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第14話 『青年と水の精霊』

「なるほど……。行方不明の精霊に、精霊王の娘の動きか……」


 赤銅色のロッキングチェアに腰掛けた痩せた老人は、白い顎髭を撫でながら呟く。その老人から少し距離を取り、ラウドは無言のまま佇んでいた。

 二人が居るのは、少しひんやりとする小屋の中。丸太を組み合わせて建てられたその小屋の中は、自然光が照らすのみ。若干薄暗さを感じるものの、ランプを付ける程度ではない。老人は顎髭を撫でていた手を止め、小さな目を静かに閉じた。その様子は一見、眠ってしまったようにも見える。

 ラウドの視線は、黙ったままの老人から横に移動した。剥き出しの丸太の表皮が剥がれている箇所がある。老人同様に、この丸太小屋もかなりの年寄り(・・・)らしい。

 目を閉じたまま、老人は今しがたラウドから聞いた話に考えを巡らせていた。ラウド同様、左頬には土の精霊の証である虎を彷彿とさせる模様がある。

 老人は、先代の精霊王だった。

 現役時代、その手腕は歴代一と謳われてきた。掬い上げるべきところは洩らさず、切り離すべきところは迷わず切り捨てる。その王としての判断力、決断力に、多くの精霊達は彼を敬い、そして従ってきた。

 現役時代は『山の精霊』という異名も付いていたほどの大柄な身体は、今はすっかり痩せ細り、背も縮んでいる。しかしその小さな身体から、元精霊王としての威厳は消えることなく滲み出ていた。

 精霊界に帰ったラウドは、いの一番に先代の精霊王、今は「長老」と呼ばれているこの老人の元へ向かった。

 ラウドの姿を見た天霊門の見張りは驚いていたが、ラウドは見張りのことは無視してすぐにその場を離れた。リーズを連れ戻すために人間界へ向かったラウドが、一人で帰ってきたのだ。後で何かと追求されるだろうが、これからラウドが追求しようとしていることより、さして重要でないと考えた。

 ラウドは長老とは初対面だった。何しろラウドが生まれる遥か前に、長老は今の精霊王と交代したのだ。だが、住んでいる場所は精霊界全ての精霊が知っていた。

『精霊界の端、枯れ木一本さえ生えてない禿山に、かつての偉大なる王在り』と伝えられていたからだ。

 そして長老が隠居生活を送っていた小さな丸太小屋をあっさりと見つけ、早速人間界での出来事や精霊王について、ラウドは相談したのだった。


「あの、長老様。オレこんなことは言いたくないんですけど……。正直、精霊王様に対する不信感は拭えません」

「エンシオの奴、一体どうしてしまったというのか……」


 エンシオというのは、精霊王の名である。精霊王のことを名前で呼ぶのは、精霊王に近しい者を除けばこの長老だけである。小さく溜息を吐く長老だったが、突如その目だけが入り口へと向けられた。


「……今日は珍しく来客が多い日じゃの」


 そう呟くと同時に、ドアを二回ノックする乾いた音が小屋内に響いた。


「開いておる」


 長老は指先一つ動かすことなく返事をすると、皺で覆われた目元を僅かに細くする。

 ゆっくりと小屋のドアが押し開かれる。その瞬間、『客』の気配を察したラウドの額から、どっと汗が噴き出した。その『客』は小屋へ入るなりラウドの姿を見つけると、感情を抑えた低い声をラウドへと投げた。


「ラウド、なぜお前がここにいる」

「精霊王様……」


 小屋の中へ入って来たその人物を見据えながら、ラウドはギリッと奥歯を噛んだ。

 それはこっちの台詞だ、と喉まで出掛かった声を呑み込むために。




          ※※※



 ウィーネは、彼女がとても気にくわなかった。


 ウィーネは精霊王の娘という立場とは関係なく、己の力のみで『選ばれた精霊』になり、人間界へとやって来た。親が精霊王というプレッシャーは、全く感じていなかった。彼女には、生まれながらにして強大な精霊力を宿していたからだ。

 人間界に来てから十年近くは、極当たり前に、そして懸命に、水の精霊としての責務を果たしていた。

 転機となったのは、今から八年前だった。

 海の中を巡回していたウィーネはその日、何となく海上に行きたくなった。そして浮上した彼女は、港へと目をやった。いつもは全く気にすることなどない人間という存在が、なぜだかその日だけは気になったのだ。海中にいた自分の真上を、人間の船が通って行ったからかもしれない。

 ウィーネにとって人間とは、壁紙の模様みたいなものだった。たまに目を引く。だが、常に注意を払って眺めるほどのものではない。その程度の存在だった。だがその日、ふと目をやった人間に、ウィーネは惹きつけられてしまったのだ。

 船の出払った、閑散とした港。そこに佇んでいた、藍色の髪の青年。

 中肉中背で、他にこれと言った特徴もない。強いて言うなら、切れ長の目が多少印象的な程度で、ウィーネからしたら本当にただの人間であった。

 それでも青年の醸し出す憂いを帯びた雰囲気に、ウィーネの目は釘付けになっていた。どうしてかはわからないが、胸の奥がざわめき、鼓動が早くなる。ウィーネはこの青年と話がしたい、と思った。そしてその欲求に、何の躊躇いもなく従った。


