第1話 『邂逅』
――――ペッ。
それはまるで、異物を除去するかの如く。
非常に軽い感じで『割れた』空から逆さまに吐き出されたのは、馬のような尻尾を持つ、一人の男だった。
「へっ?」
男は自分の置かれている状況を瞬時に理解できず、間の抜けた声を上げる。
彼の視界に広がるのは、オレンジ色の屋根が規則正しく連なる、美しい町並みと海。そして抜けるような青空と、薄くて白い雲――。
「あぁなるほど。ここは空……ってええええええ!?」
すぐさま状況を把握したのは良いものの、既に男の身体は重力に従い、勢い良く落下を始めていた。瞬く間に男は地面に近付いていく。
「かっ、風よ! 汝の息吹を我に分け与えよ!」
焦りながらも紡いだその言葉で、風が音を立てながら男の身体に集まり、覆う。しかし速度は落ちたものの、男の落下は止まることはなかった。
「まっ、マジでええええぇぇ!?」
男は絶叫しながら風纏う両手を地面に向けた。男の身体を纏っていた風は、今度は地面に向かって一極集中、勢い良く吹き荒れる。掌から放出する風をブレーキにし、男はただ助かることのみを必死で祈った。
間一髪。男の小麦色の前髪が地に触れるほどの、正に鼻先直前というところで、何とか止まることに成功した。
「し、死ぬかと思った……」
死を覚悟し涙目になっていた男は、逆さまの状態からくるっと体を回転させ、ゆっくりと大地を踏みしめる。足の裏の固い感触が、生きている実感を運んでくる。
「まさか空に出るとは……」
男は呟きながら、自分が落ちてきたばかりの空を仰いだ。先ほど見た薄くて白い雲が、形を少し変えながらゆっくりと風に流れていく。
「でも、ついに俺はやって来たんだ」
そして男は、視線を上から横に移動させる。感慨げに呟く彼が降り立ったのは、住宅街の裏路地らしい。灰色の煉瓦が敷き詰められた細くて人気の無い通りに、彼はぽつんと佇んでいた。
「あっ……」
男は突然小さな声を漏らすと、ある一点を見つめたまま硬直した。
通りに連なる煉瓦造りの家の内の、一軒。その家の二階の窓から、白い髪の少女が口を半開きにしたまま、男を見下ろしていたからだ。
ひらひらひら。
男は凍り付いた笑みを顔に貼り付け、その少女に向かって力無く手を振ってみた。
……ひらひらひら。
少し躊躇った後、目を丸くしたまま、少女も男に手を振り返した。
「……手を振り返したってことは、見えてるってことだよな……」
呆然と呟いたあと、男は突然回れ右をし、えび反り状態で頭を抱えた。
(嘘だろぉおッ!? 姿隠すのを忘れてたとか何やってんだよ俺! 『精霊憲法第三条、人間に姿を見せるべからず』! これかなりやばい状況なんじゃね!?)
心の中で絶叫しながら、男は短い小麦色の頭を掻き毟る。
狐のように尖った形のふさふさした耳、そして馬のような尻尾を持つ彼の名はリーズ。
風の精霊だった。