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第4話 『親友』

           ※※※



 ――また、ダメだった。

「失敗作」を部屋の隅に優しく置いた後、男は小さく溜息を吐いた。しかし今までと比べると、今回の物はかなり進歩した方だ。部屋に積み上げられたこれまでの「失敗作」を、愛おしげに優しく見つめながら、男はそう思った。

 これを始めて、一体何年経ったのだろうか。二十を過ぎた辺りから、男は数えるのをやめていた。

 期間など、時間など、そんなことはどうでも良かったのだ。

 ただ、これを完成させること――。それが出来さえすれば、費やした時間なんてものは男にとって些事でしかない。

 男は踵を返し、「失敗作」の転がる部屋を後にした。男の顔には、疲れや諦めといったマイナスの類は一切浮かんでいない。優しく穏やかな表情には、ただ希望のみがその皺に刻まれていた。


           ※※※





「さて……。どうしたもんかな」


 勢いでやって来たはいいものの、どのようにして姉を捜索するのか全く考えていなかったリーズは、街の中心部の噴水広場の真ん中でただ立ち尽くしていた。

 白を貴重とした噴水の中央には、魚をモチーフにした銅像が、空に向かって跳ねるように佇んでいる。この噴水は、街の人間の待ち合わせ場所として利用されているらしい。何人もの人間が、落ち着きながら、或いはそわそわしながら、それぞれの待ち人を待っていた。

 露天商が並び、大勢の人間が行き交う賑やかな広場。しかしその中の誰一人として、リーズの姿に気付く者はいない。これが本来の人間と精霊の距離なのだ。

 人間は精霊の存在に決して気付かず、そして精霊もまた、人間には決して姿を見せることはない。太古より繰り返されていたその関係を、しかしリーズは先ほどあっさりと破ってしまった。

『その猪突猛進ぶりをもう少し何とかしたら、お前もすぐに星の元へと行けるだろうに』とは、他の精霊達のリーズに対する評価だ。

 そんな他人からの評価を知ってか知らずか、リーズは何の計画も立てずにここまでやって来てしまったことを、今さらながら後悔していた。


「とにかく、他の精霊に見つからないようにしないと……」


 選ばれた精霊でもないリーズが、人間界にいることを他の精霊にもし知られてしまったら――。

 結果はおのずと知れた。間違いなく、リーズは強制的に精霊界へと戻されてしまうだろう。そうなれば彼の本懐は遂げられることはなく、半永久的に姉の行方はわからぬままになってしまう。それは絶対に避けたいと、リーズはかぶりを振った。


「他の精霊から話を聞くっていうのは絶対に無理だし。そうすると、姉貴の気配を虱潰しに探していく他ないか……」


 これから自分がやろうとしているのは途方もないことだ、と自覚したリーズの口から、重い溜息が吐き出される。


「まぁ、いきなり姉貴の担当地域に当たっただけでも、ラッキーと思わなきゃな。まずはどこから探そうか」


 周りをキョロキョロと見回し、近くに自分以外の精霊がいないことを確認すると、リーズは静かに目を閉じた。

 ――ふわり。

 一呼吸置いた後リーズの足が地から浮き、彼の身体は徐々に空へと昇って行った。毛艶の良い馬のような尻尾が風に遊ばれ、優雅に(なび)く。


「来た時はいきなりすぎてこっちの空気を全然読めていなかったけれど……。うん、慣れれば精霊界と大差無いな。風の力を使わなくても、問題なく飛べそうだ」


 リーズの足元から次第に遠ざかる、オレンジ色の屋根が連なる町並み。

 太陽の光を反射し、目に眩い屋根達から視線を逸らしたその先には、孤島の点在する穏やかな海が広がっていた。


「確か……、東が海で北が砂漠、西が山脈って言ってたっけ」


 アメジアの説明を思い出し、東西南北を把握したリーズは視線を足元へやる。下を見れば地上を歩く人間の姿は、既に蟻ほどの大きさにまでなっていた。


「まずは海から見て回るか。遮るものがないから、気配も捜しやすそうだしな」


 そう呟き、静かに海上まで移動した直後――。リーズは背後に、自分と同じ『風』の気配を感じた。


(もしかして、風の精霊か!?)


