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第8話 『血と羽と』

 浮遊術を駆使し、二人は濃い土の香りを放つ真っ暗なトンネルを、慎重に下りていく。

 ラウドが開けた穴は建物の天井を貫通したらしく、すぐに無機質な床が二人の目に入ってきた。

 明かりのない室内。しかし精霊に夜目など関係ない。二人は部屋を見回し、状況を把握する。降り立ったのは、サフィアの部屋の二倍ほどの広さの空間。その四隅の一角に、二人の目は否応なく釘付けにされてしまった。


「あれは……何だ?」


 呆然と呟くリーズの視線の先に転がるのは、薄汚れた不気味な人形の山だった。

 人間の大きさほどの物もあれば、手に収まるほどの小さい物まで。ありとあらゆる大きさの女の子の人形が、そこには転がっていたのだ。腕の取れた物、首の取れた物、胴体だけの物と状態は様々だが、全ての人形に共通していたのは、髪が白く、服を身に着けていない、ということだった。

 とりわけ、リーズは凍り付いていた。その白い髪には、見覚えがあったからだ。


「誰かの趣味の人形置き場、じゃねーのかな。お世辞にも良い趣味とは言えないけど」


 生気の無い目をしたそれらを手にとって見ながら、ラウドが呟く。 


「半分正解ね」

「――!?」


 突然聞こえた女の声に、リーズとラウドは揃って振り返った。そして声の主の顔を確認した瞬間、二人の顔は石のように強張った。

 一体、いつ開けたのだろうか。僅かに開かれた部屋の扉の前で、一人の女が妖しい笑みを浮かべて佇んでいた。その肩に何かを担いで。

 スッと通った鼻筋に、薄い唇。女の髪は水面(みなも)のように揺らめいており、彼女の美貌を引き立てている。だがその顔、指先、全身に至るまで、彼女の皮膚は青かった。その皮膚の色は、水の精霊の証。水が苦手なリーズの背中に、反射的に悪寒が走りぬける。しかし、今はその嫌悪感に従っている場合ではない。

 彼女の肩に担がれぐったりしているのは、紛れもなくサフィアだったのだ。


「まぁ、派手に壊してくれたものね。この建物、半分以上山に埋まっている状態なのよ。崩れないか不安だわ」


 リーズ達が入って来た穴を見上げながら、水の精霊は言葉とは違い、どうでも良さそうな口調で淡々と言い放つ。


「何で……」


 呆然としながらも、リーズは水の精霊に向けて掠れた声を出した。


「何で、精霊のあんたが、その子を攫う?」

「どうして、精霊のあなた達がここに?」


 しかしリーズの質問に、水の精霊は質問で返した。彼女の言う『ここ』が、人間界のことなのか、それともこの建物のことなのか瞬時に判断できなかったリーズは、そこで言葉を詰まらせた。


「まぁいいわ。どういう経緯かは知らないけれど、あなた達はこの子を取り返しに来た。その認識でいい?」


 こくりと頷くリーズとラウドを一瞥した後、水の精霊は小さく溜息をついた。


「まったく。どうして風の精霊は私の邪魔ばかりするのかしら」

「……何?」


 彼女が放った一言に、リーズは眉根を寄せる。


「邪魔? いや、俺以外の風の精霊だと?」 


 水の精霊は面倒臭そうにしばらくリーズの顔を見つめていたが、その双眸が見る見るうちに開かれていく。


「あなた、その顔……。ひょっとして、風の精霊、トルスティの血縁?」


 彼女の出した名前に、今度はリーズが目を見開いた。


「あんた、姉貴を知っているのか!?」


 声を大きくして問うリーズに、しかし水の精霊は何も答えない。彼女の青く薄い唇は、軽薄そうに端が上がっていた。


「答えろ!」


 その表情にリーズの神経は逆撫でされた。リーズの身体の周りに風が集まり始める。ラウドは風の力を使おうとしているリーズを咎めることなく、ただ金色の目で水の精霊を見据えていた。


