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第10話 『私は……』

 割れたままの窓から、潮の香りと湿り気を帯びた風が部屋へと流れ込む。朝が近いのか、まだ暗いにも関わらず、鳥の(さえずり)が聞こえ始めていた。

 依然眠り続けるサフィアを、リーズは独り無言で見つめる。

 サフィアは自分が見ておくからとにかく休め、と、リーズはアメジアに睡眠を促した。サフィアのことが心配でたまらないといった顔をしていたアメジアだったが、やはり深夜の騒動に気を張り詰めていた分疲労していたらしく、おとなしく自室に戻ったのだ。

 そしてラウドは、すぐに精霊界に帰って行った。

 精霊王様に事の経緯を正直に報告するのか、と問うリーズに、ラウドはこう答えた。


『いや、精霊王様の元へ行くつもりはない。精霊王様が自分の娘の行動を知っているかそうでないのか、現時点ではわからないからな。もし精霊王様が既に承知で放置しているのなら、オレはいらんことを詮索するなと拘束されるか、最悪口を封じられるかもしれない。逆に知らなかった場合も、本来の命令を放ってつまらないことを報告しに戻ってくるなと、一蹴されるかもしれん。だから、長老様の所へ行って相談しようと思う』


 長老様というのは、隠居している先代の精霊王のことだ。二千年以上にも渡って精霊王という立場にいた彼は、隠居しても尚、精霊界のご意見番として強い影響力を持っている。

 現精霊王の娘が人間界で不穏な動きをしている今、それが最善の策であるとリーズも納得し、親友を見送ったのだった。


「……はぁ」


 リーズは深い溜息を付くと、天井を見上げた。昨日から溜息ばかり吐いているのはリーズも自覚していたが、どうにも止められない。

 姉を探しに来たはずなのに、まだまともに探せていないのだ。それどころか、妙なことに巻き込まれている。


(あ――! そういえばあの水の精霊、姉貴を知ってるような口ぶりだったけど、すっかり追求すんの忘れてた。何やってんだよ俺!?)


 思わず額に手を当て己を責めるリーズだったが、すぐに思考は切り替わる。


(いや、アメジアの話を聞く限り、あちらさんは間違いなくまたサフィアを狙ってくるだろう。その時に何としても聞き出す。闇雲に探し回るより、まずは情報だ)


 リーズは、改めてサフィアの顔を見る。いつだったか、姉が熱を出して寝込んだ時もこうやって側に座り、見守っていたことがあるのを思い出したのだ。「馬鹿は風邪をひかないって嘘だよな」とリーズがからかうと、ベッドの上から風の塊を投げられたことを思い出し、一人苦笑する。

 姉――トルスティ。リーズと同じ小麦色の髪を持つ、風の精霊。その髪色と同じく、明るく気さくだった精霊。若かったのに、果ては精霊王かと、周りから将来を有望視されていた実力の持ち主。


(どこにいるんだよ、姉貴――)


 リーズが小麦色の前髪をかき分け、頭の中でそう呟いた直後だった。サフィアがゆっくりと、ベッドから上体を起こしたのだ。その姿に気付いたリーズは小さく笑顔を作ると、いつもと同じ口調で話しかけた。


「よっ。おはよう」


 しかし、サフィアの返事はない。サフィアは首を後ろに捻り、自分の背中から生える茶色の羽を確認すると、震える手でシーツをぎゅっと握った。 


「夢じゃ……なかったんだ……」


 唇を噛み、深く俯くサフィアの表情は、リーズからは見えない。


「あぁ、夢じゃない」


 リーズはサフィアの言葉に、小さく頷きながら答える。そこで俯いていた顔を上げたサフィアは、リーズに視線を送る。その表情は不安で溢れていた。


「夢じゃないってことは、リーズ、怪我は大丈夫なの? 腕も、脚も、凄く痛そうだった」


 自分のことより、まず精霊の負った怪我を心配するサフィアに、リーズは思わず苦笑していた。


「アメジアが手当てしてくれたからな。大丈夫だ」


 そう言い、リーズはサフィアの頭をくしゃりと撫でた。今の言葉はもちろん嘘だが、今さら霊力云々などと本当のことを言う必要はないと判断したリーズは、まずサフィアを安心させることを優先したのだ。