 焦りながら慌てて首を捻る。しかし、そこには風の精霊の姿はなかった。一羽のカモメが風に乗り、優雅に彼を追い越して行く。


「なんだ……鳥か……」


 リーズは心の底から安堵の息を吐いた。同時に彼はあることを思い出す。非常に微力だが、人間以外の動植物には、基本的に属性が備わっている、ということを。

 ほとんどの鳥は『風』の属性をその体に宿している。先ほどリーズが感じたあの気配は、間違いなくあのカモメのものだろう。しかしそうなると、益々姉の気配を探すのは難儀しそうだ。

 リーズが思わず眉間に皺を寄せた、その時だった。


「見つけた」


 突如リーズの上空から、低い声が降って沸いた。


「――!?」


 リーズは反射的にその声のした方へ顔を向け、そして――。


「がっ!?」


 目を見開き、苦痛の声を漏らした。

 その理由は、彼の鳩尾にくい込んだ、拳より一回り小さな石。

 リーズは激痛をもたらしたその石を掴むと、海に向かって即座に放り捨てる。そして片方の手で腹を擦りながら、視線を上へと向けた。苦笑と悔しさの入り混じった、複雑な表情を顔に浮かべて。

 リーズの視線の先には、空に浮かぶ一人の精霊。その顔は逆光でよく見えなかったが、リーズはそれが誰なのか、瞬時に理解した。


「もしかしなくても、俺を追って来たのか。ばれるの早すぎんだろ。しかも――」


 その精霊は獅子のような尻尾を風に揺らめかせながら、ゆっくりとリーズの元へ下りてくる。


「よりによってお前かよ、ラウド……」  

「…………」


 ラウドと呼ばれた精霊は、返事をすることなく、ただ金色(こんじき)の瞳に鋭い感情を湛えていた。乱雑に短く切り揃えた茶色の髪の男。左頬に浮き上がるのは、虎を彷彿とさせる模様。それは、土の精霊の証。その模様は、彼の鋭い眼光をいっそう際立たせていた。


「オレは、精霊王様からの命令を受けてやって来た。何しに来たかわかるな?」


 抑揚のない声で、ラウドはリーズに問い掛ける。


「あぁ、俺を連れ戻しに来たんだろ?」

「だったら話は早い。帰るぞ」

「それはできない」

「…………」


 (かぶり)を振るリーズを、ラウドは表情なくただ見つめるばかり。


「精霊王様には悪いが、色々と思うところがあって俺は自ら姉貴を探しに来た。本人を見つけられなくてもいい。小さな手掛かりだけでも欲しいんだ。少しの間だけでいい。今は見逃してくれないか? 幼馴染のよしみで、さ」


 リーズの切なる頼みに、しかしラウドは僅かに顔を歪めただけだった。 


「幼馴染だから、お前を良く知っているから、オレがお前を連れ帰るようにと命令がきたんだよ――」


 喉から吐き出すようにして出たラウドの言葉は、抜けるような青空に包まれ、溶けていく。

 風の精霊と土の精霊。

 相性の良いとは言えない属性同士であるが故に、幼い頃からそれなりに喧嘩や衝突も繰り返してきた。しかし、それでもラウドはリーズにとって唯一無二の、親友と呼べる存在だ。 


「正直、オレだってお前の気持ちは理解できる。むしろ一緒になってお前の姉ちゃんを探してやりたいくらいだ。でも……」


 精霊王の命令は絶対――。

 俯き、言葉を途切らせたラウドの態度は、リーズの心を乱すには十分だった。

 ラウドはリーズの幼馴染。それゆえ、リーズの姉とも幼い頃からの顔見知りだ。姉の仕掛ける悪戯を共に受け、時に共に反撃したりもしていた。それにラウドは、普段お調子者と呼ばれているほど、明るく能天気な性格だ。その彼のこんなに沈んだ表情を、態度を、リーズは見たことがなかったからだ。

 リーズの脳裏に、一瞬だけ「精霊界に帰る」という選択肢がよぎる。だが今帰ったところで、結局悶々とした日々を送ることになるだろう未来を瞬時に想像し、リーズはその選択肢を即座に脳内から消し去った。

 何より、人間界に来てまだ何もしていないのだ。法を犯してまでやって来て、ここでおめおめと帰るわけにはいかなかった。


「お前には、本当に悪いけど、俺は――」


 リーズは悲愴な面持ちでラウドを見据えた。そのリーズの言葉を最後まで待たずして、ラウドもまた、似たような表情でリーズを見つめ返す。


「やっぱり説得は無理か……」


 まるで最初からわかっていたかのように、ラウドは苦笑しながら諦めの言葉を吐いた。


「お前の決意が変わらないのなら、方法は一つしかない。――実力行使だ」


 ラウドの金色の瞳が妖しく光る。それと同時に、ラウドの両拳に黄土色のオーラが(まと)わり始めた。


「ちょ、ちょっと待て! お前人間界で勝手に精霊の力を使うなんて何を考えてるんだ! 違法だろ!」


 人間界に来て早々、風の力を使ってしまった自分のことは棚に上げ、リーズはラウドを非難する。

 基本的に精霊は、人間界で勝手に精霊の力を使うことは禁止されている。自然の流れに影響を及ぼしてしまうからだ。


「大丈夫だ。それに関しては精霊王様から許可が出ている。『手段は問わない、何としてでも、精霊の力を使ってでも連れ戻せ』ってな」

「マジかよ!?」


 ラウドの返答に、リーズはただ驚愕した。


(そこまでして俺を連れ戻そうと――!?)


