第16話 『対峙2』
※※※
リーズ、ごめんね。
何でだろう。今すっごく大変な時なのにさ、私が今まであんたにしてきた悪戯の数々を思い出しちゃって。こんな時だからこそ、思い出したのかもしれないけれど。
リーズには悪いけど、楽しかったなぁ。
特にアレ。ラウド君とボールで遊んでいる時。私がボールをこっそり風の塊にすり替えて、リーズが思いっきり蹴って――フフフ。風が大爆発したよねぇ。リーズもラウド君も羽のようにすんごい吹っ飛んじゃってさ。
あぁ、だからごめんって。
ねぇ、リーズ。いつだったか風が上手く操れなくて、自棄になりかけたあんたにさ、私は偉そうに「諦めるな」って言ったけれど。
私、もう無理だ。
でもね、最後まで頑張ったんだよ。私は全力を出し切った。抵抗した。それでもやっぱり、人間を殺すなんてできなかったんだ。あの人間が彼女の前に立たなかったら、きっといけたと思うんだけどなぁ。
リーズ。今までありがとう。
立派な風の精霊になってね――。
※※※
アルラズが向けた小型ナイフの切っ先を、アメジアは青褪めながら凝視していた。
ナイフの先端は、ランプのオレンジの光を反射している。このオレンジが赤にすり替わる映像が、アメジアの脳内で再生された。背中に走り抜ける寒気。
話し合いだけで全てが解決するとは彼女も思ってはいなかったが、まさかいきなり刃物を出してくるなどとは、アメジアは考えていなかったのだ。
――甘かった。
アメジアは奥歯を強く噛み閉め、後悔する。そうだ。何年もサフィアの行方を追っていた彼。穏やかな話し合いなどで済むはずがなかったのだ。
アルラズはそんなアメジアの心情を嘲笑うかのように、僅かに口の端を上げた。
アメジアの足は、まるで地に縫い付けられたかのように動かない。そしてアルラズは小型ナイフを真上に振りかぶり――。
次の瞬間、ナイフを勢い良く自分の右脚に突き刺した。ナイフは刃の部分が完全に見えなくなってしまうほど、アルラズの脚に深く突き刺さる。
「――――!?」
彼のいきなりの奇行に、アメジアは目を見開きただ絶句する。
だがナイフが突き刺さったままのアルラズの脚を見て、彼女はある異変に気付いた。これだけ深く突き刺さっているのに、その脚からは一滴の血も流れ出てこないのだ。
「不思議かい? 君って聡明だけど、たまに凄く鈍いよね」
アルラズは脚にナイフが刺さった状態のまま、長机の前に置いてある椅子まで移動し、腰掛ける。そしてズボンの裾をたくし上げた彼は、そこでようやくナイフを抜き、そして太腿の中央辺りから脚を『外した』。
「なっ……!?」
「驚いたかい? 実は僕、物心付いた時からずっと義足だったんだ」
そう言いながら、アルラズは左の脚も同様に外して見せる。アルラズから外れた二本の脚を、アメジアはただ呆然と見つめていた。
「エルマール先生が学会に代理として僕じゃなくて君を行かせていた理由は、これだったんだよ。あまり長い距離を歩くと疲れてしまうんだ」
「…………」
エルマールの名を聞いたアメジアは、思わず顔を俯かせる。
確かに昔、アメジアはエルマールに何度か尋ねたことがあった。なぜアルラズではなく、自分をエルマールの代理にしたのか、と。アメジアよりアルラズの方が先にエルマールの教えを請うていたので、代理を務めるのは当然彼の方だと思っていたからだ。だがエルマ
ールは、アメジアの問いにはっきりと答えることはなかった。困ったように、小さく笑うだけ。だから彼女は、師が自分の成長のために代理に選んでくれたのだと、勝手にそう解釈していた。
数年越しに師の意図を知ったアメジアの心が、音を立てて軋む。そしてアルラズが義足だということを全く気付けなかった、自身の配慮のなさに唇を噛んだ。
「ここまで見せたら、僕が何を言いたいのか君なら理解できただろう?」
アルラズが問う。切れ長の目に鋭い光を宿しながら。
「あの人口生命体の体の構造を詳しく調べたいんだ。そして僕は、自分の意思で動く脚を『作りたい』。僕の願いはそれだけなんだ」
「…………」
「僕が調剤師を目指した理由もね、麻酔薬を存分に作ることができるからなんだ。医者でもない人間が手に入れるのは大変だからね。僕はずっと自分の意思で動く脚を作ることだけを考えて生きてきた。僕以外の人間は、自分の両の足裏で、しっかりと大地を踏み締めて生きている。それが僕には、羨ましくて仕方がなかったんだ」
アメジアの両足に、アルラズの視線が深く突き刺さる。
それは、どうしようもないこと。
そうだとわかっていながらも、アメジアはアルラズの眼前で両足で立っているということが、凄く後ろめたいことのように感じてきた。
「そんなある日、エルマール先生が奇跡の存在を創り出したことを知った。共に暮らしていた君なら、よくわかっているはずだ。人間と何ら変わらない、あの精巧さ。素晴らしいという言葉以外見つからないね」
喋っている間に興奮してきたのか、彼の顔は上気していた。欲しかったおもちゃを手に入れた子供のような、無邪気ささえその瞳に湛えて。
「一生不可能だと思っていた僕の願いが、あの人口生命体のおかげで叶うかもしれないんだ。僕の目の前まで、奇跡はやってきているんだ」
アメジアは静かに瞼を閉じ、両の拳を強く握った。折れそうになる心を叱咤するために。
「あなたが自分の脚で歩きたいという願いも、そしてサフィアに執着する理由も、とてもよくわかったわ……」
「それじゃあ……」
「それでも、あの子は渡せない」
アメジアは俯いていた顔を上げ、強い口調ではっきりと言いきった。刹那、アルラズの眉間に小さな皺が生まれる。
「あなた、サフィアの体の構造を調べたいと言ったわよね。それはつまり、あの子が辛く痛い目に遭うってことよね?」
「まぁ、そういうことになるかな。場合によってはばらす必要もあるだろうね。そのための麻酔薬は、既に大量に用意しているよ」
「……やはり、渡せないわ。あの子は確かに、神の意志に背いた命かもしれない。だからと言って、どんな目に遭っても良いわけじゃない」
「相変わらず頑固だな……」
「お互い様にね」
視線を交わす二人の間に、張り詰めた空気が行き渡る。その目は両者とも、自分の主張を曲げるつもりはないと雄弁に語っていた。
「ウィーネ! 人口生命体を連れて来い!」
アメジアから視線を逸らさぬまま、アルラズは声を張り上げた。隣の部屋にいるはずの水の精霊に、今の声は充分届いただろう。
「何を!?」
「このまま君と話を続けても、埒があかなそうだからね。強行手段を取らせてもらうよ」
アルラズは机の上に置かれていた、白い粉末が入ったすり鉢の中に手を入れる。そしてすぐさまその中身を掴むと、アメジアに向けて投げ付けた。




