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第6話 『連れ去る者』

 ひんやりと冷たい感触に驚き、リーズは思わずピクリと身体を小さく震わせた。


「あ、痛かった? ごめんなさい」


 リーズの反応に、サフィアはピンセットで掴んでいた消毒液の染み込んだ綿を、彼の身体から即座に離した。


「あぁ、いや。大丈夫だ。冷たいからちょっとびっくりしただけ」


 軽く笑いながら、リーズはサフィアに続きを促した。

 リーズは今、サフィアの部屋で背中を出して座っていた。

 精霊にも効く傷薬が当然置いてあるはずもなく。リーズは人間が怪我をした時にする治療法、即ち消毒液をサフィアに塗ってもらっている最中だった。

『効くかわからないけど、とりあえずやるだけやってみて』とアメジアに消毒液を渡され、店番があるからと二階に追いやられたリーズは、初めて見る消毒液の使い方をサフィアに聞くしかなかったのだ。

 正直、リーズは身体を休める場所が欲しかっただけで、アメジアに言ったことは軽い冗談のつもりであった。精霊に効く薬などあるわけないとお互いにわかった上でのやり取り。うまい具合にアメジアにやられたな、と後でリーズは思った。

 再び現れた精霊に、サフィアは歓喜しながらリーズを迎え入れ、消毒液の塗布を申し出たというわけだ。

 冷たい感触のすぐ後に傷口が染みる感覚は、リーズにとって初めてのものだった。人間はなかなかに我慢強いのかもしれない、と、消毒液が塗布される度にリーズは思った。


「それにしても、どうしてこんな怪我を?」


 サフィアが背中越しにリーズに問う。聞かれるだろうなと何となく察していたリーズは、少し逡巡したのち、ゆっくりと口を開いた。


「いや、ちょっと。他の精霊と衝突しちゃって……」


 自分で傷付けたと言う気にならなかったリーズは、真実でもないが嘘でもない言い回しで明言を避けた。


「そうなんだ。精霊さんって凄い力なんだね」


 素直にリーズの言うことを信じるサフィアに、リーズは頬を掻きながら「まぁね……」と歯切れの悪い返しをすることしかできなかった。


「はい。背中は終わったよ。次は腕とお腹をやるね」


 そう言いながらリーズの正面へと回るサフィア。そして作業しやすいよう、木製の床に両膝を付けた。

 左腕の傷に消毒液を塗るサフィアを、リーズは改めてじっくりと見つめる。

 陶磁器のように白く透き通った肌は、触れれば柔らかそうだ。至近距離なせいか、白い髪から漂ってくる甘い香りが彼の鼻を(くすぐ)る。ガラス玉の如き透明な空色の瞳は、今は穏やかさで溢れていた。


『……あの子は、人間じゃない』


 アメジアの言葉が、何度もリーズの頭の中で繰り返される。


(でも、精霊とは明らかに違うし……。それじゃあ、この子は何なんだ?)


 思わずリーズは直接聞いてみたい衝動に駆られたが、アメジアはサフィア自身はその正体を知らないと言っていた。ならばそのことは口にすべきではないだろう。

 リーズがそんなことを考えていると、先ほどの消毒液とは違う感触が左腕に走った。

 冷たいけど、温かい、そして柔らかい感触――。

 リーズが今まで感じたことのないその刺激は、彼の快楽中枢を容易(たやす)く刺激した。


「うぉっ!?」


 思わず驚愕の声を上げたリーズに、サフィアは肩をびくっと震えわせながら彼から手を離す。サフィアの手には包帯が握られていた。どうやら彼女の手がリーズの腕に触れたらしい。


