第八章 大人への階段
式の準備は着々と進んでいるらしい。
ナムルと一平の成人の式だ。
どういう準備をしているのか、ミラは詳しく教えてはくれなかった。当日のお楽しみだと言う。
一平には、つまらないことを気にせず剣の稽古に励めと言う。
式のことを話すと、意外と言うか当然と言うべきか、パールはあまり驚かなかった。ごく自然なことと受け止めているようだった。
一平は聞いてみる。
「トリトニアでも、十四歳から大人なのかい?」
「うん。男の子はね」
「女の子は違うの?」
「女の子は十三だよ。ちょっとだけ早いの。赤ちゃんたくさん生まなくちゃならないから」
(… ⁈)
―ちょっと待て。赤ちゃんだって⁈―
一平は固まった。
(十三で大人になって、赤ちゃんをたくさん生む⁈中学生と同じ歳で母親になるのが当たり前なのか?)
「いいなあ、一平ちゃんは。もう大人で。パールなんか、まだまだだよね」
そんなことはない。パールはもう十二だ。とすると、もうあと一年もしないうちに大人に?このあどけないパールが?
一平には信じられなかった。この小ささ、この儚さ、そして幼さが、あと一年で見違えるほど変わるとは彼には思えない。
「パールも早く大人になりたいなあ。そしたら何でもできるのに」
歳だけ重ねても大人として恥ずかしくないのだとは一概には言えない。事実一平は十五になったが、自分は少しも大人だとは考えられなかった。未熟も未熟、海の知識も乏しいし、精神的には全然子どもだ。
「パール、赤ちゃんいっぱい産むんだ。いつになったらママって呼ばれるようになるのかなあ」
パールは純粋に母となることを夢見ているようだった。
赤ん坊というのは可愛いものだ。パールだって赤ん坊くらい見たことあるだろう。それは一般的な女の子の見る夢の一つであったが、一平はパールの言葉を聞いてドギマギしてしまった。
パールが赤ちゃんを産む。
いつのことかはわからないが、いずれその日はやってくるだろう。
でも、この話の流れでは、それは一平の思っていたような遠い先の話ではないようなのだ。早ければ一年後にはその可能性が出てくるらしい。
(そんな…)
赤ちゃんを産むということは、それ以前に子どもを作らなければならない。そしてそれには相手がいる。
パールのとりまきの少年たちの姿が脳裏に浮かんだ。
彼らは以前にも増してパールへの崇拝の度合いを深めている。
皆年頃は一平と似たり寄ったり。つまり、ここで言う成人前後の恋多き年代だ。もしその中の誰かがパールにそういうつもりで接近してきたら…。
―いやだ―
パールがどこかの少年と仲良くなって、恋をして、やがて妻となり、そいつの子を産む…。
そんな事はあって欲しくなかった。考えたくない。
しかし、考えたくないと思えば思うほど、一平の意識はそっちに傾いた。
―誰もパールに近づくな。パールに触るな。
ボクのパールだ。横から手を出すな。
だめだ、見ちゃ。ボクのパールなんだから。
パールにはボクだけを見ていて欲しい。だから邪魔するな。―
パールの産む赤ん坊は一平の赤ん坊でなければならなかった。
一平が、パールを妻にするのだ。抱き締めて、優しくして、パールの欲しい赤ちゃんを一平が与えてあげるのだ。それを邪魔するものは薙ぎ払う。
無邪気に赤ちゃんの話をするパールに、未来の夫の顔は見えているのだろうか。少しでも心にかかる奴が、他にいるのだろうか。
いて欲しくない。
これでもお年頃なのだと判明したからには、誰もパールに近寄って欲しくない。
それくらいだったら、このまま子どものままで成長を止めていて欲しい。
一平はそう思った。
思って、痛感した。
自分はこれほどまでにパールのことが好きだったのかと。ただ一人の女性として、こんなにも愛していたのかと。
そんな一平の思惑など知る由もなく、パールは屈託もなくじゃれついてくる。
この頃になって、ようやく少し身体の中が見れるようになってきたらしい。寛いでいる一平の傍らにトコトコやってきては、診療所での経験を話してくれる。
一平は武術場のあれこれを請われるままに聞かせてやる。
パールにとっては武術など自分の及びもつかない雲の上の話に聞こえる。
パールは刃物が苦手で、一平の短剣すら滅多に手に取ろうとしない。魚を捌くのは一平任せであり、小さめの魚であれば手開きか、丸のままいただく。
刃物に限らず、先端の細いものに弱いようだ。地上で言うなら先端恐怖症と言うやつかもしれない。
だから、剣を振るうなど思いも及ばない。持っているだけでも怖いのに、それで人や魚やものを切る稽古をするなど問題外だった。それなのに一平ときたら、滅多なことでは扱えない大剣を、僅かな期間で自分の手足の一部にしつつある。尊敬に値することだった。
