花嵐が連れた夜に、もう一度。
――よく歌って聴かせた、あの曲を君は覚えているかな?
「新幹線のチケット、忘れちゃダメだよ」
段ボールが重なった部屋の中、無造作に置かれたチケットを見つけて声をかけた。
それに対して夕哉は、視線も寄越さずに「うん」と頷いた。
どこから見つけてきたのか、手の中にはアルバムが収まっていた。
小さな頃の夕哉が誕生日ケーキを前に笑っている。
「懐かしいな。ホットケーキを重ねて作ったんだよね」
「……」
「こっちはろうそくが上手く消せずに泣いてる写真」
「……」
――無視ですか。
中学に入った頃からこの調子で、明日にはこの街から旅立つというのに。
「制服は寮のほうに届くんだっけ?」
「……みたい」
サッカー部の寮は相部屋らしいけど、大丈夫かな。
気の合う子と一緒になれたらいいけど。
「お腹空いたね。何か食べに行く?」
「……からかわれるから、やだ」
十五歳の少年らしい答えだ。
一緒に歩いているところを同級生に見られたくないみたいだ。
昔はどこに行くのも付いてきていたのに。
「じゃあ、何か買ってくるよ」
「……」
見送りの言葉もなく、夕哉はまだアルバムを見つめていた。
ため息をつきたくなるのを我慢して、そっと部屋を後にした。
桜が咲き始めた街を歩く。
よく遊んだ公園、膝を擦りむいて泣いた帰り道、お小遣いを握りしめて行った駄菓子屋……いろんなことが蘇ってきた。
「今日くらい、ちゃんと話がしたかったのに……」
寂しいと思っているのは私だけなのかな。
寮に入ったら連絡もくれなくなるんだろうな。
「元気でいてくれるなら、それでいいんだけどね」
整理できない苦味が、口の中に広がるようだった。
ふと目に入った鳥居に、神社に寄っていくかと思ったのは気まぐれで。
夕哉を守ってくれるようにお願いしようかな。
木々に囲まれた境内へと足を進めた。
少し空気がひんやりとしている。
ここの桜は満開のようで、春の嵐に花びらが舞った。
「すごい風……」
思わず目を閉じた。
乱れた髪を直しながら瞼を開け、身体は硬直した。
「……え?」
不気味なほど静かな場所だったはずなのに、目の前で大人や子どもたちが花見をしていた。
賑やかな声が響いている。
……誰も、いなかったはずなのに。
思わず後ずさりし、足元の違和感に気づく。
靴が違う。さっきまで履いていたシューズじゃなくて、ローファーだった。
しかも、見慣れた高校時代の……。
「え? なんで?」
全身を確かめるとセーラー服で、頭の中は真っ白になる。
スマホ……夕哉に連絡を……。
「……ない」
ポケットの中には見つからなかった。
それどころか、ガラケーが出てきて落としてしまう。
衝撃で開いた画面には、20年前の日付が記されていた。
「は? どういうこと?」
おそるおそる頬を抓ってみると、ちゃんと痛い。
「……夢じゃない」
そんなことがあるはずがないのに、妙に感触はリアルで心臓はうるさい。
「本当に20年前? 嘘でしょ……」
弾かれたように走り出す。
ここが過去なら、確かめなきゃ。
身体が軽い。
こんなに走れるのがまず信じられない。
視界に入る公園も駄菓子屋も色褪せていない。
無くなったはずの花屋や床屋が営業している。
「……夕……」
いつもの場所にいるのかな。
居てよ……。
「夕!」
河川敷で友人たちと談笑している背中を見つけ、抱きついた。
「え!?」という声を上げ、その身体は前のめりに倒れる。
「杉元じゃん、何してんの!?」
友人たちが私の様子を見て騒ぐけど、今はそれどころじゃない。
背中をきつく抱きしめる。
「……あいたかった」
少し涙ぐむ私に対して、呆気に取られている。
「……いや、どうした。急なデレ期か?」
砕けた言い方に、我慢は限界を超えた。
声を上げて泣き出す私に、男子たちは慌てふためいた。
「杉元が壊れた!?」
「夕心、お前なにしたんだよ!」
