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第十九章 愛の形

 オリハルコンの剣を返すため、一平は総裁の元へ出向いた。

 ムムールは驚いて一平に帯刀を勧めたが、彼は頑として受け入れなかった。

「元々、この剣はボクの所有物ではありません。このムラーラの宝です。国外へ持ち出しては害がありましょう」

「…ここを出てゆくつもりなのか?」

 これにもムムールは驚いた。

「ボクはムラーラの人間ではありません。パールと二人、トリトニアへ帰ることが、当面の望みであり目標です」

「ううむ…」

 そのことも、事前にミラから聞いている。引き止めたいが難しい。

 オリハルコンの剣そのものもだが、それを使えるただ一人の人間がムラーラからいなくなってしまうことも大きな損失だ。

「そなたはこの度の立役者だ。我々の危機を救ってくれた英雄だ。その功労を讃え、出来る限りのもてなしをしたい。でき得るのであれば、今しばらくの間ムラーラに留まってもらいたいものだが…」

「お気持ちだけで充分です。それに、今度の事はボク一人だけの力ではありません。御息女のミラが見出してくれなければ、ボクはオリハルコンなど見ることもなかったし、メーヴェさんがいなければ、あんな事は思いつけなかった。お二人こそ、真の英雄です」

 ―そしてパールも…―

 一平は一番そう思っていたが、口に出すのはやめた。

「…お信じにならないかもしれませんが…ボクにはオリハルコンの声が聞こえるんです。時々ですが。オリハルコンの剣は、ボクの所有物ではない。友達なんです。そして、彼は…ボクに別れの言葉を伝えてきました。だから、さよならです」

「オリハルコンの声とな…」

「彼は言いました。『君に会えてよかった。また、いつか会おう』」

「また、いつか…」

「いつかまた…ここに戻ってくることがあるのかもしれません。それが定められたことなら、いつかボクはムラーラに来るでしょう。でも、それは今じゃない。今は、トリトニアへ帰ることがボクの希望の全てなんです」

 そう。オリハルコンの語り口は、一平にそんな気を抱かせた。

 ―君はまたいつかこのムラーラに来るはずだ。その時までお別れだ―

 そう言っているようにすら聞こえた。

 ムムールは信じた。一平の語るオリハルコンの言葉とやらを。奇跡にも等しいことを引き起こした、この他国人の少年の話を。

「…中剣ぐらいないと不自由ではないのかね?」

 そう尋ねているムムールの言葉は、一平が旅立つことを前提としている。一平が大振りの大剣を所持している事は知っているが、何分にもどでかく、扱いにくい品物だ。道行きを憂いたのだ。

