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第13話 『風の精霊』

 リズム良く街道を進む、乗り合い馬車。リーズは姿を消して、その馬車の後ろを追いかけていた。その馬車の後部には、アメジアとサフィアが乗っている。 

 朝食を食べ終えた後、アメジアの言葉通り、すぐに三人は薬屋を後にしたのだ。荷物はアメジアの小さな鞄に数本詰めた、サフィアの浄化薬のみ。それはこの話し合いで全てを終わらせるという、アメジアの決意の表れでもあった。

 サフィアが外に出るのは、アメジアに連れられて研究所を出た時以来だ。そのせいかサフィアは、流れ行く景色全て見逃さまいと言わんばかりに、目を見開いて外を凝視していた。

 温かく穏やかな風が吹き、アメジアとサフィアの髪を靡かせる。空の下で見るサフィアの白い髪は、部屋の中より一層輝いて見えた。そんなサフィアの髪をぼんやりと眺めていたリーズだったが、不意に緊迫した表情になる。


(しまった。やはり飛ばずに、俺も無理矢理馬車に乗れば良かった)


 ウィーネの奇襲を警戒して、馬車の後ろを飛びながら着いていくという選択肢を取ったリーズだったが、当然ながら飛ぶと人間に紛れずに目立ってしまう。

 リーズが対処を考える間もなく、頭上から低い声が降ってきた。


「おい、もしかしてお前、リーズじゃないか?」  

「あ。いや、俺は――」


 直球で名を呼ぶ男に、リーズは肩を震わせないようにするのが精一杯だった。顔を見せないために少し俯いた状態で何とか誤魔化そうとするリーズだったが、それは無駄な努力でしかなかった。


「やっぱりそうだ。昨日の変な風も、お前がやったんだな」


 声の主は、リーズの行く手を遮るように降り立った。

 長身でがっしりした体躯に、茶色の短髪といういでたちの男。屈強という言葉がこれほど似合う男はなかなかいないだろう。リーズ同様の尖った狐耳と、馬のような尻尾を持つ男。間違いなく、風の精霊だ。この地域担当の『選ばれた精霊』であろうことは火を見るより明らかだった。

 こうなるとさすがに弁明もできない。リーズは内心非常に焦っていた。リーズの頭の中に様々な考えが一瞬にして浮かぶ。

 初対面のはずのこの風の精霊が、なぜリーズの名前を知っているのか。

 既に自分は精霊界のお尋ね者として、有名になってしまったのか――。

 そう考えたリーズの掌から、嫌な汗が滲み出てくる。だとすれば、この精霊は直ちに精霊界へと連絡を取るだろう。勝手に人間界へ来た自分が強制的に戻されないようにする為には、この場をどう切り抜ければいいか。

 リーズは考えを巡らせるが、焦る心では全く何も思い浮かばない。


(最悪、強行突破をするしか――)


 心の中でリーズが覚悟を決めた直後。しかし男はさして驚いた様子も見せず、落ち着き払った態度で口を開いた。


「姉さんを探しに来たのだな。やはり納得できんよなぁ……」


 男は、同情すら感じる言葉使いでリーズに言った。勝手に来たことを非難されるばかりだと思っていたリーズは、思いがけない男の言い方に面食らってしまった。


「俺を、追い返さないのか?」

「うーん、普通ならそうしないといけないのだろうが、お前の気持ちも理解できるだけにな……」


 男はそう言葉を濁して、明言は避けた。とりあえず今は見逃してくれるという意味だろう。リーズは一先ず胸を撫で下ろした。


「あぁ、自己紹介が遅れたな。既にわかっていると思うが、俺はこの地域担当の風の精霊だ。ただし臨時だがな」

「臨時?」

「お前の姉さんが行方不明になってから、急遽派遣されたんだ。だが臨時で来たはずなのに、既に七年経ってしまった」

「…………」

「で、つい先日精霊王様が捜索の打ち切りを決定しただろ? それで俺はどうなるんだとずっと知らせを待ってるんだが、一向に来やしない。全くどうなってんのかね」


 肩を竦めながら男は語る。彫りの深いその顔には、明らかに不満が滲み出ていた。


「悪いけどそれは俺も……」

「あぁ、すまんすまん。お前に愚痴っても仕方がないな。俺もお前には同情するよ。精霊王様は一体どうしてしまわれたのか……」


 この風の精霊も、精霊王に不信感を抱いていることを察したリーズは逡巡した。

 果たしてこの風の精霊は、ウィーネのことを知っているのだろうか。直接聞いても良かったが、この精霊が何も知らなかった場合、一から説明しないとならなくなる。そこでリーズは、遠回しに聞いてみることにした。