一平が他ならぬ自分を守るために、日々大剣と格闘しているのだとまではわかっていなかったが、彼が強くなりたいと切に願っていることは感じ取れた。
強くなればそれだけ怪我をする頻度が少なくなるのではないか。それだけがパールの小さな希望だった。
強くなればなっただけ大きな敵とも対さなければならなくなることなど、パールはもちろん一平にもまだ予想できない。
二人とも自己の向上のために努力し、上達しつつあることが嬉しかった。やっていることが違っても、同じ時にそれぞれが頑張っていることを思うと踏ん張れた。お互いの修練が励みになった。
あっという間に月日は経っていった。
ムラーラに来てからもうニヶ月が過ぎようとしていた。こんなに長くひとところに留まっていた事はない。常に、早くトリトニアへ向かいたいという欲求はあったが、日々こなすべきことがどんどん多くなっていった二人には、それさえ思い煩っている時間などなくなっていた。
ミラの元での武術の修行は大変だったが、やりがいがあった。むちゃくちゃだった構えも振りも、ミラの厳しい指導で基礎から叩き直された。悪い癖が直ってからは、水を得た魚のように一平は教えを吸収する。とても自由自在に振り回すことなどできそうもないと思った大剣も、いつしか身体の一部になっていた。
パールの方も触診することができるようになった。
小さな怪我であれば歌うことで癒しもした。
一平はパールの恰好の練習台だ。と同時に患者であり、パールには一平の怪我を治したり症状を把握したりできるのでご満悦だった。
ある日パールは一平に願い出た。
その日はこれといって、怪我や打ち身はなかったが、全身を診る練習をさせてくれと言う。
一平は二つ返事でオーケーしたが、すぐにするんじゃなかったと後悔する。
まるでお医者さんごっこのように衣服を剥がれてバールの前に座らせれた一平は、下履きまで脱がされそうになって大慌てで抵抗した。
「まっ…待った‼︎おいっ‼︎」
パールがキョトン、と一平を見る。
「何?」
「これは着てたっていいだろ。勘弁してくれよ」
いくらなんでも、素っ裸は恥ずかしすぎる。
けれど、パールは至って真面目だ。
「だめだよ。だってパール、布が一枚あるだけで、邪魔になって診れないんだもん」
「じゃあ診なくていいよ」
別に病気なわけじゃない。その必要性は全くないのだ。
「でも、練習したいの。ここはお師匠様もあんまりじっくり見せてくれなかったから」
「え⁈」
すると何か?メーヴェは自分の身体を教材に使ってパールに教えていると?しかも…しかも、こんなところまで‼︎
(パールはそれを見たのか?メーヴェさんの、あそこを?そんな…)
まだ未成年だぞ!と叫びたかった。
メーヴェが破廉恥な心づもりで、そんなことをしたのではないことは重々わかっていた。わかっていたが…不愉快だった。
だがこの様子では、パールは至極まじめに技術を覚えるためだと割り切っている。素直に、習ったことのおさらいをしようと思っているだけなのだ。
この未成熟さがもどかしい。反面、変に意識しないでいてくれてよかったと安心もした。メーヴェとて、多分パールが大人の女性だったら自分を教材になどしなかっただろう。
「でも一平ちゃんが嫌ならいいよ。ごめんね。無理言って」
パールはしょぼくれて言う。
一平は清水の舞台から飛び降りるつもりで言った。
「いいよ。脱いでやるよ。練習しろ」
「…⁈…」
嫌がっていたみたいなのに、どうして?とパールが目で問う。
「その代わり、他の奴ではするなよ。絶対に」
どんな誤解を受けるかわからない。そんなことをして向こうが変な気を起こしたりでもしたら、それこそ大変だ。
「うん」
元よりパールにそんなつもりはない。やたらに頼めることではないことくらい、パールとて心得ていた。
「それから…ボクがいいって言うまで目を開くな。いいな⁈」
自分の身体の中がどうなっているのかはよく知らないが、それよりも表面を見られることの方が恥ずかしかった。幸い、ここの診療術は目を閉じ、心眼で行う。目は開いている必要はないのだ。
「はい」
どうして?とも思うが、それは口には出さずにパールは頷いた。
「触るのも、なしだぞ」
思い出し、急いで付け加えた。
パールはもう目を瞑っていた。一平の言うことにくすっと笑い、じっと指示を待っている。
この素直さがたまらなく愛おしく、一平は思わずパールを抱き締めたくなった。
だが我慢した。この無条件の信頼を裏切ってはならないと、心と身体に厳しく言い聞かせて、一平は裸になった。
ミラのお膳立てした成人の式の日がやってきた。
