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第9話 『正体』

           ※※※



「先生、今日も残られるのですか?」


 長い髪を束ねていた紐を解きながら、アメジアは老父に声をかける。出入り口とは逆方向にあるドアへ向かおうとしていた老父は、アメジアの発言に立ち止まった。彼の真っ白な髪に、部屋の明かりのオレンジが照り映える。


「あぁ。気を付けて帰りなさい」


 植物をすり潰したような青臭さと、柑橘系の爽やかな香りが入り混じった、独特な匂いが蔓延する部屋。既に体中に染み込んでいるその匂いを振り払うかのように、老父は腕を軽く振った。そしてアメジアに振り返り温和な笑顔を向けた後、再びドアへと向かって歩き出した。


「先生。ずっと聞きたかったのですけれど……。一体、何をされているのですか?」

「アメジア。私がこれからやろうとしているのは、本職の調剤とは関係ないことなのだよ」


 ドアノブに手を掛けたまま、老父はアメジアに背を向けた状態で静かに答える。


「私が先生に教えを()うた時から、先生はずっと『それ』をやっているでしょう? 先生は何をそんなに熱心にやっているのかと、今日ちょうどアルラズと話したところなんです。こっそり私にだけ教えて頂ける……なんてことはダメですか?」


 アメジアは老父の背に、好奇心溢れる眼差しと言葉を注いだ。その視線に気付いたのかどうかはわからないが、老父はゆっくりとアメジアに振り返った。


「私がやっていることは、できれば他人には知られたくはないことなのだよ」


 体良く断られてしまったと、アメジアは気落ちする。しかし肩を落としたアメジアに向かい、老父はさらに続けた。


「でも、君の口の堅さは私も良く知っている」


 アメジアは老父の言葉に顔を上げ、黙って頷いた。あまり他人と接するのが得意ではないアメジアはその性格が幸いしてか、今まで一度たりとも、秘密の類を他人に漏らしたことはない。


「だから、私は君を信用することにしよう。正直、今行き詰まっていてね。できれば君の知恵を借りたいのだが、大丈夫かね?」


 軽く聞いただけだったが、思いがけない展開になってしまった。アメジアの顔に満面の笑みが広がる。


「はい!」


 調剤師として尊敬している師の役に立つことができる――。アメジアは喜びを隠すことなく、威勢良く返事をした。 



           ※※※





 ベッドの上で、サフィアは背中の羽を潰さないように横向きになって、安らかな寝息を立てている。リーズとアメジアとラウドは、そんなサフィアを見守るようにして椅子に腰掛けていた。三者共、その顔は苦虫を噛み潰したかの如く歪んでいる。割れたままの窓から降り注ぐ月の静かな光が、室内を慰めるように優しく照らしていた。

 建物を脱出した直後――。

 サフィアはリーズを抱えたまま、ふらふらとよろめきながら森の中に倒れてしまった。そしてそのまま意識を失ってしまったのだ。

 結局ラウドがリーズとサフィアを抱え、リーズの案内の下、アメジアの薬屋へと戻ってきたのだった。

 サフィアの変わりきった姿を見るや否や、アメジアの顔は凍りついた。そしてベッドにサフィアを静かに下ろした後、初対面のラウドとアメジアは、互いに心ここに在らずといったぎこちない挨拶を交わし、今に至る。


「そろそろ、説明してもらおうか」


 ほとんど塞がりかけた手足の傷を確認しながら、リーズはぽつりと呟いた。

 何を、とリーズは言わなかった。だがそれは自分に向けられた言葉だとすぐに察したアメジアは、瞼をそっと閉じた後、小さく息を吐き出した。 


「見た通り、この子は人間じゃない」


 そんなことは今さら説明しなくてもわかる。反射的にそう声を上げたくなったリーズだったが、ぐっと堪えてアメジアの次の言葉を待った。


「この子は、人の手で創られた存在。人口生命体(ホムンクルス)なの」

「人口生命体……」


 リーズは無意識に、聞いたことのないその単語を復唱していた。


「この子は私の調剤師としての師、エルマール先生が創り出した人口生命体(ホムンクルス)。私は……私は先生を、止めることができなかった……」


 サフィアの髪を優しく撫でながら、アメジアは言う。しかしその手は酷く震えていた。


「エルマール先生の奥さんは、子供を産み落とすと同時に命を失った。その子供を先生はとても大事に、男手一つで育ててきた。でも、ある日暴走した馬車に巻き込まれ、その子供は命を落とした」


 訥々(とつとつ)と語りだしたアメジアを、リーズとラウドはただ黙して見つめる。


「それから、先生の人口生命体の研究が始まった。失われた命を再び蘇生させることは不可能だと、流石にそれは先生もわかっていた。だから娘そっくりな存在を、自分の手で創ろう(・・・)という考えに至った」 


