閑話:信奉者(1)
人格を変えること。
それは、皆が思ってるよりも数段ほど簡単にできることだ。
ここは、とある馬車の荷室。
カタ、カタ、と一定のリズムで刻まれ続ける揺れに体を預け、手入れが行き届かなくなった金髪を垂らして───薄暗い、ひどくぼやけた瞳をたたえた少女は、ある人から手渡された手紙に目を通していた。
「・・・・・」
両手両足には枷があり、首には抵抗防止用の首輪が付けられているというのに───彼女は、「ルネ」は、頬を赤く染め、希望と似た感情が要因であろう表情をにまにまと浮かべている。
たった四日前、虚無の寵愛者の手によって、己が縋ってきた全てを目の前で失ったというのに。
否、だからこそ、だろうか。
既に、彼女は壊れているのかもしれない。
「・・・♪」
出発してから数十分。
彼女は、もはや愛しいとさえ思える筆跡を胸に抱き、幌の外から僅かに漏れた光に目を向ける。
(嗚呼・・・)
たかが四日、されど四日。
仕方なかったとはいえ、その四日という数字は、ちっぽけな人間の精神くらいであれば、そっくり書き換えてしまうには十分な時間だったようだ。
(グレイア様・・・・・)
この様子を当人が見れば、きっと嫌な表情をするに違いない。
だが、彼女はそんなことはいず知らず、ただ只管に、己を盲目的な忠誠から救い出してくれた存在を崇めるのみ。
「・・・♡」
鳥肌が立つ、と。
きっと、彼ならそう口にするだろう。
─────?節:信奉者は歪みを心に抱き
「・・・・・はあ」
時刻は太陽が真上に来た辺り。
いつもの執務室にて、ナギはひとり、ため息をついていた。
(あれが「細かな話」だって? 本当にとんでもないね・・・)
原因は無論、グレイアがもたらした情報である。
「・・・叡智の寵愛者、か」
ナギはそう呟き、己の記憶にある無数の引き出しを探っていく。
また、記憶を探る傍らでは、執務室に備わっているクソでかい本棚から物体操作魔法を用いて幾つかのノートを引き出し、それらに記してあった情報に目を通す。
全ては、どんなに些細なことでも齟齬がないように。
これは彼の職業柄、とくに慎重なところだ。
(名前は覚えていたけど、僕の記憶が正しければ、今までの活動のうちで関わったことは一度もないはず。
評判なんかも、僕の耳に入ってきたことはない・・・・・)
しかし、己の記憶は勿論、出会った転生者や耳に入ってきた情報を全て記していたはずのノートにも一切の情報はなかった。
ナギは二、三度ほど確認を繰り返すと、そっとノートを元の位置に戻す。
「となれば・・・多分、そういうことだよね・・・・・」
そして彼が抱いた結論は、当該の「叡智の寵愛者」が、彼にとっては稀に見る存在である「神の傀儡」であるという可能性。
グレイアとの会話を思い出しつつ、彼はそう結論づけた。
(・・・まあ、僕が言えたことではないけど)
とはいえ、彼とて己を思想で戒めている身である。
あまり明言すると心が削れてしまうと、彼は己の思考をそっと頭の片隅にしまい込む。
そこからひと呼吸置き、彼が椅子に戻ろうとした時だった。
まるで見計らったようなタイミングで扉が三回鳴る。
「・・・ナギ〜? 居る〜?」
「いるよ」
聞きなれた声の主に向かって端的な返事をすると、ナギは椅子には座らず、立ったままで入室を待つ。
「ただいま〜」
声の主───キクは、いつも通りの欠伸が出そうな声でナギに話しかけながら入室してきた。
「おかえり。頼んでいた情報は?」
「バッチリ見えたよ〜?」
簡単な報告・・・だったはずが、どこかキクの言葉に引っ掛かりを覚えたナギは、椅子に戻ろうとする脚を止めて、振り返りながら問いかける。
「・・・どうして疑問符が?」
「それはね〜・・・」
対して、キクは躊躇うことなく返答を口にし出したが───何故か言葉に詰まり、顎に手を当ててナギから目線を外して考え込む。
「な〜んて説明すればいいか・・・・・」
隠し事はしていない、という意であろう行動を見て、暫くは言葉が出てこないと予想したナギ。
