6. 序章の締め
勇者は、まだ登場しない。
名も、姿も、記録のどこにも現れない。
王国の年表にも、教会の預言にも、魔王軍の想定図にも、その欄だけが空白のまま残されている。空白であること自体が問題視されることもなく、ただ「その時が来れば埋まる」と黙示的に扱われている。
人々は待っていた。
王国は会議を重ね、教会は祈りを続け、魔王領は沈黙の準備を解かない。
誰もが「始まり」を想定している。
だが、その始まりが何を意味するのかを、正確に言葉にする者はいなかった。
歴史編纂者は、その様子を後年の視点から静かに書き留める。
事件が少なすぎる時代は、記述の余白が増える。
余白は誤りではない。だが、因果を語るための足場を失わせる。
編纂者は一度、筆を止める。
そして、序章の末尾に、ためらうように次の一文を置く。
――この頃、人々は皆、何かが始まるのを待っていた。
だが、何が終わりかけているのかには、誰も気づいていなかった。
それは予言ではない。
警告でもない。
ただ、後から振り返った者にしか書けなかった、静かな事実だった。




