっていないが目の前の女性が、私が曾祖母さん? と聞いて曾祖父さんを初めて大笑いさせた写真の人物の本人であることは間違いない。



「あ、その子が私の! やっと連れて来てくれたのね!」



 私は曾祖父さんに手招きされてようやく、我に返り、頭を下げて自己紹介をする。

 彼女は私の頭を優しく撫でると少し考えて、急に神社の奥へと小走りで走り去っていき、無表情な小さな子供を軽々と脇に抱えて戻って来た。


 彼女は見た目より力持ちらしかった。



「いやー本当に鉄心そっくりじゃないの。私は風姫。よろしくね。私は鉄心と話があるからこの子と遊んであげてくれない?」



 茶目っ気のある笑顔を浮かべている風姫と名乗った美女の唐突なお願いに私は戸惑ったがなんとか頷く。



「いい子ね。頼んだわよ! さ、行きましょう。鉄心」

「本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫大丈夫! 若いもんに任せましょう~」



 ご機嫌な風姫さんと困惑する曾祖父さんの言葉に、幼少の私は僅かに不安を覚えつつ、訳も分からず残された私は風姫さんが連れてきた子供を見た。


 同じ歳くらいだろう。目線が同じだった。

 黒髪に蒼い瞳……顔立ちは整っているけど性別はわからない。髪も肩より上で切り揃えられたおかっぱ頭だから、余計分かりにくい。


 同じ巫女服を着ているし、女の子なのだろうか。

 彼女は無感情に私を見詰めていた。興味は特に無いらしい。



「こ、こんにちは」

「こんにちは」



 勇気を振り絞って私は挨拶をしたが、すぐに沈黙に戻ってしまった。

 私はそれでは駄目だと必死に考える。



「風姫さんの妹さん?」

「人間の言葉で現すなら、彼女は母親に該当する。故に母様と呼んでいる」

「え……?」



 話す言葉が難しくて半分も意味がわからなかったが、風姫さんの娘なのだと言うことだけは理解出来た。



「あー……僕は岩瀬望。君の名前は?」

「私の名前はまだ無い。主がいないから」

「あるじ?」

「主とは私を駆る者。私が守護する武人」



 私は首を傾げる。

 彼女は無表情だけれど、何となく不満そうだと感じていた。



「風姫さんは名前を付けてくれないの?」

「母様は貴方の名前は付けたらしい。岩瀬望の主は母様?」



 少女が理解出来ないと小首を傾げている。

 私も彼女の言いたいことがさっぱりわからない。


 小学校の友人と彼女では何もかもが全然違う。

 しかし、当時の私は子供らしく細かいことは特に気にしていなかった。



「名前が無いと不便じゃない?」

「そうでもない。ここは母様しかいないから」

「小学校は?」

「行く必要がない。必要なデータは入っている」

「12×21は?」

「252」

「凄い!」



 思わず私は拍手をする。

 少女の方は当たり前だとばかりに溜息を吐いていた。



「でも、僕、君と友達になりたいし」

「友達……理解不能。何故。無駄」



 彼女はつまらなそうで取り付く島も無い。

 それでも私は何としてでも仲良くなりたくなっていた。名前が無いという珍しい、それでいて賢そうな少女に対して好奇心が湧いていたのだ。



「夏休みは毎年こっちで過ごすんだけど、友達居なくて退屈なんだもの」

「身勝手」

「あはは。うん。ごめん。まあ、名前は今度でいいや。遊ぼ!」



 幼い私は彼女の右手を掴む。

 彼女の方は困惑していたが、嫌がりはしなかった。



「遊ぶ意味がわからない。でも母様の……あれは命令?」

「違うと思うけど。そういや、風姫さんや君はいつも何をしてるの?」

「人間の言葉で近いのは『ごくつぶし』。母様は整備も私任せ。日々くだらない漫画を読んで、テレビを見ながらぐーたら」



 どこか冷めた少女は私に不承不承といった面持ちで手を引かれていく。


 夏休み、曾祖父さんの家で過ごす時だけの友人。

 彼女は遊びを色々知っていたけど、実際に遊んだ経験は一度も無かった。


 私はいつも無表情だった彼女が色んな顔を見せてくれるのが楽しくて、長い休みに曾祖父さんの家で過ごす間は毎日通って彼女と会っていた。


 警備の軍人達も何故か私を止めることはない。

 しかし、彼女と会える最後の日はやってくる。


 私が父親に連れられて外地に向かうことになったのだ。

 その頃には曾祖父さんは既に亡くなっていたが、私は祖父に我侭を言い、彼女に会いに行った。祖父が認めてくれたのは我儘を聞いたのではなく、曽祖父の遺言だったかららしい。


 曽祖父や風姫さんは何を思っていたのだろうか。

 少なくとも悪意は無かったと思う。


 ただ、祖父や両親は曾祖父さんが亡くなって、しばらくした頃から私を彼女から引き離したがっていたように思う。



 長期休暇以外で初めて訪れた神社は桜吹雪が舞っていた。

 忘れもしない。十二歳の春。


 彼女も真新しい中学の制服を着込んだ私と合わせるように背丈と髪が伸び、相変わらず表情には乏しいものの可憐な少女へと成長していた。


 桜の花びらが彼女の黒髪を飾っている。

 私は指先でそれを摘むと、彼女に事情を説明した。



「そう……」

「ごめん。手紙は書くよ」



 彼女は興味なさげに呟く。

 だけど、箒を握る手が少しだけ震えていたように思う。



「他に僕が出来ることはないかな」

「名前……」



 未だに彼女には名前が無かった。

 何かを思い付いたように彼女は小さく頷き、私を真っ直ぐに見詰める。



「望。私の名前は貴方が付けて。私が貴方を護ってあげる」

「女の子に護られるのばっかりなのはなぁ」

「嫌?」



 私も思春期に差し掛かっていた。

 儚げで美しい彼女は私にとっての初恋でもある。


 泣きそうな彼女の頼みを私は拒否することは出来なかった。

 私は少し考えて、高鳴る心臓を押さえ付けて箒を持つ彼女の小さな手に自分の手を重ね合わせる。



「僕は男だから君を護りたい。だから僕にも君だけの呼び名を付けて欲しい。これでお互い様。僕も君を絶対に護ってみせる」



 長い別れを告げ、泣きそうな表情を見せていた彼女の笑顔が見たくて、私は彼女と小指を絡め合わせる。



「私を……護ってくれる?」

「うん。何かあっても絶対に」



 彼女は頬を染め、嬉しそうに微笑んだ。

 それは私が見た初めての彼女の感情だったのである。


 私は単純に喜んでいた。

 本当に本気で彼女のためならなんでもするつもりだった。


 彼女にどんな”機密”が有るのかも知らないで。

 無邪気な子供同士の約束が遠い将来にどんな影響をもたらす事になるかも知らずに。



 世界中の人々の運命を変えることになる第三次世界大戦の火種は、この時期、誰も気付かぬ間に少しずつ、少しずつ燃え広がらんと燻り始めていた。




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