4-9:虚無と自由
意図された存在。
日はとうに暮れ、現在時刻は夜の七時。
夕飯の後片付けを全て終わらせ、寝ないように気をつけながら風呂に入った俺は、温まった身体を冷やさないように居間へ向かった。
時期的に暖かい季節ではあるが、にしたって夜は夜だ。
俺が生きていた時期の日本と違って、しっかり寒い。
「・・・おかえり。温まった?」
「ああ、バッチリ」
「今、今日買ったお茶を煎れてるから待ってて」
ゆっくりと障子を開けて部屋の中に入ると、ティアが壁際に置いた小さい家具の上で魔法やらなんやらを使って飲み物を用意していた。
どうやら俺がいない間に、興味が湧いたものを色々と買っていたようだ。
その結果がお茶というのは、やはりどこか高貴さを感じさせるような気がしないでもない。
「使う分が減ったんなら補充するか?」
「ううん、きみが分けすぎたせいで当分は使いきれなさそう」
俺がローテーブルの傍に正座で座りながら述べた問いは、見積もりをミスったようで普通に突っぱねられた。
というのも、俺は計算が面倒だからというのと、単に俺が個人的な出費をそこまでしないからという理由で、貯金の二割くらいをティアに渡している。
ぶっちゃけでいえば資産の運用なんて初めてだし、こんなアホみたいな量から始まると思っていなかったため、俺は非常に手探りな状態であるわけで。
その状態で一々ティアから使った金の量やら用途を聞く訳にもいかないため、俺はティアに纏めて金を渡し、足りなくなったら補充するという荒っぽいタイプのお小遣い制度みたいな体制をとっているわけである。
「・・・というより。私からしてみれば、きみが食べ物以外に一切の出費をしないのがすごい引っかかる。何か理由があるの?」
「いいや? とくに何も。単にこの世界だと、ある程度は落ち着かなきゃ趣味がちゃんとできないから何もしてないだけで」
「じゃあ、ちゃんと趣味はあるの?」
「そりゃあるよ普通に。前世でしかできないものを除けば、釣りとか読書とか。なんか羅列すると嘘みたいになるけども」
あとは、強いて言うなら料理とかか。
これに関しては最近目覚めたものだが。
「てか、ニアとグリムは?」
「先に寝ててもらってる。それより、話逸らさないで」
「・・・へっへっへ」
「わざとらしく笑ってもダメ」
何やら、普段より幾分か厳しめである。
だが、ティアが何かを危惧していることと、その何かがきっと俺自身の精神に関わるものであることは想像がつく。
べつにその辺は心配しなくても、俺がニヒリズム的な何かに目覚めることはないと、他でもない俺自身が断言できるから安心していいのに。
それとも、転生者が抱えるという思想の問題について心配しているのか。
だったら俺は「例外」らしいから、尚更心配する必要はない。
「それならいいけど・・・これ、お茶」
「ありがと」
腑に落ちているわけではなさそうだが、それはそれとして表情を変え、いつも通りの自然体で俺の目の前にお茶が入った湯呑みを置くティア。
俺は両手で湯呑みを持つと、中にあるお茶の温度にビビりながら、息をふきかけつつゆっくりと口に含む。
すると、どこか慣れ親しんだような味がした。
「ん、麦茶かコレ。あっちい」
「うん。煮出したりするのは売ってる水の方がいいって書いてあったんだけど、魔法を使った方が早かったから。魔法でやっちゃった」
「へえ・・・」
湯呑みを置き、手の甲で口を拭ってから静かに相槌を打つ。
そして、なんとなく姿勢を崩したくなった俺は、正座はしたままで身体を後ろに倒し、なんだか腰に悪そうな体勢になって天井を見上げた。
「・・・・・」
微かに聞こえる虫の音に耳を傾けながら、俺はただ、田舎の家でしか見たことの無い、潰れた行灯みたいな形の電灯を見つめる。
「・・・・・ねえ、グレイア」
「?」
そんな俺の方に目を向けながら、依然として姿勢は良いまま、両手で湯呑みを持った状態で名前を呼ぶティア。
俺が顔を向けると、そのまま何気なく言葉を続ける。
「私、自由の寵愛者っていう転生者の孫なの」
「・・・まーじか」
唐突すぎて、理解するのに数秒を要した。
だが生憎、現時点での俺の脳みそは完全にフリーな状態であったため、ある程度ショックが落ち着きさえすれば整理はつく。
そして同時に、ある程度の納得を覚える。
ああ、そういうことか───と。
「・・・反応、薄くない?」
「いいや、表に出ないだけで驚いてはいる。でも今は、それ以上に色々と思うことがあるだけで」
「どういうこと?」
「そうだな、簡単に言えば───」
今しがた、俺が「そういうことか」と納得したのは、なにも今さっきティアがカミングアウトした事柄だけではない。
なんとなく先程から少々の違和感を、あの虚無の神に、暇神様に呼ばれた時にだけ感じることができる妙な悪寒を───ほんのちょっぴりだけ、俺は感じ取っていた。
