第五話
覚悟を決めて、黒色に塗りつぶされた尖った爪を確かめるように一つ一つ弾いて軽く指を曲げる。
獣人の爪の強度を甘く見ないでもらおう。
これで獲物を狩ったりするんだから。
久々の本格的な戦闘で緊張して乾いた唇を舐めてから、私は調理台から飛び出した。
「おーい、俺だって出て来いよ……うわ! 何すんだよアンタ!!」
「受け止められた……って、陸か」
「陸か。で、済ませていいのかこれ!」
最初の一撃を受け止められた時はかなり焦った。
不意打ちが効かない相手は大概手強いって、貧困街で何度も経験済みだったから。
急いで次の一撃を加えようとした時に相手が帽子を脱いで明らかになった顔が見知ったもので、突き刺すように繰り出した左手を顔面すれすれで止める。
「あはは。敵かと思って私もかなり取り乱してたから、判断が鈍くて。ごめんね」
「……ほんっと、発言が危ないよなアンタ」
溜息をついた陸にもう一度笑ってから、預けておいた槍と荷物を背負って無人になった調理場の出口を捜す。
カラス視点から見れば、無人の調理場って言うのはかなり魅力的だけど今はそれどころじゃない。
残念だけど、先を急ごう。
「そういえば、その服はどうしたの?」
自分の服の上に着ていたのか、警備兵の服を脱ぎ捨てている陸を見て私が尋ねると陸はなんでもないような顔をして脱いだ服を片付けながら
「ああ、これ? 近くに居た警備兵殴って気絶させて上着だけ剥いだ」
「え、それってそのニンゲンが目を覚ました時やばいんじゃ」
「結構強めに殴ったから暫くは大丈夫だろ。それに」
「何?」
「人じゃなくて多分猫類の獣人だったし」
「大丈夫の要素が何一つないけど!? それに猫類だって?」
サラリと私にとってはとんでもないことを言い出す陸に私は痛み出してきた頭を抱える。
獣人が相手っていうだけでも頭が痛いのに、しかも相手は私の天敵の猫。
ああ、今でも思い出す。
貧困街の猫類の獣人達との激闘の日々。
私がカラスだと分かった途端に目の色を変えて、獣型になった私を集団で追い掛け回してきた時の恐怖は忘れることが出来ない。
日雇いの仕事から帰ってきた養父が、同じく獣型になって助けてくれなかったら確実に喰われてた。
そもそも猫というのは一部のニンゲンからは
「気紛れでカワイイー」
なんて言われて愛玩動物として飼われているけど、あいつ等は気紛れなだけじゃない。
あいつ等は……執着心が強すぎる。
一度狙った獲物はしつこく追い続ける。
かなりの負けず嫌いなのだ。
養父に追い払ってもらった後、一体何度追いかけられたことやら。
その猫をカワイイと言うニンゲンの趣味がいまいちよく分からない。
「足の先が白い黒猫だったぜ。っていうか、獣人って気絶したら獣型になるのか?」
「うわぁ、よりによって黒猫か……えっと、気絶したら獣型になるのかって? それは個人や状況にもよるよ。多分、その獣人さんは本能的に獣型になって身を守ろうとしたくらい驚いたんじゃないかな」
「ふーん。じゃ、アンタも命の危険を感じたら獣型になるのか?」
「さあ? そんなことよりも、その獣人さんが目を覚ます前に早く行こう!」
「ちょ、引っ張んな!」
動こうとしない陸の腕を引いて強制的に歩かせながら、何度も後ろを振り返って気配を探る。
相手が猫だからという理由もあるけど、獣人が差別されているこのご時勢で見た感じかなり上等な服を着れるということはかなりの強者に違いない。
上着についていたバッジの多さからして幹部格の警備兵だろうし。
強い獣人は何かと重宝されるから待遇もいいのだ。
そんなのが目を覚まして私達を追ってでもしてきたら、立ち向かえる自信が全く無い。
とっとと用を済ませて猫がいる屋敷なんておさらばしてしまおう。
巡回している警備兵の目をかわしながら、噂で聞いた『武器開発室』を探す。
