第一話
このお話は戦争や差別をテーマにしているので、そういう言葉を不愉快に思う方にはおすすめできません。
ご了承下さい。
私達獣人がニンゲンを遠ざけ、またニンゲンも獣人を見下してから早五百年の月日が経った。
それは同時にニンゲンが私達獣人の皮を剥いで牙を折り、自らの身を飾る為に獣人を狩りだしたことから始まった『人獣戦争』から五百年経ったということでもある。
それが原因で出来てしまったニンゲンと獣人との溝は決して浅くなくて、簡単には埋めることは出来ないものになってしまった。
五百年の間獣人とニンゲンの関係は、一歩進めば二歩下がるどころかずっと前進も後退もせず停滞したままで。
敵対したまま五百年なんて途方もない年数だけが過ぎていった。
そもそも、獣人とニンゲンの違いとはニンゲンが猿から進化して生まれた存在だが私達はそれぞれの動物から進化していき、しかもニンゲンの姿と本来の動物の姿を合わせ持つことだ。
そのせいなのか、ニンゲンとは違って驚異的な身体能力とどういう経緯で得たのかは知らないが、獣人達がそれぞれ持つ特殊能力が使える等とニンゲンと大きな違いがある。
生き物というのは、自分と少しでも異なるものを酷く嫌う。
元々戦争で悪くなっていた関係。
戦争からそう時間も経っていない頃に、とうとうお互いがお互いを省き始めたのだ。
ニンゲンは獣人の驚異的な身体能力を逆に利用して獣人を奴隷にしたり丈夫な身体で実験をし、自然の摂理に逆らって自らの領土を自慢の文明の利器で広げていった。
獣人はと言うと、ニンゲンを避けるように減っていく森に合わせて奥へ奥へ消えていく者もいれば、ニンゲンが造り上げた街へ繰り出してニンゲンがしたようにニンゲンを奴隷にして自分達の生活を楽にする為に永遠に開発をさせ続ける。
仕舞いには己の身体能力や個々の能力で暴力を振りかざし、暴君の限りを尽くした。
結局、どちらが悪いとは一概には言えない結果となってしまったのである。
そういう仲違いが起こる一方で、今も尚各地で起こっている戦争を終結して双方が協力的にこれからを過ごすと訴え続けるニンゲンや獣人達が少数だがいたにはいた。
当然、お互いへの憎悪を静かに取り返しがつかないほど深めていった者達には到底受けいられることもなかったが。
勿論、私も受け入れることが出来なかった者の一人だった。
子供の頃からニンゲンを拒絶するような世界で育った私は、彼等が高らかに叫んでいた共存論なんて馬鹿らしいとしか思えなかったからだ。
他にも、私が共存論を受け入れることができなかった理由がある。
それは、私が戦争で親を亡くして貧困街を彷徨っていた頃の話。
幼かったせいか余り記憶が鮮明ではないのだが、私の傍には家族がいなかった。
恐らくだが、戦争に巻き込まれて私以外の家族は死んでしまったのだろう。
幼いながらでも何故戦争が起きたのかが分かっていた私は、戦争なのだからどちらが一方的に悪いということは無いのにずっとニンゲンの所為で家族がいなくなってしまったと、他の獣人達と同じようにニンゲンを恨み恐れながら貧困街をうろついていた。
だが、その憎悪を強く出すことがなかったのはお世辞にも荒んだ目をして可愛いとは言えなかった薄汚れた幼い私を拾って、大切に育ててくれた獣人の蛇類、山棟蛇型である青年がいたから。
その私の養い親になってくれた獣人は他の一般的な獣人と違い、少数だったニンゲンとの共存論を唱えていた者達の一人だったのだ。
彼はいつも私達とニンゲン達がいつか分かりあえる日がくると信じて疑わなかった為に、私は環境によって作り上げられていたニンゲンへの憎悪を静かに沈めていった。
