第19話 『衝突2』
アルラズの藍色の髪は透明な水色に変色し、両の腕からは魚のヒレのような物が生えている。頬には曲線が複雑に入り混じった幾何学模様の、刺青のようなものが現れていた。それは死者を誘う灯りの如く、仄かに青白く発光している。
細くはないが、決して体格が良いとは言えなかったアルラズの身体。しかし今の彼は、腕も胸も、精錬された筋肉で形成されていた。
「体の奥底から力が溢れてくるようだ。なかなかどうしてウィーネ、素晴らしい力を持っていたんじゃないか」
僕が君の力を有効に使ってあげるよ。そう笑いを洩らしながら、変化したばかりの身体の感触を確かめるように、アルラズは手を握ったり閉じたりしていた。
「ただの人間が、精霊の力を取り込んだところで操れるわけがないだろ」
リーズが皮肉たっぷりにアルラズに言うが、彼の額にはその言葉使いとは裏腹に、じっとりと脂汗が浮かんでいた。
(こいつ精霊の力の源を――『核』を飲み込みやがった。何てことを!)
精霊の体内には、『核』と呼ばれる物が存在していた。それこそが、精霊を精霊たらしめる源。
「君の言うとおり、確かに僕は人間だ」
「だろ? 降参するなら今のうちだ」
「でもね、この七年間、僕は人口生命体を探し回っていただけじゃないんだよ」
「――――!?」
「脚を作るだけでは意味がない。いずれ移植しないといけないからね。その時に拒否反応を起こしてしまうことの無いように、自分の体を色々といじってみたんだ」
「……移植?」
アルラズの脚が義足だということを知らないリーズとサフィアは、彼の言葉に眉根を寄せる。
「あぁ、君達には言っていなかったっけ。同じことを説明するのも面倒だし、知らなくていいよ」
笑顔を崩さぬまま、アルラズは首を傾げた。
「知ったところで、どうせすぐにこの世界からいなくなるんだし」
ダンッ!
言い終わると同時に、アルラズは両腕を勢い良く地に向かって振り下ろす。その瞬間、彼の身体はまるでバネのように空に跳んだ。
「なっ――!? 腕の力だけで!?」
常人では考えられない身体能力に、リーズは思わず驚愕の声を洩らす。
アルラズは空中で再び腕を高く振り上げると、リーズに向かってその腕を振り下ろしながら落下する。
リーズは両腕を頭の上で十字に組み、風を宿らせてアルラズのその攻撃を防ごうとした。
だが――。
「ダメ! 避けて!」
悲鳴に近いサフィアの叫び声に咄嗟に従い、リーズは横へと跳んだ。その直後。
アルラズの振り下ろした拳が、リーズの立っていた場所を轟音と共に抉った。その割れた床からは土が剥き出しになり、室内に山の香りが広がった。
「なんつー馬鹿力だ!」
絶大な威力の攻撃に、リーズは思わず声を上げる。サフィアの言う通り避けていなければ、リーズの腕は確実に折られていただろう。いや、最悪切り離されていたかもしれない。リーズの額に冷や汗が流れる。
リーズは無残な姿になってしまった床を、横目でチラリと見ながら逡巡する。
水の精霊には、こんな力は備わっていないはずだ。精霊の中で一番力があるのは土の精霊だが、彼らでも拳に土の力を宿らせないと、ここまでのことはできない。つまりこれは、アルラズ個人が元から持っていたということになる。
「体をいじった、か……。とんでもないことをする人間だな」
奥歯を食い縛り慄くリーズに、既に体勢を整えていたアルラズが指の先から水の玉を出現させる。
(あれは――!)