 改めて自分のやってしまったことの重大さを知ったリーズだったが、反省している暇は彼に与えられなかった。


「痛いのは一瞬だけだから、そこを動くなよ!」


 ラウドはリーズに跳びかかると、黄土色に染まった右の拳を、リーズの鳩尾目掛けておもいっきり繰り出した。 


「そんなことを言われて素直に『はい、そうします』なんてできるか!」


 リーズは慌てて後ろに下がり、ラウドから間合いを取る。しかしラウドはすぐさま距離を詰め、今度は左の拳をリーズの顔面に向け――。


「――と見せかけてこれはフェイクだったり」

「――――っ!?」


 眼前で突然にまりと笑ったラウドに、リーズが目を見開いた瞬間。

 突如リーズの腹から、岩のような材質の太い縄が出現した。その岩状の縄は、リーズの腕と身体をガッチリと包み込み固定する。


「これは! しまった、捕縛用の魔法か!」


 リーズは何とか抜け出そうと身体を捩らせるが、全く動くことができない。冷たい岩の感触が、リーズを包み込み続ける。


「しょっぱなでぶつけた小石が、マーキングの替わりだったというわけだ。やっぱりお前には手荒な真似はしたくないしな……」

「…………」

「さぁ、帰るぞ。さっさと謝ればきっと精霊王様も――」

「ラウド。お前には悪いけど、やはり俺はまだ帰るわけにはいかない」


 先ほどよりも強い決意を瞳に湛え、リーズはラウドに否定の言葉をはっきりと告げる。

次の瞬間、リーズの全身を包むように、荒々しい風が集まり始めた。


「なっ!?」

「そっちが手段を問わずに俺を連れ戻そうとするなら、俺だって手段を問わない。既に法を犯してここまで来たんだ。絶対に姉貴を探す」


 低い声で静かに言うリーズの身体には、最早ラウドが近付くことすらままならないほどの風が吹き荒れていた。


「馬鹿かお前!? そんなことをしたら……!」

「馬鹿なのは、充分すぎるほど承知しているさ」


 リーズが口の端に自嘲の笑みを浮かべたのは、ほんの一瞬だった。


「でも! 姉貴のことが何もわからないまま精霊界で過ごすのは、親父もお袋も俺も、もう我慢できないんだよ!」


 腹の底から咆哮するリーズに呼応するかのように、さらに強い風が二人の身体を叩きつける。突然上空で吹き荒れ始めた尋常でない風に、街の人間が何人か気付き始めていた。


「そこまでやったら、他の精霊が気付いてこっちに来るぞ!?」


 もはやリーズの耳には、ラウドのその言葉も届かない。


「風よ! 汝の鋭き力を、我の元に!」 

 力強く叫んだリーズに、風が応えた。空を切り裂くのは、雷かと思うような轟音と、凄まじい威力の風。


「――ッ!」


 吹き飛ばされまいと両腕を顔の前にやり踏ん張るラウドは、次の瞬間目を見開き戦慄した。

 ガガガガガガッ!

 硬い物を引っ掻く不快な音の根源は、リーズの身体からだった。鎌(いたち)のように鋭く荒々しい風が、捕縛用の岩を削り取っていたのだ。

 ――リーズの身体もろとも。


「ぐぅぅうううううッ!」


 無数の血を風で飛ばしながら、リーズは歯を強く食い縛り、獣のような唸り声を上げ風の刃に耐えていた。


「お前っ!? 本当に何を考えてるんだ! 死んだら元も子も――」


 ガキィンッ!

 捕縛用の岩が断ち切れる音が、ラウドの声に重なるようにして響く。

 息を荒げながらも、リーズは己の血飛沫で汚れた顔に笑みを広げ、自由になった両手をラウドへと突き出した。


「悪いな、ラウド……」


 リーズの周囲で吹き荒れていた風が、一点に集まり始める。リーズの両手に。


「――――!」 


 リーズが何をしようとしているのか察したラウドは慌てて構えを取るが、既に遅かった。


「風よ! 汝の猛々しさを突風に!」


 ごぉぅんっ!

 砲撃の如き爆音と共に、リーズの両手から暴風が放たれた。容赦なく身体を叩きつける風にラウドは成す術もなく、西の方角へと勢い良く吹き飛ばされる。そしてそれを放ったリーズも、姿勢を崩しながら後ろへと大きく吹き飛んだ。


(しまった。派手にやり過ぎた……。意識が――)


 朦朧とする意識のまま、リーズは(きり)揉みしながら海面へと落下した。


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