「少し、聞きたいことがある。あんたがこっちに来てから、何かおかしなこととか気付いたことはなかったか? どんな些細なことでもいいんだ。姉貴の行方を捜そうにも、情報がなさすぎて困っているんだ」

「おかしなこと……か」


 風の精霊は顎に手をやりながら、溜息と同時に呟いた。


「正直に言うと、ある」


 風の精霊の返答に、リーズは無意識に唾を飲み込んだ。言葉を挟まず、男の情報を待ち続ける。心を代弁するかのように、そわそわと尻尾が動いた。


「俺がこっちに派遣された直後、つまりお前の姉さんが行方不明になった直後の時のことなんだが。かなり自然の力が『崩れて』いたんだ」


 風の精霊が眉間に皺を寄せながら言った台詞に、同じくリーズも眉間に皺を寄せる羽目になってしまった。

 リーズもラウドと対峙した時に、精霊の力を使ってしまった。確かにあの時の力も自然の流れに影響を及ぼしたであろうが、あの程度では自然の力を『崩す』までとはいかない。自然の流れは、簡単に乱れてしまうほど脆くはないのだ。かなり大きな力を使用して、初めて影響が現れる。


「つまり、かなり大げさに精霊の力を使った形跡があったということか?」

「そういうことだ」


 そこで風の精霊は、胸の前で掌を空に向ける。間を置かず、すぐにその掌の上に大きな本が現れた。

『精霊の書』。

 それはいつ、どこで、どの程度の精霊の力を使えば良いのか、全てが記された魔法の書物だ。これがないと、精霊達は仕事をすることができない。

 風の精霊は、分厚い精霊の書をぱらぱらと捲りながら続けた。


「すぐさま、俺はこれに書かれてある自然の流れと、現実の流れを比較した。それで崩れていた属性はすぐにわかった。

「……風か?」


 リーズの問いに、しかし風の精霊は苦虫を噛み潰したような顔をする。


「半分、正解だ」

「半分?」

「風と、水だったんだ……。修正するのがかなり大変だったぞ。何しろ自然の力が崩れているなんて、そんなこと俺は聞いていなかったからな」


 風と水。男の口から出た単語に、リーズは思わず目を見開いた。


「風は言うまでもなく、お前の姉さんのトルスティ。そして水はウィーネだ。俺はウィーネになぜ精霊の力を勝手に使ったのか問い質した。だが彼女は何も答えなかった」

「……他の精霊には聞いてみたのか?」

「無論、聞いたさ。だが火の精霊は普段マグマ管理で地中にいるし、土の精霊も二人には関わっていないから、なぜ勝手なことをしたのかなんて知らんだとよ。他の属性の精霊にも聞いてみたが、皆答えは同じだった」


 風の精霊は、その大きな肩を竦めながら嘆息する。選ばれた精霊は使命を全うするため、他の精霊とほとんど接触しないことが多いのだ。

 リーズの心がざわつく。

 姉は精霊の力を使い、そしてウィーネもまた精霊の力を使った。自然の流れを崩してしまうほどの力を。そして姉は行方不明になったが、ウィーネはそのまま人間界に居続けている。それが意味することとは一体?

 その答えまでリーズが推し量ることはできなかったが、ウィーネは姉に何があったのかを知っているのは間違いないと、リーズは風の精霊の言葉を聞いて確信した。


「俺がお前に話せるのはこれくらいだな。それで、ここからは俺の勝手な意見だが……」


 風の精霊は精霊の書を勢い良くパタンと閉じると、僅かに声のトーンを落とす。


「ウィーネは精霊王様の娘だが、精霊の力を勝手に使ってもお咎め無しというのは、やはり怪しいと思うんだ。それに加えて、行方不明のままのトルスティの捜索打ち切り。俺には精霊王様が、何か隠しているようにしか思えん」

「それは、俺も同感だ」

「ま、そういうわけで、俺はトルスティの行方がわかるまで、お前のことについてとやかく言うつもりはない。俺は臨時だが、一応選ばれた精霊でもあるんでね。精霊としての仕事があるから身動きができん。本当はお前に協力してやりたいんだが、それに関してはすまないな」

「いや、俺の事を見過ごしてくれるだけでも助かるよ。ありがとう」


 リーズは心から安堵した。風の精霊が見過ごしてくれる。それは、この地域をウロウロできるようになったということだ。これは姉を探す上で大きな前進である。

 そんな喜びも束の間、ふと浮かんだ疑問を、リーズは風の精霊に率直に聞いてみることにした。


「そういや、どうしてあんたは俺の名前を知っているんだ? 初対面だよな?」


 風の精霊はそこで静かに笑うと、大きな手でリーズの頭を鷲掴みにする。


「俺は弟が大好きな風の精霊と、精霊界で共に修行していた仲なんだ。その時にお前の話はうんざりするほど聞かされた。お前を一目見て、すぐトルスティの弟だとわかったよ。顔立ちが良く似ている」