忘れるはずがない。昨日自身を貫いた、ウィーネと同じ攻撃方法だ。本能的に危険を察知したリーズは瞬時に風を全身に纏い、上に舞い上がる。
直後、矢のように鋭く放たれた水の玉が、リーズが立っていた足元を貫通した。
「癒しの風よ!」
サフィアの高い声が響く。彼女の頭上に緑色の球体が現れると、サフィアはすぐさま腕を振ってその球体を操り、アルラズの頭上へと移動させる。
「弾けてっ」
彼女の声に呼応して、その球体は大きな破裂音と共に霧散した。破裂した球体からは雪のようなキラキラと光る小さな結晶が出て、アルラズの全身に降りかかる。
サフィアが使ったのは眠りの魔法だった。結晶に触れればどんな生物でも瞬く間に眠りに落ちてしまう効果があるのだが――。
「寝る時間にはまだ早すぎるね」
アルラズは落ち着き払った態度でそう言うと、自身を水流で覆いあっさりと結晶から身を守る。
「なっ!?」
「できれば君の身体は傷付けたくないんだ。おとなしくしてもらえないかな?」
「――――!」
アルラズは瞬時にサフィアの真後ろまで移動すると、懐から取り出した白い布を彼女の口元に当てる。刹那、サフィアの瞳から生気が消え、身体は無機質な床に崩れ落ちた。
「サフィア!」
慌ててサフィアの前に下降するリーズの前に、アルラズが立ち塞がる。
「心配は無用だ。アメジアと同じく眠ってもらっただけだよ」
そして頬を歪に吊り上げながら彼は続けた。
「君が居なくなりさえすれば、この人口生命体は僕の物になるんだ。僕のものにしなければならない。僕だけのものに――」
まるで何かにとり憑かれたかのように、アルラズは同じフレーズを繰り返す。彼の異様な雰囲気を全身で感じ取ったリーズの全身に鳥肌が広がり、尻尾が逆立った。
「だから、邪魔者は消えてもらう」
憎々しげに吐き捨てるアルラズの両腕から、勢い良く水が伸びる。それはうねりながら大きな鎌へと形態を変えた。
即座にアルラズは腕を横に振るい、その水の鎌でリーズの心臓目掛けて斬りかかる。だがリーズは身体を捻り、何とかギリギリでそれをかわした。
「ぐっ――!?」
しかし、リーズは呻き声を洩らす。彼の左肩から右の脇腹までが、ばっさりと斬られていたのだ。今のアルラズの攻撃は、間違いなく避けたはずだったのに。
傷口からうっすらと血が滲み始めるが、幸いなことに傷は浅い。それでもヒリヒリとした痛みが、絶えることなくリーズの脳に訴えかけてくる。
アルラズは追い討ちを掛けるかのように、さらにリーズへと追撃をする。今度は下から上へと腕を薙いだ。
「風よ!」
叫ぶリーズの身体に風が集まる。強風で狙いが外れ、アルラズの水の鎌はリーズの左脇へと大きく逸れる。
だが――。
腕一本分の距離が開いていたはずなのに、リーズの左頬に走るのは斬られたような鋭い感覚。間を置かず、彼の頬に血でできた赤い線が浮かび上がった。
(避けたはずなのに、何でだ!?)
リーズは逃げるように空に浮かび、アルラズと距離を取る。
またアルラズが腕を横に振るった。どう考えてもその攻撃は、リーズに届く距離ではない。だがアルラズの表情に迷いはなかった。
刹那、リーズの右腕から飛び散る鮮血。
「――!」
リーズはそこでやっと理解した。水の鎌はアルラズが腕を振った瞬間、鞭のように伸びていたのだと。水の鎌が透明に近いので、視認できていなかったのだ。
ならばと、リーズは風を両腕に纏わせてアルラズの真上から彼の懐に飛び込み、接近戦を試みる。上から下一直線に腕を振り、風の刃でアルラズに斬りかかる。
だが即座に水が集まり、リーズの斬撃を受け止めた。
「ちっ」
思わず舌打ちするリーズの顎に向けて、アルラズはアッパーを繰り出した。
「――――ッ!」
その拳はリーズの顎を直撃する。衝撃の瞬間リーズは風を集めて何とか威力は軽減させたものの、強力なその一撃は、リーズの頭をふらつかせるには充分だった。
近付けば豪腕が襲い掛かり、離れても不可視の刃で斬られる。
リーズは懸命に頭の中でアルラズの攻撃の対処方を見つけようとするが、朦朧とする思考と焦る心が邪魔をする。
再度アルラズは床を蹴る。リーズとの距離を詰めながら、またしても水の鎌を振るった。
リーズは横に転がり、何とかその一撃をやり過ごす。
(水の力を使いこなしすぎだろこの人間!?)