 そこでアメジアは、サフィアの手を片手でそっと握った。眠り続けるサフィアからは、反応は返ってこない。


「研究を始めて何十年も経った頃、ついに先生は、人間とほとんど変わらない感触の、人口筋肉を創りだすことに成功した」


 語りながらアメジアは、握ったサフィアの手と自分の手を、もう片方の手で包み込む。


「次に内臓、そして皮膚――。人間の物と遜色のない身体の部品が、次々とでき上がっていった。失った子供に、一人娘にもう一度会いたい。ただその一心で。先生はたった一人でそこまで創り上げた。でも……」


 サフィアの手を包み込んでいたアメジアの片手は、サフィアの傷口に巻かれた包帯へと伸びた。


「血液だけは、先生でも創ることができなかった――」


 サフィアの腕から流れた白い血は、人工血液だった。血液だけではない。その白い髪からガラス玉のように綺麗な瞳、柔らかな肌まで、全てが人の手で創られたもの。

 アメジアはリーズに、この世の全ての人間は、サフィアの存在を知るべきではないと言った。それは誇張でも、ましてや虚言でもなかった。もしサフィアの存在が世に知られてしまったら、生に固執する人間の欲望に、たちまちサフィアは呑まれてしまうことだろう。

 突然アメジアは何かを思い出したのか、「そう言えば……」と呟きながらリーズへと顔を向けた。


「あなたに渡した薬、この子に飲ませた?」

「あ、忘れてた……。今すぐ起こして飲ませた方がいいか?」


 サフィアが攫われた直後に受け取った小瓶を懐から取り出しながら、リーズはアメジアの指示を仰ぐ。あの騒動で小瓶のことなど、リーズの頭からはすっかり消え去っていたのだ。


「いえ、目覚めてからでいいわ。それは正確には薬ではなくて『浄化薬』なの。血液を綺麗にするための、ね。この子にも人口の心臓はあるけれど、新たな血液を作り出すことはできない。だからそれを飲んで、血液を綺麗にする必要があるの」

「なるほど。この薬もその先生とやらが創ったのか?」

「ええ。この地方に大量に群生している、ナギエル草という植物が原料なの。生成の方法は、私も先生から教えてもらっていたから……」


 当時を思い出したのであろう。郷愁と悲しみを織り交ぜた複雑な表情でアメジアは言うが、語尾が次第に小さくなっていく。

 リーズは器用に小瓶の底を指でくるくると回しながら、サフィアに視線を移した。


「娘を失った悲しみに耐えられなかった人間が、サフィアという人間そっくりな存在を創り出した。そこまでは理解した。でも……。この、鳥みたいな羽は何なんだ?」


 リーズ達に背を向けるようにして眠るサフィア。その彼女の羽を見やりながら、リーズは怪訝な顔でアメジアへ疑問を投げ掛ける。アメジアは一瞬奥歯を強く噛み締めた後、細い声で呟いた。


「どんなに人間そっくりな物ができ上がっても、『中身』がないと、それはただの人形でしかない」


 あえて感情を排除した声で言うアメジアの言葉に、リーズとラウドは同時に息を呑んだ。部屋を仄かに照らしていた月明かりが雲で覆われ、部屋に濃い闇が広がる。


「中身……。つまり『魂』か……」

「ええ。正直に言うと、私は魂を入れる過程は見ていないから、詳しくは知らない。でも、先生は他の生きている人間の魂を使用するような方ではなかった。この羽は、サフィアという人形を動かすために利用された、鷹のものと見て間違いないでしょうね」

「鷹か……。なるほど」


 それを聞いてリーズは納得した。サフィアがなぜ風の力を使ったのかがわかったからだ。

 鳥類の多くに備わっているのは、風の属性。

 それにしてはあの風の力は、精霊であるリーズと同等かそれ以上のものだったが、イレギュラーな存在にこれまでの常識は通用しないだろう、とリーズはそれについては深く考えるつもりはなかった。

 リーズがアメジアの顔を見ると、今にも泣き出してしまいそうに歪んでいた。回していた小瓶を握り、思わず視線を窓の外へと逸らしたリーズだったが、そのまま黙ってしまうことはなかった。


「まだ聞きたいことがある。サフィアを攫ったのは精霊だったわけだが、精霊を見たことがないって言っていたのは、あれは嘘か? そしてアメジアはまるでサフィアが攫われるのを知っているみたいだったが、それは何でだ?」


