第19話 王になれない家
回廊を抜け、静かな謁見室へ入ると、重い扉が背後で閉じ、広間のざわめきが完全に遮断された。
ルカリウスは扉の外に立った。踏み込まない。それが護衛の線引きだった。
音が消えると、光の白さだけが際立つ。高窓から差し込む白い光が磨かれた床を冷たく照らし、青い衣を纏った男の輪郭を静かに縁取っていた。白い光は、情を削り落とす。
セラフィオンは一定の距離を保ったまま、先に頭を下げた。その所作には無駄がなく、卑屈さもない。ただ、正確だった。
「先ほどの提案が性急に映ったのであれば、謝罪します」
声音は澄んでいる。余裕はあるが、誇示はしない。ローゼリアはゆるやかに目を細めた。
「愛人契約が“性急ではない”と?」
「婚約は政治になる。しかし近くにいることは、必ずしも政治である必要はない」
簡潔で、理路整然としている。言葉を飾らない分、重みがある。──それが厄介だった。
「私はあなたを利用するつもりはありません」
青い瞳が、まっすぐに向けられる。探る色はある。しかし、値踏みする傲慢さはない。
「ただ、守れる立場に立ちたい」
その一言で、空気がわずかに変わった。研究者の理論ではない。家を背負う当主の声だった。
「アストラ家は王族と並び得る血筋です。ですが──王位には触れない。王家に男子がいれば婚姻で均衡を保つ。王女のみとなれば、外から支えるだけ。それが、我が家のやり方です」
淡々とした説明。その裏に、個人的な時間が滲む。
ローゼリアが返す言葉を探すより早く、セラフィオンの青い瞳の奥に、遠い庭の光景がよぎったように見えた。
──白い光の中、青の記憶が浮かぶ。
◇◇◇
まだ背丈の低い少年。黒髪は今より短く、青い瞳は素直で、隠すことを知らない。
「王女様を守るのは、私の役目です」
星図を抱えながら、母上に胸を張って言った。
自分より二歳年下の、まだ会ったこともない王女。
「早くお会いしたいなぁ」
婚約者という言葉を、疑いなく未来だと思っていた頃。
けれど──双子の王子が死んだあの日。王家から直系の男子が消えた。
同時に、アストラ家の掟が発動した。王になってはならない。王家を越えてはならない。アストラ家は“支える側”として生きる。
「私にはもう……王女様と歩む未来はないのですね」
婚約は、静かに消えた。消えたのは紙の上だけで、感情まで消えたわけではない。
表向きは、研究中の事故死。死んだことにされたのは、最も波風が立たないからだ。生きていることは、時に罪になる。
守るということは、時に、手放すことでもある。
──回想が、途切れる。
◇◇◇
「それだけではありません」
青い瞳の奥に、かすかな熱が宿る。
「あなたが何かを背負っていると感じたからです」
断定はしない。だが、見逃さない。
「あなたの周囲で、異変が強まっている」
ほんのわずか、衣の内側で指先が動いた。星読みの盤に触れてはいない。けれど、観測者の本能が反応している。
「私は研究者です。異常は放置しない。そして王族の血は、無防備であるべきではない」
理論。完璧な理屈。
「血に触れることはありません。あなたが望まない限り」
声は、ほんの僅かに柔らかかった。柔らかさのせいで、逆に“逃げ場”がなくなる。
「満月を待つのであれば、それまで近くで守ります」
ローゼリアの瞳が鋭くなった。
「……なぜそれを知っているの?」
「古い血統の家なら、断片は知っています」
隠さない。誇示もしない。そして、静かに続ける。
「私はあなたを、追い詰めるつもりはありません」
一歩だけ、距離を縮める。
「選ぶのは、あなたです」
青い瞳が揺れた。合理的な男。しかしその奥に、消えていないものがある。
その“委ねる”言い方のほうが、かえって逃げ場を失わせた。
(もし……王族性に変化があるのなら)
セラフィオンの思考は言葉にならない。
(もう、遠ざかる理由はないのかもしれない)
セラフィオンは期待してしまう感情を、否定しきれない。
王になれない家の当主。──未来では現れなかったはずの、元婚約者。




