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第12話 『朝』

 フォークと食器の交差音が響く、綺麗に整頓されたダイニングキッチン。窓から差し込んでくる光は、朝特有の柔らかな白だ。

 リーズにサフィア、そしてアメジア。三者にとって忘れられない日となった昨晩だったが、明けない夜はない。そして生きている以上、空腹もやってくる。三人は階下のダイニングキッチンで、朝食を取っている最中だった。


「すっかり忘れていたわ。サフィア、これを飲みなさい」


 アメジアはそう言いながら、『浄化薬』が入った小瓶をサフィアへと差し出す。

 ハムとレタスのサラダを今まさに頬張ろうとしていたサフィアは、アメジアの一言で口を開けたまま静止した。そしてフォークを置き小瓶を受け取ると、神妙な面持ちでアメジアを見つめる。


「アメジア。私やっぱり病気なの?」


 サフィアの視線を受けたアメジアは困惑した表情を一瞬だけ顔に浮かべたが、観念したように小さく溜息を吐いた。


「もう隠していても意味がないわね。正直に言うわ。サフィアは病気ではない。それは病気を治す薬じゃなくて『浄化薬』なの」

「じょうかやく?」

「あなたの血を綺麗にするためのものよ。もしそれを飲まないでいると、あなたの血はどんどん穢れていく。その状態がずっと続いたら、本当に病気になってしまうかもしれないの」


 エルマールが創った人工血液のことを、アメジアはよく知らないでいた。彼女にとっても、人口血液は未知な存在なのだ。そのまま放っておくと、サフィアにどのような肉体の変化が現れるのか。実例がないだけに、アメジアにはわかりようもなかった。

 エルマールは生前「人口生命体が完成したら、この浄化薬を飲ませ続けないといけない」と、浄化薬を作りながらアメジアに洩らしたことがある。そのほんの小さな師の呟きを、彼女は愚直なまでに信じ、今まで従っていただけなのだ。


「ふーん……そうなんだ。じゃあ、昨日飲んでいないからすぐ飲むね」


 サフィアは慣れた手付きで小瓶の蓋を開け、中の液体を一気に飲み干した。空の小瓶をサフィアから受け取ったアメジアは、すぐに小瓶を洗浄するため流し場へ向かう。

 この一連の動作は、今まで毎日繰り返されてきたのであろう。二人の流れるような無駄のない動作に、リーズの心の中に、小さな『ナニカ』が生まれた。

 これは、嫉妬なのだろうか。人と人との絆。それを羨ましく感じているのだろうか。

 突如発生したそのもやもやを振り払うかのように、リーズはアメジアの背に向けて声を投げた。


「で、これからどうするんだ」


 リーズはそう切り出した後、手の平サイズにカットされたバゲットを一口齧る。だが彼の想像していた物よりそのバゲットはずっと歯応えがあったらしく、リーズの顔は次第に必死なものになっていく。サフィアはそんなリーズを見て、思わずくすりと笑みを零した。


「そうね……。アルラズは間違いなく、またサフィアを狙って来るでしょうね。ここが彼にばれてしまった以上、他に身を隠す場所を探すしかないでしょうけど……」 


 背中越しにアメジアはリーズに答えるが、その先はまだ考えていないのか言葉が途切れる。

 その時だった。


「うっ――」


 サフィアが突然、苦しそうな呻き声を洩らしたのだ。


「サフィア?」


 喉に何か詰まらせたのだろうか。少し焦りながら振り返ったアメジアの顔が、見る見るうちに青ざめていく。

 サフィアの背中から生える、鷹のような大きな茶色の羽。その羽が激しく痙攣していたからだ。

 バゲットをようやく飲み込んだリーズも、一体何事かとサフィアの背中を凝視する。そして痙攣する羽を呆然と見つめる二人の眼前で――。 

 ぎゅるん!

 サフィアの羽は音を立て、目にも止まらぬ速さで彼女の背中の内側へと消えていったのだった。


「…………」


 あまりにも衝撃的な光景に、リーズもアメジアも声一つ出すことができない。だが当のサフィアはあっけらかんとした表情で、自身の背中を見ようと首を捻っていた。


「羽、消えちゃった」


 そう言いながら両腕を上に突き出したり、前に屈んだりしている。


「な、何だ今の。羽が背中へ入っていったぞ」

「確かに、背中へ入ったようにしか見えなかったわね……。サフィア、痛くない?」

「うん。羽がぶるぶる震えてる時はちょっと痛かったけれど、今は全然……」


 サフィアも自分の身体に何が起こったのか、よく理解できないのだろう。ただ困惑するばかりであった。


「もしかして、浄化薬が何らかの影響を与えたのかしら……」

「よくわからんが、結構大きい羽だったぞあれ。綺麗さっぱり収納できるもんか? サフィア、ちょっと背中見をせてみろ。割れてるかもしれん」

「ええっ!?」


 リーズの台詞に驚いたサフィアは、慌てて上の服をたくしあげ、脱ごうとする。だが、アメジアがすかさずそれを制した。そしてリーズに振り返り、引き()った笑みを彼に向ける。