 問い詰めるようなリーズの質問にも、しかしアメジアは動揺しない。


「あなたが傷だらけで店を訪れる少し前に、ある男が来たの」

「ある男?」

「男の名はアルラズ。私と共に、エルマール先生の元で調剤の技術を教わっていた男よ。言わば元同僚ね」


 アメジアは顔を上げると、おぼろげな瞳で虚空を見つめる。


「アルラズは……、先生が創り出した『人口生命体(ホムンクルス)』を一目見た時から、すっかり心を奪われてしまっていた。いいえ、少し語弊があるわね。『人口生命体』を創り出した技術そのものに、心を奪われたみたいなのよ。そして、ことあるごとに先生に言っていたわ。この技術は誰の目にも触れないまま、ここで終わらせて良いものじゃない。もっと有効活用するべきだ、と。その時の彼の目は今でもはっきりと覚えているわ。喜びと執念とほんの僅かな狂気。彼の目を見て、私は震えたもの。そしてこう思ったの。彼には、アルラズにはこの『人口生命体』を決して渡してはならないと」


 一気にそこまで言いきると、アメジアは瞳を閉じた。そして小さく息を吸い言葉を継ぐ。


「私は先生が亡くなってしまわれた後、アルラズに見つからないように、サフィアを連れて逃げ出した。この子は『子供にもう一度会いたい』という、先生の願望のためだけに創り出された、偽りの命。だけど確かに、今生きている命でもあった。この子が人間の『生』のおもちゃにされることが、私には耐えられなかった。だからずっと、この子を隠したまま隠れ住むことを決めたの。それが先生を間近で見ながら止めることができなかった私の、せめてもの償いだと思って――」

「そうか……」


 生温かい風が室内に流れ込み、カーテンを大きく揺らす。雲に隠されていた月が、再び姿を現し始めた。


「そしてサフィアと私は、一緒に暮らし始めた。今年で六年、いや、七年ね。月日が経つにつれて、私はアルラズの執念をほとんど忘れかけていた。まさか、まだ私達を探していたなんて……。そして昼間来た時にアルラズは言ったの。『また来るよ』と。それはサフィアを奪いに来るという宣言だと思った私は、ここから逃げようとした」

「そして本当に奪いに来た、と」

「ええ。でも精霊についてはわからないわ。あなたが来るまで精霊の姿を見たことがない、というのは嘘でも何でもないわ。本当なのよ。ただ、サフィアを攫った精霊はアルラズと関係あることは、間違いないでしょうね。でも、こんな乱暴な方法でサフィアの元へ来るなんて、思っていなかった」

「…………」


 アメジアの告白を一気に聞いたリーズは小さく肩をすくめると、先ほどからずっと黙って俯いたままの親友へと顔を向けた。


「お前が人間に姿を見せたことは他の奴らには黙っておいてやるから、そろそろ元気出せよ」


 リーズは、ラウドがそんな理由で俯いているわけではないことは知っていた。だが、目の前で穏やかに眠る少女の壮絶な誕生秘話を知ってしまったリーズは、この如何ともし難い空気に耐えられなくなってしまったのだ。単純に言えば、ただの現実逃避。そしてどう話題を転換すれば良いかわからず、ラウドに対しこのような言い方になってしまったのだ。

 ラウドは顔を上げると、金色の瞳をリーズへと向ける。そして重い唇を懸命に動かすように、ゆっくりと言葉を吐き出した。


「オレは、一度精霊界へ帰る」

「――――は?」


 あまりにも唐突すぎるその言葉に、目を丸くしたまま、リーズは間の抜けた声を発することしかできない。


「帰るって――。言っておくが、俺はまだ帰るつもりはないぞ」

「そんなことは言われなくてもわかっている。お前、本当に気付いていないのか?」


 眉間に皺を寄せながら言うラウドだったが、何のことかさっぱりわからなかったリーズは、仏頂面のまま「何が」と言う返事をするしかなかった。

 ラウドはわざとらしく深い溜息を吐いた後、ジト目でリーズを見ながらぽつり、と続ける。


「だからお前は馬鹿なんだよ」

「なっ!? お前だけには言われたくねーよ!」


 思わず声を大きくするリーズだったが、アメジアが口元に人差し指を立てたポーズで睨んできたので、慌てて声量を下げる。


「気付いていないって、お前は何に気付いているんだよ変態」


 最後の一言はリーズが今できる精一杯の反抗だった。幼稚すぎる気もするが、この二人は何度も精霊界で同じようなことを繰り返してきたので今さらである。


「その子を攫った、水の精霊」


 リーズの反抗を、ラウドは無視という形で受け流した。少し悔しそうな顔をするリーズの顔を見た後、ラウドは一度視線を下に逸らし、口を閉ざす。躊躇っているような彼の仕草に、リーズは僅かに首を傾げた。


「どうしたんだ。もったいぶるなんてお前らしくないぞ」


 そのリーズの台詞で再び顔を上げたラウドは、真っ直ぐとリーズの目を見据えながら、再び口を開いた。

「あの水の精霊の名はウィーネ。精霊王様の、娘だ」

「なっ――!」


 ラウドの口から出た名前に、リーズはただ絶句し、呆けることしかできなかった。 

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