閑話:想起した記憶(1)
夢でもなく、幻でもない
これはひとりの青年の───虫を食んだ味にも似た、不快感に塗れた苦い記憶
「・・・嘘でしょ?」
とある街、とある路地裏のしけた袋小路。
バイト終わりでヤニを摂取していた彼女の、ひどく驚いた声が泡沫となって宙に消える。
「俺は今まで───あんたに嘘をついたこと、無いはずなんだけど」
そんな彼女の隣に立ち、壁に寄りかかって俯いている青年は、呆れたようにそう言った。
彼女が、まるで自分を見ていなかったことは───どうやら想定内であるようだ。
悲しそうな表情をしつつも、どこか分かっていた、把握していたと言わんばかりの表情をしている。
「いやあ、長い目で見なよ。
君の身長なら、わざわざ私を選ばなくたって女の子は寄ってくるでしょ?」
年上として・・・ということだろう。
しかし、彼女が諭すように言ったその言葉は、彼の何かを刺激したようだ。
「・・・長い目で見るより、その場の欲求に流されたほうが楽しいし、気持ちがいいのは───あんたがいちばん知ってるでしょうよ」
未成年のくせに、思いっきりヤニに依存している人間に対する言葉。
お前は俺を諭せるほど偉い人間じゃないだろうと、彼は彼女の物言いに納得していない様子だ。
「・・・・・告白してる人間のセリフじゃないね。
まったく、君は生意気だ」
ふぅ、と煙を吐きながら彼女はそう言い、なんとも言えない表情で彼の方を見つめる。
「でもね、私は可愛げがある子じゃないと付き合わないって決めてるの」
「俺に可愛げがないと?」
そして再び煙草を噛み、彼の言葉を待ったが───しかし、瞬時に言葉を返されたためか、驚いたような表情で煙草を口から離した。
「うん、まあ、それもあるけど・・・・・まあ、一番の理由は───私がもう長くないからってのが、そうかな」
増える煙とともに発される、唐突な告白。
互いに何かしらの告白をしたと言えばそうなのだが、どうにも両者それぞれで話題のベクトルが180度くらい違う。
これではあまりにも、彼が可哀想だ。
「・・・は?」
「だからもう、ここには来ない方がいいよ。
明日からは私、ここには来られないから」
彼の困惑をよそに、彼女は淡々と言葉を吐き続ける。
ただただ機械的に、まるで病状を患者に伝える時の医者のように。
「何言ってんですか、まさか冗談じゃ───」
「ホント。
今までは嘘ばっかりついてたけど、今回ばかりは本当だよ」
存外、人を失う時なんてものは───こんなにも、あっさりしたものなのだ。
事故で唐突に失うにしろ、急性心不全で人知れず亡くなっているにしろ。
結局は理由が何にしろ、心の整理が云々だなんて考えている暇はない。
「・・・はは」
「いつ言おうか迷ってたけど、君が告白をしてくれたおかげで言えた。
これで後腐れないでしょ」
「・・・・・んなわけねぇでしょうよ」
言い返した・・・と言うよりは、咄嗟に口から出てしまった言葉なのだろう。
人が突然いなくなるという事実が存在する時点で、後腐れが云々なんてものは全て後回しだ。
彼から言わせれば、もう少し早く知っていれば一緒に出かけたりできたのに、なんてこともあるはず。
過去にたらればは適用されないことは理解していたとしても、人の命が関わる状況となれば、意図せずとも考えてしまうものである。
「ならさ、ほっぺにちゅーしてあげる。
口じゃヤニ臭くて嫌だろうし」
「後腐れなくしたいんだったら、口にしてくださいよ」
彼の言える、精一杯のジョーク・・・・・と言うよりは、もうヤケクソになってしまったのだろう。
もういっそのこと、不純異性交友までしてしまいたい───なんて考えていても、彼の立場を鑑みてみれば、なんら不思議ではない。
「・・・・・まあ、いいよ。
私はじめてだったから渋ってたけど・・・もう、君以外の誰かにあげる機会なんてないしね」
全くもって笑えない。
事故や手術の保険金にかこつけたソレとは全く違う、老人の自虐ともまた違う、異質なブラックジョーク。
無論、彼は渋い顔をした。
「・・・ひっでえブラックジョークですよ。
まったく」
しかし、彼の絞り出したような悪態すら、もはやこの場の重苦しい空気感の中では───彼女の耳にも入らない泡沫として、儚く弾ける他にはないのだった。