義弟の闇堕ちシスコン化を防ぐために、清楚系令嬢をやめた結果
私の父は、自衛隊員だった。
背が高くてがっしりとした体を持ち、堅苦しいところがあるので子どもの頃は父のことがちょっぴり苦手だった。
衝突することも多かったのでそんな父と距離を置きたいという目的もあり、私は県外の大学を受験して高校卒業後、地元を離れて一人暮らしを始めた。
距離ができたからか、父とは普通に話ができるようになった。父も、年を取ったのかもしれない。子どもの頃はひたすら厳しかった父は、長期休暇に帰ってくる私に滅法甘くなったので母が呆れていた。
子どもの頃は反抗しまくったけれど、これから少しずつ親孝行していこう。
そう思っていたのに……私は、最大の親不孝をした。
大学のサークルでの飲み会の帰りに、信号無視をして横断歩道に突っ込んできたオートバイにはねられた。すぐに病院に運ばれたようだけど、意識はもうろうとしていた。
そんな中、私を呼ぶ父の声が聞こえた。母の泣き声も聞こえた。娘が事故に遭ったと聞いて、最終便の新幹線に乗って来てくれたのだろうか。
頑張れ、目を開けて、と言う声が聞こえて手が握られたようだけど、体からは力が抜けていく一方。
ごめんなさい、お父さん、お母さん。
先に逝ってしまって……親孝行できなくて、ごめんなさい――
そうして私は、転生した。
転生先は、現代日本とは全く雰囲気の異なる世界だった。どちらかというとヴィクトリア朝ヨーロッパの雰囲気に近いこの世界で、私は何の因果か騎士の娘として生を受けた。
「かわいいロザリンド。お父様がおまえのことを、大切に育てるからな」
前世の父によく似た、筋骨隆々とした父は私をぎゅっと抱きしめて言った。
どうやら今世の母は、私を産んで間もなく亡くなったそうだ。父は、妻の忘れ形見である私を大切に育ててくれた。
今世の私は前世の黒髪黒目日本人形系女子とは似ても似つかない、愛らしい容姿を持っていた。
豊かな銀髪に、空色の瞳。今世の父は髪も目も茶色だし厳つい系なので、きっと母に似たのだろう。
父は仕事で忙しくて屋敷を空けることが多く、私は使用人たちに育てられた。でも人生二周目の私は父が騎士であることに誇りを持っており、多忙な中でも私との時間を取ろうとしているとわかっていた。
それに……前世できなかった分も今世の父に親孝行したいと思っていたので、父の不在が多くても文句はなかった。
今世は長生きして、父に恩返しをしたい。それを、前世の両親への償いにもしたい。
そう思っていたのに。
「君が、グレン・アーカートのご息女か」
屋敷の玄関に、黒いコート姿の男性が立っている。
応じた私がこっくりうなずくと、彼は痛ましい表情になって「グレンの魂の冥福を、心から祈る」と弔意を述べた。
年齢は、私の父と同じくらいだろうか。コートは仕立てがよさそうで、たかが騎士にすぎない父の弔問客にしてはご立派だった。
……そう。私の今世の父は、亡くなった。
先日、王城で乱闘騒ぎが起きたとき、上官を庇って暴漢に斬られたのだという。とても、父らしい最期だ。
父の訃報を聞いてもたった十二歳の私には何もできなくて、葬儀の手配も何もかも使用人がしてくれた。父方の祖父母とは絶縁状態だったので、私は喪主として弔問客の対応などをしなければならなかった。
前世で二十数歳まで生きた私でも心身共にぼろぼろになったのだから、もし私が転生者でなかったら絶望のあまり父のあとを追っていたかもしれない。
弔問客の男性はぐっと唇を噛みしめると、深く頭を下げた。
「グレン・アーカートは……私を庇って亡くなった。申し訳ない、ロザリンド嬢」
「え……」
「……彼は、私の部下だった。城内にならず者が侵入し、彼は迷うことなく私の前に立ちはだかった。彼はいつも、ご息女である君の自慢話をしていた。花嫁姿を見るのが楽しみだ、と言っていたのに、私は彼の命を奪ってしまった……恨んでくれて構わない」
「そんな……違います」
そうか、父が庇ったのはこの人だったのか、と納得しつつ、私はかぶりを振る。
「父は、あなたのことをお守りするべきだと思って身を挺したのだと思います。父の命を奪ったのはあなたではなくて、ならず者です。だから私は……大丈夫です」
「ロザリンド嬢……」
男性はその場にしゃがみ、私の手を取った。
「グレンは死ぬ前に、娘を頼む、と私に言った。無欲で遠慮がちなあいつが初めて私に、頼みごとをした。だから、あいつの願いを叶えたい」
「父さんが……」
「ああ。……ロザリンド嬢。うちに、来ないか?」
私の手をぎゅっと握り、男性は言う。
「グレンによって生かされた私には、君を養育する義務がある。グレンには及ばないかもしれないが、これから私が君の保護者として、君を守り育てる。天国にいるグレンに、君の幸せな花嫁姿を見せてやりたい」
私は、ゆっくり瞬きした。
……もう、私は親孝行ができないと思っていた。前世も今世も、親に恩を返せない親不孝娘である運命から逃れられないなのかもしれないと思った。
でも、私にはまだできることがある。
