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分岐点




 死は身近なものだった。


 天国に一番近い島とは誰が言ったのだったか。

 薄暗い鍾乳洞の中で、銃を磨きながら私は思い出す。


 言葉の主は生き延びたはずだ。

 幼い彼女は私に代わって、きっと幸せに過ごしてくれるに違いない。


 この美しい天国に近い島で。

 太陽のような笑顔を浮かべて。



 文字通りの必死。敗北の決まった戦闘。

 それに民間人を巻き込まなかった連隊長の判断を、私は一日本人として誇りに思っている。


 例え彼が私を含む、一万数千もの将兵に死を命じたとしても。



 絶えず続く雫の落ちる音だけが耳に響く。

 洞窟に灯りは殆どないが私の手元が狂うことはない。


 弾薬は僅か。だから銃を磨いて泥を落とし、整備し、一発必中を狙う。

 魂を込めた弾丸は外れることはない。


 敵は私一人を殺すために千発。

 部下一人を殺すために千発。


 空からの爆撃に艦砲射撃。

 そして、私達の命と同じだけの生贄を必要とした。



 五十名を数えた私の小隊も半数以上が靖国へと旅立ち、残った内の十名には後の再会を約して手榴弾を手渡している。帝国軍人でありながら涙を止めることをどうしても出来ないのは私が弱いからだろうか。


 見送る者も見送られる者も感極まり、自然と敬礼をする。

 死ぬ方がマシな戦場を幾つもくぐり抜けてきた私達の敬礼は極限の状況にあっても誰一人として乱れることはなかった。


 ただ、私は思う。


 何故、戦友達に死を命じる立場にある小隊長たる私を誰も恨んでくれないのか。

 何故、誰も私の背中を撃たないのか。


 死にたい奴なんているはずがないのに。

 愛する両親が、妻が、恋人が、息子や娘が故郷では待っているはずなのに。


 お願いだ。誰か私を裁いてくれ。

 米国人より私は日本人に殺されたい。




 皇紀2604年、西暦1944年9月。

 日本の委任統治領パラオ諸島ペリリュー島は米軍の攻撃を受けた。


 この時期、大日本帝国は敗勢に転がりつつあり、重要拠点であるサイパンやグアムは既に陥落している。米国が大日本帝国の占領下であるかつての植民地、フィリピンを『解放』するために次に向けた矛先がパラオ諸島だった。


 圧倒的な物量と制海権、制空権を有する米軍に対し、防衛する大日本帝国軍第十四師団歩兵第二連隊は無数に存在する洞窟に坑道を作り、天然の要塞を作り上げ、徹底的な持久戦を選択。


 大日本帝国の守備隊に補給はなく寡兵であり、戦略的にも劣勢にある。精々数百名の損害に終わるだろう……そんな米軍の楽観的な予測に対し、大日本帝国陸軍の決死の防衛は苛烈を極め、彼等は終わらぬ悪夢にうなされることになった。