ゆえに今、確信したわけだ。
あの神は恐らく、説明や解説をするにはピッタリなこのタイミングにおいて、俺を呼び出して色々と講釈を垂れるつもりなのだろうと。
「・・・俺達の話はもう、神サマに筒抜けだったりとかな」
「・・・・・?」
そして同時に、あの神は現在進行形で俺達の会話を覗き見ている。
最初に呼び出された時に目覚めた部屋で感じた妙な気持ち悪さは、今この瞬間にも僅かだが感じていた。
恐らく、トリガーはそこだ。
「あんの暇神、他人の話を覗き見しやがって」
「どこ行くの、グレイア・・・」
俺は心の内を言葉として垂れ流しながら上体を起こし、そのまま立ち上がって伸びをする。
心配からか話しかけてきたティアには待ってもらいつつ、俺は自分が入ってきた障子とは反対方向の障子へと歩き出す。
「せっかくの2人だけの時間に水差すのホント・・・」
「・・・・・」
そして障子の取っ手に指をかけ、すっと開くと───やはり、とでも言うべき光景が目の前に広がった。
「・・・!」
いつも通りだ。
至っていつも通りの、白黒で殺風景な、妙な質感の岩と灰色の雲ひとつない空で構成された虚無の空間。
俺の予想は、全くもって間違っていなかった。
「ほうら大当たり。やっぱし引き込んでやがったよ暇神様がよ」
ただ、ほんのちょっとばかしムカつくのは変わらない。
何らかの目的があったとて、この呼び出しがいつも通りに予告がないものだからとて、物事にはタイミングというものがある。
まあ、神様にそれを察しろと言うのは烏滸がましいというか、めちゃくちゃ無礼だと言われたらそうなのだが。
「・・・・・仕方ない。行こう、ティア」
「・・・何処に?」
「虚無の神が居る場所。今まで通りなら、道なりに行けば直ぐのはずだ」
「わかった・・・」
とりあえず、向かわないことには何も始まらない。
何を話すのかは知らないが、今はとりあえず───色々と、気持ち的に構えておかなければならないな。
〇 〇 〇
さて、俺はもはや見慣れてきたと言っても過言じゃない道をティアと一緒に歩きつつ、道の先にあるものが何かを考えていたのだが───どうにも、進む道の景色に心当たりがあった。
途中であのクリオネと爬虫類を掛け合わせたような生物らしき何かが見えたのも、たしかこの辺りだったはず。
もし前に通った道と同じなら、あの角を曲がったところで恐らく・・・
「・・・湖」
視界に入ったのは、光を多少ばかり反射するものの、少なくとも水ではなさそうな黒色の液体が張ってある湖。
毒だなんだと思案しながら渡ったのが懐かしいとさえ思う。
ただ、俺としてはこの湖、ぶっちゃけ苦手なやつだ。
「・・・・・もしかして、真ん中のところまで行くの?」
「たぶん。前と同じならな」
とは言いつつ、渡るのがめっちゃ嫌。
前回は気分が上がっていたから普通に渡ったが、今はなんか、怖い。
中が見えないせいで、あのクソでかいクリオネらしき何かに類似した生物っぽい何かが出てきたら、俺は普通に泣く自信がある。
・・・まあ、行くしかないんだけど。
「飛んでいけばいいのに」
「・・・もっと怖いのよソレ」
ティアの指摘に肩を落としながら答えつつ、俺は魔法が使えないことを確認してから脚に二十パーセントの身体強化を付与し、そのまま飛び上がって山なりの起動を描いて対岸に着地した。
何も無かったことに安堵した俺は身体強化を解除して、ティアが飛んでくるのを待とうとしたのだが───その前に、いつ来たんだってレベルの神速で渡ってきたティアが俺の隣に立っている。
「・・・早くね?」
「鍛え方の違い。きみは素の能力が弱い」
「そういうもんか・・・・・」
変に追求するのもあれなので流しつつ、俺は島の中央に目を向ける。
すると、そこにはやはり絵画があり、辺りを照らすように鈍く光を放っていた。
「まーた5億年ボタン?」
「・・・なに? それ」
「ただの創作物。単に比喩として言った」
「ふーん」
なんて、たわいもない会話をしながら絵画に近づく俺達。
とくに妙な感じもしないため、そのまま近づいていくと───ふと、ふたたび絵画に視線を向けた時、絵画に描かれている情景が前回とは少し違うことに気がついた。
前回のような、だだっ広い平原がどこまでも続いていくような情景ではなく、今回は絵画の中心に、とても大きな桜の木が生えている。
「これに・・・触れるの?」
「・・・前回と同じなら」
ここまで一回も暇神様が話しかけてこなかったのは引っかかるが、まあ、何らかの罠だったとしても俺達にはどうにかする術は無い。
触れたところで問題はないだろうと判断し───俺は、大人しく絵画に触れることにした。
「・・・っ」
「まぶし・・・」
触れたら輝くことを完全に失念していたせいで、体感では車のハイビームくらいの光量をモロにくらいながら、俺達は眩しい光の中で数秒の時を過ごす。
