第17話 『行方』
別室に連れて行かれたリーズとサフィアは、にこやかに笑う水の精霊と対峙していた。
その部屋は、昨晩二人がウィーネに襲われた部屋らしい。天井に大きな穴が空いたままになっており、幾つもの女の子の人形も散乱したままになっていた。その人形達は、言うなればサフィアの前身。リーズは無残に散乱するそれらから、意図的に目を逸らした。
「あなた達が散らかしたんだし、片付けるのを手伝ってくれる?」
「姉貴について、知っていることがあるなら喋れ」
リーズはウィーネの言葉を無視し、問い掛ける。彼はウィーネに会ったら、真っ先に姉のことを聞くつもりだったのだ。
そんなリーズの台詞にウィーネは少し驚いていたが、やがて水面の様な髪を指でいじりながら静かに口を開いた。
「なぜ、選ばれた精霊でもないあなたが人間界にいるかと思ったら、わざわざお姉さんを探しに来たってわけね。美しい姉弟愛ね」
ウィーネはくすくすと嘲る様に笑うと、いじっていた髪をピンと指で弾いた。
「答えろ」
怒気が篭ったリーズの低い声。しかしウィーネは動じない。
「お姉さんの行方はよく知っているわ。ちゃんと見届けたから」
「見届けたって何だ? いいからさっさと吐け」
強く握られたリーズの拳は震えていた。今にも殴りかかってしまいそうな衝動を必死で抑えていたからだ。
「あなたわからないの? 弟なのでしょう?」
ウィーネはそんなリーズを見ながら、蛇のような目つきで挑発的に言う。その言い回しにリーズは激昂しそうになるが何とか耐えた。そもそもそんなことを言われても、リーズは答えようがない。わからないからこの水の精霊に聞いているのだ。
ウィーネは反応を見せないリーズにやれやれとわざとらしく肩を竦めると、至極軽い口調で告げた。
「あなたの隣にいるじゃない」
時が、止まった――。
いや、現実にはそんなことはありえない。そう錯覚してしまうほどの衝撃が、リーズの、そしてサフィアの全身を打ち抜いたのだ。
「そんな、はずは……。だって、彼女は――」
リーズの声は掠れ、握っていた拳は緩み、指先まで震え出す。
リーズもそれは全く考えなかったわけではない。可能性の一つとして考えたことはあった。だが、姉の気配とあまりにも違いすぎたのだ。
……サフィアは。
精霊の気配というものは、人間の指紋のようなものだ。個々に違うもので、絶対に誤魔化せるものではない。だからこそリーズは、一度捨てた可能性を拾うことはなかったのだ。
リーズはゆっくり、ゆっくりと、サフィアへと振り返る。サフィアは驚愕のあまり、瞬き一つできないでいた。
「その子は人口生命体。それは揺ぎない事実よ。でもね、どんなに人間そっくりなものができ上がっても、『中身』がないとそれはただの人形でしかないの」
リーズの耳の毛が逆立った。今ウィーネが言ったことと全く同じ台詞を、昨日アメジアは言っていた。人形を動かすためには魂が必要だと。しかしサフィアを動かすための魂は、鷹のものであるはずだ。今朝まで背中にあった、あの茶色の羽。風の精霊にはあんな羽はない。
「サフィアは……鷹の魂で――」
「それも間違っていないわ」
ウィーネは相変わらず余裕の表情を崩さない。しかしその返答を聞いたリーズは、混乱するばかりだった。
「お前の言っている意味が、わからない」
「その子を創ったお爺さんは人口生命体に鷹の魂を入れた。でも、所詮は鷹。人間の身体を動かすほど精密な制御ができなくて、お爺さんは苦労していたわ。でも、お爺さんはどうしても人間の魂を使うことだけはしたくなかったみたい。まぁ当然よね。他人の魂を抜くなんてことをしたら、殺人になっちゃうもの。だからね、私が提案してあげたの」
そこでウィーネは長い睫毛を伏せた。
「精霊を使ってみたらどう? ってね」
リーズの全身から血の気が引いた。水の精霊は、不気味に大きく口を吊り上げながら続ける。まるで奈落への案内人のようだった。
「精霊なら人間に馴染みがないし、罪の意識も軽くなるんじゃないかと思ってね。最初は戸惑っていたお爺さんだったけれど、最終的には私の提案を受け入れたの。アルラズが尊敬している先生みたいだったから、私もお手伝いしてあげたくなったのよ。全てはアルラズのためよ」
「そんなこと……そんなわけが……」
「いい加減信じなさいよ。あなたも見たでしょ? その子の風を操る能力を。鷹だけじゃあんな精彩に操れないわよ」
ウィーネの言葉に、リーズの額から嫌な汗が滲み出る。
