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第九章 成人の儀式

 二人は元首邸の大広場に連れ出された。

 集会のために使われる場所だ。成人の式はそこで行われる。

 今日儀式を受けるのは一平とナムルの二人だけではなかった。他にも十数名の少年たちがそれぞれ意匠を凝らした衣装に身を包み、鎮座していた。きれいに一列に並んだ少年たちの最後尾に、二人は腰を下ろした。

 そうやって座ると目の前には舞台があり、高杯のような形をした黒く大きな台が真ん中に置かれている。

 その向こうはギャラリーだった。見物人が大勢いる。どこかのホールやスタジアムのように客席が何層も重なっているわけではない。そのための建築物はなかったが、人々は己の力で浮力を調節して、上下左右に浮かんでいた。

(こんなに大勢…)

 一平は一瞬びびった。

 何をすればいいのか、大体の事は先程の女たちから聞かされて覚えてはいたが、これほどの観衆の中で行われるとはよもや考えていなかった。あくまで個人的な儀式だと思っていたのである。

 落ち着いてよく見ると、並んでいるのは一平たち少年ばかりではない。舞台を挟んで九十度向こう側には、同じくらいの年頃の少女たちが、やはり十数名並んでいた。どの少女も装飾品やドレスで美しく着飾っている。少年たちよりも、はるかに色鮮やかで華やかだ。

 彼女たちも今日一平らと共に成人の式を迎えるのだった。

 よくよく聞けば、この式は毎月十四夜の日に行われる月例行事だと言う。前月の十四夜の日までに変態を終え、成人の年齢に達した者たちを集め、まとめて祝うのがムラーラの慣習だった。当然のことながらここにいる少年たちは十四歳になりたて、少女たちは十三歳になったばかりである。一平一人だけが年長の十五歳であった。

 そうして見ると一平は一際抜きん出ていた。元々が老成して見えるのでより年上に見える。座っていてさえ他の少年たちより頭半分は高かったし、肩幅もある。長袖長ズボンなので、逞しい筋肉が見えないのと衣装の黒色、それに優しい小顔のせいで、実際よりすらりと背が高く見えた。

 既に一平の噂は広まっている。

 毎日武術場に顔を出し、驚異的な速さで技術をものにして評判にならない方がおかしい。師範のミラが大剣の扱いを鍛え込んでいるというのも滅多にある話ではない。近いところではナムルが教えを受けたが、それ以前は二年に一人くらいの割でしか、彼女のお眼鏡に適った者はいなかったのだ。

 一平の上達の速さと力量がその優しい顔立ちとそぐわないのも、周囲の驚嘆を誘う一因だった。

 武術場で一平の剣技と体技を目の当たりにした少年たちから家族へ、その知り合いへと、口から口へと噂は流れた。

 同じく噂の元となっている癒しの少女パールが、その一平の妹らしいというのも、時を同じくして伝わっていた。兄の成人の祝いだ。妹も出席するに違いないと、パール見たさにやってくる人々も加わったせいで、この月の成人の式の観客数はかなりの数に上っていた。

 これはミラには些か不本意だった。メーヴェにとってもそうだ。

 パールの癒しの力を公けにすることはできれば控えたかった。前にも言ったように、パールが去った後混乱が起こる可能性があるからだ。

 だがもう既に手遅れだった。パールが診療所に通い始めた時点で、パールの存在を隠す事は不可能になっていた。そして遠からず、二人の危惧した未来がやってくる。それはこの観客の数を見れば明らかだった。

 当事者の二人には、その自覚はない。

 パールは真摯に勉学に励んでいるだけだし、一平もよもや自分がミラの言うような勇者ではありえないと、端から信じていない。自分たちがムラーラにいようがいまいが、世の中の動向に大きな違いが生じるなど、あるわけがないと思っている。

 ミラの匂わせた言葉は引っかかれど、今はただ目の前のこの儀式を恙なく終えることが、一平にとって最優先の課題だった。


 やがてほら貝のファンファーレが鳴り響いた。儀式の始まりの合図だ。

 この儀式を司るのは総裁ではない。その下にいる何人もの政務官の一人、ボナーラと言う男だ。齢三十二歳、中堅どころよりも少しベテランの域に入る。

 式典というのは何処も同じ固苦しい部分があり、ムラーラでも式次第に則って成人の式委員会の委員長のボナーラの挨拶、総裁による祝辞、来賓祝辞などが続く。その後、主役の少年少女たちに襷が渡される。