 リーズの言葉に一瞬安堵した顔を見せるサフィアだったが、すぐにその表情は歪む。


「あの、リーズも見たよね。私……私の血、白かった……」

「あぁ」

「そして、背中から羽も生えてきた……」

「あぁ」

「私は、私は……」


 リーズを真っ直ぐ見つめながら、サフィアは声を震わせた。


「人間じゃ、なかった……」

「…………」


 空色の瞳から涙が溢れ出す。

 この少女に、一体どんな言葉をかけるべきなのか。サフィアが寝ている間中考えていたリーズだったが、結局何も思い浮かばなかった。

 いや、きっとどんな言葉も、この少女の深い傷を癒すことなどできないだろう。ならば今はただ、黙ってサフィアを見守る。今の姿のサフィアと、少しでも同じ空間にいる。それがリーズの選択だった。

 サフィアはぼろぼろと涙を零し、泣き続けた。山の中の建物の時みたいに声は上げず、ただ静かに、声を押し殺して涙を流し続けた。

 リーズは、開いたままの窓へ視線を移す。部屋を照らしていた沈みかけの月も、泣いているように見えた。

 それからどれ位の時間が経ったのか――。リーズには分からなかったが、だが決して長い時間ではなかった。


「無理矢理、創られた命」


 涙に塗れた声で唐突に、サフィアはぽつりと呟いた。


「私は、本来、存在しないはずだった命」


 リーズは口を挟まず、ただじっとサフィアの言葉に耳を傾ける。今は口を挟むべきではない。少女に胸の内を全て曝け出さすべき時だとわかっていたからこそ、リーズは黙っていた。


「私は、つくりもの。偽もの。この、涙も、痛い心も」


 サフィアの涙は枯れない。だが、リーズは何も言わなかった。ただ見ていた。泣くことで存在を証明する少女を、私の命は孤独だと世界に静かに叫ぶ少女を、ただずっと見ていた。





 サフィアの泣き方が慟哭になってしまいそうな頃を見計らい、リーズは彼女の顔にそっと手を伸ばした。そして指で涙を拭うと、誰にも見せたことのない穏やかな顔でサフィアに声をかける。 


「俺も、人間じゃないよ」


 リーズのその声は、自分でも驚くほど低く、そして優しかった。急に気恥ずかしくなった心を誤魔化すように、リーズはふさふさした尖った耳を軽くつまむと、左右に軽く振って見せた。そのリーズの動作に、サフィアは少しだけ笑顔を見せる。 


「サフィア、君は偽ものじゃない」


 リーズはそこで、左腕をサフィアに突き出した。その腕には不恰好に巻かれた包帯が巻いてある。それは昨日、治療の時にサフィアが巻いた包帯だった。突然腕を見せ付けるリーズの意図がわからず、サフィアの顔に困惑が広がる。


「サフィアが自分のことをどう思っても、サフィアの心には人間と変わらない『優しさ』がある。他人を、いや、俺みたいな精霊を気遣う優しさ。サフィアがどう思おうが、俺はその心が『本物』だと思った。俺は人間のことはよく知らないが、その心は人間にも負けないものだと思うんだ」

「…………」

「そして、アメジアもきっとそう思っている。確かに命は偽りのものかもしれないけれど、サフィアに宿る心は本物だと、きっと。だから、ずっと一緒に暮らしてきたんだ」


 リーズはそこまで言うと静かに立ち上がり、サフィアに背を向けた。


「どこに行くの?」

「そんな不安な顔すんなって。アメジアを呼んでくるだけだ」 


 軽く片手を上げると、リーズはサフィアの部屋を後にした。


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