「ん……」


 水の精霊の肩に担がれていたサフィアから小さな声が洩れたのは、その時だった。


「あら、あなたの声で目を覚ましちゃったみたいね。もう少し寝ていてくれた方が助かるのに」


 言い終える前に、水の精霊は肩に担いでいたサフィアを乱暴に地に落とす。


「うっ!?」


 突然体に走った衝撃に、サフィアは堪らず苦痛の声を洩らした。


「お前!?」


 サフィアに駆け寄ろうとするリーズを、しかし水の精霊は鋭い眼光で睨みつけた。冷気さえ感じるその視線に、リーズの足は意図せず止まってしまっていた。


「この子は、渡せないわ」 

「あ……れ? ここは? リーズ?」

「サフィア。そこを動くな。すぐアメジアの元へ帰してやる」


 リーズの姿を確認したサフィアは、自分の置かれている状況を理解しようと腕を付き、起き上がろうとしていた。リーズの腕に集まろうとする風が、彼女の白い髪を撫で、無造作に舞い上がらせていく。水の精霊は、そのサフィアの背中を片足で強く踏み付けた。


「あぐっ!?」

「――っ!」

「力を使うのを止めなさい。でないと、この子がどうなっても知らないわよ? 私は『ある人』のためにこの子を連れてきただけで、私個人としてはこの子がどうなろうとも構わないの」

「――ッ」


 水の精霊の脅しに、リーズは歯軋りしながら集めていた風を仕方なく散らした。だが、水の精霊の表情はまだ変わらない。


「あなたもよ、土の精霊」

「ちっ」


 リーズの後ろで舌打ちを洩らしながら、ラウドもいつの間にか拳に溜めていた、オレンジ色のオーラを消し去った。

 二人から精霊の力が完全に消え去ったのを確認した水の精霊は、歪んだ笑顔を作りながら、人差し指をリーズへと突き出す。

 彼女の指の先に、小さな水の玉が出現し――。

 直後。その水の玉は目にも止まらぬ速さで彼女の指先から離れ、リーズの右の太腿を貫通した。


「ぐっ――!?」


 いきなりの水の不快な感触と激痛に顔を歪め、片膝を付くリーズ。さらに水の精霊は、リーズの左腿、そして左の二の腕に水の玉を立て続けに放つ。その両方がリーズの身体を貫通した。気を失いそうな痛みに、リーズは立つこともままならず、うつ伏せに倒れこんだ。


「リーズ!」


 サフィアが悲愴な声を上げる。

 倒れた親友を横目で見ながら、ラウドは顔を歪ませ、部屋に響くほど大きな歯軋りを立てた。その金色の目は怒りで染まっている。


「さて、次はあなた――」


 そうラウドに言いかけた水の精霊の足元で。意識が自分から一瞬だけ逸れたその瞬間を見逃さず、サフィアは渾身の力を込めて身体を横に捻った。水の精霊の足は、サフィアから無機質な床へと移動する。

「――!」

「サフィア! 来るな!」


 リーズの切なる願いは、しかし少女には届かなかった。

 サフィアは脱出に成功すると、すぐにリーズの元へと走り出す。だがそれらの動作を、水の精霊がただ黙って見ているはずがなかった。

 サフィアの背に向けて指を突き出し、水の玉を出現させると――。


「させるか!」


 ラウドが水の精霊に向けて勢い良く小石を放つ。しかしその小石は、既に水の精霊の手から放たれていた水の玉の軌道を、僅かに逸らすことしかできなかった。逸れた水の玉は、サフィアの左腕を掠めて壁へと突き刺さる。


「うっ!?」


 痛みに呻きながらも、サフィアはリーズの元へ辿り着いた。そして水の精霊からリーズを庇うように、両手を広げて彼の前に立つ。彼女の空色の瞳の中に燃え盛るのは、怒りという名の炎。小さな少女は、全身から湯気を立たせんばかりに怒っていた。


「あらあら、勇ましいこと。腕から『血』が出ているというのに」

「……えっ?」


 水の精霊の指摘に声を上げると、サフィアの全身を(まと)っていた激しい怒りの気は、瞬時に霧散した。


「なっ!?」

「―――っ!?」


『それ』を見たリーズとラウドも、絶句する。

 空気が、時間が、感情が凍り、絶対零度の空間がその場を支配した。

 彼らの視線の先には、先ほど水の精霊に傷付けられてしまった、サフィアの左腕からポタポタと流れ()でる、血。

 

