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第3話 渇きの匂い


低いノックの音が天井へ跳ね、戻ってくる。扉が開くと同時に、朝の空気に混じって影が入り込んだ。


黒尽くめの男が、一歩、部屋へ踏み入れる。銀髪は光を孕み、淡い紫の瞳は夜の底の色を静かに隠していた。


──ルカリウス・レヴァイン。ローゼリアの、護衛騎士だ。


その鋭い視線が、真っ直ぐローゼリアを覗き込む。その姿を見た瞬間、胸の奥がきつく締めつけられた。


(生きてる)


たったそれだけで、瞼の裏がじわりと熱くなる。死の記憶が、体温として戻ってくる。


「……ルカ」


名前を呼ぶだけなのに、呼吸がうまくできない。


ほんの一瞬、目を閉じる。それだけで十分だった。


「……どうかしら?」


ルカリウスは一定の距離で止まり、首を少し傾け、いつもより僅かに長く黒いドレスを辿った。


「……黒ですか」


甘く低い、重力のように沈んでくるルカリウスの声。獣の視線が鎖骨から足元へ滑る。評価ではない。確認だ。そしてわずかに、空気を吸い込んだ。


黒い絹に重なるダマスクローズ。その奥から滲むのはローゼリアの肌に沈むホワイトムスク、さらに深い場所から、熟したワインのような濃い血の気配がした。


その瞬間、ルカリウスの舌の奥がひりいた。


足りない。ずっと足りない。どれだけ血を啜っても埋まらなかった空洞が、今はじめて形を持ちかけている。


「あなたが黒を選ぶときは、何かを切り捨てるときだ」


ルカリウスらしい、とローゼリアは思った。その男を愛しむように、微笑む。


「似合うかどうかを聞いているのよ」


「……見た目だけなら、この国で一番でしょう」


わずかに口角を上げ、軽い口調でルカリウスは言った。


ローゼリアは一歩、近づいた。距離が縮まるほど、香りが濃くなる。ルカリウスの理性を撫でるような熱が、本能を一歩前へ押し出しかける。


(あと一年)


その数字は祈りではない。死刑宣告の期限だ。


(今度こそ、あなたを選ぶ)


「今日は静かですね──誕生日なのに浮かれてない」


ルカリウスの視線が首筋に落ちる。


理性で整えた声の裏で、微かに感じる喉の奥の渇きの音。


(渇いてる……)


その渇きは、吸血族の飢えとは少し違う。もっと根深くて、もっと欠けている何か。


──その欠けている部分を、私が埋める。


「ルカ──私と契約しましょう」


ルカリウスの喉が、わずかに動いた。飲み込んだのは息か、衝動か。


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