第三話
わいわいと賑やかな人間の市場。
自分の商品を売ろうと必死に声を張り上げて客を掴もうとする商人。
何を買おうか、ご飯はどうする? 子供に問いかけながら買い物を続ける家族や、雑貨屋で連れに何か買ってやろうとあれこれ品物を掻き回す恋人達。
そしてそれを羨ましそうに見ているニンゲン。
市場中に広がる爽やかで甘酸っぱい果物の香り。
こんなに賑やかな場所は生まれて初めて来た。
つい私は目的を忘れて見るもの触れるもの初めての世界に夢中になっていたが、市場の途中で見えた暗い路地で足を止める。
そうだ、忘れてた。
表面上が賑やかで、楽しそうに見えれば見えるほどその裏は残酷だってことを。
私が市場で見た同じ世界とは思えないほどの暗い暗い路地には、たくさんのものが転がっていた。
それはもう、様々なモノが。
やせ細った獣人やニンゲンや、ただの薄汚れた動物達とゴミ、何日前の新聞だったり。
それらを一瞥しながら黙って私は路地の奥へと足を進めていった。
途中で前を遮ったニンゲンの女に少しだけ足を止める。
「……ぁ、お願いです。情――を、お恵み、を」
「このま、まじゃ、子供が死んで……しまい、しまいます」
子供抱えて途切れ途切れに言葉を繋げて私に縋りつくニンゲンの女に構わず、止めていた足を動かして私は路地を突き進む。
このニンゲンに対して、何も思わないわけじゃない。
このニンゲンの女が言う情けやお恵みというやつをしないのではなく、してはいけないのだ。
私がもしもこのニンゲンに金やら食べ物を与えれば、このニンゲンは僅かな間自分の死を先送りにすることが出来るだろう。
ここに転がっている生き物達の中でこの女だけは助かるのだ。
なら、他は?
私が持っている金にも限りがある。
ここにいる全員は助けられない。
それでもこのニンゲンだけを助けるなんて偽善的なことは私はしたくないのだ。
それに、物を与えたとしてもそれは一時の時間稼ぎに過ぎない。
今は与えれたもので命を繋いでも、次に他の誰かがこのニンゲンになにか与えなければこのニンゲンは死ぬ。
それが、どんなに現実を見ようとしない哀れなニンゲンでも、だ。
子供が死んでしまう?
何を今更。
もう死んでるよ、その子。
ニンゲンには分からない、腐敗する兆候の鼻を突くような臭いがニンゲンが抱いている子供から漂うのを獣人である私の鼻は捕らえていた。
死んでから結構時間も経っている。
気温が高いからか、腐敗の進みが速い。
これくらい時間が経っていれば当然死後硬直もしているだろうし、ずっと抱いていたのならありえない程の体温の低下でもう気付いているはずだ。
自分の子は、もう死んでいると。
「助けて、この子を助けてよぅ……」
「――ごめん」
とうとう崩れ落ちて泣き出したニンゲンに小さく謝罪の言葉を囁いて、逃げるように先へ、先へ。
この先に目的のものがあるはずだ。
鳥の獣人で鳥目だから、など関係ないくらい自分の手すら見えないほど暗い路地を突き進んでいくと、急に周りが白くなった。
そこから聞こえてくる喧騒。
市場の明るくて賑やかな声とは真逆の、甲高い声や下卑た笑い声。
鼻を突く酒の臭いや煙。
鉄臭い血の臭い。
小さな会場のような場所で逆に下品に見えてしまうくらい自らを飾り立てたニンゲンの女達と、でっぷりとして油が乗ったニンゲンの男。
ああ、この光景は貧困街で何度も見たことがある。
一人のニンゲンが声を張り上げ、必死に自分の商品を売ろうと客を引く。
そして、客達が次々と手で合図してくるのを見てニヤリと笑うのだ。
これは
「奴隷の売買だ……」
貧困街のすぐ近くの町でもこれはよくあった。
少しでも見栄えがいいニンゲン、獣人を見境なく虫のように捕らえては檻に放り込み競りを始める。
一人でも客が“品物”を買ってくれるように、捕らえたり他の奴等から買った奴隷を盛った説明をして奴隷に芸をさせる。
今も小さな少女が檻から客の前に引きずり出されていた。
胸糞が悪い。
苛立ちと一緒に何かがこみ上げるような吐き気がして口元を手で覆う。
何故、ここに私が来たのか。
それはこの場所が一番情報が集まり易いからだ。
酒に酔い、いい品物を購入したことでここのニンゲン達は気分が高揚して随分と口が軽くなっている。
こういう金持ちのニンゲン達が軍に資金を提供することで地位を得ているのが多いこのご時勢だ。
戦況などを聞くのにはこういうやつらの方が良い情報も入り易い。
吐き気を堪えて、私は先程の競りで買ったのか高い声を上げてはしゃいでいるニンゲンの女に作った笑いを浮かべて近づく。
「あら、アタシに何の用?」
「ええ。あの奴隷を買った見る目がよい方はどなただろうと気になってしまって。それがこんなに美しい人だとは思いませんでしたわ」
「そうでしょう? ふふふ。これでお小遣いを使い切っちゃったけど、何か欲しいものがあれば夫に強請ればいいし……いい買い物をしたわ」
少し褒め上げてやると、嬉しそうに化学薬品が塗りたくられた真っ赤な唇から次々と聞くに堪えないことを勝手に語りだすニンゲンに思わず冷たい笑みが零れた。
見る目のある?