 その血が、彼女の血が、白かったのだ。


「あ――? え……?」


 呆然としながら、サフィアは自分から流れ出るその白い液体を、震える指先で触れる。

 彼女の奥歯は合わずカタカタと音を出し、空色の瞳は困惑と恐怖と絶望で曇っていた。

 リーズの視界の端に、部屋に積まれた無数の『白髪』の人形が映り込む。


『……あの子は、人間じゃない』


 そしてリーズの頭の中をぐるぐると駆け巡る、アメジアの言葉。

 なぜ、病気でもないサフィアをずっと家の中に閉じ込めていたのか。その意味を初めて理解したリーズの心の中は、掻き毟りたくなりそうなほどぐちゃぐちゃな感情で溢れていた。


(くそっ! 何ていう……!)

「ぁ――ぅ――」


 目の前の現実を受け入れられないのだろう。頭を抱え、喉から掠れた声を出すサフィアの瞳には、涙が溜まっていた。


「あら。もしかして、知らなかったの?」


 まるで嘲るかのように、水の精霊は歪んだ笑みをサフィアに向けながら彼女へと近付く。


「……い……や……」 


 サフィアは身体を震わせながら、小さく声を発した。


「それ以上近付くな」


 リーズは無事な右腕で這ってサフィアの隣に付くと、水の精霊を睨みつける。サフィアを、必ず連れ戻す――。アメジアとした約束が、傷付いたリーズを突き動かしていた。


「まぁ、私にはどうでも良いことだわ。さあ、早くあの人(・・・)の所へ行くわよ」


 リーズの言葉などまるで聞こえていないかと言わんばかりに、サフィアに手を差し伸べる水の精霊。しかしサフィアは頭を振ってそれを拒絶した。


「いや……いやあああああああああ!」


 絶叫するサフィアの身体から、突然強烈な風が吹き荒れた。部屋に無造作に積まれていた複数の人形達が、まるで紙屑のように(くう)を舞う。

「――っ!?」


 突如吹き荒れた風をまともにくらってしまった水の精霊は、防御する間もなく壁に強く叩きつけられた。


「なっ!? 風!?」


 ラウドは飛ばされぬように姿勢を低くし、リーズは至近距離で風を出すサフィアをただ驚愕しながら見つめていた。さらにリーズ達は、信じられぬ光景を目の当たりにする。

 サフィアの背中から大きな羽が――まるで鷹のような茶色の羽が、服を突き破り生えてきたのだ。


(サフィア!? 君は一体……!?)


 風を身体に纏い声にならぬ泣き声を上げながら、サフィアはリーズの右腕を抱え、背中の翼を羽ばたかせた。

 初めて飛び立つ雛鳥の如くふらつきながら飛ぶその姿は、酷く頼りない。しかしそれでも、サフィアはリーズを抱えたまま、リーズ達が侵入してきた頭上の穴まで舞い上がる。


「逃がすものですか!」


 水の精霊が声を荒げ、腕の太さはあろうかという水流をサフィア達に向けて放つ。しかしサフィアの身体から放たれた強列な風が水流を迎え撃ち、その水流をいとも簡単にただの水へと変えた。


「そんな!?」


 一切手加減はしていなかった。その攻撃をあっさりと防がれてしまった水の精霊は、水流を放ったままの格好で硬直した。

 サフィアは顔をぐしゃぐしゃにして泣きながら、惨めで、哀れなほど泣きながら、それでも力強く、水の精霊に向かって風の塊を放ち続けた。

 ごっ――!

 風は、水の精霊を再度強く壁に叩きつけた。その衝撃で壁はみしりと音を立て、放射状にひび割れる。

 ぐったりと壁にもたれ掛かる水の精霊に、ラウドが小石を投げ付けた。小石が水の精霊の胸を掠った直後、岩のような材質の縄が現れ、彼女の身体の自由を奪う。捕縛の魔法を使ったのだ。

 サフィアは背中の羽を懸命に羽ばたかせ、リーズの腕を引っ張りながら部屋を後にする。ラウドも無言のまま、その後に続いた。


「…………」


 水の精霊は、捕縛の魔法を解いて彼らの後を追うことはしなかった。ただ、不気味なほど妖しい笑みを浮かべながら、静かに瞼を閉じただけだった。


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