 一人一人の名前を委員長が読み上げ、呼ばれた者は返事と共に立ち上がって進み出る。高杯の台の上に用意された金属製の冠を頭に戴く。冠は白味を帯びた金属の細い細工物で、どうやら海の波と飛沫を表しているらしい。

 レディーファーストなのか、少女たちの方から名前を呼ばれた。

 少年たちの方は名前と共にどこの武術場の出身かが述べられる。

「ナムル。ムラーラ武術場、ミラ門下」

「はい!」

 おおお…。

 どよめきが起こった。

 ナムルが、総裁の息子であることを誰もが知っているせいだろう。

 だが、次に呼ばれた一平の名にも人々はざわめいた。

「一平。ムラーラ武術場、ミラ門下」

 後で聞いたことだが、ムラーラの各地にある武術場の中でも、総裁のお膝元にあるムラーラ武術場―すなわち一平の通った道場だ―は格が一番上らしい。しかも、そこの師範であるミラの門下ということは一もニもなく武道家として優秀だという証明なのだ。

 加えて、あの噂である。

 ―おお。これが、かの噂に聞く一平か―

 ―他国人(よそもの)だと聞くが、大したものだ―

 ―なんだ、もっといかつい大男かと思ったらそうでもないな―

 ―どっちかと言ったら優男じゃないか。あれで本当に大剣を使いこなせるのか?―

 様々な囁きが観衆のあちこちから湧き上がる。

 そんなこととは知らぬ一平は気を引き締めて進み出、前の者たちに倣って、(こうべ)を垂れた。

 冠は非常に軽かった。すぐ外れたりしないよう、頭の大きさに対して微調整ができるようになっている。

 一平が元の位置に戻ると、次の演目が始まった。

 少女たちの舞いである。

 この日のために以前から練習したという群舞は、成人の女性としての嗜みであるらしかった。

 結い上げた髪を靡かせ、着飾った服が踊る。

 少女たちも領布(ひれ)を身体に纏わり付かせていた。動きに伴って布が揺らめく様は、一平に浦島太郎の物語を思い起こさせた。

 ―昔々、浦島は 助けた亀に連れられて

  竜宮城に来てみれば 絵にも描けない美しさ

  乙姫様のご馳走に タイヤヒラメの舞い踊り

  ただ、珍しく面白く 月日の経つのも夢の(うち)

 あの話のタイもヒラメも乙姫様も、このムラーラの海人たちのことだったのではないかなどと、本気で思ったりした。


 その後が少年たちの番だ。

 彼らはそれぞれ帯剣していた。武術場で一人前と認められると帯剣が許される。成人して常時携えている必要はないが、成人前には持ち歩くのは許されないものだ。大抵は親や兄弟から剣を下賜される。ナムルと一平以外の者は中剣を腰から下げていた。

 二人は大剣を賜った。本来なら太い剣帯で背中に括りつけるべきものだが、儀式であるので身体の左側に横たえてある。

 号令一下、彼らは剣を抜き放った。

 気合を入れると共に型を示していく。

 唐竹(からたけ)袈裟切(けさぎ)り、逆袈裟(さかげさ)右薙(みぎなぎ)左薙(ひだりなぎ)右切上(みぎきりあげ)左切上(ひだりきりあげ)逆風(さかかぜ)刺突(つき)…。

 一平は知らなかったが、日本古来の剣法と大差なかった。

 同じ動作であっても、中剣でこれをやるのと幅も長さもある大剣でやるのとは、見た目も違うし、使い手本人にかかる負担は見た目よりはるかに大きい。

 ナムルの背丈は一平には及ばなかったが、足腰は強かった。体つきもがっちりしており、筋肉のつき方もいい。誰譲りなのか、厚い胸板は大剣を振るう姿をこの上なく逞しく見せている。

 気合を入れながら、一平は傍らのナムルの剣を盗み見た。

 一平がミラに教えを受け始めた時、既にナムルは課程を終了していた。だから一平はナムルの剣捌きを見たことがない。体術の方は身をもってよく知っていたが、こちらの方も大したものだと妙に感心した。