とんでもない。
奴隷の売り買いに良し悪しなんてものはない。
その行為自体が汚らしいことだから。
沸々と湧き上がる苛立ちを抑えながら私は作った笑みを貼り付けて、考え付く限りの嘘の賞賛を並べていく。
ニンゲンは大分私のことを気に入ったようで、また勝手に今自分の夫がしていることを語り始めた。
「アタシの夫はねえ、武器の製造をしている仕事の総監督なの」
「……それはすごいですね! 武器、ということは軍お抱えですか?」
「そうよ? 今は街の連中でさえも武器を所持してるご時勢だけどやっぱり大量に、しかも高いものを買ってくれるのは軍だもの。それに、お国の為だって言えば結構何でも許してもらえるわ」
……どうやら、このニンゲンは当りだったようだ。
嫌な笑顔を浮かべてつらつらと本人にとっては自慢話、私にとっては貴重な情報を語っているのを聞き逃さないように注意しながら時折話しに合いの手を入れる。
それじゃあ、もうそろそろ詳しく聞いていかないと。
余り長い時間接していると私が獣人とばれてしまう可能性がある。
私達とニンゲンとの大きな違いで有名なものは、獣人は二つの姿を持っているということだ。
獣人はニンゲンと同じような姿と獣の証である姿の二つがある。
私の場合は今の状態――つまり、ニンゲンとなんら変わらない姿と私は鳥類のカラス型だからカラスの姿の二つ。
他にも、ニンゲンは化学や技術力が発達していて獣人は身体能力が特化していたり獣本来の特性や能力が使えるといった違いがある。
因みに能力と言うのは獣人だけが持つ特殊能力のようなもので、例えば以前に養父の遺体を焼く時に力を貸してくれた狐の獣人は火の能力を持っていてその力で養父の遺体を焼いてくれた。
こういう力があるからニンゲンは私達を奴隷にしたがるのだろう。
特殊な力もあって、頑丈。
これほど奴隷に相応しいものはない。
あまり知られてはいないが、獣人の数多くある特徴の中でとりわけ面倒なものが目だ。
人型の姿の時に極稀にだが目に強膜――目の白い部分がなくなり、色が塗りつぶされる。
原因はいまいちよく分かってはいないのだが、長時間人型になっているときに多くおこる現象だ。
これがもしもニンゲンに見られてしまえば一発で私が獣人だとばれてしまう。
目的も果たしてないというのに捕まるなんてへまは犯してはいけない。
早く聞きたい事を聞きだしてここから離れよう。
「すごいですね。……そういえば、この国はどこの国を支援しているのですか?」
「それがすごいのよ。あの大帝国の――何!? 何が起こったの!?」
突然辺りが騒がしくなってきた。
甲高い歓声から、耳を劈く様な悲鳴と銃声が辺りに響いてニンゲン達が逃げ惑っていく。
「……っ。あともう少しだったってのに」
押し寄せるニンゲンの波から離れてニンゲンの少ない壁際の方へ避難すると、悲鳴が止んだことに気付いた。
代わりに聞こえた怒声。
何人か逃げ出したようで、ニンゲンが少なくなった会場に視線を巡らせると人だかりが出来ていた。
どうやら誰かが騒ぎを起こしてこの競りのオーナーや警護に雇われたニンゲンの男達に囲まれているらしい。
「一体誰が……? って、あれ」
人だかりへ首を伸ばして見ると、見覚えのある赤い髪色のニンゲンが見えた。
もしかしなくても今朝私が聞き耳を立てていた部屋のニンゲンじゃないのか、あの人。
「いや、どうしよう……」
助けた方がいいのか。
それより何であのニンゲンがこんな所にいるんだ。
状況を知るために耳に神経を集中させる。
「テメエなんのつもりで邪魔しやがった!!」
「ここがどこだかわかってんだろ!? ここはなぁ、あの大帝国の君主様お抱えの競りなんだよっ」
「うるせえ!! 知ってるに決まってんだろうがっ」
「知っててやっただと!!?」
今にもニンゲン達は赤髪の人間に殴りかかりそうな剣幕で怒鳴っている。
赤い髪のニンゲンも負けじと大声で怒鳴り返しているからか、騒ぎがどんどん大きくなっていた。
