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花嵐が連れた夜に、もう一度。

作者: 音央とお
掲載日:2026/04/25

――よく歌って聴かせた、あの曲を君は覚えているかな?


「新幹線のチケット、忘れちゃダメだよ」


段ボールが重なった部屋の中、無造作に置かれたチケットを見つけて声をかけた。


それに対して夕哉は、視線も寄越さずに「うん」と頷いた。


どこから見つけてきたのか、手の中にはアルバムが収まっていた。

小さな頃の夕哉が誕生日ケーキを前に笑っている。


「懐かしいな。ホットケーキを重ねて作ったんだよね」


「……」


「こっちはろうそくが上手く消せずに泣いてる写真」


「……」


――無視ですか。


中学に入った頃からこの調子で、明日にはこの街から旅立つというのに。


「制服は寮のほうに届くんだっけ?」


「……みたい」


サッカー部の寮は相部屋らしいけど、大丈夫かな。

気の合う子と一緒になれたらいいけど。


「お腹空いたね。何か食べに行く?」


「……からかわれるから、やだ」


十五歳の少年らしい答えだ。

一緒に歩いているところを同級生に見られたくないみたいだ。


昔はどこに行くのも付いてきていたのに。


「じゃあ、何か買ってくるよ」


「……」


見送りの言葉もなく、夕哉はまだアルバムを見つめていた。

ため息をつきたくなるのを我慢して、そっと部屋を後にした。


桜が咲き始めた街を歩く。


よく遊んだ公園、膝を擦りむいて泣いた帰り道、お小遣いを握りしめて行った駄菓子屋……いろんなことが蘇ってきた。


「今日くらい、ちゃんと話がしたかったのに……」


寂しいと思っているのは私だけなのかな。

寮に入ったら連絡もくれなくなるんだろうな。


「元気でいてくれるなら、それでいいんだけどね」


整理できない苦味が、口の中に広がるようだった。


ふと目に入った鳥居に、神社に寄っていくかと思ったのは気まぐれで。

夕哉を守ってくれるようにお願いしようかな。


木々に囲まれた境内へと足を進めた。

少し空気がひんやりとしている。

ここの桜は満開のようで、春の嵐に花びらが舞った。


「すごい風……」


思わず目を閉じた。

乱れた髪を直しながら瞼を開け、身体は硬直した。


「……え?」


不気味なほど静かな場所だったはずなのに、目の前で大人や子どもたちが花見をしていた。

賑やかな声が響いている。


……誰も、いなかったはずなのに。


思わず後ずさりし、足元の違和感に気づく。

靴が違う。さっきまで履いていたシューズじゃなくて、ローファーだった。

しかも、見慣れた高校時代の……。


「え? なんで?」


全身を確かめるとセーラー服で、頭の中は真っ白になる。


スマホ……夕哉に連絡を……。


「……ない」


ポケットの中には見つからなかった。

それどころか、ガラケーが出てきて落としてしまう。

衝撃で開いた画面には、20年前の日付が記されていた。


「は? どういうこと?」


おそるおそる頬を抓ってみると、ちゃんと痛い。


「……夢じゃない」


そんなことがあるはずがないのに、妙に感触はリアルで心臓はうるさい。


「本当に20年前? 嘘でしょ……」


弾かれたように走り出す。

ここが過去なら、確かめなきゃ。


身体が軽い。

こんなに走れるのがまず信じられない。


視界に入る公園も駄菓子屋も色褪せていない。

無くなったはずの花屋や床屋が営業している。


「……夕……」


いつもの場所にいるのかな。

居てよ……。


「夕!」


河川敷で友人たちと談笑している背中を見つけ、抱きついた。


「え!?」という声を上げ、その身体は前のめりに倒れる。


「杉元じゃん、何してんの!?」


友人たちが私の様子を見て騒ぐけど、今はそれどころじゃない。

背中をきつく抱きしめる。


「……あいたかった」


少し涙ぐむ私に対して、呆気に取られている。


「……いや、どうした。急なデレ期か?」


砕けた言い方に、我慢は限界を超えた。

声を上げて泣き出す私に、男子たちは慌てふためいた。