今世の父に育ててもらった恩を、まだ返せる。父が身を挺して守ったこの人のもとで幸せになることが……きっと、父への恩返しになる。
そうして私は、男性――タルコット卿の養女に迎えられることになった。
タルコット卿には奥さんと息子がいて、息子は私より二つ年下らしい。「義理の姉弟とはいえ、無理に仲よくなる必要はない」と別の屋敷で暮らすこともできると提案されたけれど、私はその子に挨拶がしたいと申し出た。
タルコット家は王国内でも有数の名門貴族だったようで、王都内にある敷地もとても広い。どれくらい広いかというと敷地内に屋敷がいくつもあるくらいで、養父はその一つを私に丸々与えてくれるそうだ。
実家とは比べものにならないほど立派なタルコット邸では、恭しく迎えられた。タルコット夫人――養母はとてもきれいな人で、「あなたのお父様は、夫の恩人です」「ずっと娘がほしかったの。仲よくしてね」と私を抱きしめてくれた。
……前世の母はどちらかというと恰幅がよくて、養母とは似ても似つかない。それなのになぜかふと、母のことが思い出されて涙ぐみそうになったのは、ここだけの秘密だ。
さて、養母に続いて紹介されたのは、二つ年下の義弟――だけれど。
「この子が、息子のヒースだ。ヒース、彼女がおまえの姉となるロザリンドだ。ご挨拶なさい」
「はい、父上。お初にお目にかかります、ロザリンド嬢。グレン・アーカート様のことは、父から伺っております。これからは僕が弟として、あなたをお守りします」
養父に促されて滑らかに挨拶するのは、見目麗しい少年だった。
ちょっと癖のあるつやつやの金髪に、ぱっちりとした緑色の目。養父もなかなかのナイスガイだけれど、この天使のような美貌は養母譲りだろう。
物腰の柔らかいヒースは笑顔で挨拶をして、私の手を取ってくれた。
「……ヒース・タルコット?」
「あ、はい。どうかヒースと呼んでくださいね」
つい不躾にフルネームで呼んでしまった私にも、ヒースは穏やかな笑顔で対応するけれど。
どうしよう……思い出してしまった。
ヒース・タルコット。
それは私が前世で遊んだゲームに出てきた、悪役騎士団長の名前なのだと!
前世の父が娯楽に厳しかったので、私がバイトで貯めたお金でまず買ったのはゲーム機だった。
自由に使えるお金の大半をゲームに費やした私は、RPGが特に好きだった。その中でも、『カルディアン大陸物語』はかなりやり込んでいた。
『カルディアン大陸物語』は、ギルドに所属する主人公がカルディアン大陸を旅しながら様々な人たちと出会ったり問題に巻き込まれたりするゲームだ。
主人公たちは、オムニバス形式でいろいろな国を冒険しながら『宝珠』を集めているという設定で、新しいシナリオが順次配信されていった。
各シナリオは大陸上の様々な国を舞台にしているのだけれど、その一つが『デュラン王国動乱』と呼ばれるものだった。
『宝珠』の一つを国宝にしているというデュラン王国に到着した主人公一行だが、なんだか国の雰囲気が物々しい。どうやら最近、王族周りの誘拐事件や不審死が頻発しているとのことだった。
主人公は、『宝珠』を手に入れるためにもこの問題を解決しようとする。でも国の人々は警戒心が強く、なかなか情報も集まらない。
そんな中でも主人公に親切に接してくれたのが、若き騎士団長のヒース・タルコットだった。
ヒースはよそ者の主人公たちにも優しく、むしろよそ者だからこそこの国の問題を解決できるかもしれないと彼の部下として臨時で雇ってくれる。彼に雇用されると町で買い物するときに値引きされるし回復薬なども無料でもらえるしで、プレイヤーはヒースにすっかり気を許してしまう。
……でも、何を隠そうこのヒースこそが動乱の主犯だった。
彼の姉は国王の愛妾の一人だったけれど、事故で亡くなっている。でも実は事故死ではなくて、その美しさ故に他の妃たちからいじめ殺されていた。
国王は真実を知りながらも隠蔽し、姉の遺骸を乗せた馬車を崖から落とさせて事故死に見せかけた――それを知ったヒースは、敬愛する姉の仇討ちのために王家を滅ぼすことにしたのだ。
彼は主人公たちを使って反乱を起こし、あと一歩で王族を皆殺しにできるところだったけれど、主人公たちに裏切られて失敗し、戦闘の末に敗北する。
辛くも生き延びた国王だけれど彼は自分の罪を隠すためにヒースを利用して、ヒースこそが諸悪の根元だと喧伝した。主人公一行は動乱鎮圧の褒美として『宝珠』をもらい、後にデュラン王国は内乱により荒れ果てました――というのが、このシナリオのエンディングだった。
ということは、である。
「私はヒースの姉……つまりいずれ国王の愛妾の一人になっていじめ殺され、それが原因でヒースが闇堕ちしちゃうってこと!?」
自分用の部屋で一人きりになってから、私はうおおおお、と頭を抱えてしまった。
まさかここが、『カルディアン大陸物語』の舞台だったなんて! 確かにこの国がデュラン王国でカルディアン大陸の東にあるというのは知っていたけれど、ヒースの顔を見るまでは全然思い出せなかった!