そんな良く言えば心優しく、悪く言えば夢見がちな育ての親は私が十五を迎える頃にニンゲンとの共存を貧困街の中央で声を張り上げて訴えていた時に近くにいたニンゲンの兵によって射殺されてしまった。
元々、ニンゲンを良く思っていなかったのに重ねるようにしてそんなことがあったのだ。
ニンゲンに私がいい印象を抱ける筈はなかった。
そんな私の気持ちが変わり始めたのは、養父が殺されて三年後。
私は養父が死んでしまった為、今まで父の死を認めたくなかったからしなかった簡単な身辺整理をしていた。
その時に偶然にも埃を被った薄っぺらい用紙数枚を見つけたのだ。
何気なく手に取った用紙には、自分にもしものことがあれば自分が行っていた人間と獣人の共存の主張、戦争への反対活動を私に引き継いで欲しいといった内容が綴られていた。
承諾は、したくない。
いくら大恩ある養父の最後の頼みでも、私にとってニンゲンは養父の教育のお陰か他の同族よりかはないものの嫌悪の象徴であり、大好きだった養父を殺した憎き敵でもあるからだ。
だが、養父にとってこの活動はとても大事にしていたものでもある。
その活動を行う為に、養父はただでさえ私を育てるのに元々貧しかった生活をもっと質素にしてその間になんとかやりくりして出来たお金を使ってまで戦争の反対活動をしていた。
それだけではない。
挙句の果てには、戦火に巻き込まれた者を獣人やニンゲンに関わらず手当たりしだい手当てを施していたのだ。
彼が生きていた頃は、なんてお人好しなんだとただ私は苦笑していた。
その行いのお陰なのか、養父の葬式は狭い家が壊れるんじゃないかと心配するくらい沢山の人が参列した。
誰にも葬式をするとは言っていないのに、だ。
一体どこで聞きつけたのやら。
まあ葬式と言っても、ここ以外に住んでいる奴等から見れば目を見張るような質素すぎるものだったが。
それに、実は多くの人が参列したあの葬式にはこっそり獣人のフリをして以前養父の手当てを受けたニンゲン兵が紛れ込んでいたことも私は知っている。
何てったって、ニンゲンと獣人とじゃ匂いが違うから。
そのことに気づいたのは私だけじゃなくて他の獣人達も気づいていたが、あえて彼等は何も言わずにただただ養父の死だけを悲しんでいてくれていた。
彼は、こんなにも愛されていたのだ。
ニンゲンとの共存を訴える余りに、一部の貧困街の住人に疎まれていた私の養父は。
最後の最後まで私が無駄だ、くだらないと思ってい養父の訴えはちゃんと彼等の中に響いていて彼等を変えていた。
葬式を種族問わずに嘆けるほどに。
もしもあの時、養父が殺されていなければ時間はかかれど本当に養父が目指した獣人とニンゲンの共存が出来ていたのかもしれない。
今みたいにただ一人の『獣人』を想ってニンゲン達と私達が泣いて、感情を共有出来たのかも知れない。
そんなことを考えながら、私はボンヤリと養父のために涙を流す彼等を眺めていたのを思い出した。
用紙を見たときはあれほど嫌だったのに、今じゃ思い出した記憶のせいで随分と揺れ動いている自分の心に苦笑する。
このままではいけないということは私も分かっていた。
ただ、動こうとはしなかっただけで。
最後まで親孝行は出来なかったんだ、せめてこれくらいはしようか。
そんなどこか言い訳じみたことを考えてしまう自分にまた、私は小さく笑った。
私でも訴え続ければ何か変わるかもしれない。
養父の訴えで変わった彼等のように。
それに、養父が目指していた私達と人間の共存した世界というのも見てみたかった。
整理の後、すぐに私はほとんど何もない部屋から自分の少ない私物をかき集めて簡単な身支度を始めて、静かにきしむ戸をしっかり閉めると十年近く過ごした家を私は後にした。