第41話 回帰の残響
闇は、やわらかい。意識の底で、白い冷気がゆっくりと積もっていく。
静まり返った夜。音を吸い込む雪。足元が、冷たい。石ではない。凍りつく白い粒が、膝の下で軋む。
──雪。
降りたてのはずなのに、その一部だけがゆっくりと赤に変わっている。
「……リア」
声が、遠い。今の声じゃない。もっと掠れていて、もっと弱い。けれど確かに、あの人の声。
白いドレスが、赤に変わっていく。腕の中に、崩れ落ちる重み。雪を染める血が、止まらない。白と赤の境界が、溶けていく。
「……ルカ?」
視界が滲む。胸が温かい。違う。温かいのは、血だ。ルカリウスの胸から溢れている。止まらない。止められない。握った指の隙間から、赤が零れる。雪が吸う。吸いきれずに、さらに広がる。
「……泣くな」
かすれた声。それでも、笑おうとしている。
「俺が……強いの……知ってるだろ」
強がりだった。立てないくせに。呼吸も浅いくせに。それでも最後まで、“強い男”でいようとした。
ローゼリアの手が、震える。いや。震えていない。もう、何かが壊れている。
「いや……ルカ……死なないで……」
願いでも命令でも祈りでもない。理性のない、衝動だった。
ただ、この人を失いたくない。それだけで──禁忌に触れた。
右手首が、焼ける。
月が鈍く光る。雪が逆さに舞い上がる。光が爆ぜる。世界が裂ける。体の奥から、何かが引き抜かれる。骨の髄まで削られる感覚。王族性。未来。寿命。全部、代償にして。
「……ルカを、返して」
叫びにもならない声。時間が、巻き戻る。赤い雪が白へ戻る。傷が、閉じる。呼吸が、戻る。
──けれど。
雪の向こう。遠く、兵の足跡。そして白の中に立つ、青い瞳。
知らない顔だった。なのに、冷たい声だけが耳に残る。
「処理しろ」
雪を踏む音。矢が番えられる音。合理の選択。王家を守るための排除。
「……やめて」
声が届かない。夢だから。終わった未来だから。
赤い雪が、再び広がる。ルカリウスが、倒れる。月が、あまりに静かだ。
「リア」
腕の中にあるのは、温かい鼓動。今のルカリウス。“選んだ”男。あの夜とは違う声。生きている声。
ルカリウスはもう、強さより先に──ローゼリアを選んでいる。
雪が、揺らぐ。過去と現在が、重なる。罪も。禁忌も。消えない何かも。
雪の向こうに立つ、青い瞳。知っている気がする。知っているのに、名前が出てこない。
遠くで、雪を踏む音が止まる。
夢の外から、金属の音が届く。
カチ。カチ。カチ。
目を閉じたまま、ローゼリアの指がわずかに動く。
満月は終わった。けれど──赤い雪は、まだ溶けきっていない。回帰は、まだ終わっていない。