「さあ? 学校では普通に飯食って、いつもと同じだったと思うけど……」
体勢を変えた夕心は、わしゃわしゃと私の頭を撫でた。
口を大きく開けて笑う姿が、小さな頃の夕哉にそっくりだ。
夕心が流行りの曲を口ずさむ。
いつの間にか二人っきりにされていて、私の涙も落ち着いた。
空はすっかり暗くなっている。
「そろそろ帰るか。お前の親父さん、門限にうるさいからな」
「……門限……」
「どうした?」
「懐かしいなって」
子どもに戻ったみたい。
この時代なら当たり前なんだけど。
「ほら」
手を差し出され、思わず眺めてしまった。
こんなに大きかったっけ。
小さな頃の夕哉の手と比べてしまう。
「……デレ期じゃないのかよ」
不貞腐れたような声に、フッと笑い声が漏れてしまう。
懐かしい感触を確かめるように握りしめた。
……剣ダコ、まだ消えてない。
「本当に夕心なんだね」
「?」
並んだ目線の高さも、まつげの長い目元も、驚くほど今の夕哉みたい。
時々、どっちに触れているのか分からなくなる。
「……帰るったって、どうやって帰るんだろう」
ぽつりと呟く。
足は実家に向けられているけど、夕哉のいる未来への帰り方が分からなかった。
* * *
「あらあら、夕心くん。巴菜のことを送ってくれたの? せっかくだから、ご飯食べていく?」
家に帰ると母親が出てきて、夕心のことを構いたがった。
止めなければ、ずっとしゃべり続けそうだ。
「お父さんは遅いから遠慮しないで。今日はロールキャベツなの」
「えっと……」
こちらを見る夕心に「帰らないで」と呟く。
「……はい」
胸元を押さえながら、夕心は家の中へと入った。
お兄ちゃんたちのスニーカー、おばあちゃんが生けた花瓶、細かなところに気づいてしまう。
「夕心じゃん! ゲームしようぜ」
「はい」
2人の兄たちも夕心を構いたがる。
いつの間にかみんなの輪の中にいるタイプなんだよね……。
「……私もここにいる」
「珍しいな、巴菜がゲームを見たがるなんて」
夕心の隣に座って、テレビじゃなくてコントローラーを握る手を見つめた。上手だったよね。
一緒にゲームをしても、いつも負けていたことを思い出した。
「次はサッカーゲームしようぜ。クラブチーム作るやつ」
兄の提案に、夕心は唸りながら選手を構成する。
実際に存在する選手やチームだから、聞き覚えのある名前を見つけた。
「巴菜はサッカーなんて見ても分からないだろ?」
「そんなことないよ。あっ、ゴールキーパーならこの人がいい」
「誰だよ、これ」
「いいから、この人にして!」
数年前までまだ現役だった、夕哉の憧れの選手だ。
「なんか今日の巴菜のテンションがおかしくないか?」
「そう?」
高校時代がどんな感じだったかなんて覚えていない。
夕心は体調を心配し始めたけど、身体は元気だ。
「ご飯できたわよー」という母の呼びかけにゲームは中断した。
「さっき、メールが来たんだけど……お父さんは現場のトラブルで朝まで帰れないみたい。明日は休日だし、泊まっていっちゃう?」
「お母さん、夕のことを無理に引きとめないで」
一緒にいたいけど、遠慮して夕心は帰ってしまうだろう。
……そう思ったのに。
「じゃあ、お言葉に甘えます」
「えっ」
「今日の巴菜、変だし……」
そこまで心配されるとは思わなかったけど、まだ一緒にいられるんだ……。
胸が少し苦しくなった。
* * *
兄たちに付き合わされて、夕心は遅くまでゲームをしていた。賑やかなリビングに目を細める。
「そろそろ風呂に入ってくる」
「俺は彼女と電話」
兄たちは一旦席を外すみたいで、二人っきりになった途端に静寂が訪れる。
どちらともなく視線を合わせ、廊下から聞こえてくる足音に、また目を逸らした。
「明日、どこかに出かけるか?」
「明日……」
そんな約束をして、私は叶えられるのかな。
起きたら時間が戻っていないかな?