「杉元が壊れた!?」


夕心(ゆうしん)、お前なにしたんだよ!」


「さあ? 学校では普通に飯食って、いつもと同じだったと思うけど……」


体勢を変えた夕心は、わしゃわしゃと私の頭を撫でた。

口を大きく開けて笑う姿が、小さな頃の夕哉にそっくりだ。


夕心が流行りの曲を口ずさむ。

いつの間にか二人っきりにされていて、私の涙も落ち着いた。

空はすっかり暗くなっている。


「そろそろ帰るか。お前の親父さん、門限にうるさいからな」


「……門限……」


「どうした?」


「懐かしいなって」


子どもに戻ったみたい。

この時代なら当たり前なんだけど。


「ほら」


手を差し出され、思わず眺めてしまった。

こんなに大きかったっけ。

小さな頃の夕哉の手と比べてしまう。


「……デレ期じゃないのかよ」


不貞腐れたような声に、フッと笑い声が漏れてしまう。


懐かしい感触を確かめるように握りしめた。

……剣ダコ、まだ消えてない。


「本当に夕心なんだね」


「?」


並んだ目線の高さも、まつげの長い目元も、驚くほど今の夕哉みたい。

時々、どっちに触れているのか分からなくなる。


「……帰るったって、どうやって帰るんだろう」


ぽつりと呟く。

足は実家に向けられているけど、夕哉のいる未来への帰り方が分からなかった。



*   *   *



「あらあら、夕心くん。巴菜(はな)のことを送ってくれたの? せっかくだから、ご飯食べていく?」


家に帰ると母親が出てきて、夕心のことを構いたがった。

止めなければ、ずっとしゃべり続けそうだ。


「お父さんは遅いから遠慮しないで。今日はロールキャベツなの」


「えっと……」


こちらを見る夕心に「帰らないで」と呟く。


「……はい」


胸元を押さえながら、夕心は家の中へと入った。

お兄ちゃんたちのスニーカー、おばあちゃんが生けた花瓶、細かなところに気づいてしまう。


「夕心じゃん! ゲームしようぜ」


「はい」


2人の兄たちも夕心を構いたがる。

いつの間にかみんなの輪の中にいるタイプなんだよね……。


「……私もここにいる」


「珍しいな、巴菜がゲームを見たがるなんて」


夕心の隣に座って、テレビじゃなくてコントローラーを握る手を見つめた。上手だったよね。

一緒にゲームをしても、いつも負けていたことを思い出した。


「次はサッカーゲームしようぜ。クラブチーム作るやつ」


兄の提案に、夕心は唸りながら選手を構成する。

実際に存在する選手やチームだから、聞き覚えのある名前を見つけた。


「巴菜はサッカーなんて見ても分からないだろ?」


「そんなことないよ。あっ、ゴールキーパーならこの人がいい」


「誰だよ、これ」


「いいから、この人にして!」


数年前までまだ現役だった、夕哉の憧れの選手だ。


「なんか今日の巴菜のテンションがおかしくないか?」


「そう?」


高校時代がどんな感じだったかなんて覚えていない。

夕心は体調を心配し始めたけど、身体は元気だ。


「ご飯できたわよー」という母の呼びかけにゲームは中断した。


「さっき、メールが来たんだけど……お父さんは現場のトラブルで朝まで帰れないみたい。明日は休日だし、泊まっていっちゃう?」


「お母さん、夕のことを無理に引きとめないで」


一緒にいたいけど、遠慮して夕心は帰ってしまうだろう。

……そう思ったのに。


「じゃあ、お言葉に甘えます」


「えっ」


「今日の巴菜、変だし……」


そこまで心配されるとは思わなかったけど、まだ一緒にいられるんだ……。

胸が少し苦しくなった。



*   *   *



兄たちに付き合わされて、夕心は遅くまでゲームをしていた。賑やかなリビングに目を細める。


「そろそろ風呂に入ってくる」


「俺は彼女と電話」


兄たちは一旦席を外すみたいで、二人っきりになった途端に静寂が訪れる。

どちらともなく視線を合わせ、廊下から聞こえてくる足音に、また目を逸らした。


「明日、どこかに出かけるか?」


「明日……」


そんな約束をして、私は叶えられるのかな。

起きたら時間が戻っていないかな?