左手を机につき、右手を腰あたりに当ててキクの方を見ると、彼は依然として悩みふける彼女に声をかけた。
「・・・じゃあ、こっちから聞こうか」
「うん、どうぞ〜?」
するとキクは顔を上げ、ナギの方を見る。
彼女の視線を確認すると、彼は言葉を続けた。
「叡智の神との接触があった。違うかい?」
「正解〜・・・だけど、本命はそっちじゃないの〜」
「・・・なんだって?」
自分のアテが外れたことと、彼女が言い淀んでいたことの正体がさらに気になったことで、ナギは柄にもなく動揺してしまう。
神との接触より重要なこととは何だ───と。
「でも〜、本命の方は状況的に深刻じゃないっていうか・・・。あの子なら大丈夫かな〜って思える的な〜?」
「・・・・・つまり、何が言いたいのさ」
しかし、彼は腕を組み、自分はあくまで余裕だぞと言わんばかりの姿勢で彼女の言葉に耳を傾けた。
ちょっと滑稽である。
「あの女のコ、もともと惚れっぽい子っぽくてね〜。それに加えて、拘束されてる時に叡智の神に接触されちゃったみたいで、その子、けっこう彼に惚れちゃってるみたいなの〜」
推測混じりではあるものの、それは確実にキク自身が「ルネ」の記憶を垣間見た結果に得られた情報───なのだが。
それはナギにとって、何らかの値が予想を激しく下回る結果となったらしい。
彼の顔にはキョトンとした顔が張り付き、頭の上には「?」が浮いて見える。
「・・・それなら別に」
「だから〜、私は深刻じゃないって思ったし・・・なんだか不思議と焦ってる検査局の人達にも、キッチリ命令はしておいたわ〜」
加えて、当人の口から、この事柄は既に終わったとすら報告されては流石の彼も敵わない。
ここで幸いだったことと言えば、そのヤンデレ予備軍が惚れ込んだのがグレイアだという点だろう。
「・・・うん。まあ、それでいいんじゃないかな」
ナギ自身、その点については揺るぎない信頼を向けている。
さっきの報告によって抱いた感想が「?」という、もはや言葉ですらない代物だった理由についても───この、彼自身が抱く信頼によるものに他ならない。
「ナギもそう思う〜?」
「ああ。今ここで信者が一人増えようと、彼は何もしないだろう」
「あなたがそう言うなんて、あなたは彼に何か言われたの〜?」
そういえばキクには話していなかった、とか思いながら、ナギは自分の記憶を辿りながらグレイアとの会話の内容を彼女に伝えていく。
「グレイアと話している時に話題に出たからね。
とくに、今も活動を続けている「虚無の荘厳を見上げる会」については、彼自身からしっかりと───活動は容認するが、無関係な人々に危害を加えた場合は即刻解体するとの言葉を聞いた」
要点だけを伝え終わり、キクの様子を見ると、何やら彼女は少し引き気味な様子。
「わあ〜・・・。やっぱりあの子、怖いくらい冷静だね〜・・・・・」
「やっぱり君も、そう思うだろ? ぶっちゃけて言えば僕も同じさ」
まあ、残当である。
カッコつけるために取り繕った言い分とかならまだしも、グレイアは素であんなことを言っているわけで。
己を崇拝する人間に支援してもらってる立場からすれば普通に怖いし、極論、お前転生者のくせに頭おかしいんか・・・なんて感想を抱くことだってあるだろう。
それをこの程度の感想で済ますとは、伊達に幾多の転生者の相手をしているだけのことはある。
「あ〜、それとなんだけど〜・・・」
「うん?」
「これ〜、あなた宛にって・・・あの子が用意したみたいなの〜」
「手紙・・・? そういえば、細かな話は手紙で伝えると・・・・・」
話は聞いていたが、確かに、まだ手紙は受け取っていなかったなと。
ナギはそんなことを考えながら、彼女から差し出された手紙を受け取り、封を切って中身を確認する。
「・・・・・ああ、そういうことか」
「ん〜? 何が書いてあったの〜?」
ざっと全体に目を通して確認をすると、手紙の意図を理解したナギは、そのまま彼女に向かって説明を始めた。