確かにサフィアは、強力な風を操った。それが風の精霊としての姉の力だったのだと言われたら、理解はできる。理解はできるが――。だが到底、納得できるものではなかった。
探していた姉が全く別の存在になってしまっていた、などと言われても、すぐさま納得できるはずがない。
リーズの頭の中も心も、ぐちゃぐちゃとしたもので溢れ返っていた。意味もなく、叫んでしまいたかった。それでも彼が奇声は発しなかったのは、ブロルが言っていたあることを、突然思い出したからだ。
『自然の力が崩れていたんだ』
崩れていた水と風の力。
水と、風。ウィーネと、トルスティ。
強い力が働いた形跡。
リーズの頭の中で、点と点が結ばれた。崩れてしまった自然の力。それは魂を抜かれまいと、トルスティが懸命にウィーネに抵抗した傷跡だったのではないか、と。
「私……私が……リーズの……?」
それまで呆然としていたサフィアが、細い声で呟く。
「私は人間じゃなくて、人の手で創られた存在で――。でも、本当はリーズのお姉さん?」
「サフィア……」
「わからない、もうわからないよ。私は何なの? 私って存在は、一体何なの?」
サフィアは頭を抱え、目に涙を溜めながらペタリとその場にへたり込んだ。人口生命体の少女は、自身を構成する命の複雑さを知り、耐え切れなくなったのだ。
リーズはサフィアのその様子を見ながら、ギリッと歯を強く食い縛る。
「姉貴を、元に戻すことはできるのか」
心の隅に浮かんだ小さな希望の有無を、水の精霊に尋ねる。彼が喉から絞り出したその声は、掠れて今にも消えてしまいそうなものだった。
「私にはわからないわ。でも一度融合しちゃった魂を分離するだなんて、普通は無理なんじゃない? あなたは作ったスープから、調味料だけを取り出すなんてこと、できるのかしら?」
「――!」
あっさりと言い放たれたウィーネの台詞は、しかしリーズの心を絶望で染めるには充分だった。小さな希望は煌く間も与えられず消滅した。リーズはただ項垂れることしかできない。胸の中に広がる空虚さに耐え切れず、今にも膝を折りそうになっていた。
ウィーネはリーズの様子など一顧だにせず、水色の腕をサフィアに伸ばしながら続けた。
「その子の中に、あなたのお姉さんの魂があるとかどうでもいいの。ただ、アルラズはその子を欲している。だから渡しなさい」
「……断る」
リーズのその声は掠れ、震えていた。それでもウィーネの要求を、彼は即座に突っぱねた。サフィアが探していた姉だと判明した今、彼らに引き渡す理由など無いに等しい。
アルラズがウィーネの名を呼んだのは、その時だった。
「ウィーネ! 人口生命体を連れて来い!」
ウィーネはアルラズの声のした方に一瞬だけ顔を向けたあと、静かに呟いた。
「聞こえたでしょ? 隣でアルラズが呼んでいるわ。その子を連れて行かなきゃ」
「お前らの都合などこっちが知るか」
へたり込んでしまって動けないでいたサフィアを、リーズは自身で隠す。
膝を付くな。立て。目の前を見据えろ。自分が彼女を守らなければ、全て終わりだ――。
リーズは心を奮い立たせ、刺すような視線をウィーネに放つ。
「聞き分けの悪い男は嫌われるわよ」
「その言葉、そっくりお前に返す」
次の瞬間、ウィーネの身体を蔽うかのように水が集まり、そしてリーズには竜巻の如き激しい風が、身体の周りに吹き荒れた。
アルラズがアメジアに向けて投げ付けたのは、白い粉状の物体だった。腕の軌跡に添い、粉塵が舞う。アルラズはいつの間に取り出していたのか、口と鼻をハンカチで覆い隠していた。
アメジアは反射的に腕で顔を庇うが、少しだけその粉塵を吸い込んでしまう。
(しまった。これはネクツ草の粉末!)
すぐさまアメジアはそれが何なのか理解した。ネクツ草とは、眠気を誘う成分が含まれた草。この粉は、それを乾燥させ粉末状にした物、言わば睡眠薬だ。極少量でも猛烈な眠気を誘うそれを体内に入れてしまったアメジアは、間を置かず強制的に意識を遮断され、床にどさりと倒れ込む。
「素直に僕の言うことを聞いてくれていたら、こんなことせずに済んだんだけどね」
アルラズは苦笑しながら、既に意識を失ってしまったアメジアに言葉を投げた。
「それにしても、遅いな」
外した義足を再び付けながら、アルラズはぽつりと呟いた。いつも呼べばすぐに現れる水の精霊だったが、まだ彼の元へ来る気配はない。
「そういえば風の精霊も一緒だったっけ。彼が邪魔でもしているのかな」
踵を軽く踏み鳴らして義足の装着具合を確かめると、アルラズは静かに立ち上がった。