「でも……いや、待って。きっと、未来は変えられるわ」
ベッドに突っ伏していた私は、体を起こす。
確か……ゲームでデュラン王国の一般人が、ヒースの姉が国王に嫁ぐことになった経緯を話していたはずだ。
『ヒース様には、血のつながらない姉君がいてね。とても仲睦まじい姉弟だったけれど、十年くらい前にご実家が詐欺の片棒を担いだとかで没落して、姉君は家族を守るために輿入れしたそうなの。ヒース様が騎士になったのも、その頃だったかしら』
こんな感じだった気がする。
そしてゲームに出てきたヒースが、二十代半ばくらいに見えたことをふまえると。
「今から五年後くらいに、タルコット家は詐欺に加担してしまう……」
そういうことか、とゲームの知識と現世の情報が合致した。
この国では国王の愛妾になれば、妃を輩出した家として一目置かれるだけでなく一時金がもらえる。
タルコット家の家族を救うために、ロザリンドは国王に嫁ぐ。どんなにひどいいじめを受けても、家族を守るためにロザリンドは離縁できなかったのだろう。
「……だとしたら、詐欺に巻き込まれないようにすればいいのよ」
具体的にどんな詐欺なのかはわからないけれど、ロザリンドがお金を求めていたということはかなりの大金が動くはず。そして今から約五年後という目星もついているから、その頃の養父の動きに目を光らせれば防げるのではないか。
……ああ、それから。
「ゲームのヒースは、どう見ても度を超えたシスコンだったのよね……」
ネットでは【傾国のシスコン】と呼ばれていた、ヒース。
見た目がよくて物腰も柔らか、国民からも人気があり主人公たちにも優しいので、彼は計画通り主人公一行――だけでなくプレイヤーからの信頼も得ることに成功する。
でも彼の本性はつまるところ、やばいシスコンだった。彼は清楚で敬虔な義理の姉に本気で惚れていたらしく、開き直った彼は「姉上のためなら国でも世界でも滅ぼすし、誰だって殺してやる」と笑顔で言っていた。
血のつながりはないと明言されていたものの、シスコンを通り越して狂信者な彼にドン引きする人続出。でもそれがいいのだ、とヒースと姉の年齢制限モノ二次創作を書く猛者も現れたけれど……それは置いておいて。
「ヒースをシスコンにするのも防いだ方がよさそうね」
ベッドの上であぐらを掻き、私はうん、とうなずいた。
前世も今世も一人っ子だったので、せっかくできた弟をうんとかわいがりたい。でもこのままだとヒースは、姉のためなら皆殺し☆なバーサーカーになってしまう。
彼は、亡き実父のために祈り家族のために身を捧げる聖女のような姉を愛していたようだ。ということは、私がそこまでの聖人にならなければいい。
「家族が詐欺に巻き込まれるのを防ぎ、国王の愛妾ルートも回避して、清楚すぎないようにしてヒースをシスコンに育てないようにする……」
どうやら、これがロザリンド・タルコットとしてやるべきことのようだ。
……もしかすると神は、このデュラン王国を滅ぼさないために私に前世の記憶を与えたのかもしれない。
ヒースを止められるのはおまえだけだぞ、と。
「……やってやろうじゃないの!」
私は今世でこそ、親孝行する。
そして長生きするのだ!
目標を定めた私は、まずゲームで語られていた清楚・敬虔系令嬢から脱却することにした。
もちろん、今世の実父に祈りを捧げたいし前世の両親にも償いの思いを告げたいから、王都の聖堂には通っている。でも一日中そこに入り浸るのではなくて、ほどほどに弾けるようにした。
「いってきます、お父様、お母様!」
「おや、今日もお出かけか」
「はい。素敵な公園を見つけたので」
玄関で父に声をかけられたのでそう言うと、彼は「そうか」と目を細め、隣にいた母も「ロザリンドが元気そうでよかったわ」と嬉しそうだ。
養父母は、私が塞ぎ込まないか、慣れない環境で体を壊したりしないか、とても心配していた。彼らにいらぬ苦労をさせないためにも、私は「実父の死を受け入れて、前向きに生きています」という気持ちを前面に出すようにしている。
「あっ、姉上」
「ヒース」
御者が馬車の準備をしているのを待っていたら、ヒースがやってきた。
出会ったばかりの頃は少し堅苦しい緊張気味だったヒースも、私がタルコット家に来て一ヶ月経った今はだいぶ気を許してくれたように思われる。
ゲームでのロザリンドは結婚前も聖堂通いしていて、その送り迎えをしていたヒースは女神像の前で祈る姉の姿に慕情を募らせていた……と本人が語っていた。
ヒースの好みが清楚系お姉さんなら、その枠から外れれば彼のねじ曲がったシスコン化を防げるはず。
「お出かけですか」
「ええ。この前見つけた公園に行こうと思って」
「それなら、僕も一緒に行きたいです」
ヒースがそう言うので、おや、と思ってしまう。
「いいけれど……ヒース、公園に用事でもあるの?」
「用事……というか、姉上が行かれるから一緒に行きたいのです。だめですか?」
ヒースは、まるで捨てられた子犬のようにしゅんとしてしまった。
公園に出かけるアクティブな姉になったのだから彼の関心から外れていると思ったけれど、よく考えたら今の彼はまだたったの十歳。愛とか恋とか、そういうのはまだ早い。
今のヒースはそういうのを抜きにして、私と仲よくなりたいと思ってくれているのだろう。……とすると、さっきの質問はちょっと意地悪だったわね。
「もちろん、いいわよ。一緒に行きましょう」