先ほど取り込んだばかりの水の力を、いきなり自由自在に操ってみせるアルラズ。まさか取り込まれたウィーネが、アルラズの中から手助けをしているとでもいうのだろうか。
冷静に考えたら、それはありえないことだ。アルラズが取り込んだのは、精霊の力としての『核』のみ。そこにウィーネの『意識』はない。魂そのものを取り込んだわけではないのだ。だが、姉の魂を抜き取った水の精霊のことだ。ありえないことも、やってのけそうだとリーズは思った。
そんなどうでも良いことは頭の中に浮かんでくるのに、アルラズの攻撃の対処方はまったく浮かんではこない。リーズは思わず苦笑する。
わかるわけがない。他の精霊に襲われた時の対処方など、精霊界で教わるわけではないのだから。
「考えるのは、やめだ」
床から立ち上がりながら、リーズは口の中だけで呟いた。
考えるより、まず行動。それがリーズのリーズたる所以。猪突猛進と他の精霊達に揶揄されようとも、それが彼のやり方だ。
「たとえこの身がボロボロになろうとも、お前には絶対にサフィアを渡さない!」
風の精霊が吼えた。
彼の雄叫びに呼応するかのように、風は渦を巻きながらリーズの身体へと集まっていく。
それはまるで、風の鎧。
風を全身に纏ったリーズは、半ばヤケクソ気味にアルラズに向かって突っ込んで行く。
強く握られたリーズの右の拳で、風が唸り声を上げている。
アルラズは向かい来るリーズに向けて、掌低突きを繰り出す体勢を取った。
今の両者の間には、戦略という言葉などない。どちらの攻撃が強力なのか、そうでないのか。
至ってシンプルで、わかりやすいもの。
二人の距離が詰まった。
攻撃を繰り出すべく、どちらも腕を後ろに引いた。
両者のその攻撃は、しかし互いの身体上でインパクトの瞬間を迎えることはなかった。
獅子のような尻尾を持つ、リーズの親友。土の精霊が二人の間に割って入ったからだ。
「ラウド!?」
二人の拳は、ラウドが作り出した巨大な岩の盾が受け止めた。生み出されたばかりの岩の盾は両側からの衝撃に耐え切れなかったのか、瞬く間に崩れ去り、早々と役目を終えて消え去っていく。
突然現れた土の精霊に、アルラズは眉根を寄せ、好奇と嫌悪の混じった複雑な表情を向けている。
「戻ってきたのは良いけれど、どうして邪魔を!? ていうか、いきなり真ん前に出てくるな! 危ないだろ!」
リーズが抗議の声を上げるが、ラウドはそれに応酬する素振りをみせない。険しい顔をリーズに向けるばかりだった。
「……オレだけじゃ、ないんだ」
「え?」
ラウドの言葉に首を傾げたその時、リーズの背後から声がした。
「ラウド。案内、ご苦労であった」
低く落ち着いたその声は、リーズの顔を強張らせ、全身を硬直させるには充分すぎた。
なぜ、『彼』がここに居るのか?
リーズの頭の中は、一瞬で混乱状態になる。
リーズは錆びた歯車を無理矢理回すように、ゆっくりと声のした方へ首を捻る。
威厳溢れる佇まいでリーズの後ろに立っていたのは、ウィーネの父親――精霊王エンシオだった。