「夕心と一緒にいられるなら、なんでもいい」
はぐらかすための返事だけど、本心でもあった。
「えっ、可愛……。これって夢じゃないよな?」
「……わかんないよ」
「何その返事……」
そんなのこっちが知りたい。
俯く私に対して、夕心は咳払いをした。
「悩んでることあるなら話を聞くけど」
「……なんで?」
「なんとなく、辛そうな気がして」
よく見てるなぁ。
でも、タイムリープしたかもなんて信じるはずがないよね。
少し考えてから、口を開いた。
「ずっと一緒にいたいのに、相手が離れていったらどうする?」
「え?」
「大好きなのに……会えなくなったら」
「急にどうした!?」
おろおろと手を動かしながら、夕心は慌てている。
「約束、したのにぁ……」
鼻の奥がツンとする。
すると、むぎゅっと潰すように頬を潰された。
「よく分からないけど! 俺はずっと傍にいるから」
「……」
「だから、寂しがるな」
「……ずっとって、何で言えるの?」
きょとんとした顔になったかと思えば、夕心は大きく口を開けて笑った。
「俺は死んでも巴菜の傍にいる気がする。だって、お前って目が離せないからさ、離れられないよ」
「……死んでもとか笑えない」
「えっ! やっぱり重かった!? でも、本心だしなー」
「それ本心なんだ……」
軽口のようで、内容は軽くない。
「たとえ離れても、想い合っていれば通じると思う。だから、巴菜が誰かのことを思っているなら……それは寂しいことじゃない」
「……」
「まあ、お前って口下手なところあるから。寂しいならちゃんと寂しいとか口にしろよ。伝わらないことってあるからさ」
「……うん」
段ボールだらけの部屋の真ん中で、アルバムを広げている夕哉を思い浮かべた。
――心配そうな夕心の表情を見ていると、少し話したくなった。
「その子ね……親戚の子なんだけど、サッカーが上手で遠い場所の高校に進学するんだ」
「男だったのか!? 」
こんな時間に大声を出さないで。
「小さい頃はいつも一緒に居たがって、結婚するとまで言ってくれて」
「まさかのライバル……?」
「なのに、最近はろくに喋ってもくれなくて」
「いいよ、そんな奴と喋らなくて! 巴菜には俺がいるから!! もうそんな奴の話はしなくていい!」
自分の耳を押さえ始めた夕心に呆れてしまう。
「大事な子だから、夕心には聞いてほしかったの。……ちゃんと、知ってほしくて」
「……」
渋々といった様子で、夕心は耳から手を離した。
口をきつく結んで堪えるようにしながら、話を聞いてくれた。
「夕心に結構似てると思う」
「……えー」
露骨に顔を歪めた。
「嫌?」
「……嫌かも。巴菜のことを取られそうで」
その答えには目を丸くしてしまう。
夕心ってこんなに子どもっぽかったかな?
こんな話をしたことがなかったかも。
知らない一面を知った気分だ。
「夕が子どもみたいなこと言うから、会いたくなっちゃったな」
「……ええー」
理解不能って顔。
全部話しちゃいたくなる。
「……近いうちに、夕もあの子に会えると思うから」
「会いたくない。強力なライバルになる気がする。優しくできない!」
「……それは困るかな」
でも、大丈夫。
あなたは会いたくてたまらなくなるよ。
「ねえ、夕」
そっと手を取る。
竹刀で出来た膨らみを指でなぞれば、夕心はくすぐったそうに身をよじった。
「私だけじゃなくて、あの子のことも守ってね」
「……なんで俺が?」
「お願い。約束してくれたら嬉しい」
「……」
返事の代わりに、夕心は手を握り返してくれた。
こういうところ甘い。
「約束だからね」
念を押す私に、気まずそうに目を逸らす。
そんなところが益々似ていると思った。
その後は兄たちが戻ってきて、映画を見ていたらリビングでみんなで寝落ちていた。
私も繋いだ夕心の手の温もりに安心して、ぐっすりと眠ってしまったんだと思う。
――それが、この不思議な出来事の終わり。
* * *
目を開けると見慣れた天井があった。
でも、実家のリビングじゃない。
身体を起こして周囲を確認すると、夕哉が小さい頃に三人で撮った写真が目に入る。
息子に頬ずりをする夕心はいつもの満面の笑みで、さっきまであったと思った温もりが恋しくなった。
「おはよう。今日も見守っていてね」
少しだけ目の奥が熱くなりながらも、朝の準備を始めるために動き始める。
枕元のスマホを見ると、夕哉が家を出ていく日になっていた。
……昨夜の記憶が全くない。
なんとなく、今日の気分はホットケーキ。
手を動かしながら、懐かしい歌を口ずさむ。
眠れないって甘える夕哉に、夕心がよく歌っていた。
「夕哉ー! ご飯だよー」
呼びかけに返事はない。
階段を降りてくる音だけが聞こえてくる。
「おはよう!」
「……」
「返事は?」
「……なんでそんなに元気なの」
呆れを含んだ声を聞いて苦笑する。
でも、その身体はちょっとそわそわしていた。
部屋の中に匂いが充満しているせいかな。
「はい、ホットケーキ。いっぱい食べていいよ」
「……うん」
頬を膨らませるほど口の中に入れて、味わうように噛んでいる。
こういうところが子どもらしいかな。
今のうちに調理器具を洗ってしまおうと水道をひねる。
また歌を口ずさんだのは無意識だった。
ふと振り向くと、夕哉がこちらを見ていた。
こんなに視線が合ったのはいつ以来だろう。
「なんか今日の母さんのテンションがおかしい……」
怪訝な表情に、夕心が重なった。
……そういうところだよね。
思わず笑いながら、私は返す。
「そう?」
――End.