「やった! ありがとうございます、姉上!」
私がオッケーを出すと、途端にヒースはぱっと笑顔になって私の手を取った。
……彼がヤンデレシスコン化するのは、まだ十五年も先の話。
今は姉弟として、よい関係を築く方向で行ってもいいのかもね。
タルコット家の令嬢として過ごす日々は穏やかで、あっという間に五年の月日が流れた。
「姉上、お手をどうぞ」
王都の聖堂前にて。
馬車から降りる私に手を差し出すのは、十五歳になった弟のヒース。
出会ったばかりの頃は天使と見まごうようなかわいらしい少年だったけれど、この五年間で彼はすっかり大人になった。少し癖のある金髪はそのまま、まんまるだった目は鋭さを持つようになっており、私の手を取る手のひらも大きくてごつごつしてきていた。
ヒースは十二歳の頃に「姉上を守る騎士になる!」と宣言して、騎士団の門を叩いた。そこで鍛えたおかげか身長がぐんと伸び、彼と視線を合わせようと思ったら私が上向かなければならないほどになった。
子どもの頃よりずっと凜々しく、ずっと格好よくなった弟だけれど、姉思いなところは変わっていない。
普段は宿舎で生活しているけれど騎士団での訓練が休みの日には欠かさず実家に帰ってくるし、そのときに私が外出するとなったら護衛を申し出る。まだ見習いだけれど帯剣は許されているから、と言って、腰に下げた剣を誇らしげに見せてくれる。
今日も、日課の聖堂でのお祈りに行く私の送り迎えに立候補した。両親はヒースが私にべったりなのを快く受け入れているようで、「仲がいいのは何よりだ」とのほほんとしている。
……とはいえ。
人気のない聖堂の女神像前で祈りを捧げながら、私は背後からの強い視線を感じていた。私の背中に目がついているわけでもないしこの世界に魔法云々は存在しないから、気のせいだとはわかっている。
でも、聖堂の長椅子に座って私の用事が終わるのを待っているだろうヒースがこっちをガン見している気配をひしひしと感じていた。とはいえ、髪を掻き上げる仕草をしながらちらっと後ろを見ても、彼は手元の本に視線を落としている。
気のせいかな。でも前を向くとやっぱり、後ろからの視線を感じる。
……なるほど。ゲームに出てきた、『ヒースは女神像の前で祈る姉の姿に慕情を募らせていた』というのは本当だったようだ。
聖堂で姉が祈りを捧げる間、読書をして待っている……というのは建前で、実はその背中を食い入るように見ていたということだ。彼がせっかくの休みだというのに姉の送り迎えの護衛なんて面倒なことをしているのは、彼自身の願望のためだった。
……ヒースのことは、弟として好きだ。そしてできることなら、『カルディアン大陸物語』で悪役にならざるを得なかった彼を救いたいと思っている。
それに彼のガン見視線を感じるとはいえ、それにいやらしさなどはないと思っている。ゲームでもヒースが姉に手を出したという描写はなかった――二次創作は不問とする――のだから、貞操の危機などもないだろう。
あと、私にはちゃんと作戦がある。
「お待たせ、ヒース。それじゃあ私、街でお買い物をしてくるわ!」
お祈りを終えてヒースのところに行くと、本を閉じた彼は「わかりました」とうなずいた。
「では僕もご一緒します」
「……いつも言っているけれど、そこまでしてくれなくていいのよ?」
私は、活発なお嬢さんになってヒースの好みから外れることを目指している。だから礼拝の後には街を散策したりカフェに行ったりしている。
それだけでなく、最近は賭け事も嗜んでいた。賭け事といっても賭けるのは小銭くらいで違法ではなくむしろ貴族の嗜みのひとつでもあるから、両親も何も言わなかった。
だというのに、ヒースは私が遊びに行くときの護衛まで申し出てくる。彼の好みは聖女のように清らかで儚げな姉のはずなのに、嫌な顔ひとつしないどころか街の散策や賭博場にもついてきていた。
……おかしいな。
ヒース、賭博する女性は君の好みではないでしょう?
そう思って尋ねるけれど、ヒースはかぶりを振る。
「姉上をお守りするのが僕の役目。街の散策でも新しい店の開発でも賭博でも、なんでもご一緒します」
「いや、守られるべきなのは私じゃなくてあなたでしょう」
私は養父母に引き取られただけの、騎士の娘。対するヒースはタルコット家の嫡男で、跡取りだ。
それに彼には二十代半ばにして騎士団長になるほどの実力があるのが確定しているのだから、将来性を鑑みても彼の方が守られるべき対象であろう。
「いつも送り迎えと護衛をしてくれるのは、助かっているわ。でも城下街の治安はいいし、あなたが心配することは何もない。せっかくの休みなのだから、おうちでゆっくりしていいのよ」
「いいえ、僕が姉上と一緒に過ごしたいのです」
ヒースが真っ直ぐな眼差しで言うのだから、ついどきっとしてしまった。
うちの弟は、とても見目がいい。顔がいいだけでなくて家族思いで勉学も武術も得意で、騎士団にもたくさんの友だちがいるという人格者。
そんな彼にこんな真剣な顔で、こんなことを言われるのだから、ときめきのひとつでもしてしまうってものだ。
「……いつもみたいに荷物持ちでもなんでもさせちゃうわよ? それでもいいのなら」
「もちろん。いくらでも僕を頼ってください」
まさかの荷物持ち命令でも、ヒースはむしろ嬉しそうにうなずいた。
……おかしいな。
ヒース・タルコットは、聖女のような姉にこき使われることを喜びとする変態だったのか……?