 あまり快く思っていない相手でも、優れたところは優れていると素直に認める心の柔軟さを、一平は持っていた。

 人々は見惚れる。

 成人の式に大剣を扱う少年が二人もいるなど、未だかつてなかったことだ。用事を放り出しても見に来て良かったと思う者もいたし、既に成人に達している男たちは、これはうかうかしていられないぞと、といやでも気を引き締めなければならなかった。

 女たちは特に見惚れる。

 剣の腕の良し悪しなど詳しくはわからない女たちは、少年たちの初々しさや溌剌とした若さ、意気込み、そして、見目の良さに惹かれる。見飽きた亭主など見向きもせずに歓声を上げたり、女友達とこっそり値踏みをしたりする。

 少女たちは興奮し、うっとりと熱い眼差しを向ける。

 毎月の成人の式はそういう祭りの要素を含んだものでもあった。

 その中でパールも例に漏れずに夢中になった。

 隣にはメーヴェがいる。ボディーガードと言うには物足りないが、一応メーヴェも成人男子である。パールの後見人のつもりでもあった。

 ミラはナムルの身内のため、少し離れた所にいた。

 式の雰囲気はもちろんだが、パールが夢中になったのは当然一平一人である。一人一人にスポットが当てられる時にはそちらにも目が行ったが、全体で動く時、動かない時、そのどちらにも一平だけを目で追っていた。

 嬉しくて、羨ましくて、誇らしい。

 まるで自分の事のように、パールは終始ニコニコしていた。

 メーヴェにも妹がいたが、自分の成人の式の時に、妹はこれほど嬉しそうにしなかったぞ、と思い出す。メーヴェ自身剣技は不得意で、あまり見映えがしなかったのだとは思うが、それにしてもこの子は無心すぎる。恋人を見るような目で兄の一平を見つめているじゃないか。

(ちょっと、危ないかもな…)

 二人を兄妹だと信じきっているメーヴェは近親相姦を危惧してそう思った。そこまで行かなくても、ブラザーコンプレックスになる要素はありすぎるくらいだ。

 でも、羨ましくもあった。自分のことも我がことのように喜んでくれる人が未だにいないということが、メーヴェは寂しかった。

 彼は目を転じた。

 そうなってほしいと願う女性が腕組みをしてその先にいた。

(ミラ…)


 その後いくつかの余興があって、式典は終わった。

 夕刻からは無礼講の晩餐会だ。広場には食べ物がふんだんに用意され、音楽が流された。自由に食べ、踊り、おしゃべりを楽しめる。十四夜の明るい光の中、夜通し人々のざわめきが続くのだ。

 儀式の主役たちは既に会場から一旦姿を消している。

 式典の衣装を軽微なものに着替え、思い思いに行動していた。

 拘束時間は決められている。明朝陽が昇るまでだ。それまでは会場である元首邸に留まらねばならない。

 一平も着替えてパールの姿を捕まえた。

 本人に感想を伝えようと躍起になるパールの話を笑顔で聞いているのは面映い。

 そばにメーヴェもいるので、ナムルがやってきて礼を言った。ナムルはメーヴェにお祝いをもらったらしい。

「立派だったぞ、ナムル。やはり大剣の主は違うな。僕の今まで見たどの式よりも、見応えがあったし誇らしかった」

 それはこいつのせいでもあるんだよな、とナムルは、一平を横目で見た。

 総裁の一人息子ながら、元気すぎる若者たちを従えて不良少年のようなことをしているナムルは、当然のことながら国民にはあまり評判がよろしくない。本人もそれはよくわかっている。いくら自分が次期総裁候補だと言っても、この度の一平の評判がなかったら、式はあれほど盛り上がらなかっただろう。いくらナムルがただ一人大剣で見得を切っても、あれがただ一つの取り柄だからと、実力からは差し引かれた物差しで見られたに違いないのだ。

 二ヶ月前にぶちのめした男があっという間に自分に追いついて追い越そうとしている事は脅威であったが、一平の存在がナムルの欠点を露見するのを防いでくれた事はありがたかった。

 式の始まる前からずっと隣にいたが、二人はろくに言葉を交わしていなかった。式の最中であるので当然だが、僅かな移動の時間も、何を話しかければいいのかわからなかったし、その気もなかった。