そして、光がある程度収まったために目を開け、辺りを見回すと、俺達の視界にはだだっ広い平原と、その奥にそびえ立つ巨大な桜の木が映った。
空は青く、雲ひとつない。
遠くに見えるのは地平線だけで、川も、森も、山も、建物も見えない。
ただ一つ、巨大な桜の木のみが存在感を放っている。
「・・・感じる」
「?」
ふと、ティアが呟く。
俺はなんの事か理解できずに首を傾げたが、ティアはすぐに呟いた言葉の補完をするために話を続けた。
「魔力でも、生命でも、気力でもない。きっと、私が出会った何よりも強い・・・何かを」
そう言われ、ティアの耳を見てみると───猫耳の部分がぺたりと伏せ、イカ耳になっているのが見える。
視線も細め、警戒している。
あの時の俺が接近されないと気がつかなかった、暇神様の威圧感に。
「・・・あの木の下だろ。取り敢えず向かわないと」
「・・・・・うん」
でも、あれは慣れるものだ。
きっとティアも例外では無いのだろうと楽観視しながら、俺達は足を進めていく。
「・・・・・」
景色が一切変わらず、唯一変化する要素があるとするのなら桜の木の大きさくらい。
イカ耳のティアとともに歩くこと数分、無言の俺達が向かった先に現れたものは、俺ですら少し驚く光景だった。
それは直ぐに見えたのではなく、少し、木の影になっていた所に回り込んでから見えたものだったが。
「遅かったな、グレイアよ」
「・・・マジっすか」
「ああ。本気だ」
木陰に設置された木製の床の上で、丸いテーブルを囲んで四つの椅子があるのは直ぐに確認できた。
だが、確認できたとて───俺は、暇神様に加えてもう一人、否、一柱が座っていることを理解するのに数秒を要した。
モダンなデザインのキャップを浅く被り、サングラスとギラギラしたネックレスを身につけ、真夏のビーチに居そうな服装をして、妙に神々しい羽衣を纏った男性。
簡単にまとめるなら、やたら神々しいチャラ男といった印象だろうか。
「・・・なあニヒリス、ケッコー失礼じゃねえの? こいつ」
「肝が座っている、と言ってやれ。この男は一応、やらなければならない時は相応の態度を取る」
「いやいや、オレは忘却くんの頭ん中のこと言ったんだけどね?」
「それは擁護できない。私に対してもかなり失礼だ」
「ほら〜」
方や電車の中の迷惑なおっさんみたいな格好で足を組みつつ頬杖をついて話し、方や身につけたスーツのような綺麗な所作で紅茶らしきものが入ったカップをすすりながら話す。
いやまあ、俺だって弁解するつもりはないけど。
さも当然かのように心を読んでくるのはなんなんだ本当に。
「ま、でも呼び出したのはオレらだしね〜」
「グレイア、ティア。座るといい」
「あっ、はい」
「・・・はい」
俺達が返事をしたところで、二人の目線がこちらに向く。
それでも空気が重くないのが不思議なところだが、ティアはどうやら凄まじく緊張しているようで、プルプルと耳が震えている。
俺は普通に、ティアは緊張しながら椅子に座ったところで、暇神様が机の上に俺とティア用の紅茶と茶菓子をそれぞれ出してくれた。
「・・・さて、先ずは謝罪を」
「タイミングの関係があったとはいえ、二人だけの時間を邪魔しちゃったみたいでゴメンね? オレら、予定がここしか合わなくってさ〜」
「ここではティア・ベイセルが話そうとしていたことも話す。情報の整理はあの知能体にやらせているから心配は要らない」
「あとは、ちょっとしたお詫びとして、キミらの運命をちょこっとだけ弄ったから勘弁してほしいな。忘却くんは覚えてるか怪しいけど、そっちのお嬢は心当たりあるだろうから」
「・・・そっすか」
「・・・・・」
色々と言われつつ、今の俺がここにいる理由は非常に重要な情報のためなのだろうということを再確認する。
最初はちょっとキレていたが、しかし、上位存在たる彼等が謝罪に加えてオマケを入れるくらいには重要な事柄なのだと思うと、身が引き締まる思いだ。
「ま、察してくれるなら有難いよ? 何から話すかは決めてないけど」
「私は既に」
「へえ。じゃ、お先ドーゾ」
「そうさせてもらおう」
とはいえ、二人はマイペース。
身を引きしめたとて、やるべきことは結局、思考を保つことを念頭にしつつ耳を傾け続けるのみ。
「さて、時間は有限だ。結論から伝える」
「はい」
「・・・はい」
カップを置き、俺の瞳を見据える暇神様。
こういう時ばかりはしっかり「虚無の神」と言うべきか。
「空閑 葛およびティア・ベイセル。お前達二人には、これより───」
彼は、ただいつも通りに───その能面を張り付けたような表情をたたえたまま、俺のことを冷徹な視線で見据えながら、落ち着いて言葉を続ける。
「この世界の、管理者になってもらう」
そして放たれた言葉は、ひたすらに「衝撃的」。
ただ、それに尽きるものだった。