そういうことで街で買い物をしてヒースに荷物持ちをさせて、帰宅したのだけれど。
「……えっ? 資金援助?」
「ああ。ビリンガム卿から相談があってな。彼には昔世話になったし、ここで一肌脱ぐべきだと思っている」
夕食の席で養父が口にした話題に、私は動揺のあまりナイフを皿に当てて音を立ててしまった。
養父は、とても義理堅い人だ。私の父に庇われたことで私を引き取ったというエピソードからもわかるように、受けた恩を必ず返すという考えを持っている。
それは素晴らしいことだし、養母はそんな養父を愛し、ヒースも父親を尊敬している。私だって、仁義に溢れた養父のことは大好きだ。
でも、これはだめだ。
なぜなら今の私は、十七歳。そろそろ、タルコット家転落の契機となる詐欺加担事件が起こる時期だった。
去年あたりから、今か今かと養父の動向を気にしていたのだけれど、夕食の席でぶっ込まれるとは思わなかった。でも、両親の会話にこっそり聞き耳を立てたり書斎をあさったりする必要はなくなったから、不幸中の幸いだ。
きっとこのビリンガム卿への資金援助というのが偽りで、卿にお金を貸すことでタルコット家は詐欺に巻き込まれてしまうのだ。
手に汗が溢れ、カトラリーが滑りそうになる。
養父がビリンガム卿に加担するのを、止めないと……!
「何をしているのですか、姉上」
その日の夜、身仕度をしてこっそり部屋から抜け出そうとした私は、廊下に出たところでヒースと鉢合わせしてしまった。もう寝入っていてもおかしくない時間なのに、彼は外出用の上着を着ている。
「えっ!? ええと……寝付けないから、散歩にでも行こうかと」
「夜の散歩にしては、物々しい装いですね。まるで、密偵のような格好です」
ヒースの指摘どおり、今の私は夜闇の中でも動きやすいシャツにパンツという姿だった。いつか行動を起こすべきだろうからと、こっそり買っていた調査用の衣装だ。
平民ならともかく貴族令嬢がパンツなんて穿くものではないからさっと自分の部屋に下半身を隠しつつ、通せんぼをするように立つヒースに笑いかける。
「だって、動きやすい格好の方がいいもの。さ、ヒースは明日には騎士団に帰るのだから、もう寝て――」
「ビリンガム家への調査ですか?」
ヒースの言葉に私が閉口すると、彼は「やはりそうですか」と目を伏せた。
「夕食のときから、姉上の様子がおかしいと思っていました。ビリンガム卿の名前に過剰に反応し、警戒しているような素振りに見えましたが……まさか、夜中に行動を起こすとは」
「あ、あの……」
「僕も行きます」
そう言って、ヒースは上着の裾から鞘の先端が飛び出している剣にそっと触れた。
「姉上一人で夜の偵察なんて、迷子になりに行くようなものです。それに僕は騎士団で、偵察行動についても教わっています。僕を連れて行って損どころか、お得なことばかりかと」
「え、あ、でも、その……。……止めないの?」
「僕は、姉上に何かお考えがあるのだと思っています。僕は姉上のお気持ちを何よりも尊重させたい。……たとえ、どんなことでも」
夜闇の中で青色の目を光らせ、ヒースは私の手をそっと取った。
「ビリンガム家には、僕と同い年の令息がいます。優しくて気は弱いけれど、とてもいいやつです。……姉上の危惧が杞憂で終わるなら、それでいい。でも『何か』があるのなら、父上や母上のためにも、あいつのためにも、手を打ちたいと思っています」
「ヒース」
「さあ、行きましょう。今晩だけでも、ビリンガム家周辺を探るくらいはできるでしょう」
ちょうど窓の外で雲が途切れたようで、そう言うヒースの横顔を月光が照らした。
強く、美しく、鋭く――少し危険な香りもするけれど、とても頼もしい私の弟。
「……ありがとう、ヒース」
「姉上のためなら」
そう言ってヒースは、とても嬉しそうに微笑んだ。
結果として、私とヒースによるビリンガム家調査は大成功に終わった。
さすがに一晩だけでは屋敷までの道のり確認しかできなかったけれど、その後もヒースが実家に帰ってきたときに一緒に調査しつつ、資金援助はもう少し待つべきではと両親をなだめた末に、ビリンガム卿が方々から集めたお金で悪徳商売を行おうとしていることが判明した。
商談の日程情報を掴んだ私たち――主にヒースの手柄だけど――は父を誘導して、ビリンガム卿と悪徳商人の商談の場に突撃してもらった。
父は恩人の裏切りに絶望しつつも、淡々と処理を行ってくれた。
ヒースも気にかけていたビリンガム令息はこの件に無関与だったらしく、父親の行いに涙していた。ビリンガム家は取り潰されることになったけれど、令息は名前を捨てて新しく生きていくつもりらしいとヒースは穏やかな表情で語っていた。
かくして、タルコット家崩壊の危機は乗り越えた。それどころか、ビリンガム卿の詐欺を未然に防いだ父とヒースは皆からの賞賛の的となり、タルコット家の評価はますます上がった。
なお、この件に私は関与していないこととしている。ヒースは「発案者は姉上なのに」と不満げだったが、年頃の令嬢が夜な夜な弟と共に密偵行動をしているなんて知られるわけにはいかない。
そういうことで、発案者はヒースで実行したのは父ということにしてもらったのだった。
タルコット家が没落することなく、穏やかに時間が流れ――翌年、私は十八歳の成人を迎えた。
デュラン王国では十五歳から社交界に出られ、成人である十八歳から結婚が可能となる。そんな節目である十八歳の誕生日を迎えた翌月、王国貴族の令息令嬢たちは王家に挨拶に行くしきたりがあった。
「おきれいですよ、ロザリンドお嬢様」
「ありがとう」
成人の挨拶のために、先月十八歳を迎えた令息令嬢たちが王城に赴く日。
メイドによって飾り立てられた私は、いろいろな意味で緊張していた。
私の当初の目標の一つである、タルコット家没落の危機は逃れた。
でも、まだ安心はできない。私は、あの好色な国王の目に留まってはならないのだ。
ゲームでのロザリンドは、家族を救うために身売りするような形で国王の愛妾になった。そして国王もヒース同様清楚系美女が好みだったようで、あっという間にロザリンドは国王の寵愛を受ける。そしてそれを妬んだ王妃たちによる、ひどいいじめの対象になるのだ。
……国王除けのために、今日の私は気合いばっちりの華やか仕立てにしている。化粧も濃いめで、ドレスも胸元や二の腕がよく見えている。
普段あまりこういう服やメイクにはしないからメイドたちは戸惑っていたけれど、どうしてもとお願いしたらいい感じに仕上げてくれた。
「姉上、そろそろお時間です」
「ええ、今行くわ」
ドアの外でヒースの声がしたので、部屋を出る。廊下で待っていたヒースは正装姿で、私を見ると目を丸くした。
このドレスは、国王除けだけでなくてヒース除けの効果も期待している。
彼は今晩、弟として私のエスコートをしてくれる。国王と同じく清楚系お姉さんがタイプの彼に、お色気ババーンという感じのこの格好を見せれば百年の恋も冷めるはずだ、というのが狙いだ。
なんといっても、この六年間でヒースからの好感度が下がる気配が全くない。賭博令嬢になってもだめ、無断夜間外出令嬢になってもだめなのだから、いっそはっちゃけてお色気方面に全振りした方がいいだろうと考えてドレスを選んだのだ。
さあ、どうだ! これでドン引きしたまえ!