 精鋭の米軍第一海兵師団は執拗なゲリラ戦により数十%の損害を出して撤退。

 米陸軍第八十一歩兵師団と交代する異常事態となっていたのである。


 しかし、米軍の物量は圧倒的であり、大日本帝国陸軍は弾薬どころかその日の食事すら事欠く有様であった。

 それでも尚、大日本帝国陸軍の士気は衰えず、頑強に抵抗を続けている。


 だが、その抵抗は勝利では無く、時間稼ぎが目的。

 彼らには鬼神の如き戦いの代償として確実な死が約束されていた。



「立原小隊長! 変な物を見つけました!」



 そのはずであった。



「岩瀬軍曹。報告は正確に頼む」

「はっ! 申し訳ありません」



 私は銃を磨く手を止め、固い岩の床から立ち上がった。

 熊のような体格を持つ岩瀬軍曹は国民党との戦いを生き抜いた古強者だ。階級は私の方が上ではあるが、歳と軍歴は一回り上であり、粗略に扱うことなど私には出来なかった。


 岩瀬軍曹達、熟達の軍人が隊にいなければ私など今頃この世にはいないだろう。

 ここに至っては早いか遅いかの差でしかないが。


 彼は痩けた頬の碌に手入れも出来ていない髭を何度かさすり、自分で気付いて慌てて直立している。


 この『オヤジ』が考え事をしている時の癖だ。

 久しぶりに見たな、と固まっていた心が人間らしさに触れて少し和む。


 今の戦場では悩むことがない。

 ただ生き延びて、一兵でも多くの敵を倒す。それだけだからだ。



「金属製の何か……鉄じゃありませんな。零戦のジェラりゅ……なんちゃらでもないです」

「それがどうかしたのか?」



 確かにそのような物がここにあるのは不思議だが、それだけなら岩瀬軍曹も悩みはしないはず。報告しにきたということは、何かがあったのだ。


 彼は巌のような顔に渋面を作って唸っている。

 説明に余程困る物なのだろうか。



「土に埋まっていたのが米軍の砲撃の衝撃で崩れて出て来たわけですが……変な箱の中に女が入ってまして。それで立原小隊長に判断を仰ごうかと」

「逃げ遅れでは無いな……待て、坑道は埋まっていたはずなのに女と何故わかった? 生きているのか?」

「眠っているようにしか見えません。服装も奇妙です。少なくともパラオの民間人ではありませんな」

「わかった。私が直接確認する。案内を頼む」

「はっ! こちらであります!」



 岩瀬軍曹に案内され、私は地下に降る坑道を歩く。

 問題の『変な物』が発掘されたのは衝撃で新たに出来た坑道にあるようだった。



「しかし、坑道が見つかるとは立原少尉は強運ですな。後方の岩盤も崩れ、儂も流石にもう玉砕しかないと思うておりましたが」



 私はいざとなれば坑道を爆破し、米兵を生き埋めにしつつ退路を確保する為に、新しく出来た坑道の調査を岩瀬軍曹に頼んでいたのである。


 その軍曹は穏やかに笑いながらそう言って私を見ていた。



「簡単には死ねない。私達が一日生き延びれば、大日本帝国は……愛する祖国は一日の時を得るのだから」

「模範的な軍人の答えですな。素晴らしいことです」



 彼は私を非難をしたわけでは無い事はわかっていた。

 だが、その言葉は私のはらわたに重く響く。


 士官とは違い、兵士の殆どは徴用を受けた者達だ。

 しかし、私は彼等を同じように死なせなければならない。


 それなのに、岩瀬軍曹は私を息子を見るかのような雰囲気で鷹揚に頷いている。

 私は強いて無表情を繕わねばならなかった。



「あれか。確かに『変な物』としか言い様が無い」



 十数分は降っただろうか。

 坑道の先には信じられないことに広大な空間が広がっていた。


 天井はビルが入りそうな程高く、薄暗い視界の中では果てが見えないほどに広い。

 そして、何処からか僅かに陽が差し込んでおり、金属製の長方体の何かを微かに照らしていた。


 私は暖かい光を返している『それ』に近付いて行く。

 透明の箱の中には岩瀬軍曹の言葉通り、不思議な格好をした女が横たわっていた。


 艶やかな長い黒髪の均整の取れた肢体の美女だ。

 西洋人では無いが日本人とも何処か違う。


 人形に近いと私は感じた。

 しかし、それにしては精巧に過ぎる。


 何にせよ、到底生者などいるはずのない場所だ。

 岩瀬軍曹が困惑するのも無理はない。



「む……」



 息を飲む。

 閉じられていた瞳が開き、彼女が私を見た。


 箱が音を立てて開き、海のような深い蒼の瞳が私を見詰める。

 硬直し、動けない私を護るように岩瀬軍曹が銃を構えて前に出た。



「立原少尉! 後ろに!」



 私達の警戒など知らぬかのように、女はゆっくりと立ち上がった。

 そして、銃を一瞥して口を開く。



「変わらないわね。人間は」



 つまらなそうに呟いた言葉に私は驚いた。

 彼女の言葉が日本語だったからだ。


 敵意は無い。

 彼女の瞳に浮かんでいる感情に敢えて名前を付けるのであれば、『好奇心』といった類の物だろう。だから、私は手振りで岩瀬軍曹を制する。



「銃を下ろせ。相手は丸腰の民間人だぞ」

「しかし」

「構わない。彼女が何者であろうと、私達の選択は変わらない」

「へぇ……どんな選択なのかしらね」



 不敵に笑っているのは、余裕か虚勢か。


 間違いなく前者。

 数名の、明らかに飢えた軍人を前にしても彼女に危機感は無いらしい。


 挑発するかのような態度の女を私は無視し、直立して敬礼する。



「私は大日本帝国陸軍第十四師団歩兵第二連隊所属、立原鉄心少尉であります。本坑道は米軍との戦場となる可能性が高いため、偽装を施すのでその箱に二日ほど隠れておいて頂きたい。食料が必要であれば、僅かですが拠出致します」

「はぁ?」



 目の前の女が唖然として口を開けていた。

 私の言葉が通じなかったのだろうか。


 その様子に背後に立つ岩瀬軍曹が吹き出しそうになっており、私が睨むと”しまった!”とばかりに口元を引き締めて直立した。



「貴方は軍人なのよね?」



 黒髪の女性は「有り得ない」と呟きながら、敬礼を続ける私をまじまじと見る。



「そうだが」

「私を襲おうとかはないわけ?」

「米軍は知らないが、大東亜の真の解放を目指す、誇り高い皇軍がそんな恥知らずなことをするわけがないだろう」

「本当に?」



 彼女は驚いた表情のまま、初めて岩瀬軍曹の方を向いた。

 急に話を振られた彼は、大袈裟に敬礼して大声で答える。



「立原少尉は極端ではありますが、少なくとも本作戦においてペリリュー島での民間人死傷者はほぼ0であり、概ね事実であります!」

「信じ難い軍隊ね。嘘ではなさそうだし……本当に信じ難い」



 岩瀬軍曹の答えを聞いた彼女は微笑んでいた。

 先程までの挑発しているような笑みではない。


 何か失っていた大切なものを見つけたかのような優しい笑みだった。



「隊長さん、軍機に触れない程度で質問に応えて欲しいのだけれど」

「構わない」

「例えば貴方が敵国を無差別に皆殺しに出来るような兵器を手に入れたらどうする?」



 言葉遊びかと私は眉をひそめる。

 しかし、それにしては目の前の女の表情は真剣だ。


 だから、私は熟考してから彼女に答えた。



「例え敗北したとしても、そんな恥ずべき兵器は使わない」

「貴方の敵は使ってくるかもしれないわよ?」

「誇りを忘れ、罪もない民間人を殺戮して勝利に酔うような国は何れ対価を支払うだろう」



 彼女の瞳は揺れていた。

 彼女がどういう想いを抱いてそんな質問をしたかは私にはわからない。


 何故か私と似ている気がした。

 直感的なものだが。



「貴方の心には、この場にいる誰よりも深い憎しみが渦巻いている」



 彼女は私を見上げて、悲しそうに言った。

 本心を見抜かれたような錯覚を受けた私の心臓が強く痛む。


 国を護る為などではなく、私自身が対価を支払わせようとしているだけだ。

 心の中のもう一人の私がそう叫ぶ。


 水戸から仕事で北九州に出向していた両親を、同行した婚約者を、弟妹を米軍の空襲で皆殺しにされた私人としての私が。


 しかし、その復讐心を帝国軍人としての私は断固として否定する。


 同じことをして何になる。

 目先の欲望が満たされれば満足なのか。


 馬鹿馬鹿しいと人は言うかもしれない。綺麗事だと。

 綺麗事すら忘れれば、それは人ではない。獣だ。


 私は歯を食いしばり、感情を殺し、誰よりも皇軍の軍人らしく生きる。

 必死に憎しみを振り払う。獣にならないために。


 戦友達の待つ靖国へと赴くその日まで。



「だから、私は目覚めてしまった。余りにも甘美な『憎悪』だったから」



 深い蒼に捕らわれたかのように私は動けない。

 そんな私の頬を彼女は愛おしそうに撫でる。


 彼女の手は冷たかった。

 それなのに暖かさを感じる。



「貴方は……貴方達は私に希望を見せてくれるかもしれない」



 僅かな希望と深い絶望の色が彼女の瞳には混ざっていた。



「お前は……何だ?」

「世界を滅ぼした十三の遺物の一つ。狂気が生み出した殺戮兵器。私はその『核』」



 周囲の坑道が大きく揺れ始める。

 岩瀬軍曹が慌て、他の坑道に繋がる道を探していた生き残りの部下達もこの場へと逃げるように駆けてきていた。


 そして、呆然と私達の背後に突然現れた巨大な人型の兵器を見詰めている。



「私は第七式分離型自律装甲『復讐』。立原鉄心少尉。貴方を主と認めましょう」



 皇紀2604年、西暦1944年10月10日。

 辿るべき道は一つの出会いによって、大きく変化する。


 世界中の全ての者が抱えていた思惑の埒外の方向へと。




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