第3話:前線からの報告
魔王軍前線拠点は、戦争の縁に置かれた場所だった。
地図の上では常に赤線の先端にあり、侵攻が始まれば最初に動くはずの点である。
だが、いまそこにあるのは静けさだった。
兵士たちは定刻に起床し、定められた訓練をこなし、補給物資は過不足なく届く。武器の手入れも怠りなく、警戒線も維持されている。形式上、何一つ問題はない。
異変は、「起きていないこと」の方にあった。
人間側からの挑発行動は確認されていない。
斥候からの報告にも、敵軍の集結や不穏な動きはない。
勇者の姿も、名も、噂としてすら届かない。
それは本来、歓迎すべき状況のはずだった。
だが、前線にいる者たちは、その平穏をどう受け取ればいいのか分からずにいた。
見張り台に立つ兵士は、遠くの地平線を眺めながら、意味もなく視線を動かす。敵が現れる兆しはない。現れないこと自体に、理由が見当たらない。
緊張はない。
かといって、気が抜けているわけでもない。
倦怠とも違う。
ただ、自分たちが何を待っているのか分からない――その感覚だけが、薄く共有されていた。
「侵攻命令は、いつ来るんだ」
誰かが口にしたその言葉は、問いというより習慣に近かった。答えを期待していない。返事もない。
副官は報告書を書くために机に向かう。
項目を一つずつ確認する。
・戦闘発生状況――なし
・敵軍動向――変化なし
・士気――低下なし
・補給――良好
どの欄も、正しく埋まっていく。
嘘は書いていない。
最後に結語を書く段になって、彼は一瞬だけペンを止めた。
何かを書き落としているような気がしたのだ。
しかし、思いつく言葉はなかった。
彼は規定通りの文言を書き記す。
「状況に変化なし。現地は安定している。」
それ以上でも、それ以下でもない。
報告書は封をされ、後方へ送られる。
前線拠点では今日も、侵攻に備えた準備が整ったまま、何も起きない。
そして兵士たちは、待つ理由を知らないまま、待機を続けていた。