【傾国のシスコン】ルートを回避するのだ!
六年間で立派に育った胸を張ってヒースにアピールすると、彼はさっと顔を背けた。おっ、これはいい反応!
「……それは、反則です」
「ふふ、たまにはこういうのもいいでしょう?」
「ええ、すごく……いいです。でも、そんなに魅力的な格好でどうするのですか。国王陛下にご挨拶したときに、あなたの美貌に目をつけられるかもしれないでしょう」
ヒースが少し怒ったように言うので、あれっ、と思いつつも笑い飛ばした。
「大丈夫大丈夫。国王陛下は、儚げ系の深窓の令嬢がタイプらしいから」
「……え? そうなのですか?」
「そうそう。ほら、行くわよ」
ヒースの手を引っ張ると、少しびくっと震えたのがわかった。
……うんうん、どうやらヒースの中での聖女系お姉さん像が完全に崩れたようだ。
これは、いける。
いけるはずだ!
王城に向かうと、そこには私と同じく先月十八歳になった令息令嬢たちが集まっていた。
これまで社交界に出たことのない私はその中に友だちもいなくて、ヒースの方が皆の関心を集めていた。ヒースが「義姉の付き添いです」と笑顔で言って私が知らない人と話さなくてもいいようにガードしてくれるのが、とてもありがたい。
令嬢の中には、「陛下に見初めていただけないかしら」なんて夢見ている子もいるようだ。確かに現国王はまだ二十代で、ゲームでも三十歳くらいだったけれど顔グラフィックだけはなかなか美麗だった。中身はクソだけど。
だから、愛妾になるのを夢見ているようだけどやめた方がいいよ。愛妾になったというのに見向きもされなくてもそれはそれで悲しいけれど、下手に国王の寵愛を受けたら王妃からのいじめを受けるの確定だから……。
そうこうしていると、会場に国王と王妃が現れた。そうして身分が高い順に名前が呼ばれて、国王夫妻に挨拶することになる。当然、タルコット家の養女でしかない私は最後だ。
……どうしよう。大丈夫だとわかっていても、緊張する。
清楚のせの字もないド派手美女で挑んでいるけれど、もし国王から気に入られたら……愛妾になれと言われたら――
ふと、手がぎゅっと握られた。隣を見ずとも、ヒースのせいだとわかる。
「ヒース」
「大丈夫ですよ、姉上」
私の手を握るヒースが、優しい声音で言う。その青色の眼差しはいつもより少しだけ熱がこもっているように見えるし、私の腰を支える手にも力が入っているように思われた。
彼は、私の作戦を知らない。何が「大丈夫」なのかも、正直よくわからない。
でも……ヒースの言う「大丈夫」だからか、その言葉には強い力が込められていた。
「……ありがとう」
ヒースの手をぎゅっと握ってお礼を言ったところで、私の名前が呼ばれた。ここから先は、エスコートなしに一人で行かなければならない。
震える体にむち打ち、前に進む。国王と王妃の前に立ち、淑女の礼をする。
「タルコット家が養女、ロザリンドでございます。国王陛下並びに王妃殿下に、成人のご挨拶を申し上げます」
「……ああ。マーティン・タルコットが引き取ったという騎士の娘か」
国王がつまらなそうに言い、私の背後で誰かが小さく笑う声さえした。養子になっただけのたかが騎士の娘が、という嘲笑だろうか。
でも今の私には、その嘲笑さえ心地よくてありがたい。
私がうなずくと、国王は軽く手を振った。もういいから下がれ、の合図だ。
もう一度お辞儀をしてから国王夫妻に背を向け、ヒースの待つところに向かい――彼に手を取られた瞬間、体中に張り詰めていた緊張の糸がほどけた。
やった……乗り切った!
国王のタイプの女性から外れた結果、興味を持たれなかった。タルコット家の状況も良好だから、私が望まぬ輿入れをする必要はなくなる。
国王の愛妾になっていじめの末に死ぬルートからも、逸れることができた――!
