一族の牙の中へ
鉄の橋の試練から二日後、黒塗りの車列がシエルを迎えに来た。
車は市場の喧騒から離れ、ダークラングの外れにある要塞のような区域へと走る。
高い鉄柵が開き、閉ざされた敷地が姿を現した。
無骨な建物、武装した警備兵、そして張り詰めた沈黙。
そこは規律に満ちていたが、同時に目に見えぬ脅威が漂っていた。
「ここが《二本線》の屋敷だ。」
隣に座るリンが低く告げる。
「生き延びたいなら、目を開いて、口を閉じろ。」
契約の間
案内されたのは、白い灯りに照らされた広間だった。
壁一面には帳簿や台帳が並び、黒服の男たちが金を数え、契約を記している。
銀行のように見えるその場は、しかし笑みの奥に冷たさがあり――
ここでは借金が血で清算されることも珍しくなかった。
中央には大理石の長卓。
その奥に座っていたのは、白髪に痩身、刃のような眼光を持つ老人だった。
リンが頭を垂れる。
「カイエン様。こちらがサンウィから来た少年、シエル・ダークネスです。」
カイエンはシエルをじっと見据え、商品を値踏みするように口を開いた。
「武器の代わりに言葉を信じる子供か?」
「言葉こそが、誰が武器を持つかを決めるんです。」とシエルは静かに返した。
短い沈黙の後、カイエンの口元にわずかな笑みが浮かぶ。
「座れ。」
最初の契約
シエルの前に置かれた紙は、一見簡素だった。だがそこに込められた意味は重い。
>『シエル・ダークネスは二本線の一族に仕えることを認める。
命令に従い、階級を尊び、忠誠の借りを負う。
その代償として、 clan は彼を保護し、《プレイヤー》の地位を与える。』
シエルは一語一句を噛みしめる。
《プレイヤー》――力ある立場ではない。
有望ではあるが、取り替え可能な駒。
彼は顔を上げた。
「条項を一つ、追加してもいいですか?」
護衛たちが身構える。しかしカイエンが手を上げ、制した。
「どんな条項だ。」
「私が署名する契約は、 clan の名であっても――必ず双方が約束を守ること。
一方が裏切れば、契約は無効です。」
長い沈黙。カイエンの目に興味の光が宿る。
「自分の鎖を交渉する子供か……」
そう呟き、老人は印を押した。
「いいだろう。だが覚えておけ――脆い鎖でも、首を絞めることはできる。」
シエルは署名した。
敵対する二つの線
数日の観察で、シエルは clan の構造を理解した。
黒線 ― リンが率いる。暴力で人を縛り、非合法の借金や恐喝を得意とする。
白線 ― 謎めいた女、ユラが率いる。合法に見える契約を操り、偽装融資や取引操作で人を絡め取る。
全てはカイエンの下にあるが、二つの線は常に遺産を巡って牙を剥き合っていた。
蛇の巣。笑みの裏には必ず毒牙が潜んでいた。
初任務
ある夜、リンがシエルを呼んだ。
「ただのガキじゃないと証明してみろ。明日、回収に同行しろ。」
「回収?」
「借金の取り立てだ。五万を払わぬ商人がいる。拒めばどうなるか、見せてやる。」
翌日。
彼らは古びた店を訪れた。震える手の老人が必死に懇願する。
「……あと一ヶ月だけ、待ってください……!」
リンは銃を取り出し、カウンターに置いた。
「約束で腹は膨れない。」
シエルは黙って見つめていた。だが胸の奥で、手帳が熱を帯びる。
彼は一歩前へ。
「その借金を――公開契約に変えたらどうです?」
リンの目が鋭く光る。
「説明しろ。」
「今日ここで潰せば、手に入るのは五万と一つの死体だけ。
でも市場に契約を貼り出せば、この商人の未来の取引すべてが我々を経由する。
恥を利益に変えれば、 clan の収入は永遠に続く。」
沈黙が流れた。老人は肩を落とし、敗北を受け入れる。
リンはしばし考え、やがて豪快に笑った。
「小さな蛇め……俺たちと同じ匂いがする。いいだろう、そうしよう!」
契約は結ばれ、市場に公示された。
その日から老人は、一粒の穀物を売るにも clan に分け前を払わねばならなくなった。
重くなる手帳
その夜、シエルは手帳を開き、書き記す。
> 秘密の契約は一日を養う。公開の契約は一生を養う。
恥の恐怖は、死の恐怖よりも利益になる。
見える借金は、見えぬ鎖となる。
手帳を閉じた時、胸が高鳴っていた。
彼は《二本線》に新たな武器を与えたのだ。
――だがいつか、その武器は clan に向けられることになる。