「短剣もあります。父の形見です。今まではこれ一本で何とかやってきましたし、この大剣は今ではボクの身体の一部です。ミラのおかげで…」

 感謝の気持ちは、ミラにこそ捧げたかった。

「どうか、彼女にお咎めがないように…お願いします」

 オリハルコンを無断で持ち出して勝手に一平を試したことを言っていた。

「仕方がない。…結果よければば全てよし、だな」

 しぶしぶ認めるふうを装ってはいるが、ムムールの目元は笑っている。

「この平和が…長く続きますよう祈っています」

「うむ。息災でな」一平の手を握り、ムムールは続ける。「返す返すも残念だ。そなたのような使い手を失うとは…」

「ボクくらいの腕ならムラーラにごまんといますよ。そら、総裁のお近くにもお一人…」

 一平に言われて一人息子の勇姿が思い浮かんだ。

 この度の騒動ではなかなかの働きをしていた。ムムールは実際に己の目で見ている。

「あやつはまだまだだ。私も当分引退はできそうもない」

 そんなことありません、と言っては嘘になるのがもどかしかった。

「ナムルはもっと人間の勉強をしなければならん。自分の心をああも剥き出しにしてしまっては、すぐに潰されてしまう」

「…それも彼の長所の一つなのではありませんか?」

 思ってもみないことが口に出て、一平は自分で驚いた。

 そう。困った性格だが、それなりに魅力的でもあるのだ。それでなければ、進んで彼についていく者があれだけいるはずがない。今、一平は冷静にそう思えた。

「世辞であっても、そう言われるのは嬉しいものだな」

 ムムールの瞳に優しい色合いが浮かんだ。

 一平はなぜか胸がキュンとなった。

 ムムールが、元首であっても一人の父親であることを肌で感じた瞬間だった。

 ―父ちゃん―

 次第に薄れゆく父の面影が、ムムールの表情と重なった。頭をぽんと叩くように包み、褒めてくれた、父の大きくて温かい掌を思い出した。

 ムラーラには何一つ、未練はなかった。


 パールはミラの私室で一平を待っていた。

 別れの挨拶のため、一平と共にミラの所まで来た。オリハルコンの剣を返したい旨をミラに相談してから、一平は一人で総裁の元に行ったのだ。

 その間にミラはナムルを呼び寄せた。パールの気持ちはわかっていたが、弟に最初で最後の機会を与えてやりたいと思っていた。

 ミラからパールがムラーラを去ると聞いて、ナムルは真面目な顔になった。何か言っておきたいことがあるだろうと促されて、ナムルは意を決する。

 まだ状況は不十分だが、もう先延ばしにはできない。二度と会えないかもしれないのだ。

 ナムルは口を開いた。

「ここに残らないか?」

「え?」

「ここで、俺たちと一緒に暮らそうぜ。あんたのその力も役立てられる」

 パールにとっては思ってもみない申し出だった。

「…でも、パール、帰らなくちゃ」

「そうだよな。取り敢えず、帰らなくちゃな。…だから、その後でいいよ。なんだったら、俺、迎えに行ってやるからさ。また来いや」

「……」

 パールは呆気にとられる。ミラがちょっとだけ、口を挟む。これでは幼いパールにナムルの言いたいことは伝わらない。

「…パール、こいつはね。おまえと結婚したいって言ってるのさ。わかるかい?」

「姉貴‼︎」

「……」

 他人(ひと)に代わって言ってもらいたくはないナムルは真っ赤になって姉を怒鳴りつける。

 それを見ながらパールは溜飲を下す。けれど、パールの心は決まっていた。

「…ごめんね、ナムル。パールもう、結婚する人決めてるんだ」

「……」

 あっさりと振られた。ナムルはがっくり肩を落とす。結構自信はあったのだ。パールは誰に対しても素直で無邪気で屈託がない。敵意や害悪など微塵も見せない。ナムルがいい感触だと誤解してしまうのは無理もなかった。

「残念だったな」

 間違いなく振られると確信していたミラは、わざと明るく弟を小突く。弟にパールを諦めさせるために、ミラはプロポーズの代理紛いのことをしたのだ。

「…いいよ。いつだって。…もし、そいつに飽きたり裏切られたりしたら、いつでも戻って来いよな」

 往生際が悪いというか、諦めが悪いというか、ナムルはしつこく食い下がる。多分、トリトニアにその幸せな奴がいるのだろう。だが、パールは二年以上故郷を離れていると言う。もしかしたら心変わりしていることだってないとは言えない。パールには気の毒だが、その時は…。

 そう考えて言ったのだが、パールの一言に目を白黒させることになる。

「そんなことする人じゃないよ。一平ちゃんは」

「…な…何⁈」

 ミラは背中を丸めて笑いを堪えている。

「え…⁈一平?…一平はパールの兄ちゃんだろう?」

 間抜けな顔で問いかけるナムルに対し、申し訳なさそうにパールは言った。

「違うの。…ごめんね、嘘ついて」

(あの野郎…)