「こんにちは」


 突然挨拶の声をかけられた青年は、怪訝な顔でそっと辺りを見回した。今の挨拶が自分に向けられたものだったのか、それとも勘違いなのか、判断できないでいるようだ。


「ここよ。海の中」


 見当違いな方向に視線をやる青年に、ウィーネは自分が居る場所を付け加えた。声に従って海を見た青年は意外な存在に一驚し、恐る恐る口を開く。


「まさか、人魚?」


 ウィーネが想像していたより、青年の声は低かった。しかし鼓膜を通り抜けるその音は不快ではなかった。むしろ落ち着き、心地良い。


「いいえ。水の精霊よ」


 ウィーネは花のような笑顔で青年に答える。自分の声に青年が反応してくれたことが、ただ嬉しかったのだ。


「驚いた……。精霊が人間の前に姿を現すなんて……」


 青年は呆然とした様子で声を洩らした後、ウィーネの顔を改めて見つめ返す。


「その水の精霊が、僕に何か用なの?」

「あなたと話がしたいと思った。それだけよ」


 ウィーネは素直に理由を説明し、上機嫌でくるりと横に一回転した。水面(みなも)のような髪は海と一体化したかと思うと、すぐに分離する。青年はぽかんと口を開け、ウィーネのその様子をただ眺めていた。


「どうして、僕に?」

「自分でもよくわからないけれど、あなたに興味が沸いたの。それだけ。私はウィーネ。あなたの名前は?」

「僕は、アルラズ・フフタ。調剤師を目指して勉強しているんだ」

「調剤師?」


 聞いたことのない単語に、ウィーネは思わず聞き返していた。


「薬を調整する職業ってところかな」

「へぇ、薬? 人間って面白いわね。ねえ、あなたの話もっと聞きたいわ」

「僕は構わないけれど、人間に姿を見せても大丈夫なのかい? 精霊って存在は知っていたけれど、決して人の前に姿を現さないって聞いていたものだから。僕はそこが気になるんだけど」


 アルラズの言葉にウィーネはハッとすると、慌てて顔半分を海中に沈めた。


「あなた以外の人間には見られたくないわ。場所を変えてもいい?」

「今日は時間があるから僕は構わないよ。あっちの倉庫街の裏に行こうか。あそこなら今の時間は人は出払っているだろうし」

 アルラズの提案に、ウィーネは黙って頷くと海中に潜った。





 それから月に何度か、ウィーネはアルラズとの逢瀬を繰り返していた。

 今まで全く人間に興味がなかった彼女だが、アルラズの話はウィーネにとって全てが興味深く、面白いものであった。

 街に住む人間の大人は働き、お金を得て生活していること。そして様々な職業があること。エレオニアでは特に太陽を崇拝しているので、家の屋根は全てオレンジ色で統一されていること。最近は機械の開発も進めていて、人々の暮らしが徐々に便利になっていること――。

 会う度に様々な話を聞き、そして話した。アルラズはウィーネの質問に、何でも優しく答えてくれた。

 逢瀬を繰り返していく内に、彼女はアルラズに会える日を、日に日に待ち遠しく思うようになっていた。そしていつしか、アルラズという人間そのものに、ウィーネは心から惹かれていた。





 ある日、風の精霊トルスティは、ウィーネを海上に呼び出した。小麦色の長髪を靡かせながら海上に浮かぶ風の精霊。その顔は苦虫を噛み潰したかのように険しい。ウィーネはそんな彼女の表情を、あえて見ないようにした。


「ウィーネ。あなた人間と会っているでしょう」


 トルスティは形の良い細い眉を吊り上げさせながら、ウィーネに詰め寄る。その言葉一つ一つは、とても刺々しいものだった。


「何のこと?」

「とぼけても無駄よ。私見たんだから。ウィーネ、馬鹿な真似はよしなさい。私達は選ばれた精霊なのよ!」


 興奮の余り、トルスティの尻尾が逆立つ。しかし、ウィーネは彼女の態度など全く居に返さない様子で切り返した。


「ちゃんと精霊としての務めは果たしているわ」

「そういう問題じゃなくて!」


 ウィーネの返事に、トルスティはさらにいきり立った。


「精霊憲法第三条、人間に姿を見せるべからず! 知らないとは言わせないわ。あなたがやっていることは重大な違反なのよ!? ましてやあなたは精霊王の娘。これがどれほど大変なことか本当にわかっているの!?」


 トルスティのその顔は必死そのものだ。しかし当の水の精霊は、瞳を閉じて涼しげな笑みを浮かべるばかり。


「ウィーネ!」


 何も言い返さないウィーネのその態度が、トルスティをさらに刺激した。風の精霊は苛立ちを押さえきれず激昂する。

 精霊達を治める精霊王の娘が重罪を犯したことが知れ渡ると、このままでは極刑を免れない。トルスティは、心からウィーネのことを案じていたのだ。


「……トルスティ。私は自分の立場はよくわかっているつもりよ」

「それじゃあ――」

「あなたの言うことはもっともだわ。これからは気をつける。変な心配をさせてごめんなさい」


 ウィーネの言葉を聞いたトルスティはようやく険しい表情を緩め、胸を撫で下ろした。


「良かった。あなたが捕まるところなんて見たくないもの。もう、あの人間と会わないと約束して」

「……わかったわ」


 ウィーネの返事を聞いたトルスティは安堵の表情を浮かべると、空へと戻って行った。

 しかしウィーネは、その彼女の後ろ姿を、鋭い目付きで睨んでいた。先ほどの言葉は本心ではない。ただ、これ以上トルスティに追求されるのが面倒だったから、誤魔化しただけだった。

 ウィーネは、自分の恋路の邪魔になる要素が――トルスティが、とても気にくわなかった。


 それから数ヶ月後――。風が、鳴いた(・・・)


          ※※※


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