「ご、ごめんなさい。私、巻くのは上手くなくて――」

「い、いや。考え事をしていただけだからさ。あの、驚かせてその、わ、悪かった」


 リーズはしどろもどろになりつつ、何とか弁明する。


『人間の女の子って凄く柔らかいらしーぜ!? オレ、人間界に行ったら絶対に触ってやるんだ』


 突如リーズは、精霊界で友人が言っていた言葉を思い出す。

 リーズの親友、ラウドの言葉を。

 ラウドは、可愛いものに目がない性格だった。とりわけ女の子に反応するという、多少困った性癖の持ち主であるが、リーズにとってはその辺りは割とどうでも良いことだった。

 彼の言葉に偽りはなかったんだと一人納得するリーズは、ラウドに対して若干後ろめたさを感じていた。まさか親友の野望(?)を、思わぬ形で自分が叶えてしまうとは。

 それと同時に、この感触はやはり彼女は人間なのでは――という疑念が強くなる。人間ではないと言うのは、アメジアの妄想、もしくは変な願望に過ぎないのではないか?

 四苦八苦しながら包帯を巻く少女を、リーズは複雑な表情でただ見つめる。

 不意に、サフィアの姿に、姉の姿が重なった。


(そういえば、姉貴も不器用だったっけ)


 幼い頃転んで足を怪我をした時、姉が必死の形相で手当てをしていたことを思い出す。


『放っておけばすぐに治るよ』


 そう言って拒否するリーズを、しかし姉は一喝した。


『あんたはまだまだ、精霊力が小さいじゃない。待っていたら一週間はかかっちゃう。その間に化膿したらどうするの』

『いや、大丈夫だって――』

『化膿して、傷口がじゅくじゅくになって、ばい菌がリーズの体の中に進入しちゃって、それですっごく高い熱が出ちゃって、命に関わるようなことになったらどうするのっ。そうか、リーズは姉の悲しむ顔が見たいのね。そうなのね。ううう、お姉ちゃん泣いちゃう』


 よよよよ……とわざとらしく膝から崩れ落ちる姉を見て、リーズは溜め息を吐きながら渋々と了承したのだが――。

 姉の手当ては非常に乱暴、かつ大雑把で、リーズの傷口が逆に開いたのではないかと思うほどだった。いや、本人は終始真剣な顔だったので、単に不器用なんだということはリーズもその時にわかっていたのだが。足に巻かれた包帯はまるで毛糸の玉のようになっており、その後の数日の生活は、リーズにとって非常に辛いものであった。

 その姉を彷彿とさせるサフィアの不器用さに、リーズはそっと笑みを浮かべていた。





 傷の手当てが終わった後、夜が更けるまでリーズとサフィアの会話は続いた。とはいっても、会話の内容の九割は、精霊界に関することであったが。

 サフィアが精霊界について尋ね、リーズが答える。ほとんどそれの繰り返しだった。

 もちろんリーズが喋ったのは、リーズの周りの精霊関係など、人間が知っても問題ないことばかりだ。精霊界の機密に関することを喋ったのがばれてしまったら、さすがに命の保証はないだろう。

 聞き疲れたのか、ベッドの中で蹲るサフィア。その傍らでリーズは椅子に座ったまま窓の外に視線をやり、紺の空の中で瞬いている星をぼんやりと見つめる。

 精霊界とは違う色の空。しかし、この人間界の空もなかなかに美しい。

 精霊界――。

 その単語を引き金に、リーズの胸中に様々な想いが駆け巡る。

 なぜ、精霊王は突如姉の捜索を打ち切ったのだろうか。面会が叶わなかった王。何かを隠している気がしてならない。しかし精霊王の真意を探ろうにも、自分から精霊界を出てきてしまった以上、それは無理な話だ。

 リーズはひとまず、精霊王のことは頭の隅に無理やり押しやった。今考えなければならないのは、明日のことだ。


(ラウドが吹っ飛んで行ったのは西の方角。でも、今頃は血眼になって俺を探しに海に戻っているだろうから、港へ行くのは得策じゃないな。明日は北の方角で姉貴の気配を探るか)