「奴隷の売買ってだけでもすっげえ胸糞悪いのに、あの野郎の支配下ならもっと悪ぃんだよ。ぜってぇぶっ壊してやるから、覚悟しやがれ」
「――んだと!」
まさに一触即発ってわけだ。
あのニンゲンが言ってることは一部は私も同感できる。
明日は我が身の私にとっては、奴隷制度なんて吐き気しかしない。
あの野郎の支配下とか、そういうのはよく分からないが。
この会場に残っているニンゲン達は皆それぞれ武器を手にとっていて、あのニンゲンも両手に小振りの銃を構えていた。
……どうせ情報を聞き出そうとした化粧の臭いがきついあのニンゲンはいないんだ。
それなら、私が大人しくする義理はない。
考えがまとまると、私はすぐに背へ手を伸ばして掛けてあった私の身長より少し短い槍を手に取って騒ぎの中心へと飛び込む。
「誰だ……って、お前」
「同じ獣人として、あの奴隷の人達を放って置けないから助太刀ってことで」
「はあ? 獣人!? ……それでも女だろうが。危ないから下がってろ」
そのままお構いなくニンゲンは銃を競りの人間達へ向けて撃っていく。
中々の腕前みたいで一発で急所に当てていっていた。
……さて、このニンゲンに嘗められたままだと癪だし私もいこうか。
斬りかかってくるニンゲンをいなしながら手近な奴を死なない程度に刺す。
一応は元軍人の人に指南してもらったんだ。
こんなただ雇われただけのごろつき達程度には引けはとらない。
次々ニンゲン達を気絶させる私を見て、あの人間は目を丸くしていた。
「クソッ! 獣人もいやがるのかよ。おい、警備団を呼べ!!」
「それはちょっとまずいな……よしっ」
「は? お、おい!! アンタ何すんだ」
流石に警備団を呼ばれては困る。
警備団に顔がばれたら一気に指名手配されて動きがとりにくくなるし。
群がってくる奴等を薙ぎ払って逃げ道を確保すると、あのニンゲンの腕を掴んだまま一気に群れの中を縫うように駆け抜ける。
後ろで色々と手を引いているニンゲンは悪態をついていたが、獣人の走る速さにあわせようとしたら喋っている暇はないことに気付いたのか、その後は黙って走り続けていた。
「ハァ……ハァ。アンタ、本当に獣人なんだな。女でその足の速さ、異常だろ」
「身体の造り自体が違うからね」
競り場から随分離れた路地まで走ると、周囲の気配を探って近くに誰もいないか確認してから死角になる場所を選んで立ち止まる。
一緒に立ち止まった赤髪のニンゲンは、息は大分切れているようだがそれでも私に着いてこれたんだ。
このニンゲンも大分すごい方だと思う。
ニンゲンの息が整うのを待ってから私は口を開いた。
「私はクロウェルって名前だけど、何でにん……じゃない人である貴方があんなところにいたの? 普通の人が来るようなところじゃないのに」
「それはアンタも同じだろ? ――あ、俺の名前言ってなかったよな。俺は陸。東国から避難してきた難民だ」
「リク? 余り聞きなれない名前かと思ったら、やっぱり東国の人だったんだ」
「そうだけど……アンタ、発音が違うぞ。リクじゃなくて、陸だ」
「あー、えっと。陸ね。分かった」
すっかり息が整ったようで大通りの方へスタスタと歩いていく。
それを足早に追いかけながら私は今朝のことを思い出した。
「そういえば陸の父親が探してたよ。多分、今もね」
「――そうか」
少し間が空いた後、少しだけ頷いた陸に私は何も言わずそのまま歩き続ける。
こういうときは何も言わないほうがいいんだろう。
「なあ」
「何?」
突然沈黙を保っていた陸が立ち止まったので、つられて私も立ち止まった。
しばらく迷うように視線を彷徨わしていたが、意を決したように口を開く。
「さっきアンタが俺に聞いてたけど……アンタはどうなんだよ。なんでアンタはあんなところにいたんだ」
「私? 私は……情報集めにね。やっぱり、あんな感じの所のほうが情報もたくさん転がってるから」
