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第25話 王族は未来を選ぶ


午後の光はゆるやかに傾き、温室の中にやわらかな影を落としていた。ガラス越しに差し込む淡い陽射しが花弁を透かし、白い石床に色彩を滲ませる。


甘い花の香りと紅茶の湯気が混ざり合い、世界の外側から切り離されたような静けさがそこにはあった。エリオの甘さが、空間に馴染んでいる。けれど、その奥にある金属の冷えが、会話の芯を逃がさない。


エリオは三つ目のマカロンを摘み、楽しげに頬張りながら、じっとローゼリアを見つめる。


「で?」


重い話のあとほど、エリオはわざと空気を軽くする。


「……どこまでいったの?」


ローゼリアが紅茶を吹きかけそうになり、慌ててカップを置いた。


「……何よ急に」


「だってさ、あそこまで空気煮詰まってて、何もないわけないでしょ」


にやり、といたずらっぽく笑う。甘い香りが弾む。


「してないわ」


「未遂?」


沈黙が落ちた。エリオの目がゆっくりと細くなる。甘さの奥の冷えが、ここで一瞬だけ覗く。


「したんだ」


「……触れただけよ」


小さくこぼれた声に、エリオは満足げに頷いた。


「それが一番危ないやつ〜」


花の甘い香りの中で、ローゼリアの頬がほんのりと色づく。その色は恋の熱だけじゃない。“越えない”と決めた理性の赤だ。


「ルカ兄ってさ、衝動で動くタイプでしょ。でも、ああいう男が止まったときって、本気だよ」


ローゼリアは視線を逸らす。


「わかったようなこと、言わないで」


「わかるよ」


エリオは軽く懐中時計を指先で弾く。カチ、と小さな金属音が温室の空気に溶ける。冗談の合図であり、真面目の合図でもある。エリオはその切り替えが上手すぎる。


「僕は“時間”の呼吸を察知する側の王族だから。人の感情がどこで加速して、どこで止まるか、なんとなくわかる」


エリオは天井越しの光を見上げながら、ふと真面目な声になる。


「血印も、懐中時計も、もともとは“血を絶やさないため”のものだよ。でも本質は違う。あれは、“誰を守るかを選ぶ道具”なんだ」


ローゼリアの指先が、無意識にカップを強く握る。エリオは続ける。


「王族性って、力じゃない。“誰かの未来を引き受ける資格”」


エリオは指先で懐中時計の縁を撫でた。温室の光がキャラメル色の髪を透かし、柔らかな輪郭を描く。甘い匂いが、少しだけ遠くなる。代わりに、言葉の重みが近づく。


「リアはルカ兄を選んだ。だから禁忌を使った」


「僕はリアを選んだ。だから時間を戻した」


軽やかな調子のままなのに、重さだけが静かに沈む。ローゼリアの喉が震えた。


「……エリオ、後悔してない?」


「してないよ」


即答だった。間を置いたら、軽さが崩れる。だからエリオは、わざと明るく笑った。


「眠れないのも、寿命が削れてるのも、副作用ってやつでしょ。まあ、仕様」


さらっと言いながら、どこか遠くを見る。窓の外、白く霞んだ空の向こうに、見えない何かを探すように。


「もともと五百年も生きるつもりなかったし」


ローゼリアがゆっくりと顔を上げる。


「……あの人のせい?」


エリオは少しだけ照れたように笑った。


「うん」


穏やかな声で続ける。


「百年も生きない人を好きになった時点で、時間の価値なんて変わるよ」


「黒髪でさ、眼鏡かけてて。……自分の才能に、いちばん鈍いタイプ」


懐中時計を閉じる。金属音がひとつ、温室の甘さに沈む。


「人間って不思議だよね。百年しかないのに、あんなに本気で生きる」


「だから、僕も長生きする気はないんだ」


花弁が静かに揺れ、光がまた揺らぐ。揺れるたび、“時間”が柔らかくなる。


「僕はね、リア」


その声が、少しだけ深くなる。


「王族の血は“永遠”のためにあるんじゃないと思う」


間があった。甘さが消えないまま、空気だけが重くなる。


「たぶん、“選ぶ瞬間”のためにあるんだと思う」


ローゼリアの瞳が揺れた。満月、契約、命の共有。すべてが静かに胸の奥で重なる。薔薇の香りが、遠くで濃くなる気がした。未来が匂いを持ち始める。


「リアはルカ兄を選ぶ?」


優しく、逃げ道を用意しない問い。ローゼリアは迷わない。


「もちろん」


その即答に、エリオはほっとしたように微笑む。


「そっか」


そして、悪戯っぽく肩をすくめた。


「じゃあ、満月まではちゃんと焦らしてあげなよ」


ローゼリアが睨む。


「もう、すぐふざける……」


エリオは楽しそうに笑いながら、最後のマカロンを口に入れた。


「だってさ、ルカ兄、もう半分落ちてるよ?」


その言葉に、ローゼリアの心臓が跳ねる。


温室の甘い香りの中で、未来の重さと恋の熱が同時に揺れていた。


エリオはもう何も言わなかった。ただ、その背中を押すには十分なだけのことを、もう言い終えていた。


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