そこで開発しているらしい新兵器とやらの設計図を燃やして、どこかにあるらしい武器製造工場を破壊しようというのが今回の目的だ。
これで暫くは何も出来ないだろう。
製造工場の場所はだいたい予想出来ているからいいけど、もう一つの目的である開発室の場所がわからない。
「おい、開発室ってあそこじゃねえか? あの部屋の前だけ異様に警備員が多い」
「ほんとだ、結構露骨な警備だねぇ。じゃ、行こう」
「いや、待て待て! どうやってあの人数の警備兵をかわすつもりだよ」
「え、陸と同じ方法で」
「あの人数は無理だろ! 絶対騒がれて人呼ばれてそのまま檻にぶちこまれて即終了になるっつーの!」
「騒がないでよ陸、気付かれちゃう」
声を荒がけかけた陸を手で制しながら、却下された案を考え直す。
結構いいと思ったんだけどな……
あ、そういえば
「陸、麻酔弾を作ったってことは麻酔薬とか睡眠薬って今持ってる?」
「少しだけな。でも、粉末状だしどうやって使う気だ?」
「いや、持ってるなら私の能力を使って粉末をあのニンゲン達のほうに送り込んでやればいいんじゃないかなって」
「――なるほどな。じゃ、頼むぜクロ」
「……何その愛称。ペットか私は。せめてウェルにしてよクローとかさ……別にいいけどね。それじゃあ、いくよ」
荷物を陸に預けて本日二度目の獣型になる。
音をなるべくたてないように静かに羽ばたいて ホバリングして陸の差し出した手の前まで飛んだ。
「粉が飛ぶかもしれないから口元の布、ちゃんと押さえておいてね」
「おう」
陸が顔を覆う布をしっかりと抑えたのを確認してから、真っ直ぐな風を起こす。
鳥類特有の能力だけど、翼の大きさで風の強さも変わるから私も自分の翼に見合った風しか起こせない。
ちゃんとした訓練をすれば威力も上がるらしいけど、生憎私はそんなにいい環境で育ってない。
鷹や鷲の獣人なら風で金属を切り裂くこともできるんだとか。
翼がないとできないから、獣型にならないとできないのが少し難点。
……私も、暇を見つけて練習しようかな。
「これでよしっと」
陸の手に盛られた粉を警備兵達に送り込むと、すぐその効果は現れたのか警備兵達は崩れ落ちるように倒れて眠り始めたのを確認して人型に戻る。
「すげえ、これが獣人の能力か……」
「鳥類なら誰でもできるよ。陸の薬も凄いね、効き目がかなり早い」
「まあ、家が薬屋だったからな」
「ふーん」
軽く話しながら眠ってピクリとも動かない警備兵達をすぐ横に見つかった空き部屋に縛ってから放り込む。
ちゃんと部屋にあったカーテンを引き裂いて猿轡を噛ませておいたから、目が覚めても声で誰かが駆けつけるってことはないだろう。
部屋も結構埃が被ってたから余り使われてないみたいだったし。
縛る時に警備兵の持ち物を確認した際に見つけた鍵束で一つ一つ、開発室の錆付いた鍵穴に鍵を差し込んでいく。
しばらくそうしている内にカチャリとした確かな手応えと音がして、鍵が開いた。
「開いた」
「うっし、じゃあ入るか」
作戦開始。
意気揚々と扉を開いた私だったが
「……クロ? 何で閉めるんだよ、早く入らねえと誰か来ちまうぞ?」
「――あのさ、いくつか貴方に質問するけどいい?」
「……? いいけど」
「陸が上着を盗った獣人さんって、どんな人だった?」
「えーっと、確か藍鼠色の髪をした男だったかな。多分、俺等とそう変わらない年だと思うぜ。あ、あと猫背だった!」
「うん、最後の情報はすっごくいらない。で、その獣人さんなんだけど金色の目じゃなかった?」
「確かそうだったと思うけど何で分かるんだ?」
「まあ、ね。とりあえず、私が言いたいことは陸が会った獣人さんって」
閉めた扉をゆっくりと開いて陸に中を見るよう促す。
書類が散らばる部屋の中では、中央に不気味に笑う男が一人佇んでいた。