 だが、パールは違う。

 ナムルとはもう何度も会っているし、ナムルが一平に頭を下げたことで、もう一平とナムルとの間にわだかまりはないはずだと、単純なパールは思い込んでいる。

「ほんとだよねえ。一平ちゃんも素敵だったけど、ナムルもかっこよかったよ」

 他意のない笑顔でそう言う。

 この笑顔に参らない男などいないだろう。一平はそう思う。

 事実、ナムルの表情が明るくなるのがまざまざとわかった。

 メーヴェも嬉しそうにも眉尻を下げる。いつも肩肘を張って虚勢を張っているナムルがこんな表情を見せる事は少ない。パールが人の心を和ませる術を無意識に発し、それがナムルに良い影響を及ぼしている。そのことが嬉しかった。

「ほんとにいいなぁ。二人とも。もうみんなに大人だって認めてもらえて。あの子たちも羨ましいな。…でも、仕方ないよね。パールとてもあんなことできないもん」

 パールはまるでばかのようにこの間から同じことを繰り返している。よっぽど早く大人になりたいのだ。

 未熟児で生まれたパールは他人より成長が遅いのを大層気に病んでいて、それがコンプレックスになっているのだ。

「大丈夫だよ。誰だってできるようになるさ。あいつらだって、この前までは、みんなパールみたいに尻尾があったんだから」

 ナムルが励ますように言った。

(え⁈尻尾⁈)

「踊りなんか簡単なもんさ。それに、みんなでやるんだから、失敗したって気がつきゃしないよ」

 聞き咎める一平を尻目にナムルはどんどん話を進めてしまう。

(あの子たちにも、尻尾があったって⁈立派な二本足はムラーラ特有のものじゃなかったのか?)

 迂闊なことに、一平は少女たちに足があることを疑問と思わなかった。初めに会った女性のミラに逞しくも悩ましい両足があったことで、ここの女性には生まれながらに足があるのだと勘違いしていた。パールはムラーラではなくトリトニア生まれなのだから、形態が違ったって不思議ではないのだと。

 かといって、ナムルたちの前ではそんなことは訊けやしない。うっかり嘘がバレないとも限らない。一平は一人疑念を胸に押し込める。

「みんなでやるから下手なのが目立つんだよ。ナムル」

生意気にもパールは意見している。

「それも、言える」

 ナムルも面白そうに応えて笑った。

「ねぇ、もう一回見せてくれない?剣技、一つでいいから」

 パールがおねだりを始めた。ナムルの剣技をよく見ていなかったので、悪いと思ったのだろう。

 ナムルも言われて悪い気はしない。ここでは危ないからと、パールを広場の角へ誘い、背中の大剣を抜いた。

 パールは少し離れていくつかの剣の型を見ていたが、ナムルがちょっとふざけて剣先をパールに向けた途端に真っ青になった。体が硬直し、細かく震え、卒倒した。

「パール‼︎」

 一平が血相を変えて抱き止めた。彼はパールのすぐ背後にしっかりついていたのだ。

「何をしたんだ?ナムル」

 メーヴェがナムルに詰め寄った。

「俺…何にも…ただちょっとふざけて剣を向けただけなのに…」

 パールを抱き上げて一平は言った。

「パールは…本当は刃物が怖いんだ。先の尖ったものを見るとパニックに陥るか気を失う。…今後、気をつけてくれ」

「でも…パールの方がやって見せてくれって、言ったんだぜ⁈」

「ただ見ている分には大丈夫なんだ。突きつけられるのとは違う」

 苦々しげに一平は言い捨てる。

「……」

 ナムルは一言もない。

「部屋で休ませたほうがいいな」

 パールの様子を見てメーヴェが勧める。

「もちろんです」

 立ち去る一平の背中に、拒絶のオーラが漲っていた。


 ―先端恐怖症―

 これは心の病だ。

 純粋無垢な魂を持つパールの心が病んでいるなど、矛盾している。身体の方は至って健康とは言い難いパールだが、精神の方には何の曇りもなく、あっけらかんとして真昼の太陽のようなのに。