「情報? 裏道通らないといけないような情報を集めてるって、アンタ普段は何してる奴なんだよ」
何をしてる人、か。
まだ何もやってないけど……
「大帝国へのテロリスト希望、かな」
「は、はぁあああああ!?」
勢いよく後ずさる予想通りな陸の行動に笑いがこみ上げてきて小さく笑った。
嘘はついてないが、かと言って本当のことを言いふらされても困る。
誤魔化しておこうと口を開いた途端
「その話、詳しく聞かせてくれ!!」
「……へ?」
強く手を握られて真剣な表情で懇願された。
予想外の展開に瞬きを繰り返していると陸は無言を否定とみなしたのか、そのまま捲くし立てる。
「俺は、さっきも言った通り東国の人間だ。祖国は昔、違う国で戦争に負けて以来武力を制限されてて……それでも結構獣人達と上手く共存していってた。だけど、抵抗できないのをいいことにある日に獣人達は大帝国の奴等に捕らわれていって人間はほとんど惨殺されたんだ」
「まあ、あの国ならやりかねない話だね」
「それで俺と親父は、俺等の国で勝手に他国の奴が始めた戦争から逃れる為にこの国へ逃げてきたわけだけど」
暗い表情になった陸は掴んでいた私の手を離して項垂れるのを見て、私は首を傾げた。
見た限り、陸達は他の難民と違って宿に泊まれているところからして裕福な方だと思うのに何の不満があるんだろう。
まあ、私と陸は育った環境も種族も違うから私にとっては裕福そうに見えても本人にはそうでもないことのかな。
よく分からない。
「その逃げる途中で俺の弟と妹……双子なんだけど、殺されたんだ。帝国の奴等に」
「帝国の奴等に、ねえ……? もしかして、復讐でもするつもりなの?」
「――ああ。俺は奴等を絶対に許せねえ」
鋭い目で空を見つめる陸にその時の壮絶差を感じ取って、敢えて私は何も聞かないことにした。
ニンゲンだろうと獣人だろうと、過去の嫌な思い出を掘り起こしてそれを語るのは嫌だろう。
だけど、いくら帝国に恨みがあるからといってそんな簡単に反乱を起こそうとしている獣人に興味を持つっていうのはちょっと早計なんじゃないのか。
「確かに、私が考えている計画じゃあ最終的には帝国の王にもその玉座を降りてもらうつもりだけど。これから私、結構えげつないこともするよ? 中途半端に関わらない方がいいんじゃない? 今なら詳しいことは何も知らないから、引き返せる」
「親父と別れてから、覚悟はしてる。元々俺は、これから帝国に言ってのうのうと玉座に座っているあの野郎を殺しに行くつもりだった。だから、俺をアンタの反乱に付き合わせてくれ……足手まといにはならねえから」
頼むとそう言ったきり下げた頭を上げない陸に私は少し迷う。
私の計画上、おいおい人数は増やしていって最後の段階では軍と呼べる程の人数と代わりの王を探して反乱を起こそうとは考えているけど陸を入れてもいいのかどうかだ。
帝国の王にはできれば降伏してもらった方が、後に世界の王座に就く者を認めさせる手札になるから余り殺したくはない。
だから、帝国の王個人に恨みを持っている陸はもしかしたら計画の邪魔になるかもしれない。
でも、さっきの銃の扱い方や戦闘を見ている限り陸がかなりの戦力になるのは確実だし速くこれから作り上げていく軍にとって頼りになる幹部格が欲しいのもある。
さあ、どうしようかな。
尚も頭を下げて微動だにしない陸に考えをまとめる。
決めた。
「分かった。一応犯罪だからようこそっていうのもなんだけど、反乱軍一人目の仲間ってことでこれからよろしく、陸」
「いいのか!?」
「うん。さ、早く宿へ戻ろう。ここに止まっていると、また競りの奴等に見つかるかもしれないしね」
これからまだまだ時間はある。
その間に少しでも陸の帝国への復讐心が鎮まってくれればいいんだけどね。
帝国が降伏しない場合は、陸の望みどおり帝国の王を殺さないといけないこともあるかもしれない。
そんな思惑は胸に仕舞って。
私達は宿への道を歩いて行った。