 心の中で明日の予定を組んだリーズは、サフィアの髪にそっと手を伸ばし、撫でた。

 少女のさらさらとした髪はリーズの指を通り抜け、ひと時の心地良い感触をもたらす。

 サフィアと会話をしてリーズが感じたことは、彼女は見た目よりずっと言動が幼い――ということだった。

 本は沢山読んでいるらしく、知識はある。だが家の中に閉じこもり、他人と一切接触していない生活が、彼女の人格形成に影響を与えているであろうことはすぐにわかった。

 そして何より、サフィアが語った自身についてのこと。それが彼女の言動の幼さの大きな要因となっているのを、リーズは感じていた。


『私ね、記憶喪失だったの。気付いたら、薄暗い場所に座り込んでいた。自分が誰で、どこにいて、誰とどういうふうに過ごしていたのか、本当に何も覚えていなくて。でも不安で怯える私を、アメジアが優しく抱き締めてくれた……。そしてここで暮らすことになったの。すぐに私が病気に侵されていることがわかったけれど、アメジアは私のために毎日尽くしてくれている。アメジアは私を外に出せないのを申し訳ないって言うけれどね、私、本当にアメジアには感謝しているの』


 髪を撫でるリーズの手をむずがるようにして、サフィアは寝返りをうつ。リーズはそれを軽く笑いながら静かに見守る。そして、両腕に不恰好に巻かれた包帯に目を落とした。

 霊力の回復したリーズの身体からは、既に傷は消え去っていた。でもこの包帯を解いてしまうのが、何となく勿体ないと思ってしまったのだ。


(人間って、不思議だな……)


 精霊界で学ぶのは自然のことばかりで、人間については何ひとつ教わらない。

 姿を見せぬ相手のことを詳しく知っても意味がないと言えばそれまでだが、それに関してリーズの心の中に、釈然としないものが芽生え始めていた。


(ま、考えても仕方がない。俺が今やっていることは違法でしかないわけだが、それが他の奴らに知られることはないだろ)


 精霊は人間のことに関しては、基本的に無関心だ。中にはラウドのような例外もいるにはいるのだが、それはラウドがイレギュラーなだけで決して普通ではない。

 リーズの目論見通り、この場所が他の精霊にばれることはないだろう。しかし、リーズの心を漠然とした不安が侵食し始めていた。法を犯して人間と触れ合っている後ろめたさとは違う、もっと例えようのないもの。その不安の正体を突き止める前に、リーズはあることに気付いた。


「アメジアは何やってんだ?」


 既に夜の(とばり)は落ち、薬屋はとっくに閉店している時間だ。しかも彼女は、夕食も食べていた様子はない。

 ――いや、もしかしたら夜間も開けているのか?

 リーズはそう思いながら、サフィアを起こさぬように静かにドアを開け、階下へ向かう。

 ほどなくしてリーズが眉間に小さな皺を寄せたのは、薬屋独特の匂いのせいではなかった。

 階段を下りきったリーズの目に飛び込んで来たのは、カウンターの隅で透明な液体の入った小瓶を、大きな鞄に一心不乱に詰めているアメジアの姿だった。その様子があまりにも真剣だったので、リーズは多少面食らってしまったのだ。


「何やってんだ? 手伝おうか?」


 大事な閉店作業の一つだと判断したリーズはそうアメジアに話し掛けるが、次の瞬間、ぎょっとして固まってしまった。

 アメジアが今にも泣き出してしまいそうな、あまりにも悲愴な顔をリーズに向けたからだ。


「早く……早くここから逃げないと……あの子が……」


 そう言いながら、彼女は尚も小瓶を鞄に詰め続ける。


「え? どうしたんだ一体?」

「説明している暇は――。とにかく、日が昇る前にここを――」


 ガシャンッ!

 アメジアの言葉を遮るように、突如二階から窓ガラスの割れる甲高い音が響いた。


「――っ!?」


 その音を聞いたアメジアの顔が、瞬く間に蒼白く変化する。次の瞬間、疾風の如き速さで階段を駆け上がって行った。リーズも慌ててその後を追う。

 サフィアの部屋のドアを勢い良く開けたアメジアは、ペタリとその場で腰を抜かしてしまった。


「……あ……」


 無残に割れた窓ガラス。カーテンだけが虚しく風に靡いている。そしてベッドの中で寝ているはずのサフィアの姿は、そこにはなかった。部屋はもぬけの殻となっていたのだ。


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