 高いところが怖い人、海や水が怖い人、犬が怖い人、爬虫類が怖い人、火や明かりが怖い人、地震や雷が怖い人、特定の乗り物が怖い人…。

 世の中に怖いものは数々あり、日常生活に支障を来さぬ程度であれば、それも個性の一つとして片付けられるのかもしれない。

 パールの場合はその範囲に入っているとも言えたし、今回のように意識という自分を保つのに必要なものを失ってしまうため、生きる障害になっているとも言えた。

 何かが怖い、と言うのは、生理的な嫌悪もあるだろうが、大体が何かの衝撃的な出来事に起因している。

 小さい頃犬に追いかけられた、雷が目の前に落ちた、交通事故に遭ったり現場を見たりしたせいでその乗り物に乗れなくなった、肉が食べられなくなった…。恐ろしい出来事につながる何かが無条件に怖い。

 怖いだけではない。脈が早くなり、冷や汗が出、身体が震え、動けなくなる。思考は停止し、身体のある部分も活動を停止しようとする。そんな状態が尋常であるはずがなかった。

 しかし、条件反射でそれは引き起こされる。

 パールの場合は、それが「尖ったもの」なのだ。

 一平の言うように、見ているだけなら、普通に使用するだけならあまり問題はない。だが先端を見てしまうとだめだ。自分に向けられた先端を。

 何か、原因があるのだろうと一平は思っていた。

 聞いてみても本人にもわからない。

 恐ろしすぎて意識の彼方に追いやられてしまったのかもしれない。尖った先端をまともに見ることで、忘れている記憶が呼び覚まされる。思い出すことを身体が拒否する。結果、あのような状態になってしまう。

(余計なことをしてくれて…)

 知らなかったナムルに悪気はなかったが、祝いの席でしていい冗談ではなかった。近くにいたのにこうなることを予想できずに、手を拱いて見ていた自分のことも、一平は腹立たしかった。

 メーヴェに脈を取られ、一応の手当てをされたパールは、今は静かに眠っている。一平は宴の席には戻ろうとせず、ずっとパールに付き添っていた。

 二時間ほどしてパールが目を開けた。

 一平の姿を見つけて、口を開いた。

「…一平ちゃん。パール…どうしたの?」

「剣先を見てひっくり返った。少し…考えなしだったな」

 ナムルも自分も、そしてパールにも考えが足らなかった。

「うん…」

 しょんぼりとパールは頷くが、言っておかなければならないことだった。いつもいつも一平がそばにいられるとは限らないのだ。自分の身体は自分で守る。それは海で暮らす上で必要欠くべからず姿勢である。

「どうだ?気分は」

 パールには一言注意すれば事足りる。くどくどと説教する必要のない子だ。一平は気分を変え、優しく尋ねた。

「まだ、気持ち悪いか?」

 パールが首を横に振る。

「うん。大丈夫。どこも痛くないし」

「そうか。…でもまだ寝てろ。そばにいてやるから、朝までぐっすり休むんだ」

 一平はパールの額に手を掛け、顔を覗き込んだ。

「うん」

 パールは再び目を瞑るが、またパッと開けた。

「パールね…夢見てた」

「夢?」

「うん、あのね、一平ちゃんがね。成人の式の女の子たちにモテモテなの。パールがいくら呼んでも気がついてくれないの」

 その図はさすがに想像したことがなかった。小学校でも結構モテていたくせに、一平には全くその自覚がない。女の子のことを気にかけるより、学や翼と遊んでいる方がずっと面白かった。

 その傾向は未だに続いている。今の一平は武術を習得することに一生懸命で、美しく着飾った年頃の少女たちを見ても違う話に心を奪われてしまうくらい、目に留まらなかったのだ。

「へえ…。そりゃなんか、あり得そうもない話だ」

「どうして?そんなことないよ。一平ちゃんはかっこいいよ」

 パールは少しムキになった。パールにとって一平よりかっこよくて素敵な人など周りには一人もいないのだ。

 思わず一平は絶句する。褒められているらしいが、どう答えればいいのかわからない。ただ、パールが心底そう思っているのはわかる。わかるから余計茶化すこともできない。

「パールの声が聞こえる所にいてね。本当に、置いて行っちゃやだよ⁈」

 先日の約束を確かめるように語気を強める。無視される夢を見て不安になっているのだ。

「ばか。おまえとじゃなきゃ、行ったって仕方ないだろ」

 結局一平は軽口を叩く。でも瞳には真剣な光がある。

 パールはその光を受け止めた。

 そして、安心した。

「おやすみなさい」

 

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