一平は朝から別室へ呼び寄せられた。そこではミラと数人の女性が待っていた。
「やあ、来たな」
挨拶が済むと、一平は更に奥の部屋へ案内された。着替えをするのだと言う。
用意された衣装を目にして、一平は目を瞠る。着替えの衣装は実にカラフルだった。赤や黄色や青など、サンゴ礁の魚たちをイメージさせる色合いが黒地の衣に散らされていた。
一平は着ていた衣服を脱がされ、下履きの上にそれらを羽織っていった。
手首まである長袖の上衣の先には手甲がついていて、中指に紐で結わえるようになっている。下履きの上には足首まであるふんわりしたパンツスタイルのものを重ね、やはり足首で止めた。それらの上から、ベストの腰から前垂れと後ろ垂れのついたものを着る。中国の衣装に似たようなものがあることを一平は思い出した。垂れは両脇で分かれているので足の動きを妨げない。
その上にさまざまな装飾をつけさせられた。青い玉を連ねた首飾り、金属製のチップを繋げた腰紐と剣帯。左の手首には五連もの腕輪。剣を象った耳飾り。そして額には幅広の布をバンダナのように巻いて、残りを後頭部から流した。
最後に、飛鳥時代によく見られたような領布に似たものを身体に巻き付けられた。
一平を出迎えた女たちが、三人がかりでそれらの支度をしてくれた。
「いいぞ。思った通りだ。よく似合う」
一振りの大剣と幅広の剣帯を手にしてミラが入ってきた。
「これを差せ」
手渡された大剣を目にして一平は目を瞠った。
刃渡り一メートル以上、幅は十センチ近くある大剣。収まっている鞘は革製だった。といっても、地上の動物の皮ではない。おそらくアザラシやトドなどの海棲哺乳類のものだろう。柔らかさとごつさを合わせ持つ風合の皮だ。それが型崩れしないように所々を金属で固定されている。皮には細工がなされている。幾何学模様と象形文字を足して二で割ったような模様だった。ナスカの地上絵を思い起こさせる柄である。柄の金属部分も同じだった。
「今日のために作らせた。おまえにやろう」
「ミラ…」
「本当は私の剣をやりたかったんだが、それはちょっと掟に反するのでな。これで我慢してくれ」
我慢だなどとんでもない。充分すぎるほど立派な剣だ。表面の細工一つをとってみても、武術場で扱う剣とも他の人の剣とも違う。精緻で立派だ。ずしりとした重みもいい手応えだ。
「いい剣…ですね。こんなにしてもらって…いいんでしょうか」
「好きでしているのだ。気にするな」
「ボクはよくわからないけれど…この衣装だって、値が張るのではないんですか?」
「ナムルのを作るついでだ。気楽に行こう」
「でも……」
単なる居候の自分には、身に余る待遇に思える。
「多少、下心がないわけではないがな」
「下心⁈」
「それを言ってしまってはおしまいだ。今は聞くな」
含みのある目をしてミラが笑う。
聞くなと言われると余計聞きたくなるが、一平は抑えた。ミラが聞くなと言うことを聞いても、この女性は答えない。そういう人だともう一平にはわかっている。今はただこの人の行為を素直に受けるべきだろう。
一平は太い剣帯を肩から斜め掛けにし、大剣を差し込んだ。
ミラが腕を組み、満足そうにその姿を眺めて言った。
「行こうか。ナムルの支度も済んだようだ」
やはりあいつと一緒に行くのか、と一平の鼻に少し皺が寄る。
先導されて着いた所には既にナムルが待機していた。
そしてもう一人。少女が一緒にいた。
パールだ。
髪に貝殻や色鮮やかな珊瑚などの飾りをつけ、ナムルと談笑していた。
他には何も身に付けていなかったが、それだけでパールは普段の何倍も可愛く、女の子らしく見えた。
一平は一瞬額に皺を寄せる。
この姿を自分よりも先にナムルが見ていたのかと思うと、憎たらしかった。
(バカヤロウ)
こともあろうに、罪のないパールに向かってそう思った。
「一平ちゃん!」
パールはそれまで以上に瞳を輝かせて一平のそばに寄ってくる。
「うわあ。ナムルと同じだね。かっこいいよ。すごいなぁ」
何のてらいもなく賛辞の言葉を浴びせられ、一平は途端にこそばゆくなる。
衣装の形は同じだが、ナムルとは色違いだった。
ナムルの方は髪の色に合わせて基調が緑であった。額飾りはしていない。一平がしている額の飾り布に当たるものは、ナムルの長い髪を結わくのに使われている。
「素敵だよ。一平ちゃん」
そう言って、パールは一平の頬に唇を寄せた。
そんなことをされたのは初めてで驚いていると、更に驚くことをパールは囁いた。
「一平ちゃんの方がいっぱい素敵だよ」
お世辞で言ったのではないだろう。パールは嘘や方便が苦手だ。
真実だとするならば、まだ一平はナムルよりもパールに近いところにいるのだ。一平は満足だった。