 くしゃくしゃとリーズの頭を乱暴に撫でるその様子は、まるで久しぶりに会った甥に接するような雰囲気だった。

 まさか姉が、外で自分のことを言いふらしていたとは。全く知らなかったリーズは急に気恥ずかしくなるが、なぜか男の手を払い除ける気にはなれなかった。


「そういえばお前、あの馬車を追っていたように見えたが、何かあるのか?」


 風の精霊はそう言うとリーズの頭から手を離し、遥か前方まで進んでしまっていた馬車を親指だけで指した。


「実はこれから、ウィーネに会いに行くところだったんだ」

「ウィーネに!? お前、何でまた!?」

「実は昨日、会ったんだよ……。姉貴のことを真正面から問いただす」

「そうだったのか……。くれぐれも気をつけろ」

「あぁ。それじゃあ」


 リーズは離されてしまった馬車を追いかけるため、空に浮く。しかし突然くるりと向きを変え、風の精霊の顔を真っ直ぐと見据えた。


「すっかり訊くのを忘れてた! あんた名前は?」


 このタイミングで名を訊かれると思っていなかった風の精霊は、ただ目を丸くする。そして口の端に小さな笑みを浮かべた後、一拍遅れて名乗った。


「ブロルだ」

「ブロル、ありがとうな! 本当に感謝してる」


 リーズは太陽のように眩い笑みをブロルに向けると、猛スピードで馬車の方へと飛んで行く。あっという間に、リーズは馬車に追い付いた。

 ブロルは小さくなったリーズの後ろ姿を見送ったあと、静かに天を仰ぐ。


「トルスティ。お前が言っていた通り、真っ直ぐな弟だ。どこで何をしているのか知らんが、早く帰って来い。リーズのことを肴に、また酒を呑もう」


天に向かって吐いたブロルの小さな呟きは、青い空に溶けていった。







「ごめんなさい。アルラズ」


 時間は、サフィア達が逃げ出した直後のこと――。

 ウィーネは、建物の別の部屋で待機していたアルラズの元へと赴き、失態を詫びた。しかしアルラズはウィーネの謝罪には反応せず、ギラついた目で虚空をただ見つめるばかりだった。

 アルラズはこの数年、ずっとアメジアの行方を追っていた。

 あの日。自分が研究施設を離れていたあの日に、エルマールは倒れ、そしてアメジアは人工生命体を連れて消えてしまった。

 あまりの怒りに、思い出す度にアルラズは震える。一目見た時から、アルラズはずっと目を付けていたのだ、あの人口生命体に。エルマールの寿命が尽きた後、絶対に手に入れると決めていた。それなのに――。

 アメジアの潜伏先を、虱潰しに探しながら各地を回った。あの白い髪の人工生命体を連れていればかなり目立つはず……。そう考え、聞き込みも徹底的に行った。だが成果は全く上がらなかった。

 ――そんな白い髪の少女は見たことがない。

 聞き飽きるほど、その言葉しか返ってこなかった。

 そんなある日、アルラズは研究所のあるエレオニアの街に戻ってみようと、ふと思い立った。それは何の根拠もない、本当にただの思い付きだった。ただアルラズの頭の中に、灯台下暗し、という言葉が浮かんだからに過ぎない。

 結果、アルラズの思い付きは当たりだった。

 街中の小さな薬屋。堂々と目立っているわけでも、さりとて全く目立たず閑散としているわけでもない。街並みに溶け込み、完全に人々の生活の一部となっている、そんな薬屋にアメジアはいた。

 昼間アメジアにわざわざ姿を見せたのは、考えがあってのことではない。姿を見せたらアメジアはすぐに逃げ出すだろうと、そんなことはわかっていた。だが、アルラズは我慢できなかったのだ。どうしても彼女に宣言したかったのだ。

 自分は諦めていないと。人口生命体を手に入れるまで、地の果てまで追い続けると。

 しかし人口生命体を目前にして、またしても逃げられてしまった。しかも今回それを邪魔したのは、精霊だ。


「まさかアメジアが、精霊と通じているとはね……」


 ポツリと呟いたアルラズの言葉に、ウィーネはピクリと眉を跳ね上げた。


「ウィーネ。邪魔をした精霊はどんな奴かわかるかい?」

「ええ、アルラズ。邪魔をした精霊は二人。その内の一人はわかったわ」


 ウィーネの美しい青い顔に笑みが広がる。おぞましいほどの妖艶な笑みが。


「邪魔をしたのは風の精霊、トルスティの弟よ」


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