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第37話 全部知ってる目


研究塔の外廊。石床が月光を冷たく反射し、回廊の奥まで白く伸びていた。


エリオはひとり、月を見上げていた。懐中時計を開く。秒針は、正常に動いている。


止めた。確かに、止めた。数秒。世界を。ルカリウスが噛み切る寸前、セラフィオンが介入しようとした瞬間、あの二秒を切り取った。


代償はまだ来ない。けれど確実に、蓄積している。エリオは深く息を吐く。


「……ほんと、やばいよ」


軽い口調。目は笑っていない。


観測室の奥でセラフィオンはまだ立っている。理性の顔で。


でもあの瞬間、ルカリウスの牙がローゼリアに触れたとき、セラフィオンの視線は完全に変わった。あれは、もう観測者の目じゃなかった。奪われる側の目だった。


そして、ルカリウスの左目。あの赤の濃さ。あれは、ただの満月反応じゃない。


(血の共鳴が、強すぎる)


王族性に引っ張られている。いや──“引き合っている”。


エリオは月を背にして振り返る。回廊の奥でルカリウスが壁に拳を打ちつけている。


「……ほんとさ」


小さく呟く。


「あれ、運命なんて言葉は嫌いだけど、そういう匂いがするんだよね」


紫と赤。あの残り方は、ただの満月反応じゃない。拒絶されていない。むしろ、どこかで噛み合いかけている。


エリオはゆっくり目を細める。全部じゃない。でも、回帰前のあの夜、ルカリウスの血はあそこまで暴れなかった。


何かが変わっている。時間を戻した影響か。それとも──もっと前から、そこにあったものが表に出ただけか。


「研究者さんも、気づいてるよね」


小さく笑う。あの研究者は賢い。だから怖い。理論で愛を殺せる男だ。


でも今日、ローゼリアが倒れた瞬間、ルカリウスが声を荒げた瞬間、ほんの一瞬だけ理性が崩れた。


エリオは懐中時計を閉じる。


「誰から壊れるか分かんない感じ、最悪だなぁ」


軽そうに見える笑みの奥で、瞳だけが冷たく光る。


もし次の満月で、王族性がまた暴走したら。


ルカリウスは噛む。


ローゼリアは、たぶん拒まない。


そしてセラフィオンは、きっと介入する。


そのとき、自分は、また止めるのか。寿命を削って?


「……やだなぁ」


ぽつり、と零す。


「みんな、自分の命を軽く使いすぎ」


月が、角度を変えていく。満月は終わった。でも、均衡は、もう崩れている。


──全部知っている者の目で、エリオはただ月を見ていた。


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