挨拶が終わり、令息令嬢たちが解散する。
私はヒースに手を取られて馬車に乗るまでは大人しくしていたけれど、馬車内でヒースと二人きりになった瞬間、思わずガッツポーズしてしまった。
「やったわ! 国王の愛妾ルート回避成功よ!」
「おめでとうございます」
よくわかっていないだろうに、ヒースはとりあえず祝福してくれた。
「あら、祝福してくれるの?」
「僕としても、姉上が国王に嫁ぐなんて我慢ならないのでよかったです」
「そうなのね。……はあ。このドレスにしてよかったわ」
この華やかお色気系ドレスは、国王から私を守ってくれた勇者の鎧だ。もう着る機会はないだろうけれど、丁寧に手入れをしてあげたいところだ。
「これで私の人生は安泰よ、ヒース」
「それはよかったです」
「ええ。愛妾ルートは回避したし、あとはほどほどにいい人と結婚でもしようかしら」
機嫌がよいまま、私は口にする。
いじめ死エンドを回避した今こそ、私がずっと願っていた親孝行をするべきときだ。
現世の実父が養父に託したという、ロザリンドの花嫁姿を見たいという願い。それを果たすことが、私がロザリンド・タルコットとしてするべき最後のタスクだ。
社交界デビューをしていない養女とはいえ、タルコット家の娘である私を是非妻にと望む貴族もいるらしい。養父母は、「ロザリンドが成人したら、その話も一緒にしよう」と言っているので、そろそろ縁談についても考えることになるはずだ。
結婚するなら当然優しい人がいいし、さらにタルコット家の益になる相手だと言うことなしだ。これまで六年間育ててくれた両親への恩返しにもなるのだから、よい相手のもとに嫁ぎたいところだ。
「……なんですって?」
ところが私の呟きを耳にした途端、ヒースが顔色を変えた。
そして私の向かいに座っていた彼は立ち上がり、私の隣の空いているスペースに体をねじ込むような形で座ってきた。
「姉上は、ご結婚を考えているのですか?」
「え、ええ。タルコット家にとって益になるような相手がいればいいなぁって――」
「は? 政略結婚の駒にでもなるつもりで?」
私は軽い気持ちで言ったのに、ヒースはドスの利いた声でずいっと身を寄せてきた。
近い近い!
「ひ、ヒース?」
「そんなこと、僕が許すとでも? 姉上はタルコット家の益になるのならどんな相手にでも嫁ぐつもりなのですか? そんな身売り同然の行為をしようとでも思っているのですか?」
「いや、さすがに相手はえり好みするわよ?」
選べる立場なのだから、遠慮なく選ばせてもらうつもりだ。養父母だって、私の気持ちを優先してくれるはずだし。
「暴力を振るう人や酒癖の悪い人は嫌だし……ああ、浮気者も論外ね。それにもちろん、私が養女だからって馬鹿にしたりしない人じゃないと」
「……なるほど? 他にご希望は?」
「え? ええと……健康で頼もしくて……子どもや動物にも優しい人とか?」
真顔のヒースに問われるまま答えると、彼は「わかりました」と大真面目にうなずいた。
「それなら、ぴったりの相手がおります。姉上の夫になるにはつまらぬ身かもしれませんが、その人で妥協してもらうのがいいかと」
「あら、あなたのお友だち? だとしたら年下かしら」
「と、年下はだめですか!?」
「全然いいわよ。さすがに五つも六つも下だと困るけれど……そうね。もう社交界デビューしているくらいの年齢だったら」
なぜか焦るヒースだったけれど、私の返答を聞くなりぱっと笑顔になった。
「ならよかった! では、姉上。僕と結婚しましょう」
「ええ、どこの……。……ちょっと待って。なんて?」
一瞬、『ボク』という名前の令息がいるのかと思ったけれど、いや違うだろうとセルフツッコミを入れる。
今、この弟は、なんと言った?
「姉上……いえ、ロザリンド。僕と結婚してください」
ヒースが一語一語はっきりと言い直したため、聞き間違いかと思った私も理解した。
……ヒースが、私にプロポーズしている、だと!?
「いやいやいやいやいやいやいやいや、おかしいでしょう!?」
「そうですか? 父上からは、せめて十六歳になってからにしろと言われていたので何も問題ないかと」
「お父様も了承済みなの!?」
「はい。血のつながりがないのは明らかなので、僕たちの結婚に何も支障は来さないとのことです。姉上さえうなずくのなら、それでいいと」
それはそれで聞き捨てならないけれど、もっと大きな疑問点がある。
「いやいや、ヒース、あなたのタイプは敬虔な清楚系お姉さんでしょう!? これのどこが聖女系令嬢なのよ!?」
混乱のあまりメタなことを口走っていると自覚しつつも止められず、私は大きく開かれた胸をずいっとヒースの方に寄せた。
そうするとさすがに彼は恥じらったようで目を逸らしつつも、「何を言っているのですか」と言い返す。
「清楚系が好みなんて、一言も言っていないでしょう!」
「ええっ!? でもあなた、聖堂で祈る私の背中にドキドキしていたんじゃないの!?」
「違いますっ! 誰から聞いたのかわかりませんが、むしろ真逆です!」
「真逆?」
はて、と私が首を傾げるとヒースは大きなため息をつくなり私の肩をぐいっと優しく掴んで、顔を近づけてきた。
「僕は、初めて会った日からあなたのことが女性として好きでした。父があなたを、姉ではなくて僕の花嫁候補として連れてきてくれていたならよかったのに、と何度も思いました」
「……ほ、ほう?」
「でも、僕たちは姉弟になってしまった。血のつながりはないとはいえ姉となった人に……それも家族を亡くすという辛い思いをした人に、こんな気持ちを押しつけることはできないと思っていました」
「はあ……」
「だから、聖堂で祈るあなたの姿を見つめることでこの気持ちを抑え込んでいた。それこそ聖女のように清らかなあなたを穢してはならない、この人を守るのが僕の役目だ、と自分に言い聞かせてきた」
ヒースも緊張しているのか、いつもの敬語口調も崩れて必死に言いつのっている。
「それなのに……あなたは明るく活発で、僕を翻弄してきた。しまいには、こんなに艶やかな姿を見せてくれて……ただでさえ愛おしいと思っていた人の華やかで愛らしい姿を見せられたというのに、他の野郎に嫁ぐなんて言われて我慢できるはずがない」
「……あの、ヒース?」
「はい」
「あなたって……清楚系じゃなくて、お色気系が好きだったの?」
我ながらアホな質問だと思いつつも聞くと、ヒースは頬をさっと赤らめて拗ねるような顔になった。
「……お色気系だったら誰でもいいわけじゃありません。他でもないあなたが、僕のタイプど真ん中の振る舞いをするから、我慢できなくなったのです」
「……」
ふーん……つまり?