「夕心と一緒にいられるなら、なんでもいい」


はぐらかすための返事だけど、本心でもあった。


「えっ、可愛……。これって夢じゃないよな?」


「……わかんないよ」


「何その返事……」


そんなのこっちが知りたい。

俯く私に対して、夕心は咳払いをした。


「悩んでることあるなら話を聞くけど」


「……なんで?」


「なんとなく、辛そうな気がして」


よく見てるなぁ。

でも、タイムリープしたかもなんて信じるはずがないよね。

少し考えてから、口を開いた。


「ずっと一緒にいたいのに、相手が離れていったらどうする?」


「え?」


「大好きなのに……会えなくなったら」


「急にどうした!?」


おろおろと手を動かしながら、夕心は慌てている。


「約束、したのにぁ……」


鼻の奥がツンとする。

すると、むぎゅっと潰すように頬を潰された。


「よく分からないけど! 俺はずっと傍にいるから」


「……」


「だから、寂しがるな」


「……ずっとって、何で言えるの?」


きょとんとした顔になったかと思えば、夕心は大きく口を開けて笑った。


「俺は死んでも巴菜の傍にいる気がする。だって、お前って目が離せないからさ、離れられないよ」


「……死んでもとか笑えない」


「えっ! やっぱり重かった!? でも、本心だしなー」


「それ本心なんだ……」


軽口のようで、内容は軽くない。


「たとえ離れても、想い合っていれば通じると思う。だから、巴菜が誰かのことを思っているなら……それは寂しいことじゃない」


「……」


「まあ、お前って口下手なところあるから。寂しいならちゃんと寂しいとか口にしろよ。伝わらないことってあるからさ」


「……うん」


段ボールだらけの部屋の真ん中で、アルバムを広げている夕哉を思い浮かべた。


――心配そうな夕心の表情を見ていると、少し話したくなった。


「その子ね……親戚の子なんだけど、サッカーが上手で遠い場所の高校に進学するんだ」


「男だったのか!? 」


こんな時間に大声を出さないで。


「小さい頃はいつも一緒に居たがって、結婚するとまで言ってくれて」


「まさかのライバル……?」


「なのに、最近はろくに喋ってもくれなくて」


「いいよ、そんな奴と喋らなくて! 巴菜には俺がいるから!! もうそんな奴の話はしなくていい!」


自分の耳を押さえ始めた夕心に呆れてしまう。


「大事な子だから、夕心には聞いてほしかったの。……ちゃんと、知ってほしくて」


「……」


渋々といった様子で、夕心は耳から手を離した。

口をきつく結んで堪えるようにしながら、話を聞いてくれた。


「夕心に結構似てると思う」


「……えー」


露骨に顔を歪めた。


「嫌?」


「……嫌かも。巴菜のことを取られそうで」


その答えには目を丸くしてしまう。

夕心ってこんなに子どもっぽかったかな?


こんな話をしたことがなかったかも。

知らない一面を知った気分だ。


「夕が子どもみたいなこと言うから、会いたくなっちゃったな」


「……ええー」


理解不能って顔。

全部話しちゃいたくなる。


「……近いうちに、夕もあの子に会えると思うから」


「会いたくない。強力なライバルになる気がする。優しくできない!」


「……それは困るかな」


でも、大丈夫。

あなたは会いたくてたまらなくなるよ。


「ねえ、夕」


そっと手を取る。

竹刀で出来た膨らみを指でなぞれば、夕心はくすぐったそうに身をよじった。


「私だけじゃなくて、あの子のことも守ってね」


「……なんで俺が?」


「お願い。約束してくれたら嬉しい」


「……」


返事の代わりに、夕心は手を握り返してくれた。

こういうところ甘い。


「約束だからね」


念を押す私に、気まずそうに目を逸らす。

そんなところが益々似ていると思った。


その後は兄たちが戻ってきて、映画を見ていたらリビングでみんなで寝落ちていた。

私も繋いだ夕心の手の温もりに安心して、ぐっすりと眠ってしまったんだと思う。


――それが、この不思議な出来事の終わり。




*   *   *




目を開けると見慣れた天井があった。

でも、実家のリビングじゃない。


身体を起こして周囲を確認すると、夕哉が小さい頃に三人で撮った写真が目に入る。


息子に頬ずりをする夕心はいつもの満面の笑みで、さっきまであったと思った温もりが恋しくなった。


「おはよう。今日も見守っていてね」


少しだけ目の奥が熱くなりながらも、朝の準備を始めるために動き始める。


枕元のスマホを見ると、夕哉が家を出ていく日になっていた。

……昨夜の記憶が全くない。


なんとなく、今日の気分はホットケーキ。

手を動かしながら、懐かしい歌を口ずさむ。

眠れないって甘える夕哉に、夕心がよく歌っていた。


「夕哉ー! ご飯だよー」


呼びかけに返事はない。

階段を降りてくる音だけが聞こえてくる。


「おはよう!」


「……」


「返事は?」


「……なんでそんなに元気なの」


呆れを含んだ声を聞いて苦笑する。

でも、その身体はちょっとそわそわしていた。

部屋の中に匂いが充満しているせいかな。


「はい、ホットケーキ。いっぱい食べていいよ」


「……うん」


頬を膨らませるほど口の中に入れて、味わうように噛んでいる。

こういうところが子どもらしいかな。


今のうちに調理器具を洗ってしまおうと水道をひねる。

また歌を口ずさんだのは無意識だった。


ふと振り向くと、夕哉がこちらを見ていた。

こんなに視線が合ったのはいつ以来だろう。


「なんか今日の母さんのテンションがおかしい……」


怪訝な表情に、夕心が重なった。

……そういうところだよね。


思わず笑いながら、私は返す。


「そう?」





――End.






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