「手紙の内容を要所だけ読み上げると、「虚無の神から手頃な駒が手に入ったな、とは言われたものの、駒として使うには信用を始めとした何もかもが足りないし、それを培わせるほどの余裕や時間や理由もない。
とくに俺自身、こいつを本当にただ生かしただけだから、とりあえず俺の中での優先順位が回ってくるまでは、アリスのとこに預けて飼い殺しにしておくことに決めた。だから、お前はそれを承認してくれるだけでいい」・・・だってさ」
「・・・律儀だね〜」
「ああ、本当にね」
というのも、このような行動をするに当たっては、本来であればナギを通して云々・・・などという行為は必要ない。
それどころか、本来なら彼に通知する必要すらもなく、転生者という対等な立場である以上、無断で何かをしたところでそれを咎める人間は誰一人として存在しないはずだ。
(きっとグレイアは嘘を一切ついていない。彼は本当に嘘偽りなく、単に何らかの理由で彼女を生かしただけで、優先順位というのも───それは本当に最下層にある事柄なんだろう。でなければ、今回のアポを彼自身でなく、彼の仲間が取り付けたことについての説明がつかない)
であればこそ、彼の行動には「価値」が生まれ、「信頼」へと繋がると言っても過言ではない。
やたら律儀に筋を通し、対して己のやりたいことは必ず通せるように工夫を凝らす。
・・・まあ、今回の場合、彼はただ正直に行動しただけだが。
「・・・怖いね、本当に」
「そうね〜・・・・・」
二人そろって抱いた感想を噛みしめながら、キクはふと、自身が「ルネ」の記憶を除いた際に見つけた記憶について口にする。
「そういえば、あの子がその女のコを生かした理由も、なんか情が沸いたとかじゃないっぽくて〜・・・」
「・・・殺す理由がなかった、かい?」
「そうなの〜」
「ああ・・・そんなことだろうと思ったよ・・・・・」
短い間とはいえ、ナギ自身、グレイアが「生かしただけ」だとは言っていても、その理由については疑問を抱いたままだった。
だが、一言「情が沸いたとかではない」と聞いてしまえば、簡単に予想がついてしまう。
(何もかもが残酷で合理的。
でも、グレイアらしいと言われれば不思議と納得できる)
殺人から目を背けたいとか、殺す間際になって情が沸いたとか。
そんなみみっちい理由ではないという信頼が、なぜかグレイアにはあるようだ。
「言い方は悪いけど、彼は国を出る少し前から、ほんのちょっとだけど調子に乗っていたみたいだからさ。
だから、僕個人としては少し心配していたんだけど・・・良いか悪いかは別としても、この、恐怖を抱いてしまえるくらいに冷静かつ合理的な側面を今ここで確認できた。それならもう、この心配は杞憂だったって言える」
「ちょっと・・・甘やかしすぎちゃったかな~?」
「その点については否定しないけど、それで問題はなかったと思うよ。こればっかりは結果論だけど、彼自身が過度に現実を直視したがる素振りをしていた以上、少しくらい甘やかして調子に乗らせるくらいが丁度良かったはずさ」
「そう・・・かな~?」
すっかり穏やかな様子で過去を振り返り、話題を広げる二人。
一通り話し終え、区切りがつくと───ナギは一呼吸おき、安心した様子で口を開く。
「とにかく、彼は上手くやっている。僕らの支援が一切必要ないくらいにはね」
「支援する余裕、ないけどね~・・・」
「まあ、それはね。その点で言っても有難い限りさ」
気まずそうに頭をかくキクと、腕を組みながら苦笑いするナギ。
実際、先日の襲撃によって壊滅した街や拠点のこともあり、この国は現状、わりとテンパっている。
「だから、この話はこれで終わり。彼女についても、特別な警戒を要するものではないってことで」
「わかった~」
最後に、ナギが端的に話をまとめて結論付けると、キクはそれに対してやんわり返事をした。
「・・・それじゃあ、公務に戻ろうか」
そして二人はそれぞれの公務へと戻っていく。
キクにはまだ訓練すべき新兵が、ナギにはまだ処理すべき書類が、それぞれ残っている。
「・・・はあ」
ため息をつきながら、ナギは大人しく椅子に座り、公務へと戻るのだった。