 ナムルは心の中で毒づいた。兄妹だと思えばこそ、一平のすることを見逃してやっていたのに。あんなことも、こんなことも…。

「諦めろ。ナムル。おまえの割り込む隙間はないよ」

 ミラが宥める。

「一平ちゃんはパールが心配だったの。パールも一平ちゃんのそばにいたかったの。だからごめんなさい」

 真摯でまっすぐなパールの謝罪に抵抗できる者などいるはずがなかった。

「だったら…尚更だ。もし奴が裏切るようなことがあったら、すぐ知らせろ。ぶん殴りに行ってやるから」

 パールは笑う。そんなことあるはずないってば、とつぶらな瞳が語っていた。


 ナムルが帰るとミラも言った。

「おまえには大事なことを教わった。ありがとう」

「パール、何も教えてないよ⁈」

 今度はパールが目を白黒させる番だった。

「それでも、教わった。自分に正直に生きることをだ」

「……」

「生きてみせるぞ、私も。おまえのように、正直にな」

 ミラが何のことを指してそう言うのか、パールには曖昧すぎてわかりにくかったが、不正直に生きるつもりは微塵もないパールはそう言われて嬉しかった。

 隠し事はパールにとって辛かった思い出しかない。だから、そうすることでミラが辛い思いをしないで済むのなら、言う事はないと思ったのだ。

 パールはミラが大好きだった。ナムルのことも、メーヴェのことも、同じように好きだった。でも、別れ難いとは思わない。一平のことほどには。

 そもそもの初めから、またすぐ別れて行くはずの人々だったから…。


 最後にメーヴェの診療所に立ち寄ってから、一平たちは旅立っていった。

 初めて会った時の苦悶の表情とは、打って変わった幸せそうな様子で。

 二人の姿が見えなくなると、ミラが徐に振り返った。話があると言って、メーヴェを建物の中に誘い入れた。

 ミラにおちゃらけた様子がまるでないのでメーヴェは眉を曇らせる。

「また何か…問題か⁈」

 宝剣を無断で持ち出したことに対し、処分が下ったのかと心配になった。

「いつも私が問題を起こしているような口振りだな⁈」

 嫌味っぽく言うと、メーヴェは開き直った。

「…当たらずと言えども遠からずだろう。このお転婆が」

「フン…。そのお転婆を嫁にすると約束したのはどこの誰だっけな⁈」

「……」

 メーヴェは呆気に取られる。ぽかんと開いた口が塞がらない。

 あまり長い間応えがないので、ミラは仕方なく言葉を継いだ。

「忘れたのか、薄情な奴だな」

 とんでもない。その誤解は困る。メーヴェは狼狽えて言った。

「…別に忘れたわけじゃない。それに…ガキの約束だ」

「ガキの約束は侮れないって、知ってたか?」

「……」

「結婚しよう」

「なっ⁈」

「そんなに驚かなくたっていいだろう」

「だっ…そ…お…」

 言葉が組み立てられないメーヴェに呆れて、ミラの眉間に皺が寄る。

「イエスかノーかだけ言えばいいんだ。どうなんだ?」

 問い詰められても、そんな急に答えられる問題ではない。医師メーヴェ、人生最大のピンチだった。

「あ…」

「断ったら私に悪いと思っているのなら大きな間違いだぞ。その優柔不断さこそ、一番迷惑なんだから」

「…ミラ…」

「なんだ」

 やっとのことで呼び掛けたメーヴェにミラは即答する。それもものすごく迷惑そうに。

「その…なんだ…。おまえはずっと…覚えてたのか?あの約束を」

「当たり前だ。初恋だぞ、私の」

 目の前で堂々と初恋だなどと威張られては赤くなるしかない。

「おまえはすっかり忘れてるふうだったがな」

「忘れたわけじゃないと言っただろう」

「ではなぜ、こんなに長い間ほったらかしなんだ?私に縁談が持ち上がった時も、おまえは何のコンタクトもとってこなかった」

「…言えるわけないじゃないか。君は総裁の娘だよ。こんな一介の…当時はまだ塾生にしか過ぎなかったボクにどうしてそんなことが言える?」

 おたおたと言い訳するメーヴェの言葉に、ミラは初めて表情を崩した。

 きょとんとして、呟いた。

「おまえ、そんなこと気にしてたのか?」

「そんなこととはなんだ。重大なことじゃないか。父親である総裁のメガネに自分が適う男だとはとても思えなかったよ。君に相応しい相手が他にいるのなら、僕は身を引こうと思ったんだ。君はあの約束を忘れてるようだったし…」

「一度でも、私が忘れたなんて言ったか」

「言わないよ。言わないけど…言わなきゃわからないこともある…」

 メーヴェの声がだんだん小さくなった。ミラもしんみりと聞き入る。

「言わなきゃわからないこと…か。その通りだ。…だから私は言った。もう遅いかもしれないが、私はあの約束を忘れられない。だから言ってみよう。そう思った。…あんな幼い少女でさえ、自分の望みに正直に、躊躇うことなく生きている。大人の私にできぬはずがない」

 ミラを変えたのはパールか?

