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第5話 紫を纏う、戦場の入場


「今日は勝負の日だから、一日エスコートよろしく」


そう告げて、ローゼリアはわずかに微笑んだ。声音は軽いが、翡翠の瞳はまっすぐ未来だけを見ている。


ルカリウスは小さく眉を寄せた。


「……何か、作戦はあるんですか」


低く落ち着いた声で、短い問いを投げる。余計な言葉を挟まないところが、ルカリウスらしい。


ローゼリアは一歩だけ距離を詰めた。ふわりと香るベチバー。乾いた夜の匂いに、胸の奥がわずかにほどける。


「ただ、見守っていて」


そう言って、ルカリウスの手に自分の指を重ねる。冷たいはずの指先。けれどその奥には、確かな熱が宿っている。


ルカリウスは一瞬だけドレスへ視線を落とした。夜を纏うその姿は、守られる王女ではない。──選ぶ側の女だ。何かを言いかけて、唇を閉じる。代わりに、小さく息を吐いた。


「……仰せのままに」


声音は変わらない。紫の瞳には、静かな警戒が潜む。今日がただの誕生日ではないことを、理解している。


二人は並んで歩き出した。長い回廊に、薄い午後の光が差し込む。白と金の宮殿に、黒と銀が落ちる。ヒール音が回廊に響く。それは祝宴へ向かう足音ではない。戦場へ向かう足音だった。



◇◇◇



やがて、大広間の重厚な扉がゆっくりと開く。ざわめきが波のように広がり──次の瞬間、ぴたりと止んだ。


「第一王女、ローゼリア・ヴァル・ノクティス王女のご入場です」


高らかな宣言が、天井画の下で幾重にも反響する。


細かな銀糸と宝石をちりばめた黒いドレスがシャンデリアの光を呑み込み、奥へ沈める。胸元で揺れる宝石は、王族を象徴する赤ではない。深く、血より暗い紫だ。


──赤ではない。


最初にそれに気づいたのは、玉座の下で待つ婚約者──北境公爵家嫡男、カシアン・ヴェルモント小公爵だった。


視線がゆっくりとローゼリアをなぞる。胸元、指先、宝石を散らした裾。紫が、炎を一息だけ黙らせる。


そして──隣に立つルカリウスへ。ほんのわずかに、間が生まれた。


「……私の贈ったドレスは、お気に召しませんでしたか?」


穏やかな声音。整った響き。その奥に温度はない。祝宴に溶け込まない、薄い冷気が潜んでいる。


ローゼリアは視線を逸らさない。まっすぐ告げる。


「今日は、ルカリウスと色を合わせたかったの」


言葉が落ちた瞬間、視線が目に見えない波紋のように揺れた。燭台の炎がひとつ、揺らぐ。小公爵の瞳が、初めて細められた。


黒と銀。そして、紫。並び立つその姿は、最初から一枚の絵として描かれていたかのように完成している。


「なるほど」


所作は優雅。声も柔らかい。けれど視線だけが冷えている。


「護衛と色を合わせるとは……今日が何を意味する日なのか、ご理解されていないようだ」


"護衛"。その言葉だけが、わずかに強く落ちる。広間のざわめきが、かすかに波打った。ローゼリアは首を傾げる。挑発ではない。澄んだ無垢の仕草だ。


「今日は、私の誕生日よ」


微笑みは崩さない。翡翠の瞳は、まっすぐだ。


「誰と並びたいかくらい、選んでもいいでしょう?」


楽団の旋律が、一瞬だけ遠のいた気がした。


小公爵の視線がゆっくりとルカリウスへ移る。上から下へ。隠しもしない品定めだ。


ルカリウスは真正面から受け止めた。退かない、挑まない。沈黙だけが、矜持になる。


「王女様は、その高貴な血筋の重みをお忘れのようだ」


柔らかな声音に包まれた、明確な牽制だった。


ローゼリアは、そっとルカリウスの腕に指先をかける。黒と銀と紫が、静かに重なる。その仕草は、宣言だ。


「高貴だからこそ、選べるのよ」


広間の緊張がゆっくりと張り詰めていく中、小公爵の表情がほんの刹那だけ硬くなった。その揺れは、嫉妬か。執着か、それとも、再計算か。すぐに整う、何も失っていない者の顔へ。


「……では」


一歩、距離を詰める。礼節を崩さぬまま、退路を閉じる動きだ。白い手袋に包まれた指先が差し出される。


袖口で、深紅のルビーが燭台の光を受けて鋭く瞬いた。祝いの色。本来なら──ローゼリアと並ぶはずだった赤。


「最初のダンスを、私にいただけますか?」


穏やかな眼差し。けれど奥に沈むのは問いではない。当然だといわんばかりの所有欲だ。


ローゼリアはゆっくりと瞬きをする。沈黙が、一瞬落ちた。


「もちろん」


柔らかな声。ほんの一呼吸分、間を置く。


「ダンスの時間だけは」


その"だけ"が、婚約という未来を薄く切り裂く。紫が、静かに赤を拒んだ。


黒の裾で宝石が揺らめく。隣で、ルカリウスの指先がほんの僅かに強くなる。言葉はない。それでもローゼリアには届く。


小公爵はそれも見ている。理解しながらも、笑う。沈んでいるのは選ばれることを疑わぬ、静かな支配だ。


「では──お手をどうぞ、王女様」


広間の視線が一斉に集まる。ローゼリアは一瞬だけ、ルカリウスを見た。翡翠の瞳が、ほんの一瞬熱を含む。


(──これは作戦よ)


言葉にならない合図。そして、ゆっくりと小公爵の手に指先を重ねた。燭台の炎が、二人の影を床へ落とす。音楽が次の旋律を奏で始める。


黒と赤が、広間の中央へ溶けていく。


(──必ず、やり遂げてみせる)


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