4. 歴史編纂者の挿入
――ここで、歴史編纂者の筆が一度だけ本文に割り込む。
「この時代は、後から振り返れば、不思議なほど平穏であった。」
編纂者はそう書き出し、しばらく筆を止める。
平穏だった理由を説明しようとして、適切な語を見つけられないからだ。
大戦が回避されたからでも、英雄が活躍したからでもない。条約が結ばれた記録も、決定的な転換点も存在しない。
書き直しの跡が残る。
「脅威が抑止されていたため」
この一文は削られる。抑止した主体が特定できない。
「均衡が保たれていたため」
これも残せない。何と何の均衡なのかが書けない。
最終的に、編纂者は次のように補足する。
「当時は、大きな事件が発生しなかったため、一次資料の記述が限定的である」
それは説明というより、言い訳に近い。
事件がなかったから記録が少ないのではない。
記録すべき“事件”の定義そのものが、曖昧になっていたのだ。
編纂者はその事実を自覚しながら、あえて書かない。
書けば、歴史が歴史であるための形式を壊してしまうからだ。
こうして文章は再び、淡々とした叙述へ戻っていく。