「リーズさん。サフィアはこれでも、年頃の女の子なんですけれど」

「す、すみません」


 静かな口調の中に込められたアメジアの怒気を感じ取り、リーズは思わず部屋の隅まで後ずさり、口調まで変わってしまった。

 アメジアはリーズの視線から隠すようにして、サフィアの背中を確かめる。やましい気持ちなど一切なく、単純に原理が気になるリーズ。そっと横に移動して何とか背中を見ようとしたが、キッと猛獣のような目をしたアメジアに睨まれ、直立不動の状態を余儀なくされた。


「小さな穴一つさえ見つからないわ。触った感じも普通の背中と変わらない。どういうことなの」


 アメジアの疑問に、答えられる者はいなかった。


「私、このままここにいてもいいのかな……」


 サフィアが唐突にポツリと洩らした一言に、リーズもアメジアも顔を強張らせた。


「羽がなくなったから、見た目はまたみんなと同じになれた。だけど……」


 サフィアは後ろを振り返ると、アメジアの目を見据えながら続けた。


「でも、私は本当にこのままでいいのかな……。私がそのアルラズって人の所に行ったら、アメジアは辛い思いをせずにすむんじゃないのかな」

「それは駄目!」


 突如アメジアが出した大きな声に、サフィアとリーズは思わずビクリと肩を震わせる。次いでアメジアはサフィアの肩を強く掴みながら、諭すようにゆっくりと言葉を吐き出し始めた。


「サフィア。アルラズはあなたに何をするかわからない。でも、これだけは確実にわかる。あなたは絶対に、辛い思いをする羽目になるわ。サフィアが辛いことは私も辛いことなのよ。お願い、これだけはわかって」

「でも……。アメジアはこれからもずっと、私を連れて逃げ回らなきゃいけないよね。私は平気だけど、アメジアが大変だよ……」


 アメジア自身もそれは考えたことがあった。アルラズがこの世にいる限り、サフィアを隠し、逃げ続ける生活をしなければならない――。

 現にそれは想像していたよりも、ずっと精神的に過酷だった。

 終わりの見えない逃亡生活を、この先もずっと続けていかないといけないのか。心のどこかで、アメジアも考えていたことだった。


「アメジア。そのアルラズって人と、一度お話してみようよ。アメジアも長い間会っていなかったんでしょう? もしかしたら、お話をしたらわかってくれるかもしれないよ」

「俺もサフィアの意見に賛成だな」

「リーズさん!?」

「いずれ決着をつけないといけない問題だろ? 変な話、あんたの命がいつまで持つかなんて、誰も知らないわけだ。もしも明日、いきなり病気で倒れるような事態にでもなったとしたら、残されたサフィアはどうなる?」

「それは……」


 アメジアにとっては耳が痛い言葉だった。人間の寿命が不明確なように、サフィアの、人工生命体の寿命もわからないのだ。アメジアがサフィアを残して逝く可能性は、充分にある。


「それに俺も、サフィアを攫った精霊に、個人的に聞きたいことがあるんだ」

「もしかして、お姉さんのこと?」


 サフィアの質問に、リーズは無言のまま首を縦に振った。


「今度は俺も油断しないから、その点は安心してくれ。サフィアをアルラズっていう男に渡すようなヘマはしない。……いや、昨日いきなり現れた精霊を信用しろって、無茶なことを言っているのは自分でもわかってるんだけどさ」

「私は、リーズのことを信じるよ。だって昨日も助けにきてくれたんだもん」


 そう言って破顔するサフィア。真っ直ぐと屈託のない笑顔を向けてくる彼女に、リーズは何だかむず痒くなり、ふさふさした耳の裏を無意味に掻いた。

 二人にこのように言われて尚、アメジアは強く拒否できる性格ではなかった。


「確かに、このまま逃げ続けるべきではないのかもね……」


 ある種の諦観さえ顔に滲ませながら、アメジアは力なく呟いた後、そっと瞼を閉じる。


「よし。この家の主の許可もおりたことだし。そうと決まればいつ打って出るか、早速決めようぜ」

「決める必要はないわ」

「へ?」


 アメジアは間の抜けた声を発して固まったリーズに振り返ると、軽くウインクをした。


「行きましょう。今から、ね」


 まるで憑き物でも落ちたかのように、アメジアは晴れやかな顔でそう告げた。


「えっ……。今から!?」


 いきなり決まった予定に、リーズは半ば呆然としながらアメジアに聞き返す。サフィアも目を点にして、アメジアの顔をただ見ることしかできないでいた。


「善は急げって言うでしょ。リーズさん、確認だけど、サフィアが昨日連れて行かれたのは、西の山の中にある建物で間違いないのよね?」

「あ、あぁ、そうだけど。もしかして知っているのか」

「ええ、よく知っているわ。あの山にある建物は一つだけだもの。そこはエルマール先生の研究所。アルラズは先生の研究所に、そのまま残っていたのね……」


 そう答えたアメジアの顔は、憂いを帯びたものになっていた。

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