脱・清楚系になることでヒースを【傾国のシスコン】にしないようにしよう、という私の計画は、最初から大間違いだったということ!?
いや、私の後宮入りを防いだことで【傾国の】のつかないただの【シスコン】になったのだから、大失敗ではないのかも?
もうよくわかんない……。
「僕と結婚してくれたら、一生大切にします。暴力や浮気なんて絶対にしないし、酒を飲んで暴れたりもしません。子どもも動物も好きですし、あなたのことを妻として敬愛し誠心誠意尽くすことを誓います」
「え、えええええ…………本気?」
「本気です」
そう言って私の手を握ったヒースが、祈りを込めるように目を伏せた。
「……ずっと、あなたを守りたいと思っていました。あなたはいつも、どこか遠くを見ていた。そんなあなたを、ここにつなぎ止めたい。僕を、見てほしい。僕の手で……幸せにしたいと思っていました」
「ヒース……」
「今すぐに返事を、とは申しません。何よりも今の僕は未成年で見習い騎士にすぎず、あなたに男として見てもらうには子どもすぎます」
それでも、と懇願するようにヒースは私の手を握る手に力を込める。
「僕に、チャンスをくれませんか。せめて……そう、あと二年。僕が成人するときには、あなたに認めてもらえるような男になります。そのときに、返事を聞かせてくれませんか。二年だけ……他の男に嫁ぐことについて考えるのを、待ってくれませんか」
ヒースの言葉に、うわやべぇどうしようと焦っていた私の心が一気に凪いだ。
ちょろいかもしれないけれど、私はヒースのこのお願いに一気にほだされてしまった。二年だけ待ってほしい、とお願いする姿があまりにも健気で必死だったからかもしれないし――大切な弟のお願いだからなのかもしれない。
「ヒース、わかったわ。私だって、あなたのことを自慢の素敵な弟だと思っているわ。その……今すぐにあなたの求婚に応えることはできないから、猶予をくれるのならとても嬉しい」
私は、ヒースのことが好きだ。
ヒースが私に向けるほどの熱量はなくても、いつか離ればなれになるのは寂しいと思っているくらいには愛がある。
それに、ヒースと結婚するのを養父も了承しているというのなら、タルコット家への恩返しにならなくもない。亡き実父に花嫁姿を見せることも――そして今世でこそ幸せになるという前世の両親への孝行にもなるはずだと考えると、いいことずくめではないかとさえ思われる。
……どんな形であれ、私はきっと今度こそ、親孝行できる。
そして前世のように二十数歳で死ぬこともなく、この世界でロザリンドとして生きていける。
心のどこかでほっと安堵する私を、ヒースは限りない優しさのこもった眼差しで見てきていた。
かくして私は義弟からの求婚を受けつつも、二年間の猶予をもらった。
二年もあればヒースの気持ちも変わるかもねぇと思ったけれど、ヒースはあの日の約束を全力で果たそうとしているのか、タルコット家嫡男としても騎士としてもめきめき成長した。
その結果。
私は後に結婚したけれど、名前がロザリンド・タルコットから変わることはなかった。
養父母兼義父母からは「ロザリンドがずっとうちにいてくれるなんて!」と歓迎されたし、二つ年下の夫からめいっぱい愛されたことで孫が生まれたときには大喜びしてもらった。
私の夫は二十代前半にして騎士団長に就任し、頼りない国王をビシバシしごいてくれた。おかげで国王は十歳も年下だというのに夫に頭が上がらなくなり、そのだらしなさもかなりましになったようだった。
そして、私が二十八歳になった年。
デュラン王国に、旅の一行がやってきた。彼らが国宝を所望しているらしいということで私が夫にお願いすると、彼は国王に取り次いだ。そしてあの手この手で言いくるめた結果、王国に動乱を起こすことなく円満な形で『宝珠』が譲り渡されることになった。
こうして、ゲームとはちょっと前提が変わりつつも『宝珠』は無事主人公一行の手に渡っただけでなく、デュラン王国は動乱に見舞われることなくほどほどに平和になったのだった。
「ねえ、あなた」
「はい。なんですか、ロザリンド」
「あなたは、私と結婚できて幸せ?」
結婚して何年経っても敬語の癖が抜けない夫に聞くと、彼はふわりと微笑んで膝の上で眠る幼児の頭を撫で、そして私の大きなお腹にもそっと触れてから私の頬にキスを落とした。
「もちろん。あなたと結婚できたことが、僕の生涯にとって何よりの幸福であり、名誉なのですよ。……姉上」
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