 メーヴェは直感した。メーヴェとて、あの少女には見習うべきものがあると感じていた。彼のナイチンゲールはメーヴェの一番欲しいものをもたらしてくれたのだ。彼の心の渇きを癒して、メーヴェの元から去って行った。

 自ら望みさえすれば、勇気を出しさえすれば、それは簡単に手に入る。ほんのちょっとの勇気でいい。一平が皆に示してくれたような、とてつもなく難題の勇気でなくていいのだ。


 メーヴェは口を開く。

「僕は…この年になってもただの医師だ。これからも多分ずっとそうだろう。だが、それでもいいか?それでもいいのなら、僕の所へ来て欲しい」

 ミラは待ってましたとばかりに顔を輝かせた。

「もちろんだとも」

 そしてメーヴェに抱きついた。

 真っ赤になりながらメーヴェが念を押す。

「…幸せにしてやる、とは言えない。…苦労ばかりさせるかもしれない。けど…僕は君と幸せになりたい。嘘じゃない」

「おまえが嘘つきだったらこんなことしてないさ」

 そう言ってミラは首を傾けた。熱い唇同士が接近して一つになった。

「苦労なんか私が追い払ってやるさ。ちゃんと守ってやるから安心しろ」

 ミラにそう言われてメーヴェは変な顔をした。

「なんだ⁈不満そうだな」

「…そういう事は…男に言わせてもらいたい…」

 ミラは噴いた。

「おまえにそういう甲斐性がないから女の私が言ってやってるんじゃないか。子どもの頃から一度だっておまえに守ってもらったことなんかないぞ」

 メーヴェには返す言葉がない。ミラの言うことが事実なのは、自分が一番よく知っている。

「それにしたって…」

 メーヴェだってそれなりに努力はしたのだ。成果が上がらなかっただけで。

 メーヴェが口の中でもごもご言うのには注意を払わず、ミラは言う。

「ひとつ…承知しておいてもらいたいな。私はもう二十九だ。子どもはもう望めないかもしれない。それでもいいか?」

 ムラーラの女性の出産適齢期は十三から二十五歳くらい。健康面でも、良い種を残すためにも、三十を過ぎてからの出産は望ましくないとされていた。

 お医師のメーヴェがそういう知識を心得ていないはずがない。しかし、専門分野であるにも関わらず、メーヴェはそれを聞いて真っ赤になった。何人も赤ん坊を取り上げているくせに、自分のこととなると話は別物らしい。そこがまた、ミラには好ましく映るのだ。

「そんな…僕は…君と一緒になれるならそれで…それに、前例があまりないと言うだけで、決して不可能ではないんだ。諦めるのは少し早い」

「じゃあ、早速試してみるか」

 色気の欠片もない誘いの言葉に、メーヴェは再びゆでだこのようになった。真っ昼間から何を言い出すんだと、返す言葉が見つからない。ミラはにこっと微笑んで寄越し、メーヴェに躙り寄ると押し倒した。

(これでは、逆だ‼︎)

 心の中で叫びながらも抵抗するのは無駄と諦めた。


「ねぇ、一平ちゃん、パールのこと好き?」

 唐突に聞かれて一平はぎょっとした。

 だが、すぐに笑って言ってやった。

「当たり前だろ」

「よかった!」

 パールが手放しの笑顔をして腕に絡んでくる。泳ぎにくいが無下にできない。決して嫌ではないので余計だ。

 以前と何の変わりもなく、この少女が自分のそばにいることが嬉しかった。

 あの神獣からも、ちょっかいを出してくるナムルからも、パールを守り通すことができたのだ。

 そしてまた、トリトニアを目指せる。

 パールと二人だけで…。


 (トリトニアの伝説 第三部 ムラーラの恋歌 完)


拙い作品を読んでいただきありがとうございました。

「ムラーラの恋歌」は、海洋ファンタジー「トリトニアの伝説」の第三部です。


一平とパールは故郷トリトニアへの旅を始めてはじめて海人に出会いました。

ムラーラで起きている騒動に巻き込まれたのは災難でしたが、ここで師匠を得たことは得難い経験でした。

神獣の凶行もナムルの横槍も退け、再び水入らずの旅に戻った二人は再びトリトニアを目指します。

これからは南極回りで大西洋を北上する旅となるはず。


その前に二人の師匠のその後を外伝としてお伝えします。

引き続き読んでいただければ嬉しいです。


第四部「アトランティック協奏曲」は外伝投稿の後に連載を開始する予定です。

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