「こんな人じゃなかった……?」
「あー、そうそう。確かにこんな奴だったわ」
「……今さ、物凄くやばい状況ってこと分かってる?」
「……やっぱり?」
「やっぱり。えっと、私はちょっと何もできないから陸! 後はお願い!」
「は? ちょ、おい! クロ、何アンタ俺を押し出そうとしてんだよっ」
「だから私猫は駄目なんだってぇぇえ!!」
ぐいぐいと後ろにいた陸を部屋に押し出そうとしたけど、恐怖心からか余り力がでない。
あー、なんか泣けてきたよ。
半ば泣いている状態で陸を部屋に押し入れたけど、
「アンタも入れっつーの!」
「嫌だぁあああ!」
よろけた陸に腕を引かれて私も部屋に入ってしまった。
すぐ陸の背に隠れて陸が突然殴って気絶させたという獣人さんを窺う。
「やぁっと見つけた。いきなり酷いことするよねぇ侵入者さん」
「もう起きやがったか。こいつにも薬盛っとくべきだったな」
「随分物騒なニンゲンだね。仕方ないだろ? オレだって仕事っつーか、義務みたいなもんだからさー」
「まあ、それもそうか……クロ、俺がやるからアンタは少し離れとけ」
「猫の前に姿を晒せと!?」
「そんくらい譲歩しろよ! んなひっつかれたら俺も動きづれえんだよ」
そう言われてしまってはこっちは何にも言えない。
しぶしぶと口元を覆っていた黒い布を目元まで引き上げる。
そのまま壁際まで張り付くように下がった。
「あ、仲間もいたんだぁ」
私を目で追う獣人さんの言葉に身体が硬直しかけたが必死に平常心を装う。
「そっちはちょっと怖がりさんなのかな? アハハッ大丈夫。君もちゃあんと後で捕まえて、二人揃って檻に入れてアゲルから」
頑張って装った虚栄心も見抜かれて無駄になったけどね。
必死に注がれる視線から顔を逸らし続けて、手の動きで陸に今の気持ちを伝える。
「――早く殺れって、以外に物騒だね。その黒い子」
「……何も言い返せねえわ、俺」
お願いだから早く終わらせて下さい。
近くに猫がいるからか、過去のトラウマがどんどん掘り起こされていく。
初めて会った時。
獣型になった途端集団で追いかけられた時。
お使いの帰り道、振り返ったら背後に潜んでいた時。
……嫌な思い出を掘り起こしてしまったようだ。
「……ねえ、大丈夫? あの子、目が虚ろなんだケド」
「猫、苦手らしいからな。アンタが近づかねえ限りは大丈夫だろ……多分」
「多分って、君仲間じゃないの? でも、あの子猫が苦手なのかー。オレとしてはちょっと悲しい。猫、かわいいよ?」
お願いだから私を話題にしないで下さい。
それに私が猫をかわいいって思う日は永遠に来ないと思います、はい。
ちらちらと向けられる視線に気が遠くなるのが感じた。
「おーい、アンタ大丈夫か。しっかりしろよ、さっさと終わらせてやるから」
「オレ相手にそんなすんなりいくなんて、考えて欲しくないんだけどぉ」
ニヤニヤとした表情を保ったまま、猫の獣人さんは腰に下げてあった細身の刀を一気に抜刀する。
つられて冷たくなってきた空気に陸も目を細めて二丁の銃を構える。
思ったとおり相手の猫の獣人は強いみたいだ。
もしかしたら、陸の手には負えないかも。
いくら陸が強かろうと、もともとの身体能力が違う。
そもそも猫類というのは獣人の中でも秀でて身体能力が高い生き物。
自然界の殺し屋と呼ばれる程。
その鋭すぎる動体視力とか、ありえないほどの柔軟性とか。
平気で屋根とかに上る平衡感覚、獲物を見つけたら途端に飛び掛る俊敏性が恐ろしい程優れているのだ。
いざとなれば、私も加勢……できるだろうか。
猫を視界に入れただけで震えるこの腕で。
情けない。
これじゃあ槍術を教えてくれた先生に情けないっってぶち殺されそうだ。
引き攣る口元を歪めて笑いながら、私は